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つきない疑問

 




 本音を言うと彼の事が分からない。
 どうして私を選んだか。どうしてこんなに優しいのか。
 ベッドの上で正座して、携帯の着信メールを眺め小さな溜息。
 原因はこの僅かなやり取りだ。

 デート場所 (アスカ) 「どこにいこうか」
 Re:デート場所 (レイ)「明日加の好きな場所に」
 そういわれても(アスカ)「映画館? 遊園地? ショッピング?」
 どこでも(レイ)「オレはどこでも楽しいよ。行きたい場所言って」

 一種の冗談かと思ったけど、どうも本気だったらしくこの後数度のやり取りによってようやく行き先が決定した。
 ここまで行くと優しいのかわざとなのか判別不可能。
 貴重な時間と休みを割いてくれてるんだからある程度の好意はあるんだろうと信じたい。

 でも考えてしまうんだ。 
 接点は、たった一度のチョコだから。
 
 どんな言葉を投げ掛けられても。
 「もしかしたら、私……からかわれてるのかな」と気持ちが揺れる。
 考えてはいけないんだろうけど、どうしても考えてしまう一言が心の隅で漂っていた。



              +−−−−−−+

 穏やかな雀らしき小鳥の鳴き声が鼓膜をつつき、頭が痛む。
 うう、寝不足だよ。
 額を抑えようとして掌の感触に気が付いた。携帯、握ったまま寝ちゃった。
 ギシ、と廊下で軋む音がして、ぼんやりした半覚醒の頭で身体を起こす。
「ねぇちゃん。ねぇちゃーん……ノックしたから開けるぞ」
 流石ゲームの達人と思わせる素早いノックがコンと鳴り。朝も早くから元気に顔を出す。
「ちょっ。朔夜(さくや)一度じゃ足りる訳ないでしょ!!」
 慌ててベッドから降りて文句を一つ。目がショボショボする。
私の方を見て朔夜は半眼になった。
 指先だけ動かして襟元を確認すると、パジャマのボタンが二つほど外れている。
 はめ直すと気を取り直したように頷き、
「起きないねぇちゃんが悪いじゃんよ」
 唇を尖らせる姿は姉弟とは思えないほどの違いがある。
 私がくるくるスプリングの天然パーマっ子に対し、弟はサラサラヘアーに大きな瞳。
 童顔なのか顔立ちが整っているのか、血の繋がりを疑うほどにやたらと可愛い。
 そんな私達が辛うじて同じと言えるのは髪の色くらいだ。
 朔夜がヨチヨチ歩きの頃手を繋いで散歩してたら親戚のおばさんが「どこの近所の子、可愛いわねえ」と朔夜の頭をなでなでした時はそこまで似てないのかとショックを隠せなかった。
 今は慣れたけど弟さん可愛いねとか言われると微妙に切ないのは変わらない。
「やり直しを要求します。ノックは二度以上っ」
 姉の権利を獲得する為に、寝間着姿のまま胸を張る。朔夜は何かを言おうとして口を開き。
「はいはいわかりましたよ。トントンと。これでい?」
 諦めたのか半開きにした扉の裏を三度ほどゆっくりノック。最初からそうすればいいのに。
「うん、良し。でもなくて答える前に勝手に部屋に入らないでって」
 幾ら血の繋がった弟とはいえ、曲がりなりにも女の子の部屋なのに。
「あーもーうっさいなぁ。今日出かけるとか何とか言ってただろ壁から聞こえたけど」
 苦情も気にせずに朔夜は部屋に入り込み、ベッドに腰掛ける。スプリングが鈍く軋んだ音。
 お小遣いを振り絞って買ったお気に入りの低反発クッションをお手玉代わりにする姿は非道以外の何者でもない。
「聞き耳立てるなんてサイア……今何時」
 クラッカーみたいに薄い壁も悪いけど、人の会話を聞くとは何事と憤慨しようとして。
 妙に辺りが明るい気がして首を傾ける。
 朔夜は「何を今更」て顔をして放り投げていたクッションをベッドに戻す。
「九時」
 くっ……九時!?
 振り下ろされた死に神の鎌にさああ、と血の気が引く音が聞こえた。
 あれ、時計セットしてなかっ、た? 
 確かに九を差す丸い時計。
 九は苦しみと苦悩の九、と現実逃避に走り掛けたが頭を振って眺めると、スイッチはOFFにされている。
 あああっ。いつものクセで明日休みだからって目覚まし掛けてなかった!
 恐るべし日常動作。
 そして携帯で悩むのに肝心の待ち合わせ時間設定を忘れた私も女の子の自覚が足りていない。
「待ち合わせ、いつなん?」
 ぱたぱたと両足を宙で振り、朔夜が尋ねてくる。良心でも咎めたのか全部の会話は聞いていなかったらしい。
「くじ……はん」
「どこで」
 絞り出した私の声に追撃。我が弟には遠慮とか容赦という文字が欠けている。
 寝坊した私がいけないのは分かってるけど。
「えきまえ」
 恐る恐る言葉を舌に載せる。正面にある完全にあきれかえった目が痛い。
「……走っても二十分は遅刻だなねぇちゃん」
 断言され、再度自分の立場を認識する。
 朔夜と話してる場合じゃなかった!!
「き、着替えー!!」
「タンスは逆方向だろ」
 ベッドに腰掛ける弟の声をBGMにしタンスを漁る。
 目星を付けていた服は分かりやすい場所に置き直してあったのが幸いした。
 これさえ来てバッグを用意して髪を整えて。どう考えても遅刻決定! 
 どうしようどうするああもう考える前に手を動かそう。
「朝ご飯は」
 あわただしく駆け回る姉の姿を見てもなおそんな事を聞いてくる。
「いらない時間無いッ」
 こっちはいろいろと半泣きだ。
「せっかく起こしに来たのに、はぁ」
「もう少し早く起こしてよ!?」
 涙声の私に朔夜は渋面になり、
「寝坊したそっちが悪い。しかも八つ当たりかよ。
 俺と話してて遅刻してもしーらないからな」
 両腕を頭の後ろで組んでツンと顔を背けた。
 うう、ごめん朔夜。果てしなく正論なので反論できない。
「うっわ!? 時間が」
「でも携帯に連絡くらい入ってないのか」
 走り回る姉が哀れに映ったのか、朔夜はぼそ、と助け船を出してくれる。
 文明の利器。それがあった!
 頷こうとして。「あっ」私は重大な事を思い出した。
「ん?」
 悲鳴みたいな短い呻きを聞きとがめ、朔夜は焦げ茶色の瞳を瞬く。
「夜、マナーモードにしたまんまだった」
 情けない私の声に。
「…………」
 返答代わりに部屋から出て行くと盛大な溜息と共に扉が閉じられた。
 う、うう。そんな反応酷い!



