大地と水晶-10





 わだかまる違和感。焦燥感。
 それらが胸の内に小さなとぐろを巻いて、鎌首をもたげそうなそぶりを見せた。
でも、はっきりと見せることはしない。じらすようにユラユラと意地が悪く頭を上下に揺らすのだ。
 気分を変えるために外に出ても。全く景色なんて見えなかった。
 ゆっくり歩む足が、いつの間にか駆け足に変わって居る。
 一日経ったはずなのに、手の平に付いた血の感触が、生暖かな液体が滑り落ちる感触が生々しく残っていた。
 あの時。青年の腹部から流れる血を前に、佇む事しかできなかった。
ただ、オロオロと辺りを見回して、慌てて救護の手を引きずり出すことしか出来なかった。
 魔術には、何種もの手段がある。攻撃に、補助に。傷を癒す事を目的とする治癒。
 治癒なんて苦手だ。大の、苦手だ。治癒は制御が難しく、上手くいかなければ再生能力が妙な方向に暴走する。実際、『胴体が二つってのは勘弁だ』と青年に言われた言葉に反論なんて出来なかった。制御できる、自信が無くて。
「それはそうだけど。あたしは魔術が使えるのに。使えないなんて意味ないじゃない」
 口の中で苦い言葉をかみ砕き、唇を噛み締め。細かく砕けた言葉は舌先にからみ、突き刺さる。針でつつかれるような鈍い痛み。
「全然使えないなんて……意味、ないわよ」
意味がない。本当に、意味がない。
 ナイフを持っていても、使い方が分からず、ただ錆びさせるようなもの。
 苦手だと頭から放り出して勉強するつもりも、克服する気もなかった。
 前言っていた、勉強の手を広げてみたいと言ったのも冗談ではなく本気だった。
知らず知らずとは言え、苦手教科をおざなりにしてきたのもまた、事実。
「……ああもうっ。こんなのあたしらしくないじゃないの、もうッ」
頭を振り、顔を上げる。目に入る文字は魔術文字。古びた木製の看板には本の絵柄。
「こんな所に、本屋なんてあったんだ」
 いつもなら、『ま、新発見だけど自分には関係ないか〜』と終わらせた。
 だが、思案するように手の平を眺めた後、
「うん、考えても仕方ないし。行こ」
こくりと頷き、少女は店に足を踏み入れた。


埃の匂いとヤニの匂い。店主が煙草でも吸うのだろうか、天井が白い煙で霞んでいた。
(煙草なんか吸ったら本が傷むのに)
 書籍の有様を眺めても、埃を被って状態が良いとは言えない。しかし、値段を見る限り魔術に関する本としては格安だった。
 恐らく売れ残った本や、二束三文で買い取った本を並べているのだろう。
 実質的に言えば本屋、と言うよりも古本屋か。まあ、品が揃った王都とは違って、田舎であるモーシュは本の値段も高い。ついでに種類も少ない。本を読むにしても図書室に行けばいいし、買いたい本も質が落ちるが古本屋で事足りる。
 娯楽である本屋自体村には余りないのだ。数年前は他の店……露店や道具屋も少なかったが、気が付くと店も増えて、娯楽用の本もそこそこ流通しているようだった。昔より確実に本の種類も、他の店の品の量も増えている。
(そう言えば、学園が出来た後からよね。うちの村が賑わいだしたのって)
 やはり、都会でも珍しい魔導師の育成所というのが村の発展に一役買っていると言うことか。
 何にしても安いというのは助かる。普通の本でさえ安いとは言えないが、魔術的な本と言うだけで値段が何倍にも跳ね上がるからだ。たとえ一冊買うとしても魔術師見習いである少女の財布には少し厳しい。
 試しに開いてみたが、表紙に擦り傷が付いていても、中身には特に異常はないようだ。
 値段と合わせて考えると、許容範囲内か。
(この位なら何とか買えるわね。とは言っても二冊までが限度かぁ)
 しばらく甘いモノはお預けかな、と心の中でため息を付く。 
 ずらりと並んだ本の背表紙を目で追う。
「えっと……治癒、治癒治癒」
本棚に視線をやりながら横にずれ、小さく呟く。視界の中で幾つもの文字が流れていく。「治癒。治癒治癒治癒は、と」
口の中で反芻しながら歩む内、目的の文字が目に留まる。
「『一から始める治癒の基礎と応用法』……多分、これかな」
