図書室の主






「えっと……この本はこっちだったっけ? あれ、あ。あっちだった」 
 紺色のローブの裾をはためかせ、ほこりの積もった本を持ってその場を往復する。
 抱え上げ、降ろす。そんな単調な動作が続いている。
 カラ…
 その後ろの出口の扉が静かに開かれた。
「ん〜…居た居た♪」
足音を忍ばせ入ってきた少女の瞳が僅かに細められた。
後ろ手で同じように静かに扉を閉め、そっと少年の後ろに忍び寄る。
悪戯をする前の猫のような表情で目を細め、絹のように細い空色の髪に標準を合わせた。
少し手を上に上げ、そろりそろりと近寄っていく。
「これは此処かな。うん、間違いない」
 忙しいのか、後ろの気配には全然気がついた様子はない。
納得するように頷き、本を丁寧に一冊ずつ確認している。
(せぇ…の)
少女はギリギリの距離まで近寄って、一気に跳躍した。
「とおっ」
ガバッとあまり自分と変わらない背丈の少年の華奢な肩口に腕を絡める。
「うわっ!? ぅ…わ、わ、わ、わ……」
彼女のタックル…いや、もとい抱きつきを受けて身体が傾く。
 手を広げてバランスを取ろうにも手に持った本が邪魔でそれは出来ない。
 それに気が向く余裕もまた、無い。
 グラグラと暴れるように傾き始める本を、全身を使って何とかなだめる。
「ルフィみーっけ」
笑みを含んだ調子で少女はそう言って、実に楽しそうにグイッと抱きついた。
「ク、ク…クルト!? ぅわわ」
驚きと困惑と恥ずかしさの入り混じった悲鳴。
 それもすぐさま焦りの入った悲鳴に取って代わった。
 胸元より上にまで積まれ、抱えられていた本が落ちかけている。
先ほどまでは何とかバランスを保っていたが、今一瞬注意がそれた拍子にその均衡はあっさり崩れた。
ルフィの努力も虚しく重い音をたてて本が落ちる。
 そこでようやくクルトも今の自分の行動がまずかった事を知った。
「ぁ……お、落ちちゃった。あ、あはは」
取りあえず指で自分の頬を掻き、「失敗失敗」というようにから笑いをする。
「ク〜ル〜ト〜ぉ?」
 しばらく地面を眺めて居たルフィは、少し恨みがましそうな目で振り向いた。
 顔は真っ赤だ。瞳は羞恥と先ほどの驚きで揺れている。
 クルトはバツの悪そうな顔で頭を掻いた。
「あっ、あははははは。ご、ごめん〜」
「ゴメンじゃないよっ。どうしていきなり飛びついてくる……あ、御免なさい」
 頬をふくらませ、クルトの方を振り向くような形のまま抗議し掛けた彼の言葉が途中で変わる。
「だっ…あ、済みませんー。図書館では…静かにです、ね。ハイ」
ルフィに反論しようとして、辺りを見たクルトは少年と同じくすぐさま謝った。
 辺りから殺気のようなモノが漂っている。
 無論。図書室で静かに本を読んでいた観覧者達の抗議の視線だ。
 二人引きつった顔で慌ててペコペコとお辞儀をする。
『大体どうして何時もいきなり飛びついてくるんだよ…僕の身にもなってよ』
『だから、それが楽しいんじゃな―――いや、コミュニケーションよ』

