愛してない贈り物-7



  


 ――危ない危ない。
 静まりかえる図書室の片隅で、クルトは心の中で安堵の息を吐き、両手一杯に積み上げていた本をそっと机の上に置く。安心する前に再度辺りを確認する。
 利用者が多い中央と違い、隅の隅の更に隅にあるこの場所には誰にも近寄らない。使い物にならない脚立や本棚の向こうに設置された申し訳程度の机。掃除もろくにされていないのか、テーブルの薄く積もった埃と剥がれかけた側面が痛々しい。
 人目を気にする場合は絶好の秘密基地にもなる。前もって用意しておいたインクとペン、紙が置いてある。左右の状態を確認するが、誰も付いてきた様子はない。
 これで自由だ。伸び伸びと好きなことが出来る。
『よぉっし、一丁やりますか』
 ブラウスの袖を捲り、小さく気合いを入れると手近にある本から目を通し始めた。
 掠れた紙音が薄闇に反響する。幾つかの紙面に目を通し、一通りの文字を書き連ねて肺から空気を吐き出した。
「基礎配合と材料はこんなモンね。で……布の材質と合うのは……」
 別の本を手にとって同じ要領で軽く流し読む。潰れかけた網目模様の解説と術の仕組みが交互に視界に入り、目が痛くなる。
「編み目がこれだから、呪式と配合の変化は、と」
 複雑な配合手順を考えるだけで頭が沸騰する。思わずペンを走らせる紙面を真っ黒に汚したい衝動に襲われながら、口の中でブツブツ計算を続けた。
 片手には『魔道具の全て』目の届く範囲に『薬草学』『まじないのハジメ』『織物全集』『魔術理論』『属性講座』etc.その他色々が気が付くと広めの机を占拠していた。
 個々が関係ないように思えるが、結構合間合間でちょこちょこと使用している。
 正気に戻ると恐ろしい有様になっていた手元を眺め、少女の口元が引きつる。
「う、うわあ」
 クルトがもっとも苦手とする理論重視の研究者タイプな人。の机みたいになっていて、後片付けのことを考えて気が重くなる。
「い、いや。うん、あとちょっと頑張って片付けよう」    
 止まっていた手を動かそうとした瞬間。視線を落とした紙面が薄暗くなった。
 元々明るくない図書室。既に日が落ち始めたのかと訝しげに感じたその時。
「はあ〜。そう来ますか。成る程、そんなやり方もアリですね。クルトさん面白いこと考える」
弾むような少年の声が耳元で聞こえた。インクに向けたペンが静止する。
「随分色々な資料を使われるんですね。でも、貴女の記したものを見たのは初めてです」
 微笑む彼に相槌も出ない。白にも見える薄い水色のローブに身を包んだその人は、先程振り切ったハズのケリーだった。
 ペンを持ったままの形で硬直している少女に構わず、
「魔道具ですか。クルトさんその手の品に興味がおありで?」
 にこにこと尋ねてくる。
 一呼吸目、パか、と口が開き。二呼吸目、手に持ったペンを取り落とし。三呼吸目でようやく硬直がほどけて声が出た。慌てて開いた両手を振り回し、
「ああああああああの。ケリーいつ、いつ、いつ、いつつのわ――ひだっ」
『あの、ケリー何時の間に!?』と言おうとした言葉は思い切り呂律が回らずに思い切り舌を噛んだため、悲鳴に変わった。
「あっ、大丈夫ですか」
「ひえ、ひゃいよーぶ(いえ、大丈夫)」
 倒れそうになったインクを遠くに避難させての心配気な眼差しに、コクコク頷く。一応傷は浅かったのか、口内に出血はない。
 だが、次の彼の台詞で危うく本気で舌を噛み切り掛けた。
「チェリオさんにあげるんですか。頑張ってくださいね」
 ぽふ、と肩を叩き、優しげに笑う。息の吸い方を間違え、ごふ、と呼吸が出来ずに噎せこむ。
「いあ。けっひ……決してそんなことはないわよ? たた。ていうかなんでいきなりそう言う展開に!?」
 ひりひりする舌を宥め、ぽんぽんと背を宥めるようにさする相手を半泣きで睨み付ける。
「ああ。それにしてもこれ凄いなあ。
 ――クルトさん、薬学や呪術、魔道具の知識はお持ちで」
 彼は全く気にせずに、掌をゆっくり外し紙面にもう一度視線を落とすと顔を上げ、にっこり笑った。
 釣られて微笑み、何となく気恥ずかしいモノを感じながら頬を掻く。
「え。いあ。何となくやってみようと思ったからありったけの資料集めてるモンで。つまり……初めてだけど」
 両指を絡ませ、しどろもどろな少女の答えに、深緑色の瞳が見開かれる。
「それは驚きです。レム先生も鼻が高いでしょうね」
 感嘆の溜息らしき吐息が漏れ、まじまじと少女を見つめる。
「は?」
 当の本人はといえば。何かよく分からないことを言われ、思わず間の抜けた声が出た。
「はい?」
 首を傾ける相手。
 暫し天井に視線をやり、次に近くの本棚に視線を向け、頭が落ち着いた頃合いを見計らってケリーを見る。
「何でレムが鼻高くなるの?」
「ええ。ですから僅かに甘いところはありますけど、実用に使用できうる、これほどの論理を一日で叩き出すとは素晴らしいことだと」
 ケリーは不思議そうに紫瞳を見つめ、告げてきた。あまりの率直なホメ言葉に少女の方が困惑する。この間といい今日といい、誰かに仕組まれたかのような褒め殺しっぷりだ。
 一瞬あらぬ疑いを向け掛けたが、相手の性格を心得ているクルトはその考えを放棄した。
 素直に喜ぶべきだろう。なのだが、褒められ慣れていないせいか、妙にむずがゆい。
