「血の臭いがする」


表紙  

 

 
  から……。グラスを揺らすと荒く割られた氷がぶつかり合い、澄んだ音を立てた。
 青年は口に付けるでもなく、ただグラスを見つめ続ける。
 体を動かすと、寄りかかった木製の椅子が鈍い軋みを漏らす。
 特別高いわけではないが、安いとも言えないボトルは半分も空けられていなかった。
 薄闇の中、ただ、油の切れかけたランプのか細い光を眺める。
 後ろから聞こえる微かな足音と、背もたれに手を掛けたのか、隣で椅子の軋む音。
「失礼。ここ、宜しいですか?」
 穏やかな声に振り向かず。僅かに顔を上げ、小さく『あぁ』と頷く。
 人の良さそうな笑みを浮かべた青年が会釈をしてゆったりと古ぼけた椅子に腰掛けた。
 椅子がぎし、と鈍い悲鳴を上げる。
 そこでようやく横を向く。
 派手な格好ではなく、小綺麗な身なりをした青年だった。短く揃えられた黒髪が清潔な印象を与える。
 黒を基調とした衣を纏った姿は、神父のようにも見えるが、酒場に堂々と来る神父も珍しい。全体の第一印象としては、黒い神父と言ったところか。
 とはいえ、金や銀の神父を見た覚えもない。服が似ているだけかもしれないな、と。内心で少し苦笑して、正面を向こうと視線を外しグラスを持つ手を替えた。
 他人の詮索をする悪趣味はない。油が残り少ないのか、チラチラと時折ランプの炎が揺れ、店内の影を不気味に歪める。
「貴方。血の臭いがしますね」
不意に。隣に掛けた人物は、雑談でもする口調で、小さく零す。視界の端で酒場の店主がそっと切れかけたランプに油を足すのが見える。
「外はとても美しいのに、微かにまとわりつく血の香水」 
 いわれた言葉に青年は口元をつり上げた。瞳に宿るのは怒りでもなく悲みでもなく、敵意でもない。
 何処かゾッとするような。背筋を氷らせる凄絶な笑み。
 金色にも思える双眸を細め、
「職業病だ」
 掌で弄んでいたグラスを置く。
「それに―――」
「はい?」
 静かな青年の声に、相手はどことなく楽しそうな顔で首を傾ける。
「お前も臭う。同業者だな」
「ええ。チェリオ・ビスタさん。魔剣士ですよ」
 ――貴方と同じ、ね。
 チェリオの言葉に人好きそうな微笑をたたえたまま、彼は答えた。

 

 


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