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キミは恋人

 

 

「はあ」
 ブランコを漕ぎ、手元に視線を向けたまま陰鬱な溜息を吐き出す。
 胸ときめかせる聖夜。一つのチョコで恋を結ぶバレンタイン。
 そんな大切な夜に何を湿っぽい溜息ついているのかというと。
 不肖、秋月(あきづき)明日加(あすか)。失恋しました。
 嗚呼、思い出すだけでも私の心は深海まで沈みそう。
 数刻前までは大事に抱えていたはずの包みを片手で放り投げ、受け止める。
「サイアク」
 最悪な気分。月並みでも胸をときめかせ、勇気を出して告白しようと大好きな彼の後ろを追いかけて。何故か知らない人が先に告白していて抜け駆け、じゃなくて。恋に抜け駆けも何もないんだけど。私が付いていけない間にあれよあれよと話がまとまり新婚、ではなくニューカップル誕生。
 そのショックは心の計器に計りきれないダメージを与えた。
 気が付いたらブランコを漕いで遠くを眺めるくらいは傷ついている。
「バレンタインなんて。バレンタインなんてバレンタインなんてっ」
 ドコにもぶつけられない苛立ちは手近な物ではらそうと。私は罪もないチョコを包んだ袋を振り上げて、放り投げた。
 ポコン。間の抜けた音が闇夜に響く。
「あいて」
あいて? 
「イタタ。ちょこれいと?」  
はいチョコレートです。はっ、誰と会話してるか。脳みその海馬さん、幾ら寂しいからと言ってこの場にいない人影創って喋らせないでください。虚しすぎます。
「もったい無いよ。イラナイのちょこれいと」
そんな縁起の悪いチョコもういらな。
 幻影へ反射的に心で否定しかけた私の視界が遮られる。
「イラナイ? 食べ物粗末にしたら駄目だよ」
 闇夜でもハッキリと分かる南国の海のように澄み渡ったブルー。スカイアイ。宝石を思わせる大きな、綺麗な瞳。僅かに尖らせた口元は、品が良い。
 なによりも頬に当たる髪の感触が冷ややかでなんとも――髪ですと。
 ふっ、と首筋を暖かな風がよぎる。
 かがみ込んで逆さまになった相手の鼻先がぶつかりそう。って、近ッ。
「ひぇっ!?」
 仰け反った私の頭が地面と衝突しかける。あわ、わわわ。息、吐息が、なんか吐息っぽいモノが掛かったー!?
「ヒェ?」
 キョトンと私作の幻影は。幻影だと思っていた人は不思議そうに頭を傾けた。首はもう引っ込めて、身体は引いてくれて居るみたいだけど。腰を折っているのは相変わらずなのか、顔が近い。後ろ手に組んだ両手にさっき投げ捨てた不吉な物体がちらりと覗く。
 あ、わ。うああ。に、人間。人間が居る。じゃなくて人、人がいた。
 って事はさっきのポコン、て音はもしかしてもしかしなくても。やっちゃった!?
「いえ、ごめ、ごめんなさい。人がいるとは思わなくて!!」
 バタバタ両腕を振り回し、慌てて弁解する。居なくてもポイ捨て禁止と言われても仕方がない。
「あ、ううん。こんな時間にうろついてるオレも悪いから」
決して嘲りではない苦笑を漏らし、彼は首を振った。
月明かりを集めたみたいなほの光る髪。それが視界を掠めて、私はようやく彼を直視した。
 淡いブロンドは闇夜に映える。ブロンド。金髪。がいこくジン。
 映画とかドラマで良く見かける金髪碧眼の。それはもう目眩がするような美少年が間近にいた。側に佇まれるだけで訳もなくひれ伏したくなる。真面目な話、クラスにもここまで綺麗な人は居ません。国語の成績は割と良いのに上手い表現が浮かばない。私の言語能力不足のせいだ。
 彼が前に回した両手に視線を落とすと、白い吐息が手元の包みに掛かる。
 甘くて苦い告白のチョコ。だが今はミルクチョコでもたっぷり苦くなっているそれを彼が持っていた。ご免なさい。嫌な記憶が蘇るので捨ててください、とも言えず、私は曖昧に包みに視線を向ける。小さく「チョコ」と呟いてみるが、いまいち明確に伝わらなかったのか。
「ちょこれいと。チョコうん。捨てるじゃなくて、くれるの? あ、聞いたことある。知り合いがたしか……こういうプレゼントの方法もあるって言ってたな。
 キミってツンデレさんなの。あ。ツンデレってナニ」
 人差し指を口元に当て、小首をかしげる。くそう、同じ生き物なのに空気がここまで違うのか。仕草の一つ一つを取っても私とは雲泥の差だ。
 というよりですね、質問したいのは私の方です。
 質問を入れたいんだけれど、庶民感覚の脳みそは度の越えた美貌と唐突な展開に思考を空回りさせた。
 考えたあげく、私の語学力、とくと見よ!! とばかりの勢いで口を開く。ええい、ままよ。
「へ、へろうっ。えぶりばでぃ。あい…私のーコトバーわかりますかぁ? OK?」
 国語以外の他の教科に負けず劣らず鎌首を垂れたままの英語力。萎み掛けた風船から空気が漏れるような力ない発音。
「………ぷっ」
相手の肩が震えている。し、失礼な。とも言えず口の中で空気を転がす。弁解の台詞も浮かばない。
