九章:聖女像−8

それは空の色。それは海の色。そしてこの世界に来てから最も忌むべき色。



 前に見た時より長い首元まで伸ばされた青い髪を揺らして私を困ったように見る。
「あー、様子見に来ただけなのに見つかっちゃった」
 だから人間様を馬鹿にするのも大概にしろ。まあ、気が付いたのは私だけだけど。
「ア、アオ様!?」
 シリル、まだ様付けるんだ。偉いなぁ。私なんてさん≠キら消したよ。
 何故か嬉しそうなんだけど、このアホ番人は。
「げ、本物の異空渡しの旅人(フィムフリィソワ)か!?」
 嫌そうな顔のオーブリー神父。まあ、火種にしかならなそうだし。この神様。
「……まだそんな名前残っているのか。いい加減忘れていると思ったのに」
「聖書に載ってるから無理だろ」
 さっきの私達と同じく隠れていたらしいボドウィンがいつの間にか隣にいた。
 まあ、これだけ騒げばそうなんだけど。
「そろそろ退いてくれないかなぁ」
 完全に青へと変わった髪をずらし、顔を向けてくる。
 目は同じだが、まだ顔までは変えていない。
「どうしましょうかねぇ。私はとてもご機嫌斜めなので本当にどうしてくれましょうかね」
「ああ、成る程。これは親愛の挨拶の一環」
 寝言が聞こえたので取り敢えず腕を捻っておく。
「い、いたたた。タオル! ロープッ」
「何言ってるか分かりません」
 分かっていたけど無視する。
「ギブギブギブ。レフェリー呼んで。ゴングー!」
「……なんか前から思ってたけれど俗っぽくないですか」
 そこまでヒントを出されては知らない振りも出来ないので力を緩めた。
 アオ、どうしてプロレスとかボクシングとか知って居るんだ。
「君の世界もウロウロしてたから。勿論姿を変えて」
 当たり前だ。あの姿で出歩かれたら無茶苦茶目立つ。
 いや、場所によってはコスプレで通るかもしれないけど。
「はあ、君は姿を変えたのに変わらないなぁ。まあ、良いけれど。
 あ、そうか。前の行動から考えるとこの痛みも愛情。そう言う行為もあるとは聞いているよ」
 ほう。成る程。私にそれを求めますか。
 まあ、良いけれど。
 その通り、私はサディストですよ。
 と言う訳でサディストらしく微かに笑った。
「マーユさん。ロープが欲しいらしいです。ほら、縄って言ってましたし」
「え、そなの?」
 不思議そうに首を傾けるシスター。
「違っ!」
 流石に慌てはじめるアオ。前と同じく私が触れるので、縛り倒す事も可能。
 軽くそう脅した後、自分の髪を一掴みしてにこりと笑ってみせた。
「ああ、すみません。早く絞められたいんですねそう言えば銀髪だーい好きですよね」
「いっ、ちょっ、髪の使い方が違う!」
 手早く巻き付ける私に驚きながら藻掻く。はっはっは、慌てろ。
 こんな時が来るだろうと思って暇を見て髪で首を締め上げる練習をしていた。
「はーい、愛の首締めですよー」
 にこにこしながら、ぐいぐいと締め上げる。わーい、楽しい。
「げほ、ちょっと待った。神殺しは流石に人としてだめでしょう!?」
 神様が悲鳴を上げているけれど知らんぷり。
「いやもう私、人外なので知りません」
 どっかの誰かさんのせいで。
「だ、駄目よ神殺しはっ」
「落ち着きましょう姫巫女さま!」
 更に力を強めようとした私の腕は、周りの聖職者(主にシスター)達に止められた。
 ちっ、あと少しの所だったのに。 
 このまま鳥を絞めるようにきゅっと絞め殺すのも悪くはないが聞きたい事もいくらかある。
 首から銀髪を外して、立ち上がる。首元を抑えたアオが小さく「まさか銀髪を凶器に変えるとは」と呟いていたのでちょっとだけ胸がスッとした。
 積もる話があるので、アオの手を引いて休憩所に連れて行く事にした。ずっと礼拝所で話し込む訳にも行かない。
 背丈が違いすぎるので引くと言うよりぶら下がっているのが癪だが。