「……ど、どういうコミニケーションなんだよッ!!」

声を潜めていたルフィだったが、クルトの珍答に真っ赤になって叫ぶ。

「だから、そういうコミニケーションでしょ」

 負けじと声を張り上げ、少女も悪びれずに答えた。
 その後ろから穏やかな少年の声が掛かった。
「お二人が仲が良いのは分かりましたけど、図書室ではお静かにして頂けませんか?」
 振り向くと、眼鏡を掛けた少年が少し苦笑気味の笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「え…っ。あ、ご、御免なさい」
「あ」
 ルフィは申し訳なさそうに謝り、クルトは「マズイ」というように小さく声をあげる。
「図書室ではお静かに願います」
 穏やかな笑みでもう一度言葉を紡ぐ。
 肩の方で切りそろえている深緑色の髪の毛がサラリと揺れた。
「ご、御免。ケリー…
 いきなり襲いかかったあたしが悪いのよ」
「え、えっと、気が付かなくて大声だしたの僕だから。僕が悪かったんだ」
 手を合わせ、謝るクルトの言葉の横からルフィが訂正を入れる。
「…………」
「いーえ。あたしがわるかったの」
「ううん。僕だよ」
「いえ、もうどちらでも構いませんから。怒りませんし」
頑として譲らない二人を見、ケリーは深々と嘆息した。
「そ、そう?」
「ええ。下手に追及したらまた騒がしくなりそうですから」
 ホッとしたように尋ねるクルトに、苦笑気味に言葉を返した。
『あ』
そこでようやく――――
 二人は周りから突き刺さる濃い殺気に気が付いたのだった。


