八章/選択肢というもの

 

 

 

  

 落とし物を返す機会はなかなか訪れなかった。いつもは嫌なくらい鉢合わせるのに肝心なときは会わない。
 朝食もその日に限って顔は出さないし、自室から出たときにも顔を見ることが出来ない。
 書庫を見ても居ないし勇気を出してアベルの部屋の扉を叩いても留守。
 こんな事をしているとまるで音沙汰のない彼氏を待つ彼女のようだ。違うけど。
 少しだけイライラしつつ、訓練の為に冷たい廊下を通り。広場に続く扉を開いた。
 目的の人物が、居た。細身の長剣を胸元の高さにまで掲げ、精神集中をしている最中だったらしい。
『あ』
 不意を突かれた形の出会いに、期せずして声が重なる。
 翡翠色の瞳の銀髪の少年。恐らく私とそんなに年の変わらない、勇者候補。同じ城にいるけれど、まだあまり普通に会話をしたことはない。
 朝方で少し暗いとは言っても明るい室内で見た彼の姿は、やはり人外かと言いたくなるばかりの美貌だった。 
 毎回不毛な言い合いをしているけれど、余り相手の顔は見ずに喋っている。こう光源があるとマトモに目を見たら結構つらそうだ。陥落はしないけど。
 というより……私が声を上げるのはともかくどうしてアベルまで驚くんだろうか。
 疑問はあれど、まあ丁度良い。ロケットを返そうと懐に手を入れ掛けたところで意外に近くから声が掛かった。
「本当に、下らない努力をしているのか。民間人」
 私の横を通り過ぎ、アベルが言葉を紡ぐ。
 指が止まる。下らない努力? そりゃあ勇者候補の人達から見れば些細な力しか上がってない。
 それは認めるけど、そんな言い方。鼓膜付近で不快な音がする。思わず奥歯を噛み締めてしまったらしい。
「私が、生き残る為なら。努力もします」
 振り向いて、数歩程離れた場所で足を止めた彼を睨み付ける。
 そう。生き残る為なら、私は剣を持つ。元の世界に戻る為、異国の言葉も魔物の言葉もどうにかして解いてみせる。
 ささやかな抵抗にならないとしても。
 あなたには関係がないことですと言おうとも思ったけれど。言葉を変えた。別に私は喧嘩をしたい為にここに来た訳ではない。
「召還されて初めに突きつけられた選択肢。生と死で私は生を選んだ。貴方には些細な変化でも逃げるだけなら訓練は少しは役に立つはずです」
 柳眉が不快そうに潜められる。
「…………屁理屈だ」
「屁理屈でも。私は生きる、そう決めたから」
 反射的に私の唇から、ハッキリとした言葉が漏れた。
 いつものように表情を曇らせるかと思っていたアベルが小さく息を漏らす。
 失笑?
 問いただす前に答えは彼の手の中にあった。扇状に広げられた写真。
「コイツの為にか。この、男の為に? それともこの女の為に?」
 冷たく選別するように彼が写真の端を弾く。アングルも写った格好も、私が持ってきた写真と同じ。
 弾かれた音もした、幻影じゃない。なんであんなところにあるの?
「ちょっ、なんであなたがそれを持って――」
 尋ねかけ、腰のポケットを探る。取り出しやすいように入れてあった写真達。
 指先には何の感触もない。血の気が下がる。
 無い。
 まさか、この人。さっきのやり取りの間に。すれ違った瞬間に掠め取った!?
「下らない」
 写真を揺らしてポツリと漏らす。微かに聞こえた金属音にハッとなる。
「な、何する気ですか! 待って下さいそれをどうする気です!?」
 ぶら下げられていたアベルの剣が水平になっていた。
 嫌な予感がする。予感どころではなく絶対何かする気だ。
 向こうの世界の写真は、私の大切な宝物、お守り。そして思い出。
 予備はまだある。けれど、そんなのは関係ない。あるとしても部屋に残った数枚程。
