九章:聖女像−7

それは予感にも似て、異なる感覚。脳に痛いほど響く第六感が私を押す。


 この世界に来てもう数週間。
 幾らか読み書きが出来るようになってきて、自分の存在の恐ろしさを知る。
 清らかなる乙女、悪魔と神に恋焦がれられ捕らわれる娘、人類に救いをもたらす姫巫女。
 救世主。
 手伝いを申し出た時、神父達が驚いた理由も納得出来た。
 本来なら私は出現した時点で城という名の籠に入れられて文字通り姫として扱われるはずだった。
 心底思う。
 知られたくねぇ。
 絶対見つかりたくない。
 誰が姫だ、誰が聖女だ。救いはこちらが欲しいくらいだって言うのに。
「おーい、マナ。外には今出るなよ。歌も響くからやめとけ」
「何ででしょう」
 休憩所の椅子で眺めていた本を閉じて、オーブリー神父の言葉に首を傾げる。
「今時珍しい事だがな、巡礼って奴が来てるんだよ。結構なご一行さんだ」
 救いを求め、祈りを捧げる健気な人達の来訪だ。なんとなく他人事の気がしないのでげんなりする。
 神ではなく姫巫女を望んで祈る人も多いと知っているからだと頭の隅では理解していた。
 昔より悪魔が増えているというこのご時世では教会を渡り歩くなんて珍しい事だろう。
 それだけ熱心だと言う事でもある。どんな祈りか考えるだにぞっとする。
 私に関わりのある事ではありませんように。
「わかりました」
 一度部屋で歌っていたら歌声に誘われて何人か無理矢理部屋に押し入ろうとした事がある。
 それ以来人が少ない時にしか聖歌の練習が出来ない。
 まあ、人が増えるのも良い事なんだけど。もうそろそろ建築作業に入る教会の天井を眺め、溜息をつく。
 壁に防音加工して貰おうかな。これでは歌の練習も出来ない。
 今日は出かけなかったシリルが微笑んでお茶を渡してくれた。
「ありがとう」
「いいえ。もう少しここで隠れてましょう」
 頷く。花の良い香りがする。
 私の好きなお茶を覚えてくれていて、ほんのり嬉しくなった。


 くもった硝子でも分かるほどに、空を薄闇が覆い始める。
 巡礼の人達が来たのは昼前近く。随分と熱心に祈っている。
「出られませんね」
「そうですね」
 私のふて腐れた声に、シリルが苦笑した。
 彼も目立つという理由で一応引っ込んでいる。嘘ばっかり。
 本当は私の事が心配なのだ。魔物に襲われてから一層離れる事が少なくなった。
 出るのはボドウィンとの秘密のお出かけだけ。引き留めていないのに自由に過ごしてくれない事に不満になる。
 せめて代わりに異世界堪能くらいして欲しいのに。真面目すぎる。
 足音が聞こえて、息を詰める。しばらく経って、扉が閉まる音がした。
「ちょっと様子見に行きましょう。ここにいると息苦しいですし」
「僕が見に行きます」
「じゃあ一緒に行きましょう。こっそりなら平気ですよ。
 もう教会内の隠れ場所は完璧に覚えましたから」
 人がいきなり来ても良いように幾つも隠れる場所を探した。
 ナーシャ直伝のもある。全てがお墨付きの隠れ場所。
 警戒していれば、教会内でちょっとやそっとでは見つからない。
 事実、最近では人が居る時間帯食事や本を頂きにさっと移動する。
 髪が邪魔なのは変わらないけれど、大分踏まないコツが掴めてきた。
「じゃあ、少しだけ」
 その様子を目撃しているので強くは出られないのか、渋々彼が頷く。
 やった。かなり暇を持て余していた私は早速忍び足で礼拝堂に進んだ。
 シリルには慣れなくて、私には慣れた道を通っていく。少し遠回りだけれど気が付かれない移動コース。
 こんな場所があったなんて、と感心している彼の声を背中で聞き、礼拝堂をそっとのぞき込む。
 マーユが蝋燭の準備をし始めている。薄暗い教会内に、手を組んで祈り続ける人物が居る。
 他の巡礼者は帰ってしまったのか、一人きり。なにか、気になる。
 目を細めてもう一度眺めた。金に変えられた双眸は闇を無視して相手の姿を克明に捉える。
 俯いた頬に掛かる濃い茶髪。時折上げた顔は平凡で、オーブリー神父より少し若い青年だ。
 ぴり、と肌に伝わる痛みに似た痺れ。思わず立ち上がる。
 注意の声が飛ぶ前にぬっと、私の前にオーブリー神父が立ちはだかった。
「こらマナ、人が居るから隠れろよ、暗いが万一ってのがある」
「扉を閉めて、早く!」
 そんなのはどうでも良い。もう一刻を争う事態だ。
「う、そんなに急ぎか。でも人が」
「良いから早く!!」
 んなもん気にしてられるか。
「マーユ、扉を閉めろ。絶対閉めないと駄目だと言われたぞ!」
 張り上げられた神父の声に、少し迷っていたようだったがマーユが急いで扉を閉めてくれる。
 鈍い音にその人が振り向いた。
「な、なんですか。どうして扉なんて」
 弱々しい非難を聞きながら走り出す。逃がすか。
「見つけたあぁぁっ!」
 最短距離で椅子から飛び出し、祈っていた彼に横から抱きついた。
 ばす、と鈍い音が立つが絨毯で衝撃が緩和されている。
「ちょっ、なにやってるのよ!?」
 明かりを灯して私の行動に気が付いたマーユが声を上げた。
「ぎん、ぱつ。貴女はもしや姫巫女さ――」
 驚きに目を見開いて声を上げる頬を思い切り捻ってやる。
 ふざけるのは顔だけにして欲しい。
「あい、いたた。何なさるんですかっ」
 半泣きで抗議されるが更に首に腕を回して締め上げた。
「ちょ、どうしたのよアンタその人に恨みでもあるの!?」
「あります!」
 無いなんて言わせないぞ、おい。
「初めてだろう?」
 オーブリー神父の側から近寄ってきたシリルも首を傾げている。
「何なさって居るんですか!?」
 騒ぎを聞きつけてセルマも来た。
「いえ、分からなくて。この聖女様が突然」
「まーだーしらばっくれますかぁ?」
 ぎりぎりぎりと締め付けるとうめきが漏れる。幾ら腕力が無くてもこの程度は出来る。
「ちょっ、落ち着きましょう。なんでこんなことしているんですか」
「理由があるからです」
 シリルが止めようとするのを睨む。
 腕を放してうつ伏せた奴の背に乗っかったまま後頭部を示す。
「何のことだか」
 困ったように茶色い瞳を伏せる巡礼者。こめかみが引きつるのが自覚出来る。
 いいかげんにしろや。悪ふざけが過ぎる。
「もう分かってるのは気が付いてるでしょう。この馬鹿神! アオ」
 場が凍る。私の叫びに彼の茶色い髪がさわりと揺れて、頬に掛かった部分から滲んでいく。
 じわりじわりと平凡な濃い茶が私の見慣れている、あの特異な青へと変貌する。
 アオの口元には薄い笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

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