先ほどの場所から少し離れ、人気のない場所で三人は一息を付いた。
 勿論ルフィの作業は中断。
 さっきまでいた場所は資料類が多かったので観覧者が多かった。
 しかし、此処なら滅多に使わない本しかないのであまり邪魔にはならないだろう。
 流石に叫べば同じだが。
「ホントに御免ね。いや、ルフィを見てたら、ついついからかいたくなるのよね」
「クルト〜」
 えへへーと、悪びれないクルトの言葉にルフィが脱力する。
「そうなんですか……。でも程ほどにして下さいね。
 あ、兄と弟は元気ですか?」
「あははーって、元気よ。一緒に暮らしてるんだから聞くまでもないでしょ」
 ケリーの言葉に片手で頭を掻き、軽く肩をすくめた後、不思議そうに首をかしげた。
「そうなんですけど、皆さんにご迷惑を掛けていないか気になって」
 小さく笑って言うその言葉に、ルフィは少し考えた後、答えた。
「え…と。別に今日は普通にしてたみたいだよ」
「そうですか……」
「心配なのは分かるけど、いくらなんでも毎日大騒ぎするわけでもないでしょ。大丈夫よ」
「そ…」
「マルクーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「あ、やっば…見つかっちゃったーッ」
 それもそうですね。と言いかけたケリーの言葉が、扉を力任せに開けるけたたましい音と、
それを上回る怒声と悲鳴によってかき消された。
「とか思ったんだけど。あたしが甘かったわね」
「あはは。そうだね」
 半眼になって呻く少女の言葉に、ルフィは困ったように眉を寄せて、小さく笑った。
隣で深々とケリーが嘆息するのが見える。
「またこんな所に隠れやがってッ」
「スレイ兄ちゃんがしつこいだけだもんっ。いい加減諦めてよー」
「よりにもよって此処に隠れるなッ。ケリーに見つかったらヤバイだろ」
「よりによって、此処で叫ぶ兄ちゃんよりマシだもん」
スレイによって襟首を掴み上げられたのだろう、ジタバタと藻掻く音が聞こえる。
 継いで口論。
 覗いてみると、やはり想像通りの光景が広がっていた。
 黒髪の少年が開いた片手を腰にあて、もう片方の手で小さな少年の首根っこを、猫のように掴み上げている。
 それから逃れようとするように新緑色の髪を持った少年がジタバタと地に着いていない足を動かしていた。
 二人の口論の合間に見えるのは、とがった八重歯だ。
「マルク。ケリーに見つかんねーウチに行くぞ」
「…………」
 片手を腰に当てたままマルクを睨む。
 僅かに怒気の混じったその言葉に反応せず、少年は黙したまま何処か遠くを見ていた。
「ん? どした」
 流石におかしいと思ったのか眉を寄せ、尋ねる。
それには答えず、マルクは小さく口を開いた。
「僕、もう遅いと思うよ」
「え?」
 僅かに引きつった声で聞き返そうとした言葉は、後から掛かった声で遮られた。
「そうですね。もう、遅いと思いますよ。僕も」
 ケリーが後ろで穏やかに微笑み、人差し指で軽く眼鏡のズレを直した。
「うげ……ケリー。居たのか」
「居ましたよ。先ほどから」
 心底嫌そうな表情のスレイとは対照的に、ケリーは怖いほど落ち着いた調子で頷いた。
 マルクは驚いた声をあげるスレイを呆れたように見、
「…………兄ちゃん気が付くの遅すぎだよ」
やれやれ、とでも言うように「ふぅ…」と嘆息する。
「兄さん。図書室で大騒ぎしないで下さい」
「いや、悪ぃ」
 穏やかな声音で注意を促され、スレイはバツの悪そうな顔をした。
 あまり似ていない三人だが、一応全員バスタードの名前を持っていた。
 学園では『バスタード三兄弟』と、面倒なので一纏めセットにされていたりする。
「それから、マルクも大人しくしないと駄目でしょう?」
「ご、御免なさい…。ケリー兄ちゃん」
スレイに対しての態度は何処へやら。ケリーにそう促され、マルクはシュンとすまなそうに肩を落とした。
ウルウルとエメラルドグリーンの瞳が揺れている。
 かなり雲泥の差のある反応だ。どうやら兄は兄でもスレイとケリーは別扱いらしい。
 スレイの方が一番年上だが。
 三人のやりとりを見ながら、クルトが納得いかなそうな顔をして呻いた。
「いつも思うんだけど。何であの三人、兄弟なのに全ッ然似てないのかしら」
「……さあ。あ、でも八重歯はちゃんと生えてるよ」
「八重歯以外共通点無いわね」
 首を少し傾けて答えるルフィに、半眼で呟く。
「え、えっと。……あ、髪の色。
 マルクはお母さん似でスレイはお父さん似だよね」
「んーと。そうね。それが何か関係有るの?」
「ほら、ケリーの髪は黒と緑を混ぜた色で、深緑色」
「あ、あのねぇ。絵の具じゃないんだから」
「だ、駄目かなぁ」
 困ったように首をかしげた後、
「あ、そうだクルト。絵の具で黒に緑を入れても黒になるだけだと思うよ」
 そう訂正を入れる。
「……いや、そっち系の修正はいいわ」
「そ、そう?」
「うん」
 二人の良く解らない会話の合間にも三人の話は続いている。
「良いですか、兄さん。
 幾ら肉親でも今度此処で大騒ぎしたら容赦なく追い出しますからね」
「おー…っていうか何でオレだけそういう事を言われるんだ?」
