菊のような花弁。名もわからない花は風にそよぐ。日光のせいか、睡眠不足か。
とろとろと煮詰められたシチューのように思考が定まらない。
ささやかに体を揺らすその花をぼんやりと見つめ、手を伸ばした。
「そのお花は手折っちゃ駄目なの」
舌足らずの声が指を止めた。幼さゆえのたどたどしい言葉遣い。
内に含んだ強い力はまどろんでいた思考を冷まさせるに充分だった。
「あ、ごめんなさい。綺麗だったから」
顔を上げて、苦笑が固まる。
鮮やかな紅と金糸で作られた鞠を両手の平で大事そうに抱えた少女が佇んでいた。
朱の着物に肩で切りそろえられた艶やかな黒髪。絵巻物から抜け出したような童。
黒い瞳は潤んで、伏せ目がちになっている。
「怒ってる?」
尋ねると少女は首を横に振った。
「お名前は」
「菊花」
淡々と答える。拒絶されているわけではないのか、逃げ出す気配はない。手元の鞠から冷えた鈴の音。
「そっか、お姉ちゃんは深春だよ」
警戒されないように、しゃがみ込んで微笑んで見せた。
「みはる?」
ぽつり、と言葉を漏らし、首を傾ける。
「うん、そうだ菊花ちゃん。お姉ちゃんと遊ぼうか」
「――うん」
深春の提案に、潜めがちだった声が少しだけ嬉し気になる。
「なにがいい?」
「鞠つき」
りん、と寂しい鈴の音が鳴る。
「……どうやるの?」
「こうだよ。教えてあげる」
大事に抱えていた鞠を持ち上げ、今度は花が開くような笑顔を見せた。寂しげな鈴の音が、明るく聞こえた。
「ねえ、おねえちゃん」
あかねが差し始めた道で少女が唇を開いたのは鞠つきから影踏みへ移行してしばらく経ったときだった。
「うん」
言いにくい事でもあるのか、紅葉のような小さな掌を絡ませて、俯く。
「明日も遊べる?」
「いいよ」
即答に、菊花は大きな瞳をことさらに大きく開き。何度か口の中で言葉を呟いて。
「じゃあ、明日、待ってる」
落ちていた鞠を拾って口元を隠す。金糸の織り込まれた鞠が夕日を受けて幻想的に輝く。
「うん」
深春が頷くと、菊花と名乗ったその子は、小さくはにかんだ。
朝露で濡れたアスファルトが黒く滲む。いくら時が経とうとも、あの女の子は現れない。
ふと向けた視線が昨日の花の場所に向く。
もぎ取られた茎が無惨に抉れ、アスファルトから剥き出しになった土が痛々しい。
「誰か、摘んじゃったんだ」
散った花弁のひとひらが、風に吹かれて手の中に収まった。
――もう会えないのかな。強風にあおられ舞う花びらを見つめ、深春は心の中で呟いた。
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