突如として、背後から控えめな声が掛かった。
「あの……」
何時の間に立っていたのか、紺色のローブを着た少年が、恐る恐るといった感じでこちらを見ている。
「あ、ルフィ!」
「何か用? 今、補習の最中なんだけど」
嬉しそうな声をあげるクルトを余所に、『後にして』とばかりに視線を送る。
「でも、その……」
「何? ハッキリ言ってよ。時間が勿体ないから」
(成績は悪くないけど、彼は決断力に欠ける場合が多々あるね)
少年の煮え切らない態度を見てそんな事を考えながら、小さく嘆息する。
「あ、は…はい。もう遅いし……
そろそろ今日は切り上げた方が良いんじゃないかな…と…思うんです、けど」
レムの言葉に少し怯えたような表情を見せながらも、しどろもどろにそう告げる。
「……え? もうそんな時間なの」
「はい。外、暗くなってますよ。校門、そろそろ閉まると思うんですけど」
言われて窓を見ると成る程、少年の言うように辺りに藍色がかった空が広がり、僅かにある朱色の光を飲み込みつつあった。
肩をすくめ、静かに教科書を閉じる。
生徒を深夜に帰すのはモラルに反する事だ。
「仕方ないね。まだ半分も教えてなかったのに」
そう小さくひとりごちる。
クルトのノートを眺めていたルフィは、おもむろにページの片隅を指さし、
「……クルト。此処間違ってるよ?」
あっさりと告げる。
「ええっ? 嘘ーっ」
「此処が少し、ね?」
身を乗り出して尋ねるクルトに、小さく微笑みながら丁寧に場所を教えていく。
クルトはポンッと手を打ち、
「あ、本当だ。有り難うルフィ♪」
助かったというように満面の笑みになった。
ルフィが答える間際、
「ちょっと、あのね、人がせっかく黙っていたのに正解を教えないでくれる?」
半眼になったレムが険のある言葉を投げかけた。
「え……あ。ご、御免なさい」
レムの視線を受け、慌てたようにルフィが謝った。
それを見ながら、クルトが訝しげに尋ねる。
「そうだったの? 何で」
「全部教えたら勉強にならないでしょ。後々自分で気が付くと思ってたんだけど」
「レムって、意地悪いわよね」
当然、と言うようなレムに少女はウンザリした顔になる。
「……なんか言った?」
「いえ、なんでも」
レムの鋭い一瞥に力なく首を横に振り、クルトは引きつった笑みをみせた。
それを軽く見、ルフィに視線を移す。
「君、クルトに甘すぎるよ。全部教えたら意味がないでしょ」
「は、はい。わ、分かってはいるんですけど。つい」
ルフィは俯き、答える。
「だったら―――」
「あ〜〜お腹空いた!」
続けざまに言おうとした言葉は、少女の声によってかき消された。
「帰ろ帰ろ。レムもお疲れ様ー」
二の句も継げさせず、笑顔でソコまで一気に言い切る。
「…………お疲れ様」
僅かにペースを飲まれたレムに向かい、
「真っ暗ね。教師も大変よねー」
矢継ぎ早に言葉を続け、更にペースを乱す。
「いや、あのね…誰のせいで此処まで遅」
僅かにムッとしたような言葉を流し、
「あ、あたしが物覚え悪いせいか、あはは」
そう言ってカラ笑い。
「…………」
頭痛を堪えるようにレムがこめかみに指を当てる。
「えーっと……」
ルフィが、入っていけずに困ったような声をあげた。
諦めたようにレムは肩をすくめ、
「まあ、いいけど。明日、遅刻しないようにね」
「はーい。レム先生」
部屋中に響くような声で、元気よくクルトが返答する。レムは小さくと息を漏らし、
「返事「だけ」は良いんだけどね」
呆れたように首を振る。
「むう」
何か文句を言いたげに頬をふくらましたクルトだったが、思い当たる事が多いのか、追及するのは避けたようだった。
「じゃあ、さようなら、また明日。ほら、クルト」
少し雲行きの怪しくなった空気を振り払うように、ルフィは丁寧にお辞儀をしてクルトの肩をつつく。
「あ、そうね。じゃあ、また明日ね! レム」
「はいはい」
完全には生徒になりきれない彼女を見て、流すように答えた。
「うわー。やる気なさげな返答」
「帰るならかえりなよ。門が閉まっても知らないよ?」
レムの言葉に少女は大きく胸を張り、
「だーいじょうぶ。いざとなったら門を魔法で――」
「シルフィ・リフォルド君。この危険人物を放逐しないで早く持っていって」
皆まで言わさずクルトを指さし、ルフィに視線を向ける。
「え、あ…はい」
少年は頷き、彼女が文句を言う前に手を引いて部屋から出て行った。
「あ、何よそれ。ひど…ちょ、待ってよ。ルフィ、自分で歩くからぁぁぁ」
遠ざかる声を聞きながら、レムは教科書を軽く一つに纏めた。
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