一章:秤−6

無理難題ってこういう事を言うのだと思います。


 目の前の光景に絶句した。なんじゃこれ。
 地が出た事すら気が付かないくらい驚いた。
 血の海の中、ソファに寄りかかり目を閉じてグッタリした村の生存者とおぼしき少年は。

 悪魔の羽を生やしていた。

 これは一体何事だ。助けたほうが良いのは分かっているが、何でこの子は悪魔の羽根を付けている。
 趣味だとすれば悪趣味すぎる。透明に近い虫の羽か、天使の羽をオススメする。
 私より幼い顔立ちに白い羽はさぞかし映える事だろう。
「悪魔に取り憑かれて居るんだよ」
 混乱する私に辺り一面血まみれでも眉一つ動かさないアオがそう告げてきた。
 純白の服が辺りの紅を一層引き立て、死体だらけなのに絵になる。題を付けるなら魂の選定者。彼は乙女ではないけれど。
「取り憑かれてる?」
 何となく分かるような分からないような。取り憑かれたら羽が生えるのだろうか。うっすらならまだ冷静になれるが、思いっきり実体だ。
「周りの人間達と同じように、身体の中に潜り込んで内側から喰らおうとしている」
 なんてエグイ食べ方。じゃあ喉を千切ったりするのはついでの遊びか。
「でもこの子、生きてますよ」
 吐き気を堪えて地面を見て、呟く。辺りの状況を考えると不自然だ。
 他の人達の血が乾きかけている。見つかって入り込まれたとしても、随分時間が経っているはずだ。
 もう死んでておかしくない位にはこの状態だろう。そうでなければこの悪魔が一匹だけここに留まっている訳がない。
 残りの一人が片づかないから置いてけぼりをくらっている。
「本能的に悪魔の侵食を抑えて遅らせている。だからまだ無事だ」
「それは、普通ではないですよね」
 そんなのが普通だったら、周りの死体に説明が付かない。
「そう。でもこのままだとじきに死ぬ。彼が行っているのは延命措置にしかならない」
 静かに微笑まれ、先が読めた。
「これを、私にどうにかしろと」
 悪魔嫌いの私に、悪魔を引っ張り出せとのご注文だ。確かにこの上ない試練だ。
「そう。君がしなければ彼も周りと同じになる。強制ではないけどね」
 ここまで連れてきて、更にこの状態を見せてそれを言うか。なんと性格の悪い。
「やりますよ、やれば良いんでしょう。失敗しても責任持たないですよ!」
 同じく悪魔に殺されかけた私としては、見殺しになんて出来る訳がない。ズカズカと乱暴に近づいて、彼の背に触れた。


 まず明らかに違和感のある羽に手を掛ける。固い。
 生き物とは思えないほどに冷たい。手触りからすると鉄か?
 無いから、それは無いから。自分の考えに突っ込みを入れながら手を離す。
 流石に力任せに引っこ抜くのはマズイだろう。
 実体があれば既に死んでいるのは間違いない上に、何故羽だけ出ているという事は現時点では考えても仕方ないので置いておく。引き抜く最中に暴れてうっかり実体化されたらスプラッタだ。
 次は、羽の付け根辺りに指を這わせた。出来るだけ優しくしたつもりだけど、どうも力がかかったらしい。
 羽ではなく、少年の身体がビクリと震えた。いやでも、これ以上離したら空中だし。
 そうっとそうっと両手の指を羽の根元に当てた。
 ええと、これからどうするんだ。引き抜きたいのは山々だけれど、やり方が分からない。
「ア……ぶわ」
 アオさーんと出しかけた声が無様な呻きに変わった。少しだけ力を入れていた腕がずぼりとはまった。
 ついでに顔ごと突っ込んだ。空気はあるが、液体のような感触に顔をしかめる。
 気が付けば身体ごと中に入り込んでいた。
 手を当てていたのは背中だったから、入ったというかめり込んだのは少年の中という事になる。
 
 ……何で私は人の体内(なか)に居るんだろう。

 別段特殊能力持ちでも、幽体離脱する体質でもなかったが、すんなり潜り込んだ所からすると今の自分は実体がないに違いない。
 ぴょんぴょん跳ねてみる。普段より高く飛び上がり、ゆったりと足が地に着く。まるで水中散歩をしている気分だ。
 辺りは桃色の膜で覆われていた。好き勝手に歩き回りたかったが、所々に膜のバリケードがあって通行可能な場所が限られている。
 満たされた水、肌色の膜。これだけ揃えば誰だって胎内の羊水に結びつけられただろう。
 物見遊山な気分で辺りを見回しながら歩き続ける。足下に弾力がある事を除けば室温というか水温も丁度良く、微睡みたい程に快適だ。
 うっかり人の身体の中という事を忘れてこっくりと船を漕ぎそうになる。
 
