闇に潜む凶銃 -2

一.カンツーヌ荒野

 


若者は物陰に隠れ、ごくりと唾を飲む。ぼさぼさ伸び放題の黒髪に、無精ひげ。見た目からすると四十代に見えるが、機敏な動作や物腰からすると、まだ若そうだ。
服装は、音の立ちにくい迷彩の革製の鎧。そして短い棒のようなものを腰に差している。
下に着ている服もやはり迷彩服。
彼はゴツゴツとした岩の蔭に隠れ、寝そべり、息を潜めたまま微動だにせず、辺りの気配を探っている。
「でてきませんねぇ」
彼の隣から、やたらと呑気な少年の声がかかる。
彼はびくりと身体を震わせ、ゆっくりと声のした方を振り向き、
「ああ、出てこないな。あんまり喋るな。ヤツに気づかれる」
「そうかなぁ?」
隣にいる亜麻色の髪をした少年はキョトンと首を傾げた。
「そうだ、頼むから静かにしててくれ」
「はーい。いつ聞いてもガルスタインさんの声は渋いですねぇ、痺れちゃいます。僕もあなたみたいになるよう頑張りますよー」
少年は栗色の瞳を潤ませ、左手を頬に添え、溜め息を付く。
ちなみに、右手には拳銃が握られていた。
「……………勘弁してくれ。任務中だぞ」
ガルスタインは隣にいる十歳近く歳の離れた少年を苦々しい表情で眺めた。
「……そうでしたね。忘れるところでした」
「忘れるなって、だから」
はたっと顔を真顔に戻した少年をみて、ウンザリとツッコミを入れる。
「一体どうやったら、神出鬼没の人食いの化け物が出現する真っ直中でそれを忘れられるんだよ」
「いやぁ、あはは。そう言えば〈ゲルバの巣〉の前でしたねぇ」
少年は頭をかいて、爽やかに微笑む。
「……そうだ。カンツーヌの荒野。別名〈ゲルバの巣〉
そこの地下に何かがいることは前々から分かっていたんだが。
町の連中は勝手にそいつに〈ゲルバ〉って名前を付けてるらしいがな」
もらった書類に書き連ねたあった文字を思い出し、ガルスタインは自分に言い聞かせるように呟く。
「ええ、聞いてますよ。〈ゲルバ〉に年間に犠牲になったと思われる人数は約百人以上にのぼるとか。
ここ最近は特に酷くて、その人数も鰻登りだそうですねぇ」
少年はその後を続けるように小さく言う。
「そういうこと、で俺達『紅い傭兵』に声がかかったって訳だ」
ガルスタインは自嘲気味に笑う。
ガルスタインの所属している部隊には流れの傭兵や、自ら志願した村人で結成されている『紅い傭兵』の名を持つ部隊がある。
戦争で切り込み部隊として先に立ち、破壊と殺戮の限りを尽くす。
犠牲者の返り血を浴びる姿はまさしく『紅い傭兵』の名にふさわしい。
しかし、『紅い傭兵』の名はそこから来たものではない。
『紅い傭兵』のほとんどは自ら好んで先に立ち、そして散っていく。正常者にしてみれば自殺行為としか見えないやり方で。
そう、『紅い傭兵』ほとんどが、自殺志願者か、自らの腕に自信を持ち高額な給料目当てで入ったか、それか戦いの中にしか生を見いだせない悲しい人間だった。
それらを皮肉って人は彼らを『紅い傭兵』という。
元は二十人ほどいた仲間も、今では片手で数えられるほどになっていた。
「そんな物騒な名前を使わなくたって僕らには『奇跡の二人組』っていうチャーミングな呼び名があるじゃないですかぁ」