「……そう、なの? 今まで一度もそんなこと言われた覚え無いんだけど」
 にこやかな相手の目を上目遣いで見つめた後、手元の紙を眺める。初めてにしては会心の出来だ!! と一人口元をちょっと弛めてはいたが、難しい部分に関しては明らかに無理矢理ひねり出した部分もあり、レムには怖くて見せられない。
「褒められてないんですか? 誰にも」
「うん。校長にもレムにも全然」
 問いかけに遠い目をしながら毎度のやり取りを思い出す。テストの点数が上がったと報告に行けばレムからつれなく『その程度』と肩をすくめられ。校長に丸が多い紙を振り回してみせると『そうですか。良かったですね。でも喜びすぎて周囲のものは壊さないでくださいね』と釘を刺され、挙げ句の果てにはスレイに『点数が良かったって、熱でもあったんだな』額に手を当てられて同情されるのが常。
 思い出すだけで悲観的になりそうだ。思い出にざっくり抉られかけた少女にケリーは微笑むと、
「僕でしたらもう既に貴女に合格をあげているところですが、先生方は厳しいですね」
 優しくそう言ってきた。既視感を感じる気もするけれど、みずみずしいその台詞は荒廃し掛けた心に染み渡る。
 褒められすぎで疑心暗鬼になりかけていたが、面と向かって告げられるとやはり嬉しいのか、少女の相好が崩れた。
「そ、そう? えへへ。そういわれると、まあ、いやあ、悪い気はしないわね。ありがと」
 頬を両手で挟み、僅かに赤らんだ顔を隠すよう少しだけ俯く。ケリーは遠くの方にいる野生の小動物を見るような眼差しを送り、
「はい。でも理論と実際に使用する場合は異なりますから、その辺りは注意してくださいね」 
 ひたすらに兄に似ない繊細な忠告を贈る。クルトは挟み込んでいた手を外すと、ふっ、と真顔に戻り、
「うん、それはよく分かってるわ。失敗も辞さない覚悟よ。成功するまでやり続けるんだから」
「余計なお節介でしたね。じゃあ、まだまだ掛かるんでしょう」
 拳を形作る少女に控えめに笑い、山となり、表面を覆わんばかりに広げられた本達をちら、と見た後再度微笑んだ。キョトンと紫の瞳が瞬く。
「へ。あ、うん。でもケリー困るわね。あんまり長居したら」
 ぐっ、と自分の耳元まで持ち上げていた腕を下ろす。最後に戸締まりをするのは図書委員。言わずもがな……彼な訳で。クルトが頑張れば頑張る程メイワクは必然的に掛かる訳で。だがケリーは落ち着いた表情で申し訳なさそうに縮こまる少女に、口を開く。
「いえ。僕はたまたま通りかかっただけの通行人です。それに」
 予想外の反応に気が付くと首が傾いていた。紫水晶の髪が机の上を滑り、ぱさ、と肩から落ちる。
「それ、に?」
 普通に反すうしたはずなのに、乾いた声が空虚に響く。何故か緊張して心臓が跳ね上がった。
「今日はなんでかうっかりしてしまい、たまたま、図書室の鍵を落として仕舞うかもしれないですね。その場合、たまたま拾った人が鍵を閉めて教員室に返してくれていると助かるな、と思わなくもありません」
 ずれた眼鏡を元に戻し、肩に積もった埃を払ってケリーはぼんやりと世間話をするよう言葉を紡いだ。これは、その……簡易的に言うと見逃してくれる。いや、戸締まりをして鍵を元に戻すなら好きな時間に帰って良いという事だ。
 少女は祈るように胸元で両手を組み合わせ、
「う、うん。うん。たまたま拾った人は絶対に鍵を閉めて教員室に戻して、後からささやかなお礼を渡しに行くと思うわきっと」
 こくこくと頷き、心の底から感謝を贈る。
「恩に着るわ」
 もう一度、感謝した。にこっ、と彼は笑い、声を抑えるみたいに口元にそっと手を当て、
「後、これも通りすがりの独り言なんですが。兄から聞いてますよ、貴女の制服。今度なにか食べに行きますから、見せてくださいね」
 余計なことを付け足してきた。『何でも来て、今ならお願い聞けるかも』状態だった脳が凍り付く。大急ぎで凍りかけた思考回路に潤滑油を足し、ぎぎ、と首を向け、
「…………ごめん通りすがりの人。その話題は速やかに忘れ去ってくれると嬉しい」
 喉奥で突っかかりそうなほどに、固まった声を吐き出す。
「何故か兄が笑っていたので気になるので行きますね。あ、それから」
 人の気を知ってか知らずか、ケリーはのんびりと答え。
 ――スレイ後でコロス。
 物騒なことを考えていた少女は続いた台詞に慌てて声を上げる。
「な、なに!?」
 彼はもう一回微笑んで一礼し、
「優しいですよね。では、暗くなる前に帰ってください。あ、お礼はこちらがうっかりした分帳消しと言うことで要りませんよ、きっと」
 背を向けると道をふさぐ脚立を器用にくぐり抜けていく。
「優しくなんかっ。と、取り敢えず今日のことは忘れて!!」
 勢い任せに反論仕掛け、冷静になるために言葉をいったん飲み込んで、一番の最優先事項を確認した。絶妙なバランスで積み上がる椅子を片手で押さえ、
「通りすがりですから」
振り向くとケリーは肯定とも否定とも取れない言葉を残し、ボロボロの家具を乗り越え消えた。
(うーん。まあ、言い回ったりはしないと思うんだけど)
 生真面目なケリーの性格を信じることにして、唇を引き結び、途中だった作業に取りかかる。
「よおぉぉしっ。今日中に仕上げるわよ!!」
雄叫びを上げ、インク瓶の置かれた場所に目をやると、鈍く光るなにか。
 それを確認し、少女は小さく笑って手近の本を捲った。