 ケリーに釘を刺されたスレイは、少し不満顔で頬をふくらませた。
 それを見、相変わらずの穏やかな笑みのままケリーはキッパリと言い切った。
「勿論。一番騒ぎそうなのが兄さんだからです」
「そうだねー。兄ちゃんの声って響くし。この間なんかガラスが割れたんだよ」
 それにマルクも同意する。
 更に容赦なくケリーからの言葉は続く。
「器物破損は此処でしないで下さいね兄さん」
 ぷち。
 穏やかな微笑みのまま向けられた言葉に流石の…いや、元々堪忍袋の緒が薄いと言えるスレイは切れた。
「おーーまーーーーーえーーーーーらーーーーなーーーーーーーーーっ」
 引きつった顔で肺から絞り出すような低いうめき声を上げた。 
 ビリビリと周りの空気が振動し、クルト達の鼓膜を震わせる。
 綺麗に陳列されてあった本がカタカタと音をたてて倒れた。
「…………」
「あららー…兄ちゃん。僕知らないからねー」
 何処か怪奇現象のようなその光景を見ながら、マルクは口元に手を当てて目をパチクリさせた。
 その隣でケリーは変わらぬ穏やかな表情で、
「兄さん。兄さんの肺活量のすごさは分かりました。
 でも、【今度此処で大騒ぎしたら容赦なく追い出しますからね】と、
 僕が言ったのは聞こえてました?」
 そう尋ねる。
 一瞬虚を突かれたスレイは呻くのを止め、首をかしげた。
「……あー……聞こえてた様な。聞こえてなかったようなー」
「どっちですか?」
「あー…と。き、聞こえてた」
 ケリーの言葉にポリポリと頬を掻き、引きつった笑みを浮かべる。
「そうですか」
「…………」
 ニッコリ微笑むケリーに何となくうすら寒い物を感じて、スレイは一歩後ずさった。
 どうやらその予感はあながち外れていなかったらしく、
「それでは。約束通りに容赦なく追い出したいと思います」
 ケリーはそう言うやいなや片手を掲げ、詠唱に入り始めた。
「ちょ、待てっ。いや、容赦なく追い出さなくてもマルク連れたらすぐにでて行くって!
 つーか約束なんてしてねーしッ」
「兄さん。この場合問答無用という事で」
 色々と言っている間に十分魔力を高め終わったらしい。
 魔力を感じ取れるクルト達には、彼の片手から魔力のうねるような波動が伝わってくる。 後は放つだけだ。
 それを感じたクルトとルフィは数歩後ずさる。マルクも同じように後ずさった。
「おい待て。お前らだけ避難するんじゃねーよ。
 あ、マルクお前までッ。
 っていうか何時の間に後ろの窓開いたんだケリー!」
 後退して、壁に当たった背中越しに開いた窓を感じ、思わずそう叫ぶ。
 恐怖に引きつった顔はケリーの手に集められた呪力による物か、それとも変わらぬ弟の微笑みのせいか。
「兄さん。もう充分五月蠅いのでご退場して下さいね」
 ギャーギャーと騒ぎ始めたスレイを見、ケリーは魔力を高めた腕から呪力を解き放った。
『烈風!』 
 深緑色の髪がなぶられ、乱れる。
薄い翡翠色の軌跡を描き、スレイを窓の外へ容赦無く吹き飛ばす。
 悲鳴も上げる間もなく、少年の姿は見えなくなった。
 そう。宣言通り容赦なく追い出した。
「ケリー兄ちゃんって過激ー」
 それを見ながら、マルクが他人事のような口調で窓から空を仰いだ。
クルトとルフィは引きつった笑みを浮かべてそれを見ている。
 図書室で騒ぐ者には、ケリーの対応は毎度の事ながら容赦がない。
 実の肉親でも他人でも。
 先ほどの魔法はクルトのよく使う広範囲方の風系列呪文と酷似している。
 元の魔法は辺りの物を巻き込みながら遠くへ投げ飛ばすという、極めて危険な物だが、
 目標だけをはじき飛ばすようにケリーが制御を加えているため、殺傷力は無いに等しい。
 要するに、「ただ人を外にはじき飛ばすためだけの魔法」と言っても過言ではないだろう。
「これでしばらくは静かですね」
 そういってケリーは穏やかに微笑んで、手櫛で乱れた髪を軽く整えた。
 世間的には静かにした、とも言う。
 クルトは頷き、
「そうね」
 と、薄情にも同意する。
「……静かにしたの間違いなんじゃないかな……え、あ。何でもないです」
 眉をひそめ、何か言いかけたルフィだったが、ケリーに微笑まれ口を閉ざした。
 少女はなにやら納得したように、うんうん頷き、
「図書室の主(ヌシ)には逆らったら駄目なのよね」
 人差し指を立て、こういった。
「主って誰ですか?」
開いた窓を閉めながら首をかしげる彼に向かってクルトは小さくウィンクを送った。
「そりゃ勿論。アンタの事よ『ケリー』」
 それには無論。ソコにいた誰もが頷いたのだった。



 図書室での注意事項は『騒がない。走らない』
 一般的なマナーだが、みんながキチンと守るのは、図書室の主がマナー違反にはきつーい制裁を加えるから……
 というのが「図書室利用生徒」大多数の理由だったりするのである。
今日も眼鏡を掛けた図書室の主は、カウンターで貸し借り受付をスムーズにこなしている。




《図書室の主/終わり》  




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