少年は白い指先で玩具を弄ぶように銃を撫でながら微笑む。
「……そんな呼び方をされるくらいなら『紅い傭兵』の方がまだましだ」
ガルスタインは仏頂面で小さく吐き捨てる。
少年は理解していないようだが、『紅い傭兵』で生き残っているからだけの呼び名ではない。
本当は皮肉をたっぷり込めた呼び名なのだ。
ガルスタインは目を閉じ、この少年と出会った時の事を思い出していた。


「え、新しい仲間……ですか?」
ガルスタインは自分より頭一つ分ほど高いその人物を見上げながら素っ頓狂な声を上げた。
彼も二メートル近い巨漢だが、前にいる人物はそれを凌いでいた。
「ああそうだ。今回の任務はお前と組んでもらうことになった。腕は確かなはずだ」
その人物はゆっくりと頷く。
「しかし、隊長さんよ。俺は基本的に一人の方が性にあってんだがなぁ」
隊長はその言葉に眉間を寄せ、
「そうしたいのは山々なんだがな、奴と組みたがるヤツが一人としていないんだ」
「そりゃそうだろ。自殺志願者や、殺し合いが好きな奴には相棒なんかいらないからな。ただのお荷物なだけだ」
ガルスタインは溜め息混じりにこぼす。
いくら腕が立とうと、死にたがっている奴には邪魔なだけだし、戦争を楽しんでやっているものには自分の集中を殺ぐお荷物にしかならない。
「そうじゃないんだ。奴はちょっと変わっててな」
そう言って隊長は言葉を濁す。
「へえ、どんなヤツなんだ?」
ガルスタインは隊長の態度に興味をそそられた。
「だからだな、ちょっと普通とは違うんだ」
「そんなのはいつもの事だろう?ここにはまともな奴なんていやしないんだ。……俺も含めてな」
隊長の言葉に彼は唇の端を皮肉っぽくつり上げる。
「そんな奴らでも敬遠するヤツだ」
いつもは無表情な隊長の顔面に苦悩の色が見える。
ガルスタインはそれを見て顔を引き締めた。この鉄面が岩で出来ているほど無表情な隊長がここまで言うのは初めてだ。ふざけている場合ではなさそうだ。

彼がここに来たとき《紅い傭兵》にいた二十人もここ数日のうちに十人以下に減っていた。
気があって、良く一緒に酒を交わしていたガータは、四日ほど前に狂ったように敵陣に突っ込んでいき、戦場に散っていった。
《紅い傭兵》一力が強かったバルガムは二日ほど前、銃身を自分の頭部に押し当てて発砲し、自殺した。
そして昨日、一番の話し相手だったサムも、発狂してもうこちらの世界に心が戻ってこなかった。
元から心が壊れていたのか、それとも厳しい現実に耐えきれなくなったのか。それは分からないが……みんな、死んでいった。
昨日まで笑いあっていても、昨日まで酒を酌み交わしていても。
人の命なんてあっけないものだ。
いつ居なくなるか分かったもんじゃない。
いつも人が死ぬたび、自分で殺すたびに彼はそう思う。
戦場に身を置くなら人の死は当然の事なのだ。
でもガルスタインは身を置きながら、心の隅にある苦悩を捨てることが出来なかった。
―――何で俺はこんな場所に居るんだ?
銃を握りしめ思う。人が倒れるたびにその言葉が頭の中に流れ込む。
―――お金?名声?
……違う。それじゃない。
頭の中で絶叫と疑問がぶつかり合う。
―――じゃあ人を殺すことに快楽を見いだしている?
……違う!
