八章/選択肢というもの

 

 

 

  

 どうしてこんな事になったんだろう。
 さっきまで普通の道具として使用されていたモップを握りしめる。
 若気の至り。その言葉が当てはまる状況の真ん中で、私は心の中で泣いていた。
 相手は勇者候補なのは分かっていたし、喧嘩を買ったのも私なのは分かっている。けれどのぼっていた血が冷え始めるのと同時に強い後悔の念とこの場から走り去りたくなるような狩られる獣の気分になった。
 一ヶ月程修行した普通の私が、簡単に言えば天才である勇者候補に勝てるんだろうか。モップで。いや、すごいあり得ない。
 しかし私は言い切ってしまった。『このモップではたき倒す』という風な凄まじいことを。
 言った言葉を後悔している訳ではないが、決闘となるとまた話は別だ。
 冷たい眼差しのプラチナが対峙する(ようにも見える)私とアベルを見つめている。実際私は微妙に混乱気味で戦う気力が全くわいてこない。
 アニスさんはともかく。ダズウィンさんにフレイさんまで何故居るんだろうか。
 揃った面々を見る限り、喧嘩で済まされるような感じではない。どちらかというと空気が一騎打ちに近い。
 どうしよう。
「カリン! アベル兄と決闘なんて戦場より危ないよ!? やめなよ!」
 珍しく息を切らして走ってきた私の師匠ことマインが扉を開け放ちざま必死に訴えてくる。
 というより息を切らした姿って訓練し始めてから初めて見たような気もする。
 そのマインすら危ないと告げてくる。光は見えず、不安しか募らない。
 ――師匠、ゴメンナサイ。あれだけ豪語しちゃったら後に引けません。
 楽しそうに唇の端を上げるアベルが、ただで帰してくれるとも思えないし。
「どうした、さっきまでの威勢は何処に行った? 今なら間に合う。退くか」
 からかうような表情と台詞に、自分のこめかみと口元の辺りが引きつるのが分かる。
 この人は何でいちいち、私のささくれだった心を逆撫でするようなことを言ってくれるのだろうか。
「退きません!」
 こうなればヤケだ。
「前言通りモップで叩き倒します!」
 もうなんとでもなれ。若さとは勢いなんだ。そうだと思わないとやっていられない。
 異世界に飛ばされてこの世界での一日が私の世界で三分て時点でおかしいんだ。もう何でもありだ。
 魔物もいるし異世界の言語も山程ある。そして勇者候補と決闘。
 くじけてたまるか。この程度でオロオロおたおたしていたら女が廃る。更にマナにも賀上君にも合わせる顔がない!
 弱くなっていた手の力を入れ直す。
 大好きな人達の姿を裂いた礼くらいはしてくれる。ぜったい一泡吹かせてやる。
「あーららぁ。どうしようかしら。カリンちゃん怒ってるわよ」
 後ろにいるので見えないが、多分小首を傾げてのアニスさんの台詞。
「アニス。アレは切れて辺りが見えなくなってるんじゃないのか」
 ダズウィンさんが何か突っ込んでいる。
「カリン落ち着いてーーー。代わりにしてあげるから自分でしちゃ駄目だよ!?」
「マインちゃん。それは逆にカリンちゃんの神経逆撫ですると思うわ」
「私が、やるので! 師匠はそこで見ていて下さい!」
 反射的に振り向いて叫ぶ。アニスさんの忠告通り逆撫で気味になった神経は、声を張り上げさせた。
「あうっ。お、怒られた。カリンーアベル兄と喧嘩しないでー」
 心持ち引き気味の師匠。そんなに怖い顔でもして居るんだろうか自分。
 ……しているだろうな。鏡は今見たくない。
 マインがシャイスさんみたいにオロオロした声を出す。とても珍しい。
「喧嘩ではなく決闘だ」
 プラチナの静かな否定。
 ああ、やっぱりそうなんだ。うう、もうこうなってしまってはどうしようもない。
 獣王族だってどうにか出来たんだから、勇者候補もどうにかなる。挑戦したのは私だけど、その試練受けて立つ!
「意外にやる気だな」
「絶対一撃は入れてくれます」
 掠めるだけでもいい。せめて一撃、あの笑っている顔に当たると更に嬉しい。
 仲直りの予定が遙か彼方の出来事のようだ。仲良くなるどころか決闘になっている。
 本当に、どうしてこうなったんだろう。
「決まりは簡単。一撃でもオレに入れれば勝ち。意識を失えばお前の負けだ」
 ここまで来てしまったら考えても仕方がない。やることをやるだけ。間合いを取り、モップを構え直す。
 無手のまま、悠然とアベルが笑う。艶やかな笑みは、まるで悪魔のようだ。
「最初はこちらから手出しはしない。好きなときに掛かってくると良い」
 私は武器があって相手は丸腰。それなのに先に掛かってこいと来た。
 馬鹿にしている。もの凄く馬鹿にされている。そして、それだけの自信があると言うことも分かるだけに悔しい。
 アベルは実践慣れしてる。勇者候補だから絶対に強い。勝てるはずはない決闘。
 分かってる。分かってるけど――
 左手の指先が硬い何かを掴んだ。無意識に自分の懐を探っていたらしい。
 一瞬でずれ始めていた意識が鮮明になる。写真を眺める私を笑う彼はロケットを持っていた。アベルも同じ事をしていたはずなのに。
 何か意図があるとしても、私の持っていた肖像は大切な物だと分かっていたはずなんだ。
 だから、許さない。指先に絡めていた鎖を解き、相手を見る。
 綺麗な翡翠色の瞳。感情すらも読むことの出来ない目。ただ、私と戦うことを嫌がっている様子はない。
 むしろ、楽しげだ。何か腹立たしい。彼を楽しませる為に受けた訳じゃないのに。
 唇を軽く噛んだ後、モップの端ではなく中央近くを握る。
 あの余裕、多少は揺るがせないものか。大きな獣にも手傷は負わせられる。
 強い勇者候補も手だてがあれば、光が見える。霧を吹き散らす何か、見つけられれば。
 訓練の時、数度はマインに掠めたことだってあった。相手の癖を読めば。
 ……読め、ば。
 って、私アベルの訓練見たこと無い!! 
 読む以前に彼の武器や動きだって知らない。待って、よく考えて光明を掴まないと。
 武器は見たことは無い――いや、ある! 初めてでそしてこの戦いの切っ掛けとなった場所で精神集中をしていた彼が持っていたのは剣。
 剣は斬る、突く、薙ぐ。そんな動きだったから、無手でも癖が出るかも知れない。第一、武器無しでの戦い自体珍しいことのはず。
 慣れない環境と馴染んだ武器の感触が交差して隙が出来る可能性がある。私にはまだ希望は残っている。
「行きます」
 だから、諦めない。
 いつも、希望がある限り。希望が無くても瓦礫を積み上げ希望の光を見つけてみせる。
 この不敵な勇者候補にそれを知らしめてやればいい。
 私は私のやり方で今、ここにいるのだから。


 

 

 

 

 

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