六章:はじめてのお仕事−1

正直なだけでは世の中は回らない、嘘や建前と言う潤滑油が必要だ。限度はある。


 私は様々な事を体験している人間だと思う。
 今は、重い。あと凄く暑い。
 目が光で透けて見えるという理由で重ねられた黒い布は四枚にまで増えていた。
 半袖で少し肌寒いこの世界とはいえ幾ら何でも厚着過ぎる。
「だ、大丈夫ですか」
「おも、い……」
 シリルから心配されるが、頭が重たすぎて丸まったまま呻くしかできない。
 動くなんてもってのほか。支えられていないと倒れてしまう。
 このままだと熱中症になるんじゃないか、私。
「悪りぃな。俺達だけじゃ向こうさんも納得しなくてな。
 マナも一芝居手伝ってくれ」
 悪魔祓いの受付まで行ってきたが、オーブリー神父やマーユの力だけでは勝てないと見られたか。
 それ以上に、厄介者扱いで相手にすらされていないか。多分後者だろ。
「ふ、ふ。納得、する人だと良いですね」
 重みと熱さでぼんやりしながらうわごとのように返す。
「だなぁ」
 下からオーブリー神父の苦い声が聞こえた。重すぎる、暑すぎる、負ぶさったままグッタリともたれる。
 真昼時、私は相変わらず闇に包まれたままだった。
 
 何処の世界にも、狸はいると言う事ですな。



 冒険者という人達に仕事を渡す事をしている場所をギルドという。
 この世界に冒険者というものが居た事に感動した。よかった、やっぱりファンタジーな世界だ。迷宮とかあるのかとわくわくする。
 悪魔はいるけど、悪魔はもう見慣れているんで不思議とか神秘は感じない。

 基本悪魔は物理攻撃なんかは全く歯が立たない為に、冒険者は手を出さない。
 というか近寄らない。そんな言葉を表すかのように、悪魔祓い専門受付……別名、悪魔用のギルドはひとけがなかった。
 これは、寂れているのと違うのか。うちの教会と紙一重だぞ。
 人の気配を感じない場所で布を軽く持ち上げて一瞬だけ確認するが、やはりあるのは砂埃と。簡素な木で造られた建物一つ。
 面倒な手続きさせてくれるにしては、安っぽい建物である。見かけの割に検問厳しすぎないか。
「私行かなきゃ駄目ですか」
 様々な思いを込めて尋ねると、頷いたのか身体が揺れる。現在荷物の私には拒否権という物がない。
 逃げ出したとしても暗幕で帰り道すら分からないのだし。
「よっしゃ、いくぞ」
 気合いを入れ直すように神父が声を上げ、身体がずり下ろされる。
 ゆっくり下ろされてもふらつく。後ろに転び掛けると後ろからあぶないわねぇ、とマーユが支えてくれた。
 これほどに重いのは、多めに被せてくれたマーユさんのおかげです。
 ぎしりと扉が軋む音がした。
 
 やっぱりボロさでは教会といい勝負だ。



 何か話し声が聞こえる。聞いていたほうが良いのだけど、私を隠す為の布が音を遮って何を言っているのかさっぱり分からない。
 背負われていた時は下の方に隙間があったから良い物の、現在ピッタリと床に着いた布で包まれている。
 息苦しい上に更に気温上昇。頭がぼーっとする。蒸れる、蒸し焼きになってしまう。誰か気が付いて!
 口を開くなとの忠告を必死で守っているが、意識が途切れるのはそう遠い話ではない。
 微かに涼しい風が吹いた。
「しっかりして下さい」
 布を軽く動かしてシリルが涼を送ってくれる。生ぬるいけどさっきより大分マシだ。
「助かりました」
 ぼそぼそとお礼を言うと、くすりと微笑む気配がした。笑わないで下さい、こっちは真面目に危なかったのに。
 空気が入り込むと別の意味で息苦しくなる。むわりとした気色の悪い物が喉に侵入してきた。
 換気悪すぎないかここ。
 僅かに吐き気を催しながらも、今まで聞こえていなかった会話を聞き取った。
「――その御仁が?」
「ええ。我々の心もとなさを補助するべく、悪魔祓いをお頼みしています」
 うやうやしいオーブリー神父の声。多分口元は引きつって『テメェ覚えてろ』という目をしているはずだ。見えないけど。
 先程の台詞だって『テメェが気にくわないのなら強い人間入れりゃあいいんだろがクソジジイ』としか要約出来ない。
 対する相手はそれを分かっているのか分かっていないのか、鷹揚に頷いたようだった。
「その暑苦しそうなローブはどうにかならんのかね」
 しばしの間を置いて、中年男性らしき声が私の方を示したようだった。
 どうにか出来るのならばとっくにどうにかしてます。こんっな暑い格好本当はしたくない、私だって。
「いけません。この方は日にさらされると溶けてしまわれます」
 私はアイスか何かか。軟弱な吸血鬼でもそこまで酷くないだろうに。
 明らかに苦しい言い訳と思えたが、そうでもなかった。
「何!? この御仁はあの吸血鬼一族(ヴァンピリーム)の末裔か! 人のみならず悪魔すら宙で振り回すあの一族」
 自分の扱いが吸血鬼のような、じゃなくて吸血鬼らしいものにされているのは何となく分かった。
 でもその一族って人畜無害な感じじゃないだろその一言から察するに。
「それはどうか、本人はよく分かりかねているようですが。陽の光には当たりたくないとだけ」
 ついでに記憶喪失もシナリオに含まれているのか。
 吸血鬼一族の末裔とやらが長生きだったら、ボケて忘れていたり、本当にどうでも良い記憶は地平線の彼方に捨ててきているかもしれない。
 まあ、この調子ならまだ無言でいろと言う事か。重い身体に辟易しながらも頑張って佇む。
 このお偉いさんをクリアすれば私は暗幕から解放されるのだ。耐えよう。
 汗が肌を伝うのが分かる。長話には耐えられそうだが喉にたんのようにからみつく粘っこい不快感はどうにかならないのか。
 ぱたぱたとシリルがこっそり扇いでくれるが目眩は酷くなっていくばかり。
 なんか、この場所おかしくないか。神聖な物があるはずなのに……私が今住んでいる教会よりすがすがしさがない。