そのたびに頭の中の問いかけを即座に否定する。
薄々彼は自分が戦場の中に身を置く理由が分かっていた。
彼には、戦場しか居場所がなかった。
彼は―――孤児だった。

「………い。聞いているのか?」
隊長の声にハッと我に返る。いつの間にか昔に思いを馳せていたらしい。
「あ、ああ。すいません。もう一回言ってください」
隊長から少し溜め息が漏れた。呆れたらしい。
「人の話の途中で居眠りとは良い度胸だな……」
「………」
「もう一度言うが、今度来たヤツは変わっている」
「あんたがそこまで言うのも珍しい。ココがいかれたヤツか?」
ガルスタインは口の端をつり上げ、自分の頭を指さす。
「いや、頭部に特に異常はない」
「ふむ、じゃあ……殺人狂か?」
もしもそうならこちらの身も危うくなり、自己防衛のため相手を殺す覚悟もしなければならない。
「そう言う訳じゃない」
隊長は絞り出すように言う。
「じゃあ一体何なんだ。ただの変人か?」
「ああ、そうとも言える。だがさっきも言った通り腕は確かだ」
「そうともいえる?そんな奴と組んでホントに大丈夫かよ?」
ガルスタインの言葉に彼は頷き。
「うむ。だから妻子もなく、親もなく素行不良で性格がひねくれているくせに何故か腕の立つお前に白羽の矢がたった。」
淡々と呟く隊長の言葉にガルスタインの口元が少し引きつった。
「喧嘩売ってんのか?」
思わず呟く。
「買ってくれるのか?高くつくぞ」
「いや、いい。結構だ」
表情も変えずに返してきた言葉にウンザリと言い返す。
「ったく、俺は極悪人か?」
仏頂面で呟く。
「じゃあお前は善人か?」
隊長の思わぬ問いかけに言葉に詰まる。痛いところを突かれたからだ。
自分で大悪人だとは言わないが、善人でもない。
人を殺したことはそれこそ沢山あるし、裏で色々やっていたこともあった。
世の中には善人などと言うのが居ないのも分かってはいる。でも悪人になる気はない。
自分の中では、人に何を言われようとも悪人ではなかった。
「でも隊長!隊長だって善人な訳はないでしょう?」
「そうだな。俺も善人はみたことも聞いたこともない、居たら金を積んででも見てみたいものだ」
「…………」
「まあ、そう熱くなるな。別に悪気があったわけじゃない」
そう言い、窓をみて。
「お前と組むことになるのは〈青の閃光〉の異名をとるヤツだ」
「……?……」
彼の言葉にガルスタインは息をのむ。
「知ってるだろうが、敵の部隊を一人で二つほど潰したことがあるヤツだ。
本当はバルガムと組ませるつもりだったんだが、奴はもういない。それに、お前ぐらいしかアイツの相手は出来ないと俺は思っている」
ガルスタインは隊長の顔をまじまじと見つめる。偉く見込まれたものだ。
「へへ、おもしれえじゃねーか。一度そいつの顔を見てみたいとは思っていたんだが。まさか組むことになるとはねぇ」
そう言ってぺろりと唇をなめる。
「おい、はいっていいぞ!」
体長の呼びかけにガルスタインは浅黒い精悍な体付きをした大男を想像していたのだが―――
「はい」
可愛い声に続き、入ってきたのは予想に反して少女のような華奢な体付きをした少年だった。
ゆっくりとこちらに歩み寄り、礼儀正しくお辞儀をする。
「はじめまして。僕はエミル=カスタリィーテ」
そう言って微笑む。天使のような笑みだった。
絹の糸のような亜麻色の髪、大きな栗色の瞳。
ガルスタインとは比べるべくもなく白く華奢で繊細な指先。
男物の服を身につけていなければ男だということも分からなかっただろう。
思わず抱きしめたくなるような愛らしい少年だ。
誰もが弟に欲しいと願うような愛らしさを醸し出していた。
それを十秒間ほどたっぷり正視して、
「……隊長……のお子さんですか?」
ぎこちなく振り向き、言葉を絞り出す。
「……そこまで年は食っていないつもりだが。まあ、やはりそう言うのが普通か」
溜め息を付き、
「ココにいる少年がお前の相棒だ」
ガルスタインの身体に雷を受けたような衝撃が走り、思考がしばし活動を停止する。
「っ、じ、冗談だろ?こんな十二歳くらいの子供が〈青の閃光〉?」
