バレンタインの恋人


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来たる2月21日

 

 

「は、はい!?」
『あっ、あすか』
 慌てて取ると、最近は耳に馴染みはじめた彼の声。ええ、あれ? まだ五分くらいしか経ってないよ?
「レイ? え、えっと。あの」
『悪いんだけどチャイムが押しにくくて』
 受話器の向こうから聞こえるくぐもった台詞。
「は?」
 ちゃいむ?
『今下にいるよ』
「ええぇ!?」
 反射的に悲鳴が唇から漏れる。下ってなんで。
「うわっ。ねぇちゃんどうしたんだよ」
 朔夜が目を大きく見開く。お、落ち着け、落ち着くのよ。下って繁華街の事かもしれないじゃない。冷静に冷静に冷静に。
「どっ、どういう事なんでしょうか!?」
 絞り出した声は震えていて十歩譲っても冷静ではなかった。
『うん。あすかの家の前にいるから、あ。頑張れば押せそうだから頑張るよ』
「がんばんなくていいです! 何がどうしてそんな事になったの」
 今家族全員いるからインターホンなんて鳴らされた日にはどんな事になるか。
『前からご挨拶しないとって、思ってて。あすかの顔も見れるから今から来て、みた』
「何で声がこもってるのかききたいけど。あの、がんばったりして無いよね!?」
 ピンポーン。
 私の質問に部屋まで聞こえたチャイムが答えた。さぁっと血の気が引く。
「あ。誰か来たな。まあ、母さんが出るだろ」
 いつもなら「そうだね」と軽く答えるところだが。立ち上がって扉に駆け寄り、乱暴に開く。
「おいねぇちゃんどうし――」
 弟の疑問に答えずにドアを閉め。階段に躓きそうになりながら転げ落ちるように階下を目指す。
「はいはーい。どちら様」
「待って! わた、わっ……私が、でるから、休んで、て」
 のんきな声を上げながらお母さんが出ようとしているところを引き留める。
「どうしたの明日加。息が切れてるわよ。あと、階段を駆け下りちゃ駄目でしょう」
 怪訝そうに柳眉を潜ませるお母さんの背を両手で押し、笑ってみせる。鏡を見なくても分かるほど引きつってるだろう笑みで。
「うん。ゴメンあのね今日は私が出たい気分で。ほらほら、お父さんと二人でお茶でも飲んでいて!!」
 飲んでて下さいお願いします。祈りを込めて扉の向こうに追いやると、お母さんは不満そうに扉を閉めて引っ込んだ。
 安堵の息を吐こうとして、
『あすか。もう一回押してみて――』
 耳奥に突き刺さった声に息を飲み込む。
 わっ、まだ切ってなかったっけ。もう一度押す!?
「押さなくて良いから。今開けるからちょっとそこで停止。お願い押さなくて良いですから!」
 二度目のインターホンに向かっているであろう彼の指を押しとどめるべく頼み込む。
『ウン』
 レイは素直に返事をして、携帯を切った。弟みたいにひねくれてないのがとてもありがたい。 
「ど、どうぞ」
 声をかけ、ノブを回して引く。
「ねぇちゃんなんだよ突然。誰か来たのか?」
 朔夜。どうしてそうタイミングが悪いのかな。
「あっ。こんにち、こんばんわ?」
 首を傾けたらしいレイの台詞。だけど顔は見えない。
「うお!?」
 無言で硬直する私のかわりに、普段無口な弟が呻く。箱山がゆらゆらと揺れている。
「あの、確認良いかな。レイ、だよね?」
 彼女としてはとても失礼だとは思うけど、一応聞いた。
 なにしろ両腕に袋の紐をアクセサリーみたいに通して、顔が隠れる程に積まれた紙袋。転倒すれば様々な意味で大惨事。
「うん。ちょっと扉が開けなくて困ってたんだ」
 小さく彼が笑うのが分かる。確かにそれでは扉も開けないよ。佇み続ける彼を救うべく、静かにサンダルを履き。つつ、と視界の範疇まで移動して指先でちょんと玄関マットを示す。
 しばらく意図が掴めなかったらしく、ぱちくりと瞳を瞬いて。私が荷物を持とうと手を差し出すと理解したのか、積み木の山の一部を移すようにゆっくりと荷物を玄関の端に着地させ、レイは小さく安堵の息をつく。
 ありがとう、と微笑まれたが引きつった愛想笑いしか返せない。
 すごいバランス感覚だねと褒めた方が良いのか、電話くれれば手伝ったのにと言った方が良いのか分からずに言葉を濁していると、
「すげ金髪美形ッ」
 固まっていた朔夜があからさまな台詞を発した。否定はしないけれど朔夜、もう少し遠慮とか包んだ言い口とか無いのかな。
「こんばんわ?」
 金髪碧眼のレイに首を傾けられ、弟の顔が少し強張る。『んー』と、しばし唇を摺り合わせ、
「Good Evening...」
 何だか妙に流暢な単語を吐き出す。お姉ちゃんの私より上手い。敗北感。
「と、ペラペラっぽいな。こんばんわ……てか誰?」
「あ、オレはあ――」
「どうぞ玄関で話をせずに上がっていって!」
 穏やかだが爆弾発言の多いレイの言葉を遮り、無理矢理引き出した笑顔で手を合わせる。このまま話し続けさせると致命的な単語が出かねない。
 ああけど、家に上げるのもそれはそれで危険? 
 にっこり微笑んで「ええと」と玄関マットの上で跪き、丁寧に三つ指をつく姿には何を言っても無駄。いや。
「ちょっ何してるの!?」
「上がるときのご挨拶を」
「いや、それ洋式のうちの玄関じゃ似合わない。むしろ畳で」
「朔夜。取り敢えず普通に上がって下さい。本当にお願いします」
 要らない知恵を埋め込もうとする朔夜を手で制し、何度目とも知れない懇願の声を上げた。
 本当にお願いしますレイというより、その知識を埋め込んだであろうレイの知人さん。
「うん?」
 無邪気に不思議そうに頷く彼。ああもういろんな意味で泣ける。
「ねえちゃんの友達、なのか」
 朔夜が薄く目蓋を落としてこっちをうさんくさげに眺めてくる。レイは蒼い瞳を不思議そうに瞬いて、私へ視線を移す。
「ともだち?」
 聞かないで下さい。
 釣られるように私も横を見て。
「お母さんー。同級生来たからお茶出してー」
 聞こえなかったふりをしキッチンへ向かい声を上げた。
 弟の「どうなんだよ」という台詞も耳を素通りしていったのは当然の事だよね。
 グルグル回ってすり切れそうな思考回路を冷却するべく、リビングに続く冷たいドアノブを強く握りしめた。

 

 


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