マルクのDIARY-3





 ふわふわとした髪の毛。
 柔らかそうな羽。
 ひとけの無い通り道。
 今日はよくよく知り合いに会う日だなぁ。そんな事を思いながら眺める。
「ふんふんふーん」
 知り合いに会って声を掛けないのはマナーに反するが、
「おねえちゃーん」
「るんるんーるるる」
「えんじぇお姉ちゃんー」
「チェリオさ〜ん。どこにいらっしゃるんですかぁぁ」
 見事に無視される。
 恋は盲目、と言うけどちょっとくらい気が付いてくれればいいのに。
「おねーちゃーーーん。おーい」
「ちぇりおさーん」
 全然駄目。聞こえてない。
 さっきから十回くらいはやってるから、いい加減諦めようかなぁ。
 目の前にいる女の人は、ボクの通っている学園の保健係。
 見た目通りの天使さん。
 え? 腕? それはまあ、秘密。
 上手とはお世辞には言えないかな……って、秘密秘密。
「ん?」
 溜め息を吐き出すと、くすんだ壁の向こうに謎の物体。
 茶色っぽい色。
 丁度えんじぇお姉ちゃんの死角側。
 好奇心に負けて、そっと近より、軽くつついてみる。
今…少し動いたような。
 もう一度つつく。
 ぴく、と動いた。
「にぐ…むぐ」
 思わず悲鳴を上げ掛け、変な悲鳴が飛び出る。
 いや、飛び出るんじゃなくて途中で途切れた。
 それは勿論口を塞がれたせい。
 視線を上げると、整った顔立ちのお兄ちゃんが引きつった顔でボクの口を塞いでいた。
「んむーーーーむむむむむーむぐぐむむむっむむむむむぅっー」
 あーー、チェリオお兄ちゃん! 何でこんな所にーーっ、と言おうとした言葉は妙なうめき声になった。当然まだ手がボクの口を押さえているからだ。 
 ボクが喚こうとすると、腕の力が少し強まった。
 あう、チェリオお兄ちゃんそれ以上されると息、息出来ない。
死にたくはないので暴れるのを止めて沈黙する。
 腕の力が緩んだ。それを見計らい、腕からすり抜ける。
 ぷはぁ、と息を吐き出すボクを見ながら、チェリオお兄ちゃんは険しい顔でシーっと指先を口元に当てた。
 また窒息したくないので、こくりと頷く。
 うーん。さっきもこんな光景見なかったっけ?
 目の前のチェリオ兄ちゃんは戦闘間際のような緊張感を発している。
 プロと言って良い程の腕前の剣士なので、間近で気配に当たると息が詰まりそうになる。
 うう、早く離れたい。
 視線を動かすと、えんじぇおねえちゃんがまだうろうろと……
 そう言えば、チェリオお兄ちゃんってえんじぇおねえちゃんの事苦手だったっけ。
 と言う事はやっぱりコレは……逃亡中?