我に返り、隊長に詰め寄る。
「ヤですねぇ。僕この間、十三になったばっかりですよぉ」
エミルはニコニコ笑い、手をぱたぱた振る。
「信じられんとは思うが、彼は紛れもない〈青の閃光〉だ」
「よろしくお願いしますね?ガルスタインさん」
完璧に凍りついた彼に向かって、エミルは天使のような笑みをまた浮かべた。


「で、今に至るわけだ」
一年前の出来事を思い出し、彼は溜め息を付く。
その時の任務は……まあ、エミルとガルスタインが無事なのを見ればエミルが役に立ったかどうかはすぐに分かるだろう。 
何でか知らないが、エミルはズルズルとガルスタインの後にくっついて、今は彼の相棒の枠に収まっている。
「ん?どうしましたぁ?」
隣でエミルがのーてんきな声をあげる。
「別に……何でお前が俺の後に付いてくるのか不思議でな」
目を荒野から離さぬままブツブツ口の中で呟く。
エミルは耳に入ったらしく、口をとがらせ、
「またそれですかぁ?僕はあなたに惚れちゃったんですよぉ、一目惚れって奴です」
「そういうのは異性にしてくれ。どーいった経緯でまたそうなったんだ」
「それはですね、ある晴れの日の午後でした……」
渋い口調のガルスタインとは違い、エミルはとろけるような眼差しで空を仰ぐ
「…………長くなりそうだな」
思わず漏らす。長い話は苦手だった。
「…………と言うわけで一緒に来たんです」
ガルスタインは思わず顔面を地面に打ち付けそうになり、慌てて堪える。
「おい、話が飛びすぎてるぞっ」
「え、でも長いのが嫌いみたいだったから省略したんですけど」
彼の反応にエミルは不思議そうに首を傾げた。
「省略しすぎだ!要点まで切り捨ててどうするっ」 
「ああ、そういえばそうですねぇ。まあ簡単に言えばガルスタインさんの男らしいところを習おうと思ってついてきてます」
納得したように頷くと、微笑んで言う。
「男らしい?俺がか?」
「そうですよぉ、渋い声、顔立ちなんか特にそうですね」
「そうかぁ?まわりにはそんなこといわれないがな」
彼は顔は確かに二枚目なのだが、普段の格好や、無精ひげのせいで周りにあまりそういったことは言われない。
「無精ひげがむさ苦しい。暑苦しい。汗くさい。近くに寄って欲しくない人ナンバーワン。
女の人を泣かせていそう。愛想がない。気取っている。
――――だのと、周りの人は言ってますけど。あれ?どうしました?」
エミルはそこまで言ってピタリと止まる。隣で言葉のナイフに貫かれたガルスタインが痙攣していた。結構こたえたらしい。
「お、お前。良くそこまで平気で人の悪口を並べ立てられるな」
その言葉にエミルは心外そうに頬を膨らませ、
「失礼ですねぇ、僕はこんな酷い事言いませんよ。
酒癖が悪そうだの、散髪に行くこともできないほど貧しい暮らしをしているんじゃないか……なんて」
「……そ、そこまでいうか。ある意味清々しくも感じるな」
「僕が言ったんじゃないです。文句ならそれ言っていた人達に言ってください」
「で、誰が言ってた」
暗い口調で呟く。
「えーとたしか。ケイトとガランだったと思いますけど」
エミルは唇に左の小指を触れさせ視線を泳がし、答える。
「よし、あいつら後で覚えてろ」
殺気だった眼差しで呟く。
その二人に後で地獄が待っているのは明確だった。
「で、聞きたいんだがお前がこの任務を受けたわけは?」
もちろん注意をそらせずボソボソと呟く。
エミルはいたって軽い口調で。
「いやぁ、巷で評判の怪物さん……見てみたいじゃないですかぁ。」
拳銃を指先でくるくる回す。
ガルスタインはぎぎっと首を動かし、
「それだけかよ、おい」
「はい。好奇心に負けてしまいました。……好奇心は猫をも殺すってね」
「おいおい、自分で言うなよ。縁起でもない」
ガルスタインは無邪気な相棒の言葉に顔をしかめる。
「で、ガルスタインさんはどうして受けたんです?最初は嫌がってたじゃないですか」
「いや、俺も見たいと思ってな、その、怪物とやらを」
話を振られた途端しどろもどろの口調で言う。
「分かってますって、僕がこれに名乗りを上げたのを聞いて心配になり、ついてきたんでしょう?
