マルクのDIARY-2





 ―――疲れた。
 激しく疲れた。
 今の気分はそんな感じ。
 ヨロヨロと家を出る。無論鍵はちゃんと掛けて。
そう、何とか扉からは抜けられた。
 でも、でもだよ。いくらなんでも二桁の鍵は厳重すぎないかなーとか思う。
 ちょっと手が痛くなっちゃった。
 スレイ兄ちゃんは『人様に迷惑を掛けない様に』と言うけど。
 ……兄ちゃん兄ちゃん。人様も良いけど、迷惑掛かってるよ。
 身内が。他ならぬこのボクがだけど、そんな事言ったら拳骨喰らっちゃうか。
ああ、もう。とにかく疲労困憊。
 何かお水でも飲もうか、と顔を上げたボクの視界に、怪しい人影が入る。
 首を軽く傾けてから眺めると。それは良く見知った人。
 つややかな紫の髪の毛を二つ括りにし、いつもは白いブラウスとスカートだが、休日のためか今日は黒いツーピース。白と黒が微妙なコントラストを見せ、意外にも良く似合っていた。
その人はそろそろと辺りを見回した後、地面にあったそれをぎゅーっと抱きしめた。
 酷く楽しそうだ。
「あ、クルトお姉ちゃん?」
 ボクが声を掛けるとびくぅっと、痙攣じみた動きを見せ、恐る恐る振り返る。
「ま…ま…ま…」
「ん?」
 笑顔で首を傾けて見る。
 クルトお姉ちゃんが大事そうに抱えていたのは透明に近い半透明の物体。
 フルフルと揺れ動く丸いそれは、今は抱きかかえられているせいか奇妙に変形していた。 世界最弱と名高いスライムと言う魔物である。
 魔物と言っても、軽くはたくだけで倒れるので余り害があるとは言えない。
 街や村に居るが、この間猫に引っかかれて悲鳴を上げていた。
 見た目が可愛いので、ペットとして飼う人もいるくらい。
 それをお姉ちゃんは大事そうにぎゅーと……
「あ、そっか。クルトお姉ちゃんって、スライム好きだ―――」
「み、みんなには言わないでーーーーー」
 だったっけ。と言おうとした言葉は途切れた。
脱兎のごとく走り去るお姉ちゃんの言葉によって。
 もう後ろ姿しか見えない。
 真っ赤っかだったなぁお姉ちゃん。恥ずかしかったのかな。
 可愛い。
 年上だけど、走り去る姿を見てちょっとそんな事を思ってしまった。
 ぽて、と何かが頭の上に落ちてくる。
「ぴぎ」
 変なうめき声とぺたりとした冷たい感触。
「クルトお姉ちゃんは恥ずかしがり屋さんだなぁ」
 先程お姉ちゃんが逃走した際に置いてけぼりにされたスライムを頭上に載っけたまま、ボクは感慨深げに頷いた。
 うーん、今ひとけが無くて良かった。