 撒いている最中なのかもしれない。
 ルフィお兄ちゃんと言い、チェリオ兄ちゃんと言い。
 ちょっと寂しいモノを感じる。
 真似だけはしないようにしよう。
えんじぇお姉ちゃんに視線が向いた瞬間を見計らい、ボクは足早に逃げ去った。
 少し経った頃、悲鳴の様な断末魔の声が聞こえたけど、ボクは知らない。


 大きく息を吸い込んで扉を開く。
 いらっしゃい、と耳が痛くなる程の声。
 騒音というわけではなく、逆に気持ちが落ち着く。
「えへへ。今日も来ちゃった」
 ボクはニッコリ微笑んで顔を覗かせる。
「おやま、いらっしゃい。好きな所に座っとくれよ」
 恰幅の良いオバサンがこっちを見て顔をほころばせた。
 道の片隅にある小さな食堂。新しさはないが、素朴な雰囲気の漂うお店。
 見た目はともかく、味はバツグンでお値段も良心的。
 隠れた名店だと思う。勿論ボクは常連さん。  
日当たりの良い窓際に駆け寄り、ぴょんと椅子に飛び乗った。
 座高が低いから足がちょっと届かない。
 うう、その内大きくなるモンね。
 メニューをちらりと眺める。
 色々なラインナップ。
 ここ最近の流通を考えると、魚のフライが一番美味しいはず。
でもお店のオススメは……エビのボイルかぁ。
 そう考えながらメニューを見ていると、端の方にフライの文字。
「えっとねー。ボク今日は魚のフライがいいなぁ」
 自分の情報網を信じて頼んでみる。 
「おやま。耳が早いねぇ、鮮度がいいって知ってたのかい?」
 思った通り、オバサンは水の入ったコップを置きながら、驚いたようにボクを見て目をまん丸くした。
「なーいしょぉ。なんて、ちょっと色々な所で運んでるのを見たから」
 悪戯っぽくそう言って、小さくウィンク。
 変に情報を漏らすと怪しまれるし、ここはふつーの少年の答えでいく。
「あらら。そうなのかい……悪いけどねぇ、最近買い占めが多くって。
 手に入ってないんだよ」
「買い占め? でも買い占めは禁止されてるはずじゃなかったっけ?」
 初耳のその言葉に、口に含んだ水を慌てて飲み込んだ。
「そうそう。なんだけどねぇ、大きい所の食料店でね……
 ウチみたいな小さな食堂じゃ変な事も言えないし」
「ふぅーん」
 魚類の買い占め、かぁ。
 やれやれ〜ひっどい人も居るんだ。でも覚えておかなくちゃ。
 相槌を打ちながらメモに走り書きをする。
 この手帳そろそろ書く所が無くなってきたなぁ。
【魚類の買い占め。食堂の魚類が品薄。情報元・食堂。重要度☆一つ】
「でも無くなってるのは魚だけでねぇ。エビくらいなら大丈夫だよ」
 それでエビのボイルがオススメらしい。
 納得しながら更に書き込んでいく。
【無くなったのは魚のみ。エビやイカには手を伸ばしていない】
 そこまで書き込んで、そっとしまい込んだ。
 うん、気が付いていない。
「そっかぁ。じゃ、エビのボイルにしよっかなぁ。とっときのオススメだもんね」 
「はいよ! エビのボイル一丁」
「そうだ、他に何か面白い事無い?」
「あははは。この手のうわさ話好きだねぇ」
「うんうん。面白いモン!」
 ボクの言葉に屈託無く笑うオバサンに頷いてみせる。 
 少し考えるように辺りをうかがった後、オバサンは声を潜め、
「そうだねぇ。大きな声じゃ言えないけれど」 
「うんうん」
「リーフェイド城って知ってるかい?」
「リーフェイド? それは勿論知ってるけど」
 リーフェイド、というのはこの大陸カルネを収めている城の名前だ。
 現国王の名前はマーディアル=リーフェイド=K
 穏やかで平和を尊び、国の誰もに尊敬される。賢王と名高き国王だ。
幾つもの大陸がこの世界には点在している。
 そして、面白い事に大陸に必ず一つは城があり、その城が自分の大陸を収めるのだ。
『まるで犬か何かのテリトリーね』そんな事をクルトお姉ちゃんは地図を眺めつつ、詰まらなさそうに言っていた。
 けど、それは笑って否定出来るモノでもなく、事実に近いと思う。
しかし、その言葉を簡単に口にできるものではない。