さりげない思いやり……男ですねっ。くぅぅぅっ!良いなぁぼくもいつかあなたみたいな人になりたいです」
恍惚とした眼差しのエミルを見てもガルスタインは反論できなかった。図星である。
「……どうして赤の他人の僕を気遣ってくれるんですか?」
不意に声のトーンを落とし、エミルが呟く。いつもの無邪気な顔とは違いその顔はどこか寂しげだった。
「……別に、気遣っている訳じゃねぇ」
嘘である。本当は思いっ切り気遣っていた。
しばしの沈黙の後、エミルは目を瞬き、いつもと同じ天使のような笑みを浮かべる。
「………そう、ですか」
そういい、しばし視線を荒野に向け、
「…………来ませんね」
ぽつりと呟く。
「ああ、思ったより用心深い奴らしい」
ガルスタインは真剣な眼差しで、荒野の荒れ地を眺めた。
しかし、頭の中は一年前のエミルの言葉でいっぱいだった。


――敵が倒れていく。
鮮血をまき散らしながら。
『おい、助かった。すまねえなエミル』
ガルスタインは窮地を救ってくれた相棒のいる茂みに声をかけた。
『いえ……』
茂みから立ち上がり、明るく返答をしているがその表情は冴えない。
『どうした?おかげで敵は全滅したし……仲間は……またへっちまったみたいだけどな」
ガルスタインは呟き、遠くの爆発の後のような大穴を見つめる。
『何で僕はこんな所にいるのかなと思って……何で……人を殺してるんだろうって』
ガルスタインはその言葉に硬直する。自分もしばしば感じるものをこの少年も感じているのだ。
『変ですよね、戦場でこんな事言うの……当たり前のことなのに』
少年はそう言っていまだ硝煙の上がっているライフルを見つめる。
『……世界を平和にするため。みんなの理想のため……です…よね?素敵だと思いません?」
ガルスタインは胸にちくりとトゲが刺さったような痛みを感じた。
どんな言葉を並べようとも、しょせんは人と人との殺し合い。
それに変わりはない。その言葉を素直に受け入れ、この少年は自分の手を自ら血に染めていると考えたら……胸が痛んだ。
『……なんて言うと思います?』
彼はガルスタインの顔を覗き込んで悪戯っぽく笑う。
『どんなに言い繕っても人と人との殺し合い……そんなことは百も承知です。
こういう事言うと信じる人が多くって。隊長さんにも言ったんですよ?」
どうやらガルスタインのことをからかっていたらしい。彼が反論するより早く。
『僕は孤児なんです。物心ついたときから拳銃を握っていました。
もちろん同い年の子なんかは僕のことを怖がって近寄っても来ません。
…………僕も居場所がないんです。あなたと同じ様に」
俯き、悲しげに呟く。
『おい、何で俺のことを……』
『なんとなく分かるんです。同じ様な空気を感じるから。
僕も、少し壊れてるんですよ。
――――心が』
ガルスタインを見つめ、彼は小さく言葉を紡ぎ出す。少年の瞳に自分の顔が一瞬映り、揺らいだ。
その言葉は戦場の風に溶けて消えた。
寂しげに微笑むエミルの顔が、やけに鮮明に映った。


「……………」
彼がエミルを邪険にしないのは、彼とエミルの境遇が似通っていたせいだった。
要するにある種の同情心が芽生えてしまったのだ。
「ス……タインさん」
エミルの声にハッと我に返る。どうやらいつの間にかボーッとしていたらしい。
「あ、ああ?」
エミルは首を捻り、意外そうに。
「珍しいですねぇ。いつもは慎重なガルスタインさんがぼけーっとするなんて」
「……ちょっと考え事をしててな。動きは」
「いえ、相変わらずです。先走った人達はどっかにいなくなったみたいですけど」
エミルはポリポリ頬を掻いて平然と答える。
「誰だ。その馬鹿達は」
「えーと。ケイトとガランです」
思わずガルスタインは沈黙する。
「ちっ、後で悪口の仕返しをしようと思ったのに。バカタレっ」
忌々しそうに吐き捨てる。
「……僕達『奇跡の二人組』だけですねぇ。動いてないの」
「その呼び方やめろ」
ガルスタインは嫌悪感も露わに呟く。任務中でなかったら頭を掻きむしっていただろう。
「えー。なんでですか?とってもキュートでチャーミングな呼び名じゃないですかぁ」
エミルは不服そうに頬を膨らませる。
「……何処が良いんだよ」
