バレンタインから数日経った今は二月二十一日。私には彼氏が居る。
点滅した携帯のランプに胸を躍らせ、わくわくした気持ちのままメールを開く。
題名は「あのね」
「今日も明日加に会えたからとっても楽しかった。
君に会えるのが楽しみだよ。早く明日にならないかな。今日も明日加がよい夢を見れますように」
あわわわ。大胆な内容に思わず自室なのにキョロキョロしてしまう。
文字だけなのに、頬が熱くてドキドキしちゃう。
不肖秋月明日加。思春期真っ盛りの為に恥じらい深き乙女なんです。
だ、だってだって。まだその、付き合って三日だし。き、きっ、き…すとかは流れとか雰囲気で、したけれど。
おっ、思い出すだけで今もじたばたクッションを叩いてしまう。
てっ、手だってそこまでしょっちゅう握った事無いし。だき、抱きついてくるのももっぱら彼からだし。
別に彼と距離が空いているワケじゃない。レイが転校してきたのはバレンタインの翌日。
時間的にそんなに沢山デートもしていないんだ。
周りからは展開早すぎ、電撃結婚か!! と騒がれたけれど、そんな大層な物じゃない。
分不相応だってよく分かってるけれど、好きになってしまったんだからしょうがないよ。その相手から好きだよ、なんて言われてしまったら、心のままに高嶺の花に指を差しだしてしまう。
みんなの注目の的にもなったし、陰口だって言われるけれど私は幸せ。毎日このメールみたいに接されるから。
舞い上がった頭を冷やして携帯のディスプレイを睨む。けど、すぐ口元が緩んでしまう。
並んだメールの全てが彼からの物ばかりで内容を思い出して沸き上がった体温が沸点を突破しそうなのに嬉しすぎる。嗚呼私変だ。
「へっ、返信返信」
題名はなんて書けばいいのかな。ええとええと、全然思い浮かばないからそのままREで記入する。
ゴメンなさい国語の数値が一番良いのに毎回こんな気の利かない題名で。
《私も、レイと会えるの。楽しみにしてるよ。レイも良い夢、絶対見られますように》
震える指先で何度も間違えながら文字を打つ。何度か見直してプッシュ。ちょっと直球すぎたかもしれない。
ふ、と息を吐いてベッドに体重を掛ける。ピリリリ、とボリューム設定を抑えめにしてあった携帯が震え心臓が跳ね上がった。私の心のバイブ稼働中。
「あれっ。レイ!? なっ、なあに」
立ち上がりそうになった身体を抑えて、携帯の受話器に掌をかざし口を動かす。
『あ。あすか。本当はメールだけのつもりだったんだけれど』
「う、うん」
何か重大な用件でもあるのかな。思わず身構えてしまう。守備に入るものの、微妙にずれた彼の行動には硝子の盾。
『メール貰ったら我慢出来なくなって。やっぱり声聞きたくて』
どうして、レイはこういう恥ずかしい台詞がサラッと言えるんだろうか。
私なんて心臓バクバクで顔が火照って、握りしめた携帯から手がゆるめられないほど硬直してるのに。
これ以上過激な台詞を聞いてしまったら意識が粉みじんに砕けて、倒れそう。
『忙しかった?』
「あ、う、違う。そうじゃなくて、うん。私も……声。聞きたかったよ?」
虚弱体質な神経を固くコーティングし、出来る限り明るく答える。
『良かった』
彼が笑うのが分かる。もうこれだけで我が人生に悔い無し。ああしんじゃ駄目なんだけど。すぐ目蓋に微笑みが浮かんできて胸がほのかに温まる。
『あすか』
「ん?」
『愛してるよ』
あ、あああ愛っ。うわあ、いきなりなにですか!?
腕を振り回すと手元にあったクッションが宙を舞い、壁にぶつかった。
わ、私の心臓破裂させるのが目的か、とばかりの甘いささやきに目眩がする。
「う、うん。あの、私も……ぁ、あ」
頑張れ明日加。頑張れ私。気絶は後に取っておくの!
受話器の向こうからほんのり滲む期待を感じるだけにここは返さなければ!! ほんのちょっと勇気を出して、素直な心を吐き出すだけ。
せえの。言っちゃえ。
「ねぇちゃん。うっさい」
タイミング悪くバタンと扉が開く。って、ノックは朔夜!!
