パーティ・ザ・デンジャラス-1






 景色が流れていく。
  蒼い澄み切った空、鼻をくすぐるむず痒くなるような草木の香り。
 風が髪をからかうように(もてあそ)び、白い雲が自分を避けるように逃げていく。
 実際は、逃げているのではなく自分が過ぎているだけだ。
 強い風は、窓を閉めればいい。
 だが、そんな事は理解できていても。
「……はあ」
 不機嫌な思考では気分が更に沈む。
 それに、下手に閉めて暗くなったら、更にイライラが(つの)りそうだ。
「もう駄目だ〜マトモに頭が動かない……」
 落ち着こうにも、自分の苛立ちが普通の考えの邪魔をする。
 馬車内で此処まで機嫌が悪くなった事は未だかつて無い。
  恐らくこれまでになく穏やかならぬ顔をしているのだろう。
 知り合いの、近くにいたメイドが怯えていた。
(ああ…駄目だ。こんな顔してたらメイドさん達が怯えちゃうよ)
  軽く柔らかな空色の髪を乱すように頭を掻く。
  周りには数人のメイド。そしてボディーガード。
 そして、付きっきりの執事。
 クッションは沈み込みすぎるほど柔らかで、地面は贅沢に絨毯(じゅうたん)が敷かれていた。
 彼は周りの状況が示す通り、富豪の息子。
 だが、気にするのは自分の事ではなく周りのメイドの事。
「まあ、落ち着き下さいませルフィ様」
 白い髭を蓄えた、老人が言う。
 彼には老人という言葉が相応しくないかもしれない。
 ピシリと背を伸ばし、(のり)の利いた黒いスーツを着込んで居る。
 老人と言うには歩き方も堂々たるモノで、喋りには力強さと気品が感じられ若々しい。 言葉の一つ一つに重みがあり、誰しもが納得させられそうな威圧を放っている。
 だが、ルフィと呼ばれた少年はキッ、と珍しく執事を睨み、
「落ち着けない! 無茶苦茶だよ!」
 これまた珍しく大きな声をあげた。
 流石に少し驚いたように執事は眉根を寄せ、
「む? なにがですかな。ルフィ様、はしたないですぞ。
 先方の前ではくれぐれもそう言う声は」
「ああもう、誤魔化さないでよ! 僕少し怒ってるんだよ?」
 そう言って精一杯威嚇する。
 整った目鼻立ち、柔らかそうな髪の毛。穏やかな空の瞳。
 美人と言えても、美形とは言い難い少年の顔立ちでは、せいぜい可愛い小動物が軽く警戒音を発しているくらいにしか見えない。
  機能性を重視したシンプルな眼鏡の縁に執事は手を掛け、
「何の事ですかな? 私にはルフィ様が仰る理由に全く覚えが御座いませんが」
 歯切れ良く言い切った。
 僅かにもたげた怒りを反射的に押さえ込み、
「幾ら父さんの言った事だとしてもこんなのあんまりだよ。
 クルトが吃驚してたじゃないか」
  口をとがらせる。
  訳が分からない、と言うように執事は少し顔をしかめ、
「ふむ。ルフィ様、あのような小娘……
 いや、小娘とも言えない雑菌に何か心残りでもありますかな」
 また、これだ。
「……爺や、その言い方は無いと思うよ」
 心なし声の沈んだ調子でルフィは呻くように言葉を絞り出した。
「何を仰いますか。あの娘は所詮平民、商家の生まれであるルフィ様には不釣り合いですぞ」
  やはり、いつも通りの答え。
 友達に身分は関係ないとルフィが言う言葉に、誰が同意してくれただろう。
 特に、この執事に関しては。
 リフォルド家――()いてはルフィためだと考えているのだろう。その自信に揺るぎはない。
 感謝もしているし、その気持ちも有り難い。
 この頑固な執事の事も嫌いではないが、今のような威圧的な言い方だけはどうにかならないだろうか、と常々考えてしまう。 
(無理、だよね……やっぱり)
 考えるが、やはり頭を振る。
 貴族階級とほぼ変わらない地位を持っているにもかかわらず、差別なく人と接するのは難しい事。
 階級制度に凝り固まり、威信と権力と欺瞞(ぎまん)に溢れた貴族達。
 それに近しい階級である者が、こういう思想を持っている事自体が珍しいのだ。
 自分も彼女と出会っていなければ、もしかすると狭い視野で物事を捉えようとしかしなかったかもしれない。