ガルスタインはつかれたように溜め息を付く。
このあだ名『奇跡の二人組』は周りからささやかれているものだ。
『紅い傭兵』で生き残っていられるのも奇跡。
それより、この二人でコンビを組んでいられるのが奇跡的だと言うことで、『奇跡の二人組』などというありがたくもなんともない呼び名をつけられている。もちろんガルスタインはこのあだ名は嫌いだった。しかし、エミルは気に入っているようだ。
ごごごごごごごご。
「おや、どうやら来たみたいですね?」
地響きで揺られながら呑気にエミルは呟く。
「そうだなぁ、結構揺れる」
波打つ地面を見ながらガルスタインもこっくり頷いた。
五十メートルほど先の荒野の土が半径二メートルほどの半円球状に盛り上がる。
ぼこっ。
そこに、黒い小山が出現した。
『しゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ』
山は、口を開け、紅い舌を出す。白い丸太のような牙がちらりと見えた。
のそり、と身体を動かす。黒い剛毛が光り、大木のような腕が現れる。
ゆっくりとした動作で地面の上にはい上がった。
平たい四肢に、死に神のような黒い鎌が生え、一振りで人の首など軽々と吹き飛ばされそうだ。
「で、でかい」
ガルスタインは岩影で声を漏らす。
「どうやったらこんな馬鹿でかい土竜が生まれるんだ」
「どこかの研究所が秘密裏に生命の研究と称して実験した出来た産物らしいです。
土壌と気候が合ったらしくって倍以上に成長したみたいですねぇ。エサも豊富ですし」
隊長に渡された参考書類に書いてあった文字をそのままエミルは呟く。
「ちっ、しょーがねぇ。エミル、やるぞ」
ガルスタインは舌打ちをして、岩陰に隠してあったライフルを引き抜く。
「いやです」
しかし、エミルは何を思ったかキッパリと否定した。
「いっ?」
不意をつかれ、呻き声を漏らす。
「あんな可愛い土竜さんを殺すのはかわいそうです」
エミルは頬に手を当て、溜め息混じりに呟く。その瞳はどこか潤んでいた。
「か、可愛いって……お前あんなものの何処をどう見たら」
掌サイズの土竜ならまだしも、誰がどう見たって、身の丈五メートル近くある、でっけー土竜を見て可愛いというだろうか。
しかもそいつの主食は人間である。
「くりくりの大きな瞳とか……愛らしい顔立ちとか。よーく見ればかわいいですよぉ」
自分の方がよっぽど可愛らしく微笑みながらエミルは呟く。
「なるほど、よーく見てみれば確かに……」
そう言って、ガルスタインは怪物を眺める。長めの鼻。黒メノウのような漆黒の瞳。
遠くから見ると熊さんのぬいぐるみに見える。裂けた唇から時々真っ赤な赤い舌が覗いているのもなかなか………。
「ンな訳あるか――――っ!お前。その、どっかイカレた美的感覚いいかげん矯正してくれっ!
アイツの犠牲になった奴は山ほどいるんだぞっ!」
思わずライフル放りだし、髪を掻きむしりながら叫び声をあげる。
「動物愛護の精神です」
エミルはキッパリと言い切った。
「一年で何人殺されてると思ってんだよ!」
「弱肉強食。自然って厳しいですねぇ」
ガルスタインはエミルの言葉に絶句する。
「あ、ガルスタインさん。うしろ」
呑気なエミルの言葉にゆっくり振り向き、
「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
思わず悲鳴を上げる。
さっきの叫び声でこちらに気づいた大土竜が土煙を上げ、向かってきていた。
ライフルを拾い上げ、がばっと飛び起き、素早く安全装置を外し、引き金を引く。
ぱん、ぱん、ぱぁんっ。
乾いた銃声が辺りに響いた。硝煙の臭いが辺りに満ちる。
一瞬。大土竜は止まり―――――
どどどどどどどどど。
先ほどと同じ様にこちらに向かってくる。気のせいかさっきよりスピードが上がっている。
「きいてねーっ!ってゆーかさっきよりこっちに向かうスピードが速くなってねーかっ!」
立ち上がったまま、叫ぶ。隣では岩にちょこんと座ったエミルが呑気に傍観していた。
「しゃぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