更には後ろ手で扉を閉め、弟はベッドへ無遠慮に腰掛けた。
「ごめ、あわ。あの、ちょっと今取り込んで」
お行儀の悪い弟の行動に受話器を取り落とし掛けながら声を上げる。聞かれてなかったよね今の会話とか。あんな台詞身内に聞かれるなんてからかいの種をまくようなものだ。
「朔夜!! ノックしてないっ」
受話器を掌で覆い、睨むと弟は整った顔をしかめて眼光鋭くにらみ返してきた。反射的に半泣きになりそうになる立場の弱い私。
「イイじゃん別に。さっきからねぇちゃんの部屋からノック音がうるさくてさ。壁になんかぶつけてただろ」
クッションぶつけた気もします。
溜息混じりの抗議に肩身が狭くなる。思わずバタバタ暴れてしまったのが思ったより朔夜の部屋まで響いてしまったらしい。
『あすか?』
続く沈黙に不安になったんだろう、レイが伺うみたいに声を掛けてきた。ごめんなさいっ、と心の中で謝って。
言葉を掛けようと掌を外そうとして、
「んで。私も? ねぇちゃん続き勿論あるよな」
朔夜の意地の悪い目と言葉で固まった。
ツヅキ。何の続き。いえ分かってます電話の続きと言えばあの事しか。腰掛けたベッドに倒れ込みそうになりつつ気を保つ。
「朔夜っ。聞いて」
「恨むならば俺達の部屋を隔てる極薄の壁を恨めねぇちゃん」
薄い薄いとは思ってたが、手をかざして潜めた会話まで聞こえるなんて本気でクラッカーで出来てるのですかこの壁っ。
「う、ううう。あのっ、レイ御免いったん切るね」
『うん。後でまたかけ直すよ』
かけ直す? 一瞬疑問に思ったけど断る理由もない。状況が許されるならもっともっとお話ししたいのも本音なんだ。
「え、あ。うん」
小さく答えてスイッチを切る寸前。ありがとう、と小さな声が聞こえた。……こっちこそありがとうだよ。
思わず切ったばかりの携帯を抱きしめそうになったが、横の存在を思い出して慌てて携帯を隠す。
危うく恋する女の子モードになるところだった!
「はーん?」
どきどきギクギク身体を強張らせる私に朔夜は目を細め、口元を吊り上げる。
な、何言われるんだろう。レイとのお話とは違った意味で心が跳ねる。
「うっ。な、なによ」
「男か」
我が弟とも思えぬほどの直球。小学生の言う言葉じゃないよ朔夜。
「電話しちゃ駄目なの」
なんだかせめられてる気もして、僅かに唇を尖らせてみせる。
「何か怪しいな、とか思ってたんだよ。好きな男でも出来たのかぁ」
鋭い斬り込み。そのニヤニヤとした笑顔はなに朔夜。怖いんですが。
「すきっていうか」
付き合ってるとは言えず口を閉じる。
「名前はなんて言うんだ。あ、やっぱいいや「れい」って聞こえた」
ひぃ。そこまで筒抜け!?
「ねぇちゃん今言ったじゃん『れい、御免いったん切るね』って」
おののく私に朔夜は深い溜息をわざとらしく付いて口を開く。
「あ」
そう言えばそうだった。私の馬鹿ぁっ。
「デートすんの?」
「なんで朔夜に言わなきゃいけないのよ」
いくら姉弟だってプライバシー位あるはずだ。
「ふうん。良いよ別に。今からねぇちゃんの晩ご飯冷凍庫入れてくる」
抵抗の台詞に朔夜は一気にしらけた顔になって、とんでもない事を告げてきた。しかも扉に向かおうとしてる。
「せめて冷蔵庫にして!!」
制止の言葉が思いつかなくて値引きで懇願する。
「冗談だよ。特に今日の晩ご飯はンなコトしたら冷蔵庫がイカレるし」
ノブに手を掛け朔夜は私を見て笑った。
性質の悪いジョークだ。絶対私をからかって遊んでいる。姉虐待反対!
「ねぇちゃん、そのくらいでベソベソするなよ。高校生だろ」
そうなんだけど、朔夜に言われたくない。
「うう」
「泣くなって。今日の晩ご飯は豪華に」
ピリリ、と湿り始めた空気を着信音が貫く。驚いたのか、朔夜が少しだけ顔を歪めたのが見えた。
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