丁度手を伸ばした頭一個分ほど上に題名が覗く。届くか届かないかは微妙なところ。
 店主を呼んで取って貰うことも出来るが、あることに気が付いて躊躇する。
「う……ちょっとそれはなぁ」
確かに呼んで取って貰う方が確実で安全だが、一つ問題が発生する。
 取って貰うには題名を尋ねられる。そしたら否が応でも言わねばならないのだ。あの背表紙に書かれた題名を。
 ―― 『一から始める治癒の基礎と応用』って奴、下さーい。えへ、あたし背が低いから取れなくって〜。
 なんて事笑顔で言えるわけがない。店主だけになら告げられるだろう、だが少女の声は大声でもないのに辺りに響く事がままあった。良い意味で良く通るのだ。 
 しかし、閉鎖的空間であるこの店では、普通なら良い意味である声の通りが、全く逆の意味へと変わる。
 つまり、店主に聞こえるような声で言おうモノなら、店にいる客全員に聞こえる。確実に。客の入りは良いとは言えないが、入り口から見た限り片手の指よりは多い。注目は自ずと少女に向かうだろう。
「だ、駄目だわ。そんな恥さらしというか恥ずかしい真似できるわけないじゃない」
 ぶんぶんと頭を振って背表紙を眺める。変に目立つ事はしたくない。さらし者は勘弁だ。「こ、ここは気合いと根性と、あとは創意工夫でつかみ取るのみ」
ぐ、と拳を握りしめ、本を睨み付ける。苦しいほどの気合いを入れ、
「よし、じゃ早速」
 そっと手を伸ばす。先程の気合いに意味はない。余計な元気を振りまけばどうなるか、嫌と言うほど身にしみている。ここは慎重さあるのみ、である。
 極限まで伸ばした腕が震えた。
「筋。筋が、伸びる〜」 
つま先立ちになったまま、背表紙に指を引っかけ、バランスを取る。
「あ、と。もぅちょっ………」
 余程きつく挟み込まれていたのか、時間を掛けて本の半身が引きずり出される。
「かた、固い……けど、後少、しっ」
 足がつらないのが不思議だと思いながら、本に傷を付けないよう更に指先に力を込めた。 背後から人の足音。会計に向かう途中なのか、先程から背後を行き来している。
 視界の端にどさ、と一抱えほどの本が積まれた。視線を足下に落とし、見る。連ねられた題名に頬が引きつり、脳みそが活動を一旦見合わせた。薬学、医学、人体の解剖学。小難しそう、ではなく確実に難解な内容の本達。
 引きつった頬を戻す前に、もう一抱え。本が継ぎ足された。
 聞こえる軽い吐息。どうやらそれで全てらしい。
(っと。あたしも本を……ぁうわ!?)
 指先に視線を戻し、胸中で悲鳴を上げる。半身どころか本のほとんどが表に露出し、視線を戻した拍子にずるりと棚から本が落下する。
(うわ、と……って)
 慌てて両手を差し出し、本を受け止め、今度は違った意味で思考が停止する。
 受け止めることしか考えていなかったが、足を伸ばしたまま受け止めたすこぶるバランスの悪い状態。本をキャッチした拍子に体勢が崩れ、身体が後方に傾いていた。
(あぁぁぁ、えーとえーと。ば、バランスを今から取るには遅すぎるしえっと、んーと)
 考えを巡らせる内にも状況は悪化していく。どう創意工夫しようとも体勢を立て直すのは無理だった。心の内で唸っている間にチャンスを逃した節もある。
 気が付くと、黒い天井が視界に飛び込み、
「ぅわっ」
「きゃ!?」
 勢いよく何かにぶつかった。誰かの声と幾つもの本が落ちる重い音。
「あ、あたた……」
 呻きを上げ、ぐらぐら揺れる頭を振る。どうやら誰かに衝突したらしいが、相手側が踏みとどまったらしく本棚の倒れるような音はしない。
 足下を確認すると、派手に散らばった本の数々。幸いな事に破れては居ない。
(あああ。やっちゃったぁ)
「す、済みません。本ばらけさせちゃって。拾いますか――」
 肩を落とし、謝って本に手を伸ばした少女の声と、
「……別に。無理してそんな高いところ取――」
 冷たい相手の声が入り交じる。耳慣れた声に言葉の途中で顔を上げ、二人同時に顔を確認し。
『あ』 
 見事なぐらい台詞を唱和させ、固まった。
「何で君がここに」
「それはこっちの台詞よ! って、レム御免、あたしがちゃんと拾うから」
