バレンタインの恋人


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来たる2月21日

 

 

 

 

「お邪魔します」 
 しまった。彼を扉から通して、自分の浅はかさに気が付いた。
「お客だー、どうしたねぇちゃん壁に両手をついて」
 弟の声が遠くに聞こえる。
 秋月明日加一生に、何度か目の不覚。
 よりにもよって、今日は家族全員集合だった。レイが軟派だとは言わないけれど、厳格の二文字が当てはまるうちの父親と対面させてはマズイ。
 そ、そうだ。ここは私の部屋にかくまっ……だ、だめだめ。それはそれで血の雨が。
 じゃあ弟の部屋にかくまっ―
「チャイム押したしおおっぴらに言ったから無理だろ。観念観念。
 大丈夫、俺も二次被害をこうむったりするのもゴメンだし、命が惜しいから『男が出来たー』なんて口が裂けても言ったりしない」
「朔夜」
 首を縦に振るしかない指摘に涙を堪えて弟を見る。
「なんだよ」
 明らかに呆れの混じった眼差しと疲れた声。毎回毎回頼りなくてゴメンね、でも朔夜だけが頼りなの。
「お父さんを庭に連れ出すとか出来ないかな」
 恐る恐る頼んでみる。
「出来るか。やらせるなら時間と余裕を与えろ」
 現実はそんなに甘くなくて、薄い陽光みたいな希望は打ち砕かれた。
「ああ。だよねぇ」
「いらっしゃいませっ。あらっ」
 追い打ち気味にお母さんがぱたぱた足音を立てて寄ってくる。諦め、るしかない?
「こんばん…わ?」
 頭を傾けたままレイが止まる。軽く頷いて日本語は間違ってないと教えてみせると、彼はほっと息をついた。
 言葉の訛りも少しくらいで会話もそつなくこなすレイだが、長年の海外暮らしで一般常識と日本語がピンぼけ気味。
 それにつけ込んで彼の知り合いが何か色々言い含めて下さるらしいけど。とんだ大迷惑。なんて声を大にして文句を言えないのはそれが切っ掛けとなってレイとの関係が出来た事もある。
 バレンタインや玄関での勘違いだけではなく、先日『日本の伝統って巫女さんなんだよね』と輝く笑顔で尋ねられた私はとても返答に窮したもので。
 ……やっぱり明るい明日を考えてその人とはお話ししよう。
「まぁぁ。綺麗な金と蒼のコントラスト」
 お母さん、他の人とちょっと褒めるところが違う。
 確かに彼の容姿は柔らかな金髪とクリアな碧が相まって、とても目立つ。コントラストって、絵や写真じゃないんだから。
「……ええと。ありがとう、ございます?」
 珍しく困惑気味のレイ。視線で尋ねられても、私もどういう反応が良いのかは分からない。
「お茶」
 話し込む私達の向こうで低い声。あぁ、悪夢。
「あら、ご免なさいね。狭いところですけれどこちらの方に」
「お母さん!」
 思わず大きな声が出た。
「なぁに」
「お父さん疲れてるだろうから私達邪魔にならないところでひっそり」
「賛成」
 片手を上げて頷く朔夜。気が利くせいか、こんな所の理解も広くて助かる。
「あ。お構いなく」
 ほんわか微笑む彼の姿に周囲が思わず和み、会話に切れ目が生まれる。
「駄目よ明日加。お客様はちゃあんとおもてなししないと」
 するりと隙間に入り込み、にこにことお母さんが手を合わせた。
「そ、そう、だね。いや、でもね。ちょっと……あの」
 このままではペースを乗っ取られてしまう! 母に育てられて十数年な娘の私は直感した。
 同じく母に育てられた弟も良くない方向に傾く空気に眉をひそめ。
『父さん毛色違うの苦手だろうが』
 ぼそ、とお母さんの耳に一言。
「あらっ。そんな外見で見方を変えるなんて器の狭い男じゃないわよ、ねぇお父さん」
 驚いたようなお母さんの台詞で潜めた会話は気泡となる。こめかみに指を当て、嘆息する朔夜。うう、予想はしてたけど。
 子持ち美人と名高く、口うるさい弟すら黙らせるほどの天然ぶりを発揮する母に話を振られた我が父親は、レイの姿を眺めて一瞬肩を震わせ。
「あぁ」