 過言ではないくらい、幼なじみの少女の近くにいて環境が急激に変化した。
 あの学園にいれば自分の立場も忘れられる程、皆が分け隔て無く接してくる。
 本当に、狭い場所に詰め込まれ、籠城のような閉鎖空間で暮らしていただけでは、自分の思考も本や他人に飲み込まれていただろう。
 そこまで思考を巡らせ、中断する。
 考えていても、仕方のない事だ。
 沈黙を、納得したと捉えたのか執事は頷き、
「それに、あんまりと言われましても、学業が終わる時間帯を見計らってお迎えに上がりましたが」
 何の躊躇いもなく言い切った。
 僅かな目眩を感じつつ軽く顔を覆い、
「そうじゃなくて、迎え方が間違ってる。というよりも、アレは迎えるじゃないよ」
 先程の光景を思い返しながら嘆息する。
 確かに、授業は終わっていた。後は帰るだけ。
 「一緒に帰ろう」と言ってくれた幼なじみの少女と一緒に帰路につきかけ……
 …………
 拉致された。
 そして今に至る。
  瞼を閉じれば、紫色の瞳を大きく見開き、呆然としたような表情でコチラを眺めていた少女の顔が浮かぶ。
 思い出すだけで気分が急降下する。
 苛立ちの理由はこれだった。
 いきなり帰り際に理由も告げず拉致されたのだ。幼なじみの目前で。
 普通ならもう少し怒り狂っていてもおかしくない。
「何か問題でも?」
「……今度から、理由を言ってくれると嬉しいんだけど。後、もう少し穏便に迎えに来て」
「理由はちゃんと言いましたが」
 真顔の言葉に少し眉を寄せる。 
「パーティですぞ」の一言だけを言って、土煙が立つほどの速さで人を攫っていくのは果たして理由を言った事に含まれるのだろうか。
「大体、クルトも吃驚して固まってたよ」
「ああ、あの小娘ですか?
 そう言えば、なにやら言っていたような気がしますな」
 非難の視線を注がれても不動のまま、眼鏡を直し、思い出したように声をあげた。
 言葉に頷きつつ、ルフィは口をとがらせ、
「でしょ? すっごくびっくり―――」
 執事の次の言葉を聞き、その台詞が途中で途切れる。
「確かルフィ様に手を振って『お土産ヨロシクねー』とか言っていましたぞ」
 ―――クルトの裏切り者〜〜っ。
 ちょっとだけ心の中で涙しつつ執事を見る。
  彼は特に問題ない、と言うように見つめ返し、
「ふむ、屋敷に付いたらすぐにお着替え下さい。その様な服では失礼になります」
 全く持ってルフィの心内とは大きく外れた意見を述べた。
「爺や達がいきなり連れてくるからだよ! 着替える暇なんて無かったよ全然っ」
 ずれた答えに少し泣きたくなりながら声を荒らげる。
 着ているのは学園支給の紺のローブ。
 ある一定以上の成績を収めた者にしか、配られない表彰状に近いものだ。
 それを着ているという事は、彼の成績は上位に位置するのだろう。
 派手とは言えないローブは、ただでさえ地味な外見を泥で汚し、くすんだ色になっている。
 勿論拉致された時に付いたモノだ。
 少年が嘆きたくなるのも当然だった。
  そんな声も何処吹く風、と言ったように執事はやはり厳しい表情を崩さず、
「仕方有りませんな。事は急を要するのです」
「…………」
 不平の色を隠さず、睨む。
 隣にいたメイド達が驚いたような顔で見ていた。
 此処までルフィがあからさまに反発した事はなかったからだ。
「パーティは何日?」
「三日で御座います」
 スケジュールはもう頭の中に叩き込まれているのか、淀みなくそう答えてくる。
「…………」
 日程を聞き、もう一度沈黙する。
  不機嫌の理由は、もう一つ。
「僕を連れて行く理由は?」
「旦那様のお言いつけです」
「うん、それから?」
 想像通りの答えを聞いても冷静に、尋ねた。
「はて? 何の事でしょうか」
「お見合いは、しないからね」
 とぼける言葉を塞ぐように、一言だけ紡ぐ。
 これ以上は無駄だと感じたのか、執事はあっさり頷き、
「ふむ、ええ。構いませんが。お合いになるだけでも宜しいです。
 もしも、ルフィ様がお気に召すようで有れば」
 ――おっと、着きましたな」
 一際大きな揺れで、会話は止まった。