大土竜は怒りの咆哮を上げ、こちらに向かってくる。だいぶ距離が縮まってきた。
「怒ってますよぉ?痛かったんじゃないですか?ちょっと血が出てるし」
確かに大土竜の足の部分には血がにじんでいる。
直撃はしたはずだが、かすり傷程度にしかならないらしい。
「おいっ!本気でシャレにならねーって!手伝えっ!エミル!」
ガルスタインはもう五メートルほどの距離まで近づいた怪物に銃口を向け、引き金を引き続ける手を休めぬまま、動物愛護の精神豊かな相棒に、悲鳴のような声で話しかける。
「えぇ〜っ。僕がいなくったってガルスタインさんなら一人で大丈夫ですよぉ」
エミルは唇をとがらせ、岩に立ち、面倒くさそうに伸びをする。
「良いから手伝えッ!俺の武器はアイツに効かねーんだっ!」
「でもガルスタインさんはアレ持ってませんでした?」
「アレはあんまり使いたくねーんだよっ!ロクな思い出がねーからなっ!」
ガルスタインの言葉に少年は溜め息をこぼし、いきなり彼の背中に足をかける。
「おいっ!何をしてるんだ何をっ!」
「肩車です」
唸るガルスタインの言葉にあっさりキッパリ言い放つ。
「何がかなしゅーて生死の境目にお前を肩車しなくちゃなんねーんだっ!」
「良いから僕を肩車して走ってくださいっ!狙いますから」
エミルの端的な言葉と同時に、ガルスタインはライフルを放り出し、走り出す。
「そんな小さい拳銃で大丈夫か?それに、当てる自信はあんのかよ?」
エミルの手に握られている拳銃はガルスタインのさっき撃っていたライフルより小さかった。
先ほどのライフルで致命傷にもならなかったのにこの拳銃では蚊に刺されたほどにもならないだろう。
それに、ガルスタインが走っている荒野はかなりの荒れ地で、石がゴロゴロしており走りにくいことこの上ない。
彼に掴まっているエミルがどれほどの揺れに襲われるか……。
想像しなくても分かる。
状況は最悪だ。これで命中させられる人間はまずいないだろう。
しかも相手は絶えず動き回っているのである。
誰が見ても二人は絶体絶命に見えた。
その状況下でもエミルは一四歳とは思えぬ余裕の笑みを漏らし、
「大丈夫、大丈夫。僕の腕……信用できませんか?」
「信用してるよ。相棒だしな」
それに答え、ガルスタインもニヤリと口の端をつり上げた。
後ろで鈍い音が響く。たぶんさっきまで彼らが隠れていた大岩が砕かれたのだろう。
「あのライフル、結構したんだがなぁ」
走りながらガルスタインは呑気な言葉をこぼす。
「いいじゃないですか、新しいのを買えばこの仕事が終わったらお金が入るでしょう?」
エミルは標準を合わせながら呟く。
「そうだな」
彼の言葉が終わると同時に、彼の腕が金縛りにあったように固定される。
大地震のような揺れの中でもピクリとも動かない。ゆっくりと引き金を引く。
「これだけは使いたくなかったんですがねぇ」
彼の言葉と同時に、
ぱぱぱぁんっ!
銃声の音が響いた。
大土竜は、先ほどと同じ様に一瞬立ち止まり―――さっきとは違いそのまま突っ立ったままだ。
その巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
どすぅぅぅぅぅぅぅんん。
盛大な土埃がまき上がり、大土竜の身体を隠す。
その光景にしばしガルスタインは絶句し――――
「おい、一体何やったんだ?」
後ろに張り付いている少年に問いかける。
「大土竜の口に特殊な弾を発砲したんですよ」
彼は無邪気に言う。
しかし、あの状況下、狙った場所に正確に発砲するのも神業に等しいが、彼は相手の口の中に全部命中させた。
しかも大土竜はずっと大口を開けていたわけではない。少しの時間、たまに数センチほど僅かに開けていたにすぎない。周りには丸太のような太い牙が生え、さらにそれを狭めていた―――どんな達人で、どんなに好条件でも当てるのは神業に等しい行為だが、彼はそれを難なく悪条件の中でやってのけた。
精密さ、正確さ、タイミング。全てが常人には出来ない芸当だった。
エミル―――彼は天才的な射撃手だった。
その技量の凄さに、見慣れたはずのガルスタインの背に戦慄が駆け上る。
「……さすが、《精密機械》の異名を持つ天才児」
ガルスタインはごくりと息をのみ、我知らず呟いた。