 咳払いを新聞の音で誤魔化した。ソファのあるリビングで新聞を広げる和服姿が浮いている。お母さんは洋服で、髪も緩やかな線を描き。娘の私でも見事に対になっていると思うことしばしば。
「こんにちわ」
 丁寧に頭を下げるレイ。幸い今度は三つ指はつかないでくれた。
「…………」
 たとえるなら、置物のように無口な父親。にこにこと相変わらずの微笑みで彼は返事を待っている。「まあご丁寧に」お母さんも加わる。
 アロマテラピーならぬ天然リラクゼーション空間。
 ほんわりとした心地よさと会話による僅かな居心地の悪さに私と朔夜の顔が引きつり気味になる。
「あっ、そうだ」
 レイが何か気が付いたらしき声を上げた。私も心で呻き、胸中で両手の平を合わせた。変な事は思い出さないでくれますように。
「ちょっと失礼します」
 頭を下げ廊下に向かう。閉められた扉の向こうから聞こえるかさついた異音。不安がよぎる。
「お待たせしました」一礼して戻ってきた彼の姿を見て、一同が沈黙する。家に来たときと全く同じく山積みにされた紙袋達。
 ああやっぱり!
 私の知らない新たなファッションの開拓なんだろうかと現実逃避にもならない事を考える。 
「一部は置いてきて良かったんじゃ」
 なんとかかけた言葉は虚しく霧散。何故か両膝をついて彼がいきなり荷物を並べはじめた。
 しかも両親のそばで。ええ、と。なんてフォローすれば良いんだろう。どうしよう!?
 私の心の混乱を余所に、ガサガサ紙袋を漁り、長方形や正方形の箱を丁寧に置いていく。
 煎餅(せんべい)羊羹(ようかん)が収められているらしき木箱がたとえるならば――ピラミッド。正三角形へと形作られていく。 
 尊敬の念を抱いてしまうほどに整然と並べられた箱達。完成すると、彼はニコリと微笑んで『どうぞお納め下さい』と頭を下げた。
 重い、重たく冷たい沈黙が流れる。川面のような爽やかな重さでなく、梅雨時の倉庫の一角じみた湿った重み。
「あの、何をしてんのか聞いて良い……でしょうか?」 
 辛うじて敬語を保った朔夜の台詞にレイは弾けるような笑みを向け。
「挨拶をするときの習わしは、こうするのが礼儀だって聞いたから」
 言われてから眺めると確かに。ある形式を乗っ取った形の作法にも。けどそれって。
「時代劇かよ」
 我慢できなくなったらしき弟の呻き。本人は小声のつもりだったのだろうが、現在沈黙が続いている中では大きすぎる音。
「ジダイゲキ。あっ、そうだね。これって古式的な挨拶?」
 また沈黙する部屋。違和感に気が付いたか、レイの表情が曇る。
「……オレなにか間違えた?」
 こくこくこくと朔夜が頭を縦に振った。私も今回ばかりは一緒になって頷く。
 レイが何処か思い詰めたような顔になり。
「ヒレイを詫びて――」
「あ、うん。切腹はしなくて良いと思う」
 言おうとした台詞を弟が遮る。切腹!? それは確かに困る。いえ私がすごくイヤです。
「そ、そう。良かった。ええと、その……挨拶回りはヒレイです、か?」
「だ、大丈夫。ねえお母さん」
「ええ。ありがとう。でもこんなに沢山、うちになのかしら」
 山積みにされた贈り物を眺め、お母さんがほうと息をつく。
 まさかそんなわけ無い。
「ハイ」
 と私が苦笑して手を振る前にレイがにっこり答えた。
「少し、多くはないかね」
「多かったですね」
 皮肉げな父親の台詞に彼はマジメに首を縦に振る。
「昔のお礼もかねて出来る限り一杯持ってきたんですけど。ゴメイワクですか?」
「あら。昔? むかし……」
 口元に手を添え、お母さんが大きな瞳を丸くする。
「お世話になりましたのと、こちらの方に来た挨拶回りで」
「所で兄ちゃん」
 朔夜が気さくそうな雰囲気を装って声を掛ける。猫を五重ぐらい被っての笑み。
「うん」
 対するレイは天然無添加の笑みで迎え撃つ。
「う、ぐ。その、挨拶回りって家だけ?」
 とびきりの微笑みを向けられ、慣れているらしいはずの猫かぶりが微かに歪む。
「他は済ませてあるから、ここだけだよ。あっ。大変遅くなりまして申し訳ありません」
 丁寧に腰を折るレイを見て、
『つーか。それ、回ってない。挨拶回りとはいわねぇ』