 ネガは向こうの世界に置いてきているし、写真屋だって此処にはない。
 私の気持ちを分かっているとばかりに、アベルが笑みを深くする。
「死にたくない理由があれば消せばいい。甘い夢を切れば楽になるだろう」
 こんな風に、と鞘に収めていない剣の上に落とす。
 まさか!
 何をする気なのか理解して、さっと血の気が引く。
「詰まらない感傷はこの世界では命取りだ。詰まらない女、男。切り捨ててしまえばどうとも思わない」
 非難の声を上げる前に指先を無我夢中で伸ばす。切られたって構わない。
 笑顔のマナ、賀上君が見える。あと少し。あと少しで届くのに。
 少しが遠い。
 刃が私の指先を掠めて空気を切り裂いた。
「無茶な。たかが紙のために指を落とされても良いのか?」
 たかが。
「私を、嫌うのは良いんですよ」
 彼にとってはどうでも良いことなんだろう。ただの紙なんだろうけど。私にとっては違う。
 そう、べつに私が嫌いでも。私に刃を向けるのだって良い。
「でも、私の大切な人たちを侮辱するのは絶対許しません! 下らないとか詰まらないとか撤回して下さい!」
 下らない。それが私に向けられた言葉でないなら撤回させなければならない。
 帰る為の生きる為の大きな理由。二人に対する侮辱は私に対する侮辱より大きい。
「何故」
 悪びれもせずに言う。
「あの写真は私の宝物です。それ以上に思い出とそこに写っていた人達が大事なんです」
「……だったら、今からお前の部屋にあるそのシャシンという絵。地面の物と同じようにしてやれば、忘れられるだろう。
 向こうの世界の執着を」
 いつの間にか上がっていた熱が一気に冷める。この人は、やりかねない。
 絶対止めなくてはいけない。無意識に私はアベルの前に立ち、大きく両腕を広げた。
「そんなこと駄目です。許しません! そんなコトするなら私があなたを倒します!」
 絶対に通さない。
「お前が、オレを。倒す?」
 鼻で笑って、肩をすくめる。声は大きくないのに洗練された姿は妙な迫力がある。私は声を張り上げるだけで精一杯なのに、ずるい。
「倒して見せます! 私の部屋になんて絶対向かわせません!」
 相手の動きに合わせて私も移動する。じっと睨み付けたまま宣戦布告。
「面白い。大口だけは随分前から一人前だと思っていたが、此処まで愚かだとは思わなかった。
 素人相手に武器は使わない。一撃でも入れてみせればいい。そしたら、前言を撤回してやる。
 勿論、お前は何の武器を使っても良い。槍でも剣でも、好きな武器を選べばいい」
 当たることはないからな、と不敵な笑みを浮かべる。
 カッチン。完全に舐められた台詞に堪忍袋が切れるどころか沸点に達してぐらぐらと煮えている。
「あなたなんて普通の武器なんて使わなくてもその辺のモップで充分です!!」
 ええもう、モップで充分だ。廊下にあるので事足りる。
 絶対にモップで叩いてやる! 後ついでにあの人様を舐めきった顔も掃除してやる!
「あの、カリンちゃん。稽古に来たのだけど。お取り込み中、かしら」
 おずおずと尋ねられた声に気が付くのに、二拍程掛かった。
「アニスさん」
 その人へゆっくり振り向く。
「は、はい! な、なぁに」
 何故か私が目を合わせると、何時も崩れない悠然とした佇まいが微妙にぎこちなくなった。
 アニスさんがどうして扉の向こうで隠れているかとか聞きたいこともあったが、微笑んで見せ、
「この失礼で非常識な人をモップで叩くのをちょっと見てて貰えますか」
 最優先事項を伝えることにした。何事にも公平さは必要だろう。審判とかそう言う人が。
「モ、モップ?」
 蒼い瞳がせわしなく揺れる。アニスさん、何を動揺して居るんだろう。
