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嘘と言って

 

 

まだまだ冷たい空気が教室に充満している。
 鞄から教科書とノートを一通り抜き出し、机に詰めると安堵の溜息が漏れた。HR前って、どうしてこんなに緊張と緩和が混ざるんだろう。
 雑談と、弾む挨拶に紛れ、気の早い先生が何時来るとも知れないスリル。
 もう慣れたものでみんな先生が来る時間帯は掴めて居るんだけれど。
 私も別段気が張っているわけでもないので、はふ、と欠伸をかみ殺す。
 タイミング悪く教室の扉が開く。磨りガラスの向こうに一瞬影が出来、先生が靴音を微かに立てて入ってくる。
「けほっ」   
慌てて口を閉じようとしたせいか、空気が詰まって噎せてしまった。本日二度目。
「おい、静かにしろぉ」
 分厚いレンズをしっくりする位置にまで戻し、
「あぁ。突然だが、転校生……この時期だと途中編入というのか。とにかくだ、新しい生徒が来ることになった。静かにしろ。そっちもだ」
いきなりだなあ。さざ波みたいに広がり始めたざわめきを途中で止める。そういえば、扉に少しだけ隙間が空いていて、制服がチラリと覗いている。
「いろいろ意見はあるだろうが、仲良く。とにかく仲良くするように。寒いから入ってきなさい」
「ハイ」
 静かな了承。しずしずと覗く爪先と、見忘れようにも無理なくらいの見事なブロンド。
 うあ。
 喉元が反り返って悲鳴を上げるところだった。
 恐らく上げたところで誰も気にも留めないだろう。クラス中が騒然としていて、一瞬止まった空気を盛り返すみたいに大きなざわめきが響いた。
「ええっと。何を話せば良いのか」
 口笛と黄色い悲鳴が彼の台詞をかき消す。担任の先生が両手で騒ぐみんなを抑え、小声で『名前と自己紹介』とアドバイス。
「あ、はい。名前は、レオナルド=バッツドルフです。レオナルド=バッツドルフ=アインハルト=ベインがフルネームですが、略して貰って大丈夫です。覚えにくいでしょうし」
あちらこちらで溜息が漏れる。明らかに日本人ではない名前に辺りは困惑気味だ。
 それに構わず、彼は黒板の前に佇み、滑るような手つきで筆記体を書き連ねた後、下にカナ文字で名前を入れる。
 達人の筆、というか。彼の書いた文字は綺麗なことは綺麗だけれど。私には全く解読不可能だった。ふりがなを入れてくれたのが有り難い。
「多少皆さんと毛色が違いますけど、噛み付いたりはしないので安心してください」
 彼が笑みを浮かべると教室が瞬時に騒がしくなる。
「あー、質問はあるか」
 沸いた場を静める為か咳払いをして空気を濁した。
 嗚呼それは火に油です。先生。
 予想違わず『彼女は』『今付き合ってる!?』『ていうか付き合って』と女子から漏れ。クラブ部員を欲している所属部員各方面の男子生徒からは『得意種目は』『バスケ』『サッカー』『いや柔道』『あ、今度遊びに行こうー』と絡まれる始末。
 う、うわあ。大変だ。私だったらこの怒濤の質問に耐えきれず教室から逃げ出してるよ。

「ええ、と。激しい運動はあんまり得意ではナイです」
 教室のあちこちで残念そうな溜息が漏れる。
「かのじょ……ガールフレンド」
『LIKEじゃなくてloveの方!!』
これぞ女子の団結力。凄い同調。
「こらお前ら。あんまりふざけた質問ばっかりして困らせるな」
「いえ、ダイジョウブです。あ、同じクラス」
 転校生の彼が曖昧に笑い。蒼の眼と視線が、合った。合ってしまった。
 こっち見た。見たよ。ふわりと微笑まれ、ドキドキと心が跳ね上がる。ときめきとそれ以上に胸を跳ねさせるのは周りから感じる、おそろしい視線。怖くて周りが見られません。
「ね」
「お、何だ転校生と知り合いか。丁度となり……ああ、空けてやれ」
 先生が要らない気を回してくれる。
「えー。ここオレの席」
 渋る隣の、名も知らない男子生徒。そ、そう。替わらなくても大丈夫。
 きっと彼ならばどの生徒も喜びノートと教科書だけに留まらず鞄も貸し与えるはず。断固死守してその場所を。
 響いた靴音に顔を上げると、柔らかそうな金髪が揺れるのが見えた。
「ゴメンね」
 やんわりとしたその笑みは太陽の光みたいに辺りの空気ごと全てを混ぜて暖める。
「あ、いえ。どうぞ」
私の願いも虚しく気をのまれた男子生徒がぼんやりした声で頷く。彼の言葉は同性ならずとも骨抜きにするのか。
「よろしくね」
「あ、う。は、はい」
 あんな顔で微笑まれたら。微笑まれたらうんっていうしかないじゃないの。
 そのやりとりで。私の名は、多数の女子のレッドリストかブラックリストに載ったハズだ。
 