 こぼした朔夜の目に疲労が混じる。手懐けた猫は何処かに散っていったようだ。 
「まあっ。れいちゃんね。大きくなって……覚えてるわ。ねえ」
 ぱん、とお母さんが手を打って笑みを浮かべる。
 えーっと。うちの家族と面識有ったかな。
 彼と幼少時にお隣さん同士だった事すらつい最近思い出したので自分の記憶に自信が持てない。
「……しかしハーフか」
 苦い顔で緑茶をすするお父さん。恐らく覚えているのだろう。
 差別的発言とも取れる父の呟きにレイはきょとん、と目を瞬き。
「ハーフ? あ、オレはクォーターです」
 のほほんと告げてくる。
「えっ。そうなの!? 純血かハーフかと思った」
 朔夜が正直な感想をのべる。私もそうだと思っていたけど。
「意外と日本人の血が混じってるんだよ」
 やんわり微笑む彼の髪はやっぱり金髪なので、言われた今も半信半疑になってしまう。
 そう考える私の髪も、天然のクルクルが酷くて色合いも茶に近く日本人離れしているけれど。正真正銘の純日本人。……先祖返りとかかな。
「それで、今日は帰るのかね――」
「あ、レイでかまいません」
「うむ」
 先程の一言で心証がかわったらしい。朔夜が『うわ、露骨』と言いたげな眼差しで父を見ている。私も同じ気分で目を向けている。
「そうね。久しぶりの再会を祝してお夕飯を一緒に食べましょう」
「俺はしらないけどな」
 息をついた朔夜が何処か拗ね気味。こればっかりはしょうがないから諦めて貰うしかない。
「おゆうはん。良いんですか?」
 控えめにお母さんを見上げるレイ。私なら即座に真っ赤になっているが、大人の余裕で笑顔添え、
「良いのよ。運の良い事に今日はたぁくさん買って来ちゃったんだから。そちらがよければ遠慮無く食べていって頂戴」
 柔らかく付け足した。
「あ、ハイ。家は今日誰も居ないから、すごく助かりますけど。良いんですか?」
 心配性の彼がなおも不安げに聞いてくるが、お母さんはにこやかな笑みを保ち。
「いいのいいの。ねえお父さん」
 ごく自然な素振りで父親に話を振る。流石お母さん。私と朔夜が怖くて出来ない事をあっさりと!
「む……」
 新聞を眺めていたお父さんは咳払い混じりに小さな声を漏らした。
 否定をしない辺り、良いらしい。
 意外。テレビを見るとき金髪の人が出ただけであんなにすぐにチャンネルを変えるのに。
 彼が昔の隣人という所も警戒が薄れている理由かな。
「ありがとうございます」
 にこにこ和やかな空気を振りまく姿は理屈抜きで何でも了承したくはなる。
「でも今日の晩は確か」
 何か言いたげな眼差しでお母さんを眺めたが、嬉しそうに見つめ返されて朔夜は一層顔をしかめる。
 なにやら抗議がしたいらしいが、アイコンタクトで通じるほどお母さんも私も鋭くはない。
「どうしたの朔夜」
 我が身の鈍さを痛感している為尋ねるが、弟は珍しく歯切れが悪い調子で『別に』と呟いてそっぽを向く。
 朔夜がこうした態度をとる場合、照れているのか言い出しにくいのかどっちかなのだろうが。うう、素直じゃない弟って扱いにくいなあ。
「明日加〜。お手伝いヨロシクね」
「う、うん」
 おっとりした声に私が頷くと、朔夜が慌てて台所に走り材料の入ったスーパーのビニール袋と包丁を確保。
 運動神経が良い弟の素早さに敵うはずもなく、指先すら触れられない。
「あ。駄目俺が手伝うー。ねぇちゃんは茶出し係で」
 手早く野菜を洗い、どう考えても私を拒んでいるとしか思えない早さでテキパキ動き回る。
 どういう意味朔夜。
「もう、朔夜ったら心配性ね。切るだけだから大丈夫よ」
「うん。切るだけだから全然大丈夫じゃないんだよ」
 ころころ笑うお母さんに朔夜はあからさまに渋い顔で首をゆっくり左右に振る。
 姉を姉とも思ってない発言。酷い。まな板すり下ろしたりはしないのに。
 赤茶の急須を眺め心の中で小さくぶうたれて、私は茶こしの中へ出来る限り丁寧に茶葉を落とした。

 

 


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