 侮辱罪、と言われて連行された後首をはねられても文句は言えないからだ。
「それがどうかしたの?」
 自ずと、言葉は慎重になる。
 それを見てオバサンは満足げに頷き、
「リーフェイド城の所に、王子様が居るだろう?」
「そうだね。とっても素敵だって評判の」
記憶の糸をたぐる。
 そう、確かリーフェイドにいる王子様の名前はクリスティア= リーフェイド=P
 初代国王クリス=リーフェイド=Kの生まれ変わりだとも囁かれている。
 勿論それは周囲の過剰な期待と希望。生まれ変わり、なんて根も葉もない噂。
 けど、伝え聞く限りそれを補って余りある程の人徳があるようだった。
 剣の腕、知識、優美さ。
 聞きかじるだけで判断するならば、まさしく理想の王子様。
 一回直に見てみたいモノだ。
「それがねぇ。これ、王子様の居る王都では評判らしいんだけど」
「うん」
 相槌を打ちながら水を口に含む。
「偏食王子とか。妙なあだ名が付けられているらしいんだって」
「んぐ」
 その言葉に吹き出し掛けた水を苦労しながら飲み込み、
「…………そ、そうなんだ」
 目尻にたまった涙を人差し指で拭って呻いた。
 そう言えば軽く耳に掠めた事のある話。
 冗談だろうと聞き流していたけど、もしかして本当なんだろうか。
 しかし、この偏食の意味が分からない。
 もしかして異性の選り好みが激しいとか。そのまま食べ物の偏食が酷いとか。
 はたまた気に入った事しかしない主義とか。当てはまる言葉は無数にある。
 ……考えるだけ時間の無駄のような気がした。
「あっと、出来たよ。はい、お待ち」
「わ、有り難う」
 途切れた会話を見計らうように、頼んだ品が並べられる。
 サラダにスープ。皿に盛られた大きなエビが一際赤く見える。
 上には香草や香辛料が掛けられており、良い香りが鼻をくすぐった。
「美味しそう」
 早速スプーンに手を伸ばし、まだ退席していなかったオバサンに気が付く。
 ……何か用があるのかな。
 何処かモノ言いたげな視線を見て、ボクは木製のスプーンを片手にぱちくりと瞳を瞬かせた。
「所で話は変わるけどねぇ。何時もの話ないかい?」
「何時もの…?」
 はて。何時ものとは一体何の事だろ。
 該当する言葉が幾つもあり過ぎて返答に困る。
 オバサンは結構強い力でボクの肩をパン、と叩き、
「やだねぇ。焦らし上手なんだから」
 ひらひらと手を動かして空いた片手をほっぺたに当て、頬を染めた。
 ……何で照れるんだろう。
 色々と誤解がある気もするけど、首をかしげてオバサンを見つめた。
「やだねぇ。そんなに見つめられると変な気分になっちゃうよ」
 見つめたら駄目らしい。
 取り敢えず愛のコクハクをされても困るので素直に少しだけ視線をずらした。
「…………」
 何処か寂しげな視線が突き刺さる。
 女心は色々と複雑らしい。
 仕方がないので口元まで視線を戻した。
 ようやく満足したのか、口を開く。
「何時ものアレだよ。良いのがあったら教えてくれないかね」
「ああ。何時ものアレか〜」
 合点がいってスプーンを片手にボクは頷いた。
何時ものというのは、耳寄りお得情報の大サービス。
 ありていに言っちゃえば、情報をオバサンに提供する事。
 それは最近の流行であったり、はたまた流通の事だったり、おばさんが好きそうな話題であったりと様々だ。
「いつもの通り、食事代はオマケしてあげるよ」
 お小遣いがかぎられているボクとしては、この提案は旨みがある。
 どの位かと問われれば、一も二もなく頷いてしまうくらい。
 多分お金があったしても頷くだろうけど。
 ……守銭奴じゃないやい。お金は大切に、がモットーなの。
 うん良いよ、と言う前にお伺いを立てるような目でオバサンを見つめる。
 しばらく首をかしげてこちらを見ていたが、やっと気が付いた様に頷いた。
 硬直していたスプーンがようやく使える事になった。
 ああ、もうお腹ペコペコ……
 だって朝はみんなバタバタしてて今日は朝食無しだったんだから。