              +−−−−−−+


殺される。シヌ。 
 本能的にそう思ったのは何時くらいからだったかな。確か買い物帰りに野良犬に追いかけられて壁際に追いつめられた頃辺りから。あの時は五歳くらいだったっけ?
 親切なおじいさんが通りかかっていなかったら、私はその場で押し倒されて玩具宜しく振り回されていたに違いない。おかげで犬嫌いにはならずに済んだ。
 過去に幾ら逃避しても、状況は変わる訳もなく。
 虫も殺さないような笑みをたたえる彼の周りで不穏な空気が漂っている。
 確実にそれは私に向いていて。人を殺せるような視線というのは本当にあったんだな、と思い知らされた。ライフルのレーザポインタを当てられた気分。
 し、心臓が止まりそうです。
 クラスの皆様。他クラスの皆々様がこっちをじろりと……女子生徒がたくさん睨んでいる。きっと彼が居なくなったら私は殺されてコンクリ詰めにされ太平洋当たりに落とされる。そうに違いない。
 机に張り付いたまま、私は顔を上げない。後ろから肘で押されても、間違えて足を踏まれても顔なんて上げるものか。年頃の女の子としては、顔だけは死守しなければ。
うっかり転ばれたりした日には目も当てられない。
 美しさは罪だというが。何故か私が身に覚えのない罪状を着実に積み上げつつある気がする。美形は周りにいる人に罪を作るのかな。
「具合悪い。平気?」
 今の台詞で二桁ほど罪状が積み増しされた。泣きたい気持ちを堪えながら、身体を起こす。相手は本当に心配して居るんだろうから、無視するわけにもいかない。
 邪険にすれば後々身に危険が及びそうでもある。
「へいき、です。はい」
「同い年なんだから、敬語イラナイよ」
 言えません。口が裂けても敬語抜きでなんて無理。明らかに辺りの視線が集中している。しかも明確な殺意と暗い熱を持ちつつある空気に、どうして油を注げようか。確実に命を縮める行為だ。
「オレはレオナルド。長かったらレオでも良いよ」
「れ……」 
 レオ、と言いかけた唇が凍る。朝の夢がフラッシュバックしてきた。
 音と光の本流が、現在の景色を押し流す。
 視界が滲むのは、夢の私が泣き虫だからかな。
 道路の脇に佇んで、遠い背中に叫んでいた。
『酷いよ、れーちゃん。なんで先に行っちゃうの。おてて繋ごうって、いってくれたのに。
 今日はいっしょに公園行くんだよ。お砂遊びしよう』
 ぴく、と肩が僅かにはね、静かに振り向いた。ちゃんと正面を見てくれる曇りのない瞳。
 期待していたのに、目が見られたのは一瞬だけ。
『…………』
 嗚咽を飲み込んで涙を拭う私に近寄って、あの子は、俯く。
 どうしてか、顔を上げる気配は感じられなかった。
 躊躇い気味に彼が口を開いたけど、やっぱり何を言っているのかは聞き取れない。
 ただ、ようやく上げた顔が僅かに苦しそうで、だいすきな透明なあの瞳は悲しい色をしていたような気がする。
 一拍ほど間を空けて、指から力が抜ける。私が大事に抱えていたバケツが地に落ちた。
「レイ? ――うん、いいよ。キミはどう呼ばれたい」
 レイ。違うよれーちゃんだったよ。あれっ。れえちゃんだったのかも。
 霊ちゃん? れーちゃん。何が何だか分からない。
 夢と現実がごっちゃになる。私は幾つだったんだっけ。なんさいだったのかな。
 はち、く……違う。私は今、高校生だ。
 声と景色が混ざり合って、最後にバケツが転がる反響音が私の意識を引き戻した。
「名前」
 帰ってきたとたん、視界一杯に広がった青。奇妙な悲鳴を上げて危うく椅子から転がり落ちそうになる。頬杖をついて、彼が額を寄せるみたいにのぞき込んでいた。
「は、はいっ!?」
 声が仰け反る。
「ナ、マ、エ。教えて」
 ハスキーボイス程に低くはないけど。私よりは低音で、それで居て穏やかさを含む声は猛毒そのもの。耳の奥を刺激して、理性を酔わせる。
「あ、あ。秋月……明日加」
「あすか。アスカ。明日加。了解覚えました」