 しばらく眠気と戦いながら進むと、明らかにこの場にそぐわない影があった。
 元凶発見。

 卵の殻のような白い球体に身体を密着させ、何事かささやき、口を寄せる。
 滑らかな仕草で表面を撫でる。その姿のなんと魅惑的な事か。
 豊かな胸にくびれた腰。メリハリのある身体、無駄な部分がない。
 黒髪は腰程までに伸ばされ、癖の一つもない。国すら傾けそうな美貌に白磁の肌。
 素晴らしい。あまりの完璧さに嫉妬が零れそうだ。
 私が見た限り、その悪魔は、完璧に人間の姿を模していた。
 彼女(?)がすり寄っているのが少年の中心部なのだろう。
 余程拒まれているのか、ずいぶんと分厚い壁である。ダチョウの卵を思い出した。
 しかし……これほどまでの美人に言い寄られ、すり寄られても拒むとは。
 かなりの面食いなのだろうか、それとも精神が鋼で出来ているとか。
 神に忠誠を誓いすぎているのか、もしくは悪魔って時点で拒絶反応が起こるんだろうか。
 壁の表面を赤い舌で舐め、指先で削り始めようとした悪魔を止める為に羽交い締めにする。
 抵抗があるかと思ったけれど、眼前の獲物に気を取られているのかこちらに襲いかかる様子はない。
 ならば遠慮無く、と更に力を込めて引っ張る。
 が、私のがんばりは虚しく悪魔は元の位置に戻ってしまった。
 お前本当に女か、力強すぎるだろう。と詰め寄りたいのを何とか堪える。相手は悪魔だ。
 性別があるかどうかすら疑わしい。
 あと少し、力があれば引きずり出せるような気がする。瀕死の人間に頼むのも気が引けるが、四の五の言っている場合でもない。
 女悪魔と同じように壁に手を触れ、取り敢えずコンコンとノックした。うわぁ、凄い固そうな音がした。
 と、壁が微かに揺れた。わ、反応があった。よし、悪魔だと思われなければ手伝って貰えるかも知れない。
 ちらりと悪魔を見るけれど、私の方には全く注目していない。もしかして見えてないんだろうか。それはそれで都合が良い。
 深呼吸してもう一度壁を叩く。何か言わなければいけない。えーと、なにかなにかなにか。
 緊張と混乱が同時に頂点へ達し、
「入ってますか」
 間の抜けた台詞しか出てこなかった。トイレか!
『怖い怖いやめて。え、あ。だ、だれ……?』
 微かな、声が耳に届いた。錯乱しかけている悲鳴に似た呻き。掌を壁に付けると鮮明になる。
「ええといきなり失礼してます。悪魔を引っこ抜きたいんですけど、手伝って頂けませんか」
 酷く恐怖を受けている相手を諭すようにゆっくり告げた。我ながら緊張感のない台詞だとも思う。
『助けてくれる、の?』
「善処します」
 というか頑張ります。
『僕はどうすればいい』
 私の声で落ち着いてくれたのか、静かに問いかけてくる。素直な反応に少し驚きながらも答えた。
「私だけの力じゃ引き抜けないので、せーので押して貰えますか。軽くで良いんで」
『うん。ありがとう』 
 感謝されて思わず照れそうになる。いやいやいや、終わらせてから照れよう。
 悪魔のくびれた腰にしっかりと両腕を絡ませる。ああ羨ましい、とても羨ましい。
 少し力を込めてズリズリと後退する。よし、そろそろ良いか。
「せーの!」
 足を踏ん張り引っ張ろうとして、あっちはどうしてくれるのだろうと真正面から見つめた私の頬が引きつった。
 固そうな白い壁がへこみ、まるで反動を付けるようにぷるぷると震えている。
 私、軽くって言ったよね。軽くって言ったよね!? どう見ても力一杯はじき飛ばそうとしているように見え――
 そこで意識が軽く千切れる。まるで鐘でもつくように、丸太状になった壁の一部に悪魔を掴んだまま吹っ飛ばされた。

 冷静なように見えて、悪魔に喰われ掛けていた少年はかなりテンパっていたらしい。
 薄れそうになる意識の中、後悔した。


 ――もう少し『軽く』を強調しとけばよかったと。

 

 

 

 

 

 

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