 お腹がぐーっと言うよりはやく、オバサンのOKサインをもらえたボクは、遠慮無く食事を取る事にした。
「いただきまーす」  
言葉が嬉しげにちょっとだけ上擦るのは見逃して欲しい。お腹減ってたんだもん。
 半分に割られたエビの中身をフォークで掻き出して、スプーンに乗っける。
 エビを動かすと、下の方に黄金色のスープが見える。
 お皿にたまったスープもすくって、口に運んだ。
 弾力性に富んだぷりぷりとした歯ごたえ。
 殻のままゆでられたエビの、凝縮された旨みが口いっぱいに広がる。 
 継いで香草の香り。軽く舌を痺れさせる香辛料。
 加減がしてあるのか、ボクでも食べられる程の辛みだった。
「はう……美味しい」
 溜め息混じりに言葉が漏れる。
 すっごくお腹が減っていたから、今は至福の時。
「ホントにおいしい」
 ちょっと涙ぐみつつボクは呟く。
 うう、餓死するかと思ったけど、難を逃れたらしい。
 笑いながら、食べながらで良いよ、と言ってくれたのでボクは口にエビの身を詰め込んだままコクコクと頷いた。うー…我ながらちょっとお行儀が悪い。
水と一緒に口の中のモノを飲み下し、
「ぷは。面白い話って……んーと。ねえねえ、買い占めで今メニューがピンチだよね」
「ん? あ、ああ。そうだねぇ……魚の類はほぼ全滅だよ。
 どうしたもんかね」
 眉を寄せてふう、と溜め息。
 貴重な情報だけど、いつもここのお料理をご馳走になっているし、今日は奮発しちゃおう。
「そうでしょそうでしょ! い〜い情報あるよ」
 人の不幸を喜ぶな、と言われる前に言葉を滑り込ませる。
「いいハナシ?」
「ここだけのお話しだから、よーく聞いてね」
「うんうん。ここだけの話なのかい?」
「そうそう、取れたてピッチピチ。
 ミレーゼ牛って知ってる?」
「あ、ああ……高級牛肉の事だろ。お偉いさん方の食べ物で、庶民にはとてもとても高くて買えないような値段の」
 値段の事を思い出したのか、オバサンの眉がぎゅーっと寄せられた。
 うんうん、気持ちは分かるよ。気持ちは。
 この間ボクもプレート見て口から心臓が飛び出るかと思ったし。
「そう! でもでも、朗報! 実はね、そのミレーゼ牛が、普通の牛と同じお値段で売られるの」
「……なんだって?」
 わぁ。凄い不審気な顔。
 流石にコレは信じがたいのか、うさんくさそうな顔になっている。
本人は意識してないだろうけど。
「とは言っても、普通の部分は売ってないんだけどね」
「どういう事だいそれは?」
 よしよし、少し警戒が解けたみたい。
 ボクはまた雲行きが怪しくならない内に、
「耳とか骨とか尻尾とか。上手く捌けなかった所とか。
 尻尾のスープとかあるけど、ミレーゼよりも美味しい牛があるからーって理由でいつも捨てられる部分なんだけど」
 一気に言葉を紡ぎ出した。
 キョトンとしたオバサンの顔に納得の色が広がった。
「成る程、捨てるのは勿体ないから市場に出すって事かい?」
「そう言う事! 当然ミレーゼ牛だからおいしさは折り紙付き。
 どう? ちょっと興味ない?
 ちなみに、限定販売だって言ってたから間に合わせだけど」
「そうだねぇ。うん、期間限定ミレーゼのスープ……良いねぇ」
 オバサンは少し考える様に首を傾けた後、深々と頷いた。
 どうやらお気に召してもらえたらしい。
「場所は地図を書いておくね」
 ぱくりとスープを一口口に入れ、メモを開く。
 白紙のページを破り、簡単な場所の説明を添えてオバサンに手渡した。
「ありがとうよ。いつも済まないね」
「んーんー…んぐ。ここのお料理美味しいからいいの」
「あっははは。じゃあ今日もゆっくりたべていきなよ」
「はーい」
 ボクは元気よく返答をして、心ゆくまでエビを堪能した。
 ついでに―――
 今日の情報が気に入ったのか、オヤツ責めにあった事を追記しておく。
 ……ボクそんなに食べれないよぅ。けぷ。

 




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