一つの弱み-3





「……リン・バウラン?」
口の中のモノを飲み込み、少女はぱちくりと瞳を瞬かせた。
 しばらく不思議そうに差し向かいに座ったレムの瞳を見つめた後、はくりとサンドイッチを頬張る。 
「そう」
 真面目に尋ねるのも馬鹿らしくなりかけたが、平静を保ったまま頷いた。
 ピクピクと白い獣毛に包まれた耳が片方動いてしまうのは、僅かないらだちのせいか。
 少女の横でお弁当をつついていた少年が驚いたように空色の瞳を軽く見開く。
「へぇ。帰ってきたんだリン先生」
 声には少しだけ嬉しそうな響きが混じっていた。 
「誰だそれは」
 鉄で組まれた机の上に座ったまま、青年が眉をひそめる。
 腰掛けた鈍い鉛色の板に、白いマントがシーツのように広がっていた。
 何度か少女から『行儀が悪い』と言われたりもしたが、全く気にもとめていないようだ。
「んと、校長先生の秘書、かな」
 空色の髪を軽くいじりながら少年は答えた。
 軽くこめかみを押さえながら、レムは呻くように言葉を紡ぎ出す。 
「一つ聞きたいんだけど」
「ん? なう(何)」
 尋ねられた言葉に口の中にウィンナーをくわえたまま少女は首を傾けた。
 二つ括りにされた紫の髪の毛がゆわりと揺れる。その姿はまるで小動物だ。
「一体ここはいつから食堂になったのかな。一応僕の研究所のはずなんだけど」
 彼女は噛み締めるようにゆっくりとウィンナーを咀嚼した後、
「堅いこといいっこなしよ。レムから聞きたいことがあるとか言ってきたんじゃないの」
 口を水で潤し、あっさりと言い切る。
 碧の瞳を軽く細め、
「そうだけど。別に大所帯で来なくても良いでしょ」
 第一、僕が尋ねたのは君にだけだよ、と言いかけた言葉をしまい込み、少年はため息を漏らす。 
「良いじゃないの別に。昼食時だし、ついでよついで」
 ランチボックスの中で逃げ回るウィンナーをフォークで追いながら、レムを見る。
「ついでで人の研究所でお弁当広げないでよ」
 汚されないように書類を整理しながら、少女の方を向く。
 近くにあったパセリがフォークに捕獲された。
 捕まえたパセリを持て余し気味に少女は見つめ、
「心が狭いわね。ルフィを誘ったらチェリオは勝手についてきただけ。ま、その辺にある彫刻か何かだと思えば気にならないわ」
 そんなことを言いながら水をもう一含み。
 「人を彫像物扱いするな」という青年の声が聞こえた気もしたが、少女は綺麗に無視してデザートのチェリーを口に放り込んだ。
「んぐ。リン先生の事ね。えーっと」
 むぐむぐと頬張った後、唇から種を取り出し「どうやって説明した物か」と考え込む。
 コップを片手に、
「見たとおりの人じゃないの? 容姿端麗、頭脳明晰。良いわよねぇ大人の女性って感じ
で」
 瞳を潤ませ、うっとりと頬に手を当てる。
「お前には一生縁がなさそうだしな」
 余計なことを漏らしたチェリオの顔面に飾りのパセリが直撃するのが見えた。
 特に驚くような光景でもないので、「ゴミは散らかさないでね」とレムは告げる。
 その言葉に意地悪く目を細め、
「だってさ、チェリオ」
 コップを片手に、にやっとクルトが笑みを浮かべた。
 何処かからかうような視線をチェリオは睨みつけ、
「お前のだろうが自分で片づけろ」
「散らかさないでね?」
 口論になりかけた会話に割って入る冷たい声。
 静かだが、響きは注意よりも警告に近い。
「だってさ、チェリオ」
 わざとだろう。指先でつまんだチェリーの茎を軽く振り、先ほどと同じ言葉を投げかける。舌打ち一つして、青年は地面に落ちたパセリを拾い上げた。
「リン先生の事何で気になるの? おぉっ。もしかして」
 不思議そうに首を傾けていたクルトの瞳が好奇心によって輝いた。
 何処か危険な輝きだとも思える色。
「残念ながら君の期待しているようなことは無いから」
 妙な盛り上がりを見せる前に軽く釘を刺しておく。少女は案の定つまらなさそうな顔をして、ちぇ、と唇を突き出した。
「んじゃどうしてよ? レムが人のこと詮索するって珍しいじゃない」
「珍しく常識持ってそうだったから。少し興味持っただけ」
「し、失礼ね。それじゃあ何? あたしが常識はずれ……とか。
 ううん、何でも、ない……です」
がたり、と椅子を蹴立てて立ち上がったクルトだったが、言葉が進むごとに萎んでいき、やがて倒れた椅子を元に戻してのろのろと座り直した。