 寧ろ――

「だ、大丈夫ですか」
 よろめきそうになる私をシリルが支えてくれた。彼の瞳も目立つので私の後ろで静かにしていた。
「ちょっと、外見ても大丈夫そう?」
 息が切れるのを感じながら確認を取る。彼が戸惑うのが分かる。
 少しだけなら、とマーユの了承の声が聞こえた。そっと光が差し込まれた。
 受付の脇にある白い女神の姿をかたどった柱が門にも見える。
 錆色の頭はオーブリー神父で、どす黒い空気に纏われた脂ぎった身体と太い指が短い顎髭を撫でつけているのが見える。彼が(くだん)のクソジジイ様のようだ。
 ……黒い霞ってお偉い様。
 頭痛がしてきた。振り向いてシリルとマーユ、ボドヴィッドを見る。
 シリルは少し違和感でも感じているのか眉を寄せている。マーユは時折首を傾げるが亀の様な対応にご機嫌斜め。
 ボドヴィッドは流石に煙草を吸う事はなく……もしかして気のせいか。
 もう一度真正面を見る。
 先程よりも立ちこめる闇が増えていた。この場の空気を吸うだけで気持ちが悪い。
 周りのみんなに近寄りたいと要求してそっと前に進み出る。
 む、とする違和感。吐き気すら覚えるが耐えた。
「あ、おい」
 オーブリー神父の咎める様な声。静かにしてろと言われていたが、これはちょっと難しい問題だ。
「いらっしゃいませ、さぞご高名とお聞きしますが」
 粘りけのある糸を引きそうな猫なで声に取り敢えず首を振ってから、相手の視線に入らない様に覗き見る。
 目眩が更に酷くなってよろめき掛ける。シリルではつらそうなのか、しっかりとボドヴィッドが支えてくれた。
『どうした嬢ちゃん』
「いえ、なんか」
 囁かれてなんとか気を取り直す。
 狸なお偉い様の身体を取り巻く様に後光ならぬ毒々しい闇だか煙が広がっている。
 目をこらすと何か文字らしきものが見えた。日本語ではないのだが、読める。
 読めると言うよりも、心に響いてくる。こめかみに指を当て、一つ一つ復唱してみる。

「――汝、禁を犯す愚かなる者。その身に黒き呪縛を与えたもう」

 ざわりと空気が強張った。あ、うっかり口に出していた。
「き、禁を犯すとはなんという失敬な!?」
 上擦った声に何となくだが状況が飲み込めてきた。この狸ジジイ様、身に覚えがあるらしい。
 ヤバイもんでもいじったか。
 そう思えるのは様変わりした目の前の光景。モヤが消え、大きくはないが、腕を伸ばすほどの長さの羽。
 漆黒の身体でそれはお偉い様を絡め取る様にしがみついていた。ご丁寧な事にパイプの様な太さの長い尻尾が胸から足首にかけて縄の様に巻き付いている。
 見かけはインプだが、二回りほど大きい。
「ははぁん。なんか封じた品でもいじった覚えあるのかジジイ」
 私の言葉に反応した彼にオーブリー神父が嘲る様に問いかけた。
「そ、そんなことは。いや、確かに少しずれたがきちんと清めた身体で触っていたし、すぐに戻した」
 曲者揃いではみ出し者相手になら言っても良いと思ったのか、開き直った様に告げてくる。
 とは言われましても、思いっきり居ますよ。凄い居ますよ。楽しそうに笑って両手であなたの頭を叩いてますが。

 溜息をつきたくなってきた。相手の姿にかなりの既視感(デジャヴ)を感じるのだ。
 絡み付いていると言っても背中から抱きしめるなんて可愛らしい感じではない。腕や足は突き抜けて、尻尾は縫う様に貫通しながら巻き付いている。
 つい先日見た光景と違うのは、悪魔の姿と繋ぎ目が薄い位だろうか。
 今度は羽ではなく悪魔本体が出てるなあ、となんかどうでも良くなり始めた思考が投げやり気味の声を上げるのを感じた。

 悪魔祓いの受付に、既に悪魔が居るとはこれいかに。
 依頼を受ける前に祓わないと駄目なんだろうな。
 めんどくさい。傍目から見れば熱愛にも見える悪魔の抱擁を見つつ今度こそ溜息を深く吐き出した。 

 

 

 

 

 

 

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