 
 アオを捕らえたのも案内したのも良かった。一つだけミスを犯したのは、奴の手を握ってしまった事。
「はーなぁせえぇぇッ」
 がっちり掴まえられて脇に抱えられている。人を横抱きにしたまま椅子に座るなボケ神!
「逃げられたら悲しいので」
 頬に手を当て溜息一つ。憂い顔しても無駄だ。
「自覚あるなら反省しろ! おろーせぇぇ」
 じたばた暴れても腕は動かない。強烈に締め付けられている訳でもないのに、身体が引き抜けなかった。
 細身のクセして頑丈だ。また何か力使ってるな。
「子供は軽いから持ち上げやすくて良いなぁ」
 それだけの理由で子供にしたとか言わないよなお前。
 まあ、これだけ力があるなら私が大人でも同じ事されてるだろうけど。
 おずおずとシスターセルマが瞳を伏せてお茶を置いてくれる。
「ええと、どうぞ」
「お構いなく〜」
 ひらひらと指先を動かしてアオが微笑んでいる。腕は緩まない。
 神に飲みものを出すかどうかしばらく悩んで一応出す事にしたらしい。
 で、来てみたら私が捕獲されていて口を出すまいかどうかといった所か。セルマさん気にしないで。
 絶対口出ししても止めない奴だから。そうでなければ他の神が手を焼くはずもない。
 全く、とんだ番人だ。溜息が零れる。
「あー、異空渡しの旅人(フィムフリィソワ)さんよ。嬢ちゃんを放してやっちゃくれませんかね。
 居心地悪そうで気になるんだが」
「……えぇ」
 ボドウィンの苦い声に、あからさまに口を尖らせてむくれるアオ。
 その仕草は私がしたい。っていうか何故放してくれないのか。もう逃げる気もないし。
 そもそも本当に逃げたかったら扉を閉めてまで掴まえようとは思わない。
 アオが逃げようと思えば扉は無意味だったろうけど、人として振る舞っている間は確実に突飛な行動を取らないと踏んだのだが。
 正体ばれるとこれかい。
「じゃあこれで」
 くるりと身体がずらされて、ぼす、と乗せられる。奴の膝の上に。
 パラパラと落ちる銀髪。こめかみがひくひくと痙攣しているのが自分でも分かる。
「じゃあこれでって、私は納得してない! 大体何で問答無用で捕まえる!?」
「感動の抱擁」
「するか! 抱擁と違うわこんなのはッ」
 自分の印象を分かっているのか居ないのか、呑気な返答。
 っていうかこれ抱擁じゃなくて一歩間違えると拉致寸前に見えなくもない。
 シリルが私の隣で警戒しているし。
 オーブリー神父とボドウィンも敬意を払っているように見せてはいるが、私が人質代わりのようなものだから緊張している。
 ぎゅぅと腕が身体を締め付けてくる。抱擁のつもりらしいが苦しくて鬱陶しい。
「ああ、もう。分かった。分かりました。座ってますから絞めるな。これ以上拘束したら暴れる」
「あー相変わらず可愛くなくて可愛い。うん」
 ぐりぐりと私の頭を撫でて笑う気配。
 だから、わけがわからんと言うのにその台詞。
 私が諦めた事は分かって貰えたのか腕の力が緩くなる。滑り落ちないように手は回されているが。
 絶対放さないつもりなのか、アオ。体温が低いのか暑くはないけど、違う意味で暑苦しいよ。
「一つ訊ねるが、本物なのか。いや、髪の色が変わったのは見たが。どうも」
「知っているのと違う?」
 ようやく落ち着いて尋ねられたオーブリー神父の質問に、銀髪を弄びながらアオが肩をすくめる。
 口ごもる神父。今のところアオは姿を変えたままで髪と目だけ戻した状態。それ以外はごく平凡な容姿だ。
 そう、どこにでも居るような青年。それが今の彼の姿。
「まあ、別にこの門番の容姿が神々しかろうと中身がこれなので幻滅ものですがね」
 正直に告げると上から溜息が聞こえた。本当の事なのになんで憂う。
「もう少し柔らかく言ってくれないと泣くよ?」
「大丈夫、その程度で泣くような性格ではないって知ってるから。異界の審判」
 なにしろ世界を微笑みながら壊す神だ。こんなささやかな言葉で傷つく訳もない。
「まだそれも残ってるのか。ちょっとした暇つぶしにしていただけなのに」
 やれやれとでも言いたげに指先に巻き付けていた銀髪を解く。
 暇だからで世界を壊滅させる。なんとなく世界を救う。
 それが一番恐ろしいという事に何故気が付かないのだコイツは。語り継がれて当たり前だろう。
「こうすれば信じられる? それともまだ魔術だと言われるだけかな」
 皮肉気な言葉と共に僅かにアオの指先がぶれた。
 肌に当たる服の質感も変わっている。元の姿に戻ったのか。
 シリル以外の全員が息をのむ。マーユとセルマが頬を染めて、食い入るようにアオを見ていた。
 まあ、神だけあって容姿だけは良い。性格は最悪なんだけど。
 また撫でられた指先の感触も、先程と違って細く滑らかだった。
 全く、放浪する事が趣味なだけある。良くできた擬態だ。
 アオの膝の上、心で呆れの息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

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