その青年はブラウンの髪に同色の瞳。
歳は明らかにクルトやレムより高い。二十台は越えていそうだった。
服は立派そうに見えるモノを頑張って着込んではいるが、地味な感じのする顔とは微妙に違和感がある。
一番お金を掛けているのは服だけ。装飾の類は持っていない。
視線があった一瞬、様子から読みとれたのはその位だった。
青年が微笑む。
あまり人と接していないのか、ぎこちない笑み。
駆け出し、か。と思いながら見る。
まだあか抜けていない動作。大勢の人に見られる緊張からか手先がぎこちない。
今も危うく仕掛けを落とし掛けた。
その瞳が揺れる。
迷い猫や、捨てられ掛けた子犬の顔の様にも見えた。
罵倒されるのに恐怖を覚えているらしい。
期待を裏切るのが怖い。そんな瞳。
クルトはそんな事すら気にせずに、ただただきらめく眼差しを注ぐ。
見れるだけで幸せ、失敗なんて全然気にならない。気にしない。そんな笑顔で。
ただ、一人だけ。
それでも、青年の気は紛れたようだった。
先程より動きが滑らかになる。
用事があるのか、数人が立ち去って行く。
そこで、クルトが口を開いた。
「ねえ、お兄さん。そんな凄い術どうやって覚えたの?」
自分の方がよほど凄い術を使えるのだが、そんな事はどうでも良いのか、興味津々の輝く瞳で期待に拳を握りしめ、尋ねた。
「え? えっと」
僅かに戸惑ったような笑み。
当然だろう。手品自体知らない事が凄いのだが、どうやらコチラの大陸では手品というモノは出回っていないらしい。
「修行に修行を重ね、いく星霜。虹を切り取り、太陽をかまどにし、漸く手に入れたこの術。残念だけど秘密だよ」
などと笑顔で大ボラを吹く。
「へぇ、すっごい」
正直に信じるクルト。
「信じないでよそんなの」
流石にこのままにしておくのはマズイので口を挟んだ。
下手をすると虹は切り取れて太陽はかまどに出来る、という致命的な勘違いを生み出しかねない。
生徒の間違った知識を正すのも教師の勤めだ。
「太陽と虹の話は全くの嘘だから本気にしないように。
そんなの位誰にでも出来るでしょ」
「ええっ。太陽と虹…違うんだ」
(……止めておいて良かった)
本気でそう思う。
目の前にいる青年も、動きを止め、少女を見て微かに引きつった笑みを浮かべていた。
「レム。出来る? 出来るの? 」
面白いほどコロリと表情を変えた少女が、レムを見つめた。
――まあ、少しは良いか。
軽く指を動かし、先程青年がしていた事を実践する。
タネさえ分かってしまえばこの程度、造作もない。
元々レムは指先が器用な方だ。
「わぁ」
次々に消えていく球体を少女は不思議そうに見つめる。
そして、すぐにそれを止めた。
「凄い凄い。もう少しみたいー」
まあ、悪い気はしないが、見せたのだし、何度もする必要はない。
それに……
「ねえねえねえねえ、なんでー。レムのケチー」
「有り難う御座います」
ぶーぶーと文句を垂れるクルトの後ろで、すまなそうに青年が小さく礼をした。
「?」
気が付いた少女が不思議そうに 首をかしげる。
礼をする青年を横目で見ながら、
「お客さん。待ってるよ早く手を動かしたら?」
レムは素っ気なく言い放つ。
「は、はい」
「レム、何で喧嘩ふっかけてるのよ。可哀――」
「……君の少ない稼ぎを減らしても別に楽しくないし」
むっとしたようなクルトの言葉が、少年の言葉を聞いて途切れた。
「あ、あの。後で……」
言いかける青年の言葉を塞ぐように、レムは言葉を続ける。
「五月蠅い人は離れそうにないから、僕はその五月蠅い人の用事が終わるまで待ってるよ。
おいていくと五月蠅いからね」
「レム、優しいところも…………って、何回五月蠅いって言えば気が済むのよーー」
少し感動し掛けたクルトだったが、バタバタと手を動かし、怒声を上げる。
そのころにはもう、レムは離れた場所のベンチでゆっくりと座っていた。
数時間後、客達が散ったところで即席の店は閉店となった。
そして、合流した数十分後には――
「それでねそれでね。もう、ばばばーんって感じで開いたら」
「へえ。凄いね〜」
元々馴染みやすいクルトはしっかり仲良くなっていた。
穏和だと思われていた青年は、やはり穏和だったらしく相槌を打った。
大げさとも言える動作でその場を表現する。
そして大雑把で繊細とは言えない言葉を発した。
だが、理解しやすい。
これは何時聞いても、見ても謎だ。
ある種の力が働いているのか、術でも会話の中に紛れ込ませているなどと考えないと説明が付かないような気がした。
「そう言えば……」