 空気が澄んでいるのか、星々の助力で昨夜よりも月光が強い。
 控えめな大きさの魔力の灯りが数個、天井近くを漂っている。命令に従い近くの光の球にはぶつからない。炎のように熱は持たないため、適当に放っておいても火事にはならない。時間が経てば魔力も抜けて勝手に消え去ってしまう不安定な代物だ。
 数を増やしたせいで光を強められないのが残念と言えば残念だが。
「く、くくくく。出来た、出来たわ。理論的にはこれで良いはずよ」
 滅多にしないことを真夜中近くまで行ったせいか、少女は若干変な方向に感情を高ぶらせつつ、含んだ笑い声を上げた。ひたすらに怪しいが、自宅というのが唯一救われる。
 バッ、と両手を広げ、ビッシリと描き込まれた羊皮紙に掌をかざす。左右に動く光のせいか、影が不気味に揺らめく。
「うふふふふふ。ああ、才能がコワイ。次にやることは基本分量の再確認に、布質の状態確認。そして、試行錯誤」
 自分の額に陶酔するように指を当て、そこまで言って止まる。
「やることいっぱいあるし」
 気を取り戻し、項垂れつつも材料を再確認。
「大抵のは揃ってるから分量測って入れ込めばいいし。後は丈夫で深めの火に掛けられる容器と」
 呟いて家庭用品を眺める。特にその手の用意をしていないので大釜とか鉄のツボとか大鍋なんてあるはずもない。
「買うと高いし。カミラ先輩から借りるのもなんだし」
 魔術的用品である特大鍋や深いツボはそれなりに値が張る。とはいえ呪術師の知り合いに声を掛けるのも身に危険が及びそうで躊躇われる。もう一度辺りを見回した。
 つり下げられた幾つかの薬草。フックに掛けられた木べら。幾つか表に出されたフライパンと、鍋。
「やっちゃう?」
 誰もいないのだが一人で質問。
「やっちゃおっかな。うん、よし決まり」
 黙考するようにじっとただの鍋を見つめ、少女はイタズラを思いついた子供のようににんまりと口元を歪めた。

 



 

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