 やはり自覚があるらしい。
 その辺りには追求せず、手元にあった数枚のプリントに目をやりながらレムは尋ねる。
「先生。って言ってたけど、あの人教職もついているの?」
「ああ、違う違う。あたし達が勝手に呼んでるだけ。
 校長とかよりよっぽど先生っぽいでしょ。
 なんかそのまま名前呼ぶのも気が引けちゃうし」
 ぱたぱたと手を振りながら否定してくる言葉に僅かに眉をひそめ、
「君にしては珍しいね」
「何かねー。そのままで呼んではいけないような威圧感があるのよ。うん」
敬語は苦手なんだけどね、と言いかけた少女の言葉が途切れた。
 壁に背を預けるようにして、一人の青年がヨロヨロとレムに近寄る。
「レ、レム君〜」
 力なく少年を呼び、軟体生物のような動きで腕を振る。 
「どうしたんですか呂律が回ってませんよ」
「ええっとですね、授業内容の確認に」
 少年が小さく首を傾け、尋ねると疲れたように笑みを浮かべた。
「今日は珍しく早めにいらしてくれたんですね。いつもは時間がずれ込んでいるのに」
「ああっ、えっとそんなことより確認なんですけどって……わわ」
 慌てたような校長の台詞がどさり、と言う音と共に間の抜けた物に変わる。
「詳細です。一通り目を通してください」
 それだけ言って、席に座る。あらかじめ用意していたらしい。
「以上ですか?」
「以上です」
 何故か泣きそうな校長の言葉に、頷いた。 
 校長は縋りつかんばかりに少年に詰め寄って、ふるふると首を振り、
「本当に本当に以上なんですか?」
 やはり、何処かせっぱ詰まったように尋ねた。
「本当に本当にそれで以上です」
 レムは全く同じ言葉を紡いで小さく肯定する。
その様子を見ながら、空色の瞳を瞬かせ、少女を見る。
「クルト……」
「ん?」
 幼なじみの少年の言葉に小さく「何?」と視線で返すと、
「レム先生って律儀だね」
 何処か呆然としたような口調で、小さく微笑んだ。
「あたしもそう思う」
 感心したようなルフィの言葉に、クルトは呆れ混じりに頷いた。
(律儀というか端で見ていると現実味が無いというか、異様だわ)
 必死にも見える校長に無感動で頷くレムの姿は浮いていると言えば浮いている。
 もしくは逆か。 
「ホントに本当のホントなんですか?」
「ホントに本当のホントです。校長先生、僕の話が信用に値しないと?」
 いい加減疲れてきたのだろう。疲れた嘆息一つして、睨み付ける。
 一字一句同じように告げる様は律儀と言うよりも几帳面だ。
「いえいえ、そぉじゃ無いんですけど〜」
両手の指を合わせ、視線を彷徨わせながら先ほど下ってきた階段を気にするように横目でチラチラと眺める。
 次の授業の用意をしながら校長を見ずに告げた。
「これで用事はお済みですね。それでは退室して頂けませんか」
「うぅ……あの、本当に何にもないんですか。隠し立ててたりしないんですか」
 ひし、としがみつくような目でレムの袖を掴む。
「ありません」
 手を振り払うと校長は「冷たい」と言いながら何処からかハンカチを取り出し、わざとらしく悲しんだ。
 あまりにしつこいその姿に、クルトが疑問符を浮かべる。
 水の入ったカップを傾けながらぱちくりと瞳を瞬かせ、
「どうしたのよ校長。なんか帰りたくないみたいだけど」
「そう言うわけでは……そうそう。クルト君お茶でも飲みたくないですか?」
 尋ねられた言葉に苦笑気味の笑顔で返答しようとし、途中でぽんと手を打って少女を見た。
「今水飲んでる」
 手に持ったカップを見せるように差し出しふるふると首を振る。
「ケーキとか」
「昼食済んだからお腹一杯」
 大分減ったランチボックスの中身を指さす。
「パフェとか」
「む……それはそれでかなり誘惑というか心動かされる物があるけど」
 そこで一旦止まり、眉を寄せる。
 流石に好物をあげられると悩むらしい。
「じゃあすぐにでも」
 少女の手を取ろうとした校長をレムは一瞥し、
「仮にも校長が教師の目の前で生徒を誘わないでください。しかも、もうすぐ授業です」
 仮の部分を強調し、校長の手の中にある資料を軽く叩く。
「レム君それはこの間「仮」とかいった僕への仕返しなんでしょうか」
「いえ、気のせいです」 
 寂しげに見つめられ、即答する。