ある程度雑談が進み、クルトの会話のレパートリーが減ったところで青年は呟いた。
「君、種族は何かな?」
レムの方を見る。
「……種族?」
「あれ? お兄さん耳でも見えた?」
尋ねるレムの言葉を遮り、クルトが割り込む。
「いや、ちょっとそんな気がしただけだよ」
「だけど、君のお陰で見事にばれた、と」
静かに、少年は海を思わせる瞳を細める。
「……わ、悪気はなかったんのよ!?」
ちょっとだけ混乱しながらクルトは必死に弁解した。
呂律は少し回っていなかったが。
「それで……」
「ご、ゴメン。ゴメン、ごめんってば!」
ポン、と方を叩かれ、傍目で見ていて笑えるほどビクリと震える。
その手が、上げられ。
―――フードを鷲掴んだ。
「へ?」
間の抜けた声をあげるクルトを余所に、レムはゆっくりとフードを外す。
白い獣毛に覆われた耳が、窮屈なそこから勢いよく覗く。
辺りには人影はない。
雑談をしながら人はずれた場所に来た事も幸いだった。
他人に見られるリスクを背負ってフードをあける勇気はない。
この少女の隣では。
「で、獣人がどうしたって?」
「ああ、やっぱり。尻尾がない」
「それで?」
「君、《ロウィクス》の人だね。目が特徴的だから分かったよ」
「え? ナニソレ」
「ち、違ったかな」
慌てたようにレムを見る青年に、
「あ〜…レムは自分の種族は分からないのよ。でも特徴的って何」
くすりと笑みを浮かべ、手を横に軽く振る。
「そ、そうなのか。ああ、あの人達は目が深い色をしてたから」
「ふか……濃いの?」
聞きつつレムの瞳を眺める。
広く、広大な湖。湖面のように済んだその瞳は、揺れない。
綺麗だとは思ったが、濃くはなかった。
「違うよ。瞳は色々な色。ただ、その中は深く深く…
知識を飲み込んでも足りないとばかりに深い知の光が宿っている」
「…………」
成る程。
確かにそれならば当てはまるだろう。
レムの瞳に見えるのは冷めた感情、それに溶けてしまった様に掠れた風景。
強い、意志の色。
だが、それら全てを飲み込んでしまうほどの大きな…
大きな…知を探求しようとする輝き。
今まで蓄えた知識でも不満なのだろう。
年を経るごとにその輝きは薄れるどころか、強まっている。
「特に、君はその光が強いね」
「で、何処で見たの? その種族」
「隠者の森、って知ってるかな」
「ああ、それなら耳に入れた事はあるよ。膨大な知識と機械、そして自然を好む種族。
ただ、人と付き合うのを極端に嫌い、その姿すら見せる事はないと言う。
……見たの?」
もしかしたら予想以上にこの青年は凄いのかもしれない。
そうだとすれば、自分の観察眼も悪いと言う事だ。
これは一度少し鍛えた方が……
「いや、あはは……道に迷って助けられたんだ」
見直す必要は無さそうだ。
予想通り、いや、予想以上の鈍さ。話を聞く限り、悪運は強そうだったが。
そこで会話は途切れ、明日も忙しそうな青年は二人と別れた。
「レム、もしかしたら分かるかもしれないわね。何の種族か」
「期待は今更してないけどね」
素っ気ないこたえ。
しかし、彼を見ても怒る気にはなれない。
本当に今更だからだ。
この五年、何度そんな肩すかしを食らったか分からない。
だが、少女は希望を捨てる気にはなれなかった。
肩すかしを食らうたび、冷たい瞳に微かな陰りを感じたからだ。
彼は、感情を出さないだけで、感情がないわけではない。
陰りを確信をした時にそう、思った。
なら、諦めるわけにはいかない。
表向きはどうであれ、瞳に僅かな陰りが見えるのなら、知りたいという事だ。
今も、自覚はないのだろうが僅かに瞳が揺れたのが見えた。
長年付き合っているクルトでしか分からないような変化。
見慣れている少女ですらたまに見落とし掛ける事もある。その位の小さな動き。
沈み掛けた気分を吹き飛ばすように、クルトは拳をあげる。
「まあまあ、軽い息抜きのつもりで機会があったら調べてみましょ」
レムは呆れたように嘆息し、
「……そうだね。君も暇人だよ本気で」
肩をすくめた。
瞳に先程のような陰りは見えない。
だが、
「隠者の森、……か」
何かを憂うような。懐かしむような……小さな。
小さな呟きが耳に入って、こびり付いた言葉は。
なかなか、取れなかった……。
その日以来、何かとクルトが「術」の詳細に迫ってくるようになり、七日もした頃には体力が尽き掛けたので、手品が出来そうな校長にレムはさり気なくバトンを渡した。
校長室を世にも恐ろしい襲撃者が襲うのは、その一時間後のことである。
《路商/終わり》 |