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あなたは恋人!

 

 

 


『別れた方が良い?』
 思っていた以上だった。たった数文字の言葉が私にもたらす衝撃は。
ひく、と喉が痙攣し。吐息が漏れた。
 嫌われた? 私、彼に。
 全てが崩れたみたいで平衡感覚が分からない。その場にへたり込みそうになる。
「なん、で?」
「聞いた。バレンタインは本命と、義理があるって」
 よりによってそれしか聞いてないの!?
「明日加、オレに無理して付き合ってるのかって。
 そう思ったら」
「そう思ったら別れるの?」
 歯の根が合わない。震える唇を引き結んで必死に冷静さを装う。
 そうしてないとどうにかなってしまいそうで、怖かった。
「…………明日加が別れたいなら」
 もう嫌だ。
「私が」
 なんでなの。
「私が、私がばっかり。レイの意見は。レイの言葉は。私優先なんてもう止めて」
 あなたの心が聞きたいのに。 
「明日加?」
 蒼い瞳が驚いたように私を見る。ようやくこちらを見た彼の顔は僅かに強張っていた。
「だって、だって……私ばっかりだから。私ばっかりでレイの本音わかんないよ」
「あ……」
 突かれたみたいに彼が言葉を飲み込んだ。言いすぎたかもしれない。
 けど、もう駄目だ。私は私を偽れない。
 この気持ちは軽く放れない。
「チョコレート、なかったら付き合えない? 
 バレンタインじゃなかったら私は、恋人、無理?」
 震える身体が情けなくて泣きたいけれど。なあなあで彼と付き合うなんて出来ないよハッキリさせないと駄目なんだ。私が駄目なんだ。
 疑心暗鬼はたくさんだもの。
 いったん言葉を切って息をつくと、彼が瞳を伏せた。
 ああ、終わった。
 呆れられたに決まってる。
「ごめん」
 彼が悲しそうに一言呟いた。完全に終わりだ涙すら出ない。
「……やっぱり」
 ぽつりと、小さく唇を開く。それ以上聞きたくないカットしたくなるブラインドよ降りろとも思う。
 だけど降板は無理。
 何故なら他ならない私が続きを促したんだ。
「オレ、酷いね。ごめん」
「どういう事」
 レイはいつも優しくて、私を邪険した事はない。でも、彼の目は罪悪感に溢れている。
「明日加を見てなかった。ずっと、遠くの過去を見てた」
「うん」
 ショックが無かったと言えば嘘になる。でも彼の本音が聞きたいと願ったのは紛れもない私だから、頷いて覚悟を決めた。
「ずっとずっと前、好きだった子がいて。忘れられなくて。
 あの日、その子と君が重なって見えた。だから」
 彼の目が私じゃない誰かを見ている。遠い遠い昔の誰か。
「うん」
「だから、君と付き合えば忘れられるかもって、思った。酷いね」
 わかったよ。だから口を開く。
「……今は?」
「…………え」
「昔のその子と。私、どっちを見てるの。やっぱり、私じゃ勝てない?」
「その子の事今でも好きだよ」
「……うん」
 顔を伏せると頭に柔らかく掌が乗せられた。
「でも、それ以上に目の前で喋ってる明日加が好きだよ」
 たとえそれが短い時間でも、そう言って微笑む。
 ドキドキが収まらないまま、私は胸元を押さえてぎこちなく首を縦に振った。
「あの、ね。私も……好きだよ」
 でも、昔のその子にちょっと嫉妬。そう告げるとレイは寂しそうに笑みを浮かべた。
「きっと忘れられてるよ。オレは嘘をついた酷い王子様だから。
『お迎えに来ました。愛しい私の姫』って、言ってもきっと答えて貰えない」
 彼の一言で。
 薄い氷にヒビが入ったみたいな曇りがちの私の記憶に。陽光が差し込んで溶けていく。
「…………嬉しい」
 ないまぜになった曖昧な記憶が一つになって、澄んだ冬空みたいに心が透き通る。
「明日加?」
 思い出したよ。
 不思議そうに首を傾ける彼の手の甲に指を触れさせる。
「ずっとずっとお待ちしておりました。共にいられるならば私は軽やかな羽になりましょう。
 一生共にいられるのならば葉の一枚にでもなって見せます。私の愛しい王子」
「……それ」
 驚いたままの彼の胸にそのまま崩れるように飛び込む。
「やっと覚えられたよ、れーちゃん。たくさん練習したんだからね」
 視界にモヤがかかって顔がよく見えないよ。鼻の奥がつんとする。
「あすかだ。やっぱり明日加はあすかだった」
「見つけた。私の段ボールの王子様!」
 お帰りなさい私の王子様。
「段ボ……」
 そっと頭を胸元にぶつけると、疑問を口にしようとしたレイが相好を崩す。
「会いたかった」と彼が呟いて抱きしめる腕に微かに力を込められた。
 少し苦しいけど暖かくて居心地が良い。
「明日加、聞いても良い?」
「うん」
「オレと明日加は……恋人かな」
 柔らかに尋ねる間にも彼の力が強くなるのが分かる。
 レイにとってはとても勇気が要る質問なんだろう。
「うん!」
 強く頷くと彼は破顔して、甘い微笑みを浮かべた。
 何度か指が頬を滑って、躊躇うように手が添えられる。
 公園で出会ったときとは違う、私だけを見てくれる蒼。冷たい髪の感触に今度は驚かず瞳を閉じた。
 遅れて貰った最高のバレンタインプレゼント。

 誰がなんと言おうと、私とレイは恋人なんだから。文句は言わせない。 

 今度はずっと一緒だよ、あすか。って囁かれて私は微笑み返してみせて。
 風が吹く屋上で、私達は暖かい身体を冷ますようにしばらく見つめ合ったまま佇んだ。

 

〈fin〉

 


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