「そうです!」
 こっくり頷いてもう一度アベルを睨んだ。
「この仮勇者候補は、オレに勝負を申し込んだ。面白いことに」
「ちょっ、アベルに!? カリンちゃん正気!?」
 せせら笑う彼、慌てるアニスさん。正気ってどういう意味ですか。
「断じて正気です! こんな暴虐許されてたまりますか!」
 びし、と地面を示して牙を剥く。気分は毛を逆立てた猫だ。
「地面のってもしかして、アベル」
「もしかしなくてもそうです!」
 地面へ雪のように散らばった私の宝物の破片。恐る恐る尋ねられ、頷く。他に誰がこんな事するというのか。
「あらら、それは。良くないわ……でもカリンちゃん冷静になって。アベルとなんて勝負しない方が」
 ちらりとアベルに非難らしき視線を向けた後。私の方を見つめて困ったように首を傾けた。彼女の柔らかな金髪が肩を流れる。
「します! この人私の大切な人達を馬鹿にしたんです絶対許しません! 後部屋のも始末するとまで言う人間野放しに出来ませんッ」
 何時もなら見つめられただけで気後れするが、今度ばかりは私も引けない。放っておいたら絶対この人は部屋の写真を切り刻むか燃やすかする。
「う、カリンちゃんが本気で怒ってる。こ、困ったわね。それで、その。戦うときの決まりはあるのかしら」
「オレは素手。そっちの女は好きな武器を選べばいい。刃が潰して無くても構わない。こちらに一撃でも当てれば勝ち、意識を失えばそちらの負け」
「そう、それなら何とか。ひ、一つ聞くわよ、普通に物理攻撃だけよね」
 怯え含みのアニスさんの問い。
「ああ。その民間人は何も出来ない。瀕死の(ねずみ)を獣王族に襲わせるような無粋はしない」
「今人をさり気なく鼠にたとえましたね。絶対許しませんからね、モップでタコ殴りですからね!」
 誰が鼠か。鼠だとしてもまだ瀕死でも何でもない元気いっぱいの鼠です!
「良かった、じゃなくて、カリンちゃん落ち着いて!」
 息を漏らす彼女に肩を掴まれた。怒りのためか痛くはない。落ち着いてと言われて逆に暴れたい気分になった。
「アニス。プラチナを呼んでこい」
「プ、プラチナを?」
 今にも暴れ出しかねない私を見て落ち着かないアニスさんとは対照的に、静かなアベルの声が響く。
「証人は多い方が良いだろう。それとも、大勢の前で恥をかくのは嫌か?」
 挑発的な台詞に前に進もうとしていた足が止まる。
「そんなこと無いです。好きなだけギャラリー呼んで下さい。絶対絶対一発と言わず二発でも叩き込んでやりますから!」
 後で考えれば安い挑発。血の上った脳みそは冷静に分析はせず、判断材料が穴の空いたざるに通されたようにぽろぽろ落ちていく。
 僅かでも冷静であればもう少しマシな回答も、後々の面倒だって防げたのに。
「とのことだ。呼んでこい」
 私の返答を何処か楽しげに聞いて、銀髪を揺らし、彼は告げた。
「し、しょうがないわ。はあ、ここまで来たら諦めて呼んでくるけど、ちゃんと待っててよ。お願いだから」
 命令に近い台詞に眉すら潜めず、アニスさんは諦めたように扉へ向かった。
「無論だ」
 焦ることはないとでも言いたげに、アベルが小さく頷く。このやり取りを見て私は少しでも冷静になるべきだった。
 しかし、追い立てられた(ねずみ)は獣王族にすら噛み付いた。住み家を荒らされた鼠は怒り狂って勇者候補にも牙を剥く。
 心の中で威嚇の唸りを上げながら、涼しげな勇者候補を私は睨み続けた。
 後の事を考えるなんて余裕は全く無く、怒りで全てが消し飛んでいたのだ。


 

 

 

 

 

 

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