一つの弱み-1





 詰まらない授業の詰まらない結果を記す。
「ふう」
 吐息混じりにペンを止める。
 まとめ上げた結果は、もう親指の長さ程のぶ厚さになっていた。
 それら全てを軽く持ち上げて机に立て、揺らしながら丁寧に重ね合わせる。
 一番詰まらないのは、押しつけられた授業の数。
 元々の受け持ちよりも、三つは増やされた。
 確かに、自分の能力を考えれば難しくはないのだが、何か釈然としないモノを感じる。
 肩に掛かっていた蒼い尻尾髪を軽く後ろへ流し、
「後は、校長センセイにコレを見せるだけ、か」
 ―――レム・カミエル。
 最後に自分のサインを入れる。
 自分の立場を考えれば仕方がない。
 学園の地下に居住出来るどころか、更に教師としても雇って貰えているのだから。
そう自分を納得させ、レムは今出来たばかりの書類を持ち、研究所を後にした。


 階段を上がり、視線を廊下へ向ける。
朝早い為か、人の姿は見あたらない。
 ひんやりとした冷たい空気が窓の隙間から肌を撫でる。
「……静かだね」
 昼間とは違う様相に小さく零す。
 恐らく水滴の音ですら甲高く耳を打つだろう。靴音が嫌に大きく反響する。
 まるで、別の場所…
 呟き掛けた言葉は口の中で砕けた。静かに歩みを止める。
 ぴくり、と白い獣毛に覆われた彼の犬の様な耳が動く。
 窓辺に立った彫像のようなシルエット。それが微かに揺れたからだ。
 ―――人?
 音も、気配も全く気が付かなかった。
 人の事を言えず、自分も少々平和ボケしているのかもしれない。
 そんな事を思いながらレムは近づいた。
 話す気も無かった。ただの通り道。
 そこに人がいるだけの話。  
蒼い瞳がこちらを向く。
 柔らかなブロンドをアップにし、ピンで留めている。
 フォーマルな黒いスーツ。
 唇に引かれた赤いルージュが白い肌に相まって一際目立つ。
 知性を感じさせる蒼の瞳は、外観の美麗さに勝るとも劣らない。
 一般、いや…都会で言う出来る女性。そんな格好だ。
「――あの」 
 静かだが、はっきりと耳に入る声。
 呼び止められ、思わず足を止める。
「何ですか?」
 いつもなら無視をする所だが、返答した。
 美人だから、と言う理由ではない。
 顔の造形は彼にとって余り価値はない。
 ただ、気になった事があるとすれば……
 彼女が『常識を持った一般人』らしき人物だった。それだけである。
「校長室は……何処ですか?」
 関係者なのか、そう尋ねてくる。
 だが、彼女の顔を見た覚えはない。
 こちらの沈黙を不審と取ったか、
「校長室の場所。前はこの辺りでしたから」
 そう付け足してきた言葉に、納得したようにレムは頷く。
「ああ。前の所は狭くなったので場所を移動したんです」
 大分前の話だが、彼女がいる場所の前には校長室があった。
 恐らく無くなっていた為に途方に暮れていたのだろう。
「……僕はこれから校長室に向かうので」
「有り難う御座います」
 言った言葉に形式どおりとも言える綺麗なお辞儀をする。 
彼女を案内するのに特別な意味はない。
 何となく気が向いた。それだけ。
 そう、それだけだ……
 後ろから響くヒールの音に、レムは小さく胸中で自分に言い聞かせる様に呟いた。

 




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