 ただならぬ雰囲気、と言うよりも殺気にも似た空気を感じ取ったか、
「ううー。レムの目が怖いよー。
 てことであたしパス」
 片手をあげて早々に少女はリタイアした。
「ええっ、良いじゃないですか。一日くらい」
校長の物とは思えぬ台詞。いい加減にしてください、とレムが口を開き掛ける前に静かな言葉が割ってはいった。 
「校長。ご用がお済みでしたら早急に次へ参りましょう」
「う……っ」
 ひく、とあからさまに校長の笑みが引きつった。
 いつの間に階段から下りてきたのか、青年の背後には黒いスーツに身を包んだ一人の美女。知性を宿すその瞳は、何処か冷たい。
 頬杖をつき、クルトが面白そうに紫の瞳を細める。
「もしかして校長。リン先生が怖いから引き延ばしていたとか?」
「……クルト君」
 浮つき気味だった校長の台詞が、泉のような冷ややかさを帯びる。
「何?」
 静かな青年の言葉に、満面の笑みを浮かべながら首をかしげた。
「か弱い校長せんせーを虐めて楽しいですか?」
 先ほどの言葉は図星らしい。口調に情けなさをたっぷり上乗せし、酷く悲しそうに少女を見つめる。
 この場合、違うそんなこと無い。と言うのが普通だろう。
「うん、とっても」
 だが敢えてクルトは満面の笑みで返答した。
 滅多にからかえない校長をからかうチャンス。この機会を逃すはずもない。
 うぐうぐと口の中で言いながら校長が悲しむ。そんな少女を意地が悪いと思いつつも誰も助け船は出さないので同類である。
「それでは校長。用件がお済みですね」
「いえ全然。ねえレム君」
 目で「合わせて下さい」と言うも、レムに通じるはずもなく、
「とっくに終わってます」
 嫌がっていると分かっていて頷いた。
「ああ、そんなレム君薄情なっ」
「それでは次の打ち合わせに参りましょう」
 小さく頷き、リンが校長を見る。
「そんなこと言われましても。リン君僕は昨日から休み無しですよ。というか今日ずっと会議ですけど」
「ええ。会議が入っていますから」
 至極真面目にリンが告げた。校長は軽く手を打ち合わせ、
「ああ、それもそうですねぇ……じゃなくて、お茶くらい飲ませてくれても良いじゃありませんか〜」
 恨めしそうに彼女を眺める。
「会議中お茶位は頂けるかと。品質に問題はないと思われますが」
「またまたそれもそうですねぇ。って、ですから違うんです。僕が欲しいのはゆとりのある語らいとか落ち着ける空間とか」
 納得したように頷きかけ、何処かずれたリンの言葉に頭を振る。
 彼女は整った顔をぴくりとも動かさず、
「理解できません。時間があまりありませんので参りましょう」
「休ませてください〜」
「時間が空きましたら考慮に入れます」
 根を上げる校長に冷たく一言。容赦がない。
「助けてください。誰かー」
 悲鳴をこぼすが、助ける者は勿論居ない。虚しく部屋にこだまする。
「それでは参りましょう」
 首根っこを掴むように校長の肩の部分を掴み、階段へ向かう。
 抵抗する気が起きないのか、無駄だと悟っているのか。何処か達観した表情で、
「うう、僕の意見とか聞いてくれても……ああああ、ちょっとま」
 「あ〜れ〜」と情けない声を上げながら校長はリンに連れ去られていった。
 クルトを抜かし、全員が呆然とそれを見守る。少女は頬杖をつきながら、
「まあ、アレよね。リン先生が何かと聞かれて答えるなら」
 天井を眺めて言葉を句切る。誰も口を挟まない。
 外に出たのだろう。ぱたん、と扉が閉まる音が聞こえた。
「唯一の。校長の弱みって奴かしら」
 少し疲れたように呟く言葉に、
「言えてる」
 レムは小さく同意した。周りからも肯定の溜め息。
(まあ、取り敢えず。急な受け持ち変更が減ることだけは確かかな)
そう思いながらクルトのランチボックスから、チェリーを一つ口に運んだ。
 甘酸っぱい果汁が口内で弾けるのと、「あう」と言う少女の呻きがあがるのは同時。
 抗議の視線に瞳を細め、部屋の使用料、と素っ気なく呟く。
 少女はぷう、と頬をふくらませた後、諦めたように残ったチェリーを口に含む。 
無心で食べ続ける姿を横目で眺め、レムは気が付かれぬようくすりと小さく笑みを浮かべた。


《一つの弱み/終わり》




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