「ふうっ」
それを知ってか、知らずか、彼は劇の真似事のように銃口から立ち上る硝煙を吹く。
とても楽しそうだ。しかし、あまりサマになってはいない。
「どーでもいいが、特殊な弾ってなんなんだ?それともう一つ……いつまでのっかってる気だ?」
「うぅ。もーちょっとのっかっていたかったんですけど。
でもたくましい背中ですねぇ。惚れ直しちゃいますよぉ」
エミルは指をくわえ、名残惜しそうに離れる。
「ヤメロ……変態。鳥肌が立つ」
彼の言葉にガルスタインは肩を抱き、身震いする。彼はそれに構わず、
「あ、弾はですねぇ。ある薬品が詰められてたんです」
「薬品?毒か?」
「いやですねぇ。そんなに物騒なもんじゃないですよぉ」
「…………」
「ん?どーしました?」
エミルは首を捻る。
「アレも十分物騒だと思うぞ」
ガルスタインは震える声音で大土竜の死体を指さす。
じじじ、大土竜は周りの草を巻き込みながら静かに溶解を始めていた。
「あ、もう溶け始めてる……。だからこれ使うのヤだったんですよね」
エミルはそう言いながら嫌そうに眉をひそめる。
「でもあんまり満足できませんねぇ」
かれはそう言いつつ、拳銃を懐におさめた。
「なんでだ?〈ゲルバ〉は退治したし、金も入る。
確かにまた知り合いは二人ほどへっちまったけど。不満か?」
「ええ、不満です。僕の顔が」
「はぅ……また始まったよコイツは」
ガルスタインは苦々しい顔をして、頭をかく。
「はあ、〈青の閃光〉とか〈精密機械〉〈ダンディー〉とか妙な呼び名はまあ良いとして。」
「最後のは誰も言ってねーよ」
エミルの言葉に彼はすぐさま突っ込む。
「……それはさておき、銃を撃っても、食事をしててもこの顔のおかげで全然格好が付かないんですよ。
まあ、女の子達に『きゃー可愛い』とか言われるのは良いんですけど。
……下手すると同性からも可愛いとか、変な目で見られるんですよっ!
気のせいか、いつも昼食中隣に座っている『ゲイリア』さんなんて僕のこと舐めるように見てるような気がするんですけど。
こないだ紳士トイレで会ったとき、後ろから肩叩かれて思わず拳銃で撃ち殺しかけましたよ。
………今思えば、あの時撃ち殺しとけば良かったと思いますが」
思い出したのか、エミルの目が据わっている。
「………お前、今頃気づいてたのか」
「やっぱりそうなんですね。今度会ったとき抹殺しておきます」
「いや、確かに抹殺したいだろーが。ここは抑えとけっ」
「僕の安眠と、身の安全はどうでもいいんですかっ!」
「………お前なら絶対、大丈夫だ」
ガルスタインは言い切る。
「まあ…………それもそうですね。何かされかけたら瞬殺すればいいし」
エミルは不承不承頷き、物騒なことを口走る。
「……それはともかく、僕の顔つきだと、硝煙に息吹きかけてもサマにならないんですよねぇ」
「……それはそうだな」
思わず頷くガルスタインの言葉にエミルはがしっと彼の手を握りしめ、
「とゆーわけで、どーやったらガルスタインさんみたいにしっ、ぶぅぅく。キメられるか教えてください!」
瞳に星を散りばめ、懇願するように言う。
「教えろって言われてもなぁ……知らねーよそんな事」
いつもの質問にいつものごとく頭をかき、答える。
習ってこういう渋さが身に付くものではない。
彼も、いつの間にかこういう声つきや、仕草も自然と身に付いてしまっていた。だから、教えろとせがまれても教えることが出来ない。
「あのなぁ、いつも言うがなぁ、こういうもんは自然に身に付くもんで教えろって言われても……」
「はぐらかさないでくださいよぉ。それでもおしえてもらいますっ!あなたの後に付いていけば少しは分かるかも知れませんし!」
「ぐはぁぁぁぁぅっ。この頑固者っ!いいかげんにあきらめろっ!」
しつこいエミルの問いに頭を痛くし、深いため息をもらす。
寒々とした荒野に、二人の声が響き渡る。
「あーきーらーめーろーっ!」
「いーやーでーすーぅぅぅぅっ!」
いつものごとく子供のようなやりとりが、誰もいない荒野に延々と響き渡った。
  

 

 

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