 玄関のマットに座り込み、ショルダーバッグを肩に掛けて靴をもたつきつつ履く。
「ち、遅刻っ」
 ああ叫び声が学校の登校みたいだよ。
「ねぇちゃんねぇちゃん」
 忙しい私とは正反対で弟の声はのんびりしている。今日は予定が空いているらしく暇そうだ。
 お姉ちゃんは忙しいんだから朔夜。
「な、何。こっちは急いでむぐ」
 文句を紡ごうと開いた唇に何かが突っ込まれる。
 大口を開けていたせいで危うく喉奥まで差し込まれるところだった。
「朝はカロリーちょっととっとけよ」
 口内に広がる濃厚なチーズの香り。育ち盛りの弟が冷蔵庫に常備しておいてる栄養摂取用のスティックバー。
「腹なったら恥ずかしいぞ」
 年下のクセして妙に気が効いている。それはそれとしてありがたく頂戴し、こくんと首を縦に振って。
「う。あひがほう〜いっへひまふ」
 回らない舌を動かして扉を開き外によろけ出る。
「いってらー」
 やる気のないエールを送られ、片手を上げて答えた。
「あ! ねぇちゃんちょい待ち」
 が、扉を閉じようとした辺りで慌てて呼び止められた。
「なひよ。急いれるって言っへ」
 文句を言おうとしても物を含んだ状態では上手く言葉にならない。
 弟は少し視線をずらし。
「靴下、裏になってる」
 気まずそうに私の足下を指さした。朔夜の視線に釣られるように、自然と俯く。
「…………」
 ほんとうだ。
 表裏逆になってる。
 更に過ぎゆく時間。どうしたら。
「玄関まで戻ってこい?」
「うン」
 自分の顔が情けなく歪むのが自覚できたが、こっくりと頷く。赤ん坊をあやすみたいな優しい弟の声が悲しかった。


 

 


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