 いつもの調子で返し掛け、思いっきりぶつかって本をばらけさせた事を思い出し、慌てて謝る。
「別に良いよもう……」
 疲れたように言う少年にむっとした視線を返し、腰に片手を当てる。確かにさっきも別に良いとか何とか言ってはいたが、少女の気が収まらない。
「そんなわけにはいかないでしょ。って何見て」
口を尖らせ掛け、少年の視線が少しずれていることに気が付いた。視線の先をたぐるようにずらしていく。ある一点でぴたりと線が符合した。
 すなわち、少女の手元。
「あっ、えと。その……
 こ、これは、あの。なっ、な、な、な……なんでも、無くてッ」
 ぎこちない動きで手を振り、背後に隠そうとした手の平から重みが消える。
 いつの間にか。少年の手中に、先程まで持っていた本が収まっていた。
 興味がなさそうな。無関心な顔をしたまま少年は背表紙を見つめた。
「あ」
 紡ぐ言葉も見つからず、ぱくぱくと口を開閉させ、無言で指先を伸ばす。身体全体で返せと訴えても綺麗に無視される。
「…………」
 レムは片手で持ったそれを軽く一瞥し、本棚から本を一冊引き抜く。
(あ、あんなに高い場所を) 
 少女では背を伸ばしても絶対届かない場所から、いともたやすく抜き出す様を見て、少しの敗北感と尊敬にも似た感心。
 淡々とした動作で積み上げた本の上にのせ。一山から抱えられるだけの本を持ち上げて、奥に向かう。
「あ。ちょっ」
ふわりとなびく尻尾髪を慌てて追いかけた。
「何しに行くのよ」
「会計宜しく」
 尋ねる言葉に応えず、少年は暇そうに煙草をくゆらす店主の前に抱えた本を降ろす。
「ん……あ、あぁ」
 量に驚いたように店主はずれた眼鏡を指でなおした。
「ちょっと量多いから近くに積んでおいたよ。で、リストのメモ。
 重いから後で届けてくれない」
 それだけ言い、メモを添えて代金を置く。
「かまわんが、何処に」
 紙に目を走らせながら、煙草を外し、白い煙を吐き出す。
 面倒なのか渋い顔をして白いものの混じり始めた顎髭をなでつけた。
「ヒュプノサ学園の地下。辺りの生徒に聞けばすぐ分かるよ」
「あー。あそこか。それはちょっとなぁ」
 場所を聞いて渋るような声を上げる。少年は黙したまま、握り拳一つ分ほどの間をあけて、机の上に軽く握りしめた手の平を添えた。
「…………」
 瞳を細め、ゆっくりと手を開く。チャリ、と手元から涼やかな硬貨の音が鳴り響いた。
 レムが静かに手を引く、店主の目の色が変わった。
「ヒュプノサ学園地下」
 背を押すように、同じ言葉をもう一度。  
「ちょっ」
目の前に置かれた硬貨を見て、クルトは呻きを上げた。どう考えても、配達料としては多すぎる。銀貨なんて、奮発のしすぎだ。
 配達分だけで本がもう一山買える。チップにしても気前が良すぎる額。
「あぁ。いいだろ……」
「商談成立、だね。じゃ、宜しく」
「アンタは若いのに、世間が良く分かっているようだ」
「それはどうも。そこの二冊は持っていくから、後、包みも貰うよ」
 小さく返し、大きめの紙袋を手に取って、店主を見た。
「あぁ、好きにすると良いさ」
硬貨を懐にしまい、曇った眼鏡を布で拭いながら少年の言葉に頷く。
「じゃ、好きにさせて貰うよ。……ん、これで良し」
気のない了承を貰うと、レムは手慣れた様子で本を一冊袋に入れ、封をする。大きめなものを選んだおかげか、紙で出来た袋はきつくもなくゆったりとしていた。
「あのー…」
 色々と置いてけぼりにされながら声を掛ける。申し訳なさそうに呻く少女の脇を、少年が通り過ぎた。
「邪魔したね」
「あぁ。また来ると良い」
 背後から聞こえる少年の台詞に、警戒が幾分和らいだ様な気がする店主の返答。 
 ぼーっと静かな空気に身を預け、がたん、という扉の音に現実に引き戻される。
「あ、ちょ、ちょっと待ってーー」
緩慢な思考を戻すように頭を振り、少女は扉で切れかけた少年の背中を追いかけた。

 




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