 うーん、良い天気。
 伸びをして空を仰ぐ。
 雲がゆったりとした動きで流れていく。
 まだひとけは少ない。 
 木々の連なる道を歩く。
 日光浴、と言うより森林浴。
 きもちいいー。
 さっきのスライムは猫を見たとたん逃げていったので、今はボク一人だけ。
 特にアテがあるわけでもないけど、取り敢えず気持ちいいので現状維持。
 そんな時、また見知った人が見えた。
魔術の掛かった紺のローブ。
 ある一定以上の成績を収めない限り手に入らないそれを、その人は身につけていた。
 空色の髪が陽を受けて白く見える。
 顔立ちは男の子、と言うより女の子寄り。
 まあ、ボクも人の事言えないけど。
 傍観というのも良くないので、大きく手を左右に振って呼び止めた。
「ルフィお兄ちゃん!」
「あ……。えっと、お早う」
 声を掛けると、少しだけ驚いたような顔をした後、おだやかに微笑む。
 むう、コレがみんなが落ち着く笑み。と言う奴かな。
 ボクもちょっと見習おう。頭の中にメモメモ。ついでに赤いラインも引いておく。
「お早う。今日はお休みだけど、ルフィ兄ちゃんローブ着てる」 
 尋ねると、『その事か』というように頷き、
「あ、ああ。図書室の整理とか、色々あるから。学園に行くんだ」
 そんな事を言ってきた。
 勤勉だなぁ。ウチのケリー兄ちゃんもそっちの用事なのかもしれない。
 うちのケリー兄ちゃんも図書委員だし。
「そっか。大変だねお疲れ様。頑張ってね」
「うん、ありがと……」
 ボクの言葉に返す笑顔が僅かに引きつった。
 あれ? 言い方悪かった?
「どうしたのルフィお兄ちゃ……」
 そこでボクの言葉も途切れる。
 目の前にいたルフィ兄ちゃんの姿が忽然と消えていた。
 近くにあった幹に手を付く。
 やっぱり透明になったって訳でもないらしい。
 辺りを見回す。
 居ない。
「ルフィ兄ちゃんー? おーい」
 口に手の平を当て、筒状にしてから叫んでみる。
 反応は、無い。
 風の音が聞こえる。
ヒューヒューと、耳を掠める様な音。
 そこで気が付いた。自分の髪に手をやる。
 ……風は吹いてない。
もう一度、辺りを見回す。
梢は揺れていない。人差し指を口に含み、瞳を閉じて指を虚空に向ける。
 全く風の動きがなかった。
 無風状態。
 そして、気が付く。
 ヒューヒューではなく、囁くような言葉だという事に。
 音の出所は頭上だった。
 上を見上げると、ルフィ兄ちゃんがしーっと指を立てて口元に当てていた。
 そっか、風の音じゃなくてこの音だったんだ。
「ルフィ兄ちゃん。そこで何を―――」
 尋ねようとすると、慌てたようにバタバタと手を振り、大げさな動作で口元に手を当てる。
 それを見て、ボクも慌てて口を押さえた。
 そう言えば、静かにしてろって言ってたんだっけ。
 なんで?
 どうして?
 疑問符が頭の中を行き来する。
けど、その言葉は直ぐに氷解した。
「ルフィ様ぁ〜 何処にいらっしゃいますの〜?」
ちょっとだけ甘いモノを含んだ声によって。
 振り向くと、金髪をなびかせた綺麗な女性が辺りを見回している。
 ボクに気が付くと、ずかずかと近より、
「あら。アナタ学園の生徒でしたわよね。ルフィ様を見かけませんでしたかしら?」
 そんな事を尋ねてきた。
 この人の名前はエミリアさん。さる貴族のお嬢様。
 煌びやかなドレス、高そうなアクセサリー。とても一般市民にはかえそうも無い。
 このお姉ちゃんはルフィお兄ちゃんにぞっこんさん。でも、そのお兄ちゃんと言えば……
 ちらりと横目で頭上を眺めると、お兄ちゃんは頭を抑えながらふるふると震えている。 かなり怯えて居るみたい。
 苦手もここまで来れば凄いと思う。
 お姉ちゃんのアタックが熱烈すぎる為、ルフィ兄ちゃんは恐怖症のような状態だ。
「ううん。ボクはさっきここに来たし……見てないよぉ?」
 ボクは今初めて来た、というような顔をして、にっこり微笑む。
 天使の微笑み、とか定評のある笑顔。ボクも結構自信はあったりする。
「あら、そうですの。
 余り遊びほうけてはいけませんわよ、誰かのように頭が悪くなりますわ」 
気の抜けた様な顔をして、ボクの頭を軽く叩き、そう忠告してくる。
 何だか野菜を叩くような感じ。
 確か、このお姉ちゃんは子供が苦手。
 さっきの微笑みはそれなりに有効だったらしい。
 追及はせず、それだけ言うとエミリアお姉ちゃんはサッサと行ってしまった。
 ほっと胸をなで下ろし、上を眺める。
 泣きそうな顔をしたお兄ちゃんが枝に掴まっていた。
 普段は良いけど、今は……ちょっと情けない。
 もう暫く硬直がとけなさそうなお兄ちゃんを残し、ボクはてくてくと次の場所へ向かった。 

 




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