ずれ始める刻-1





「ねえ、クルト。あのね、今日やっと放課後暇になったんだ。
この間お誘い断っちゃったでしょ。そのお詫びもかねて……じゃなくても良いけど。
 えと、その。一緒に帰ろうよ。す、少しなら寄り道とか大丈夫だから」
 
 淡々と続く日常。緩やかに流れる刻。
 でも全ては変動していた。それは当たり前で、残酷な事。
 刻は続く、月日は流れていく。停滞する事は無い。
「ルフィ」
 ふっと、と少女は小さく笑った。柔らかく紫の髪が踊る。
「え。何、クルト」
「ゴメンね。今日は無理」
「そうなんだ。じゃあいつ頃一緒に帰れそう?」
「残念なんだけど。課題が溜まっちゃって、しばらく無理そうだわ」
 曖昧な笑顔に何かを感じ取ったのか、少年は残念そうな顔を仕舞って、小さく微笑んだ。
「そ、っか。じゃあ、しょうがないね。あの、今度暇が出来たら教えてね。
 時間絶対あけるから」
「うん! 楽しみにしとく」
 弾けるような笑顔。いつものやり取り。
「…………変だな」
 薄く目を開いたまま、少女に聞こえないよう口の中で疑問を呟く。何の変哲もないそのやり取りが、最近僅かに変化し始めていると最近青年は感じ始めていた。


 茜がかる空気。いつもは静かな校長室に、憮然とした声が響いた。
 無理矢理押し付けられた重たい書類を睨み、
「それで私にこんなモノを渡してどうなさるおつもりですか」
 リンが柳眉を微かに釣り上げる。
「中を見て貰えました?」
 全く意に介さずに、校長である青年は微笑む。
「ええ。全てとはいきませんが。で、十八頁目ですけれど」
 唇を開こうとして止め、溜息を一つわざと大きく吐き出して告げられた頁を捲る。
「クルト・ランドゥール。年齢・十五。性格は明るく授業態度は真面目とは言い難い――このところですか」
 にこにこと校長は笑みを絶やさず、先程渡した書類の半分もない厚さの本を渡した。
 見た目はただのノート。リンが受け取ったことを確認し、校長――レイン・ポトスールは少しだけ含んだ風に唇を持ち上げた。
「はい。こちらが更に詳しい……僕だけの秘密の生徒手帳となります」
 ペラ、と機械的な動きでページを捲っていたリンの動きが止まる。
《クルト・ランドゥール。年齢・十五》
 ここまでは同じだった。
《十年前に他の村から母親と共にモーシュへ移住。父親は不明。
 体格は標準より小柄。性格は掴みづらく、本人なりの基本理念で動く》
 指と目で追う文字の群れ。内容が、違う。
 全て組み替えられたかのように違っている。他の生徒の頁に視線を走らせると、やはりこれも同じ。
 出生からの歩みまでもが綴られている。
《魔力。測定不能。触れるだけで計器を全て破壊。
 制御力。今のところは不安定ではあるが、今後の経過を見守る》
 しかし、クルト・ランドゥールの項目の書き込みは他とやや違う感じがした。
 合間に挟まれる僅かな空白。――無い。
 身長や体重までも書かれているのに肝心の場所が抜けている。
 彼女は何処で生まれた≠フだろうか。
 そして性格が掴みづらいとはどういう事だろうとも。
 時折接する少女は基本的にお人好しで明るく素直な印象がリンには残っていた。
「校長。これは、生徒帳と言うよりも」
「全てとは行きませんが特殊な生徒の観察記録ですね」
「悪趣味です」
 吐息と共に言葉を吐き出す。
「ええ。でも趣味だけじゃないので良いですよね」
 窓際に移動した影で揺れる紅の光。沈黙が落ちる。
「校長。クルト・ランドゥールをどうにかされるのですか」
 数拍瞳を閉じ、リンは真っ直ぐ彼を見つめた。
 一瞬の緊迫。
「しませんよ。特には」
 まるで面白い冗談でも聞いてしまったように、校長は金髪を揺らしあっけらかんと笑う。
 表情を余り変えない彼女には珍しく、は、とリンの唇から呆れと驚きの混ざったと息が漏れた。
「……魔力の強さを考えると、もう危ないのでは」
「君もレム君も頭は良いのに、何ででしょうね」
 くすくすと肩を震わせ、首を傾ける。もう一度『なんででしょうかね』と呟いて楽しそうに微笑む。
「はい。何がでしょう」
 隠しきれなかった不機嫌さを僅かに覗かせ、リンが尋ねる。
 子供に童話でも話して聞かせるように、校長はゆっくりと唇を動かす。
「クルト・ランドゥールの魔術暴走。それは五年前の一度きり」
 タン、ゆっくりと自分の机を楽器代わりに軽く二度程指先で叩く。
「樹が根こそぎ消失する程の酷い暴走寸前だったと聞いてます」
 リンが睫毛を伏せた。暴走の話は余り気持ちの良い物ではない。
 魔術師の見習いならば何時か通る道だといえど、誰も五体満足でいたいはずだ。
 酷い暴走は時に四肢も砕け散り微塵になる。個人の特定も難しい程に。
 大規模な暴走の後は他人も巻き込むことが多く、地獄の有様だ。死神への生贄と呼ばれることすらある。
「いいえ。暴走です」
 穏やかな表情のまま。青年はリンの言葉をキッパリと否定した。


 




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