 何度か言葉を口の中で転がして、ニコ、と笑う。名前を呼ばれただけで体の芯が痺れる。寒さとは違った震えが肌を襲った。
 恐怖とは違う、官能的な快楽みたいな。
 マテ。
 待って私、理性を。理性を失ってはいけない。背後ではもう皆様が牙を剥き出さんばかりの表情で睨んでいる事請け合いだし。
 目の前では溶けそうな程柔らかな笑みを向ける彼が居る。
 迂闊に動けない。イヤ、動いてはいけない。生存本能が警鐘を鳴らしている。
 下手に立ち上がったら人気のない場所まで連れられて何をされるか分からない。
 無論、背後や周りに群がっている女性の方々が。
 今は猫を被っているが、彼が居なくなったら何に変身するか。
 先程までは暖かなだったはずの肌が急に冷たくなった気がする。酔いが覚めるってこんな感じだろうか、背ろからホースで絶え間なく水を掛けられ続けてるみたいな寒気が襲う。
 我が侭だけれど、出来ることなら身の安全が確保されそうな彼の側にいたい。いえ、居させてください。必要なら土下座も付けます。
 近くにいればいるほど危ない気もするが、既に手遅れな予感がする。針のむしろみたいなこの状態もしんどいと言えばしんどい。とはいえ命は惜しい。
 一端会話が途切れてしまうと沈黙は長く尾を引く。周りの空気も手伝って、胃の辺りがキリキリ痛む。
「ええう、あーあー」
 両手を組み合わせて発声練習。心和ます会話の一つも出来ない自分が情けない。
「彼女ばっかりズルイ。ね、私もレイって呼んで良い」
 どん、と突き飛ばされた我が机。
 あぶ、危ないですよ!? 足が挟まれかけた。
 カタ、小さな音を立てて机が戻るどうやら彼が手で押さえてくれたらしい。
「駄目。それは駄目」
 しなだれかかる相手に少しだけ苦笑を送り、肩をすくめる。
「何でぇ」
 やたらと色っぽい声を上げて、彼女は身体を軟体生物みたいにクネクネさせる。
 も、もう少し人気のないところでフェロモンは飛ばしてください。
「うん。オレね、親しい相手にしか呼ばせたくないんだ。特に愛称はね」
 は。
「じゃあ、この子と貴方、どういうカンケイ」
「ん? 何で」
 不思議そうに綺麗な瞳を瞬く。
「何ででも」
 ごねる彼女に微かな息を吐き。ブルーの視線がこちらに移されて嫌な寒気が肌を覆う。
「言わなくちゃ駄目なの? じゃあ言おうかな」
 言わないで。止めてお願いそれ以上は止めてください。
「それはモチロン、ステディ。恋人? 付き合ってるよ」
 私の死は、確定した。
「どういう事!?」
危機迫る表情で女子の皆さんが押し寄せてくる。
 こ、殺されるぅっ!!
「チョコ貰ったから」
「はっ」
 殺伐とした空気が彼の落とした一言で凍る。襟首を掴もうと私に伸ばされた無数の指が寸前で止まり、わななく。
「ちょこれいとは恋人に渡すんだよね。貰ったから、オレ彼女の恋人になるんだよ。
 昨日はバレンタインだったでしょ」
 硬直した皆様に構わずのんきに首を傾けた。
「だっ、だったら私も」
「わ、わたしだって」
 将棋倒しになる前に、彼は微笑んで爆弾を落とす。
「残念。今日はもうバレンタインじゃない。それに、オレは恋人一人で充分だし」
 臨戦態勢に入りそうな彼女たちの牙すら抜けるほどの大きな爆弾を。
 のぞき込まれても、今度は悲鳴は上がらない。今しがたの台詞が直撃した頭の中が真っ白になってぐらぐらする。
「ねっ。明日加」
 自称恋人が、片目を閉じてウインクした。みんなが口を半開きにして硬直している。なんてオープンな性格なんだ。でも、恋人。付き合ってるって。
 誰が、誰と。ああ、彼が私と。絶対確実に芸能界どころかハリウッドデビューも出来そうな容姿で、異性を瞬く間に虜にしそうな程の美声を持っているのに何で? どうして私なの!?
 冗談、だよね。そうだと言ってください。だれか。

 

 


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