「ルフィ様、今回私は残念ですが、旦那様のご用時に付き添わねばなりませんのでお側にいられません」  
「え?」
 不意に告げられた内容に眼を瞬かせる。
「手回しをしてメイドを手配させております。
 ご不自由が有ればそちらに何なりと申しつけて下さい」
「え? あ…」
 反応できない内にドンドン話は進んでいく。
「なるべくルフィ様と歳の近しい者をよびだてましたが、あまり甘やかさぬようにするのですぞ。
 では、私はこれで失礼致します」
「え? えっと……き、気を付けて」
 ぴしっと老人とは言えない程しっかりした礼をする執事を、ルフィはまだ付いていけていないような間の抜けたとも言える声で手を軽く振る。
 彼は満足げに顔を上げ、馬車から出て行った。
 出て行く後ろ姿すら凛としている。
 そう経たない内に横を薙ぐような速さで別の馬車が通り抜けていく。
 連絡は回していたのだろう。窓の影に厳めしい顔つきである執事の姿を見た気がした。
「…………」
 気を落ち着け、辺りを見回す。
 馬車内には気まずそうな顔をしたメイド達。
 それを視界に入れ、
「さて、と。いこうかな」
 満面の笑みを湛えてルフィは馬車から降りた。
 後ろの方で押し殺したような安堵の息。
 ごめんね、と小さく心の中で呟き、正面を眺めた。
  湖面に浮き上がる白亜の城。
 見る人によってはそう言うだろう。
 白い豪邸と言うだけには生ぬるいほどの大きな屋敷が、周りの湖により時折蒼くきらめいている。
 大きな門が顎門を開き、待ちかまえていた。
 元から開いているのは不用心にも思えるが、侵入者は逃さないと言う無言の圧力が門には感じられる。
 後ろを見る。
 はるか離れたところに第一の門。
 目測で軽く見積もっても、徒歩で一刻は掛かるような距離だった。
(……ここも無駄に大きいなぁ)
 などと屋敷の人間が聞いたら怒り出しそうな事を考える。
(家も大きいけど、あんなに大きくしなくて良いのに)
 昔良く迷子になったルフィは、いつもそう思う。
 今はもう迷わないが。
(普通の家にしたら、学園のみんなの食費、半年くらいまかなえそうだけどな)
 何処か主婦にも似た事を考えつつ小さくため息を吐く。
 無駄とも思える部分を削れば大げさではなしに、彼の言うような事は可能だ。
  その位、ルフィの家の財産は。大きかった。
 それこそ、国家予算に匹敵するほど。
「あ、いらっしゃいませ」
  ……なんて事を考えている思考が中断された。
 礼儀正しく礼をする少女達に。
  後ろから他のメイド達も降り立ち、かしこまったように礼をする。
「リフォルドの方ですね。お待ち致しておりました」
 厳しそうな顔つきをした、恐らくメイド長なのだろう。
 他のメイドより幾分年老いた女性が恐ろしいほどキッチリした動作で礼をする。
「…………」
「如何なさいましたか?」
「あ、ええ。済みません……あまりにも大きいお屋敷で吃驚してしまって」
 迫力にしばし飲まれ掛けたルフィだったが、微かに笑みを浮かべ、首を振る。
「そうですか。それでは、横のメイド達に何なりとお申し付け下さい。
 私はこれで失礼致します」
 言葉には何の反応を見せず、用件だけ言うとやはり素早く去っていった。
 後ろから、おずおずとした馴染みのメイドの声が聞こえた。
「……着替えをなさった方が」
「あ、ああ。そうだね。あの、着替えをしたいんですけど用意を」
「はい! 仰せつかっております」
 皆まで言わせることなく元気よく目の前の少女は答える。
 連絡は取っておいていたらしい。
 予想が付く位なら、始めから着替える暇くらい貰いたかったが。
  ドタバタと騒がしい足取りで屋敷の方から少女達が駆けてきた。
「さあ、コチラです。お着替え下さい」
 と言い終わらない内に全員で背中を押してくる。
「え? あの…ちょっ……」
 今日は立て続けで拉致される運命らしい。
  頭の片隅に浮かび上がった言葉を振り払う内に、雪崩のような勢いで着替えのために用意された部屋へと押し込まれた。

 




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