「キミ面白いね。言葉が通じるか、YESかNoかというと、YES。
 ニホンゴだいじょうぶです。無理しなくて良いよ」
 素晴らしく流暢な英語が片鱗から垣間見える。耳慣れないアクセントに脳が拒絶反応を起こしそうだ。
「あい。あいきゃんすぴーくいんぐりっしゅ」
 英語全然喋れませーん。貫禄の違いを見せつけられ、とてもヘボい英会話能力で、私はさじを投げた。
「ウン。英語喋れないんだね。会話は出来るから心配無用。で、くれるの。これ」
 瞳の端に涙を浮かべるほど受けたのか。相手は指先で静かに拭い、微かに収まらない震えを抑えるよう、口を開いた。
「へっ。ほしい、んですか?」
 私だったら要らないなあ。怪しいでしょう。
 いきなりチョコを投げつけられてくれるの? と言うのも面妖な。涼しげな面立ちとは違い、意外に大らかな性格をしている。
「キミが要らないなら。丁度お腹、小腹が減ったっていうのかな。イイ?」
 国民性の違いかなぁ、と心で首を捻る私を白い息がくすぐる。
「ど、どうぞ」
 伺うみたいに笑顔を向けられて断られる女子が居るんだろうか。多分居ない。
「有り難う。でもどうしてみんなチョコを渡しているの。今日はチョコのお祝い?」
 ほとんど剥がれていた包装を丁寧に剥いて、ハート型のミルクチョコを指先につまむ。
 一口サイズのチョコは固い音を一つ残して彼の口内に消える。テレビのCMのようだな、と見惚れるヒマも与えない質問。喉元で息が凍る。
 もしかして、知らない。この人知らないのですか。
 バレンタインを。
「へっ。う、あ。その、バッ」
 改めて言うのも何だか気恥ずかしい。
「ば?」
 空気をつまんだまま、蒼い瞳が瞬いた。
「ばれんた……いん、でして」
「ばれんたいん。ばれんたいん。ばれんたいん?」
 連呼しないでください。
「あ! 知り合いから聞いたことがある。そうか、今日はあの有名なバレンタインなんだね」
 何度かかしげるみたいに首を傾け。ぱっ、と花が散るように顔をほころばせた。
 うっわあ。可愛い。
 天使、天使がココにいます。少し大きめですがココに居るんですけど。私はどういう対応を取ったらいいでしょう。あまりの衝撃に思わず神に懺悔やアドバイスを求めてしまう。
「ゆうめい。ええ、まあ」
 暫し放心した後、曖昧な呻きが唇から漏れた。
「あっ。食べちゃったけど良かったの?」
「あ、はい。他にアテもないんで」
 何故かじっ、と蒼い瞳が不安げな色を送ってくる。
「いえ本当に大丈夫ですよ」
 クゥ、彼の喉から仔猫が伸びをするような音がした。
「ん、そっか」
 ちょっとだけ視線を左右に彷徨わせ、私の顔をのぞき込み。にっこり笑った。髪の中に光が見える。
「じゃあ、今日からキミはオレの恋人だね」
 だ、だから。その笑顔は凶悪――
 はい?
 なんていいましたかこの人。ええ、と。
「バレンタインにはチョコを渡して恋人を作るんだよね。で、貰ったって事はキミはオレと恋人なんだね」
「は、はあ。え? あの、はい?」
 舌先が麻痺していて上手くコトバが紡げない為、事態が飲み込めないまま曖昧に呻いて相槌を打つ。
「知り合いに聞いたんだよ。チョコを貰ったら恋愛カンケイ、バレンタインは逃れられないおそろしげな行事だと」
 間違えていないところもあるけれど、八割方が誇大広告な気がする。
「と言うわけでキミとオレは今から恋あ、と。電話、ちょっと待って」
 会話を分断した甲高い電子音に僅かに眉をひそめ、ジーンズのポケットに腕を入れる。
 シルバーの折りたたみ携帯電話を取り出すと、親指を僅かに滑り込ませ、手首を捻り。器用に二つに折られた携帯を開く。白い指先がボタンを叩くと、pi と携帯が鳴いた。
「はい、はい。あ、すぐ行く」
 相好を僅かに崩し、対応していたが、言葉少なにそれだけ言うと素早く電源を切り、ポケットに携帯をねじ込んだ。
 私はと言うとその間、口が挟めずマネキンみたいに棒立ちのまま。 
「親元からの呼び出し来たからもうバイ。またね、遅いから帰り道気をつけて」
 名残惜しげに笑みを漏らし、掌を少しだけ広げた。 
「は……はあ」
 同じように手を挙げて、言葉を探すけれど気の利いた台詞は出てこない。録音されたテープみたいに繰り返される返答。
 ふ、と空気が僅かに動く。
 うわ!? かお、顔近いですよ。な、ななななにかご用でしょうか。
 尋ねようにも心臓がバクバク跳ね上がり、肺が狭まって息すら上手くできない。
 間近に顔を寄せられ反射的に一歩引く。
「いい夢を。次会ったらデート行こう」
 彼は気にせず私の耳に唇を寄せ、それだけ言うと柔らかく微笑んで背を向けた。
 うわ。うわ……うわあああ。パニック大パニック混乱。イヤナニこの人。なにこの状況!?
 頬があつい。今日はそんなに暖かくないハズなんだけれど。
 ええ。っていうかですね、あれはあの。さっきの会話は一体。
 あの人の背中がかすみ、消えそうなほど遠くになる。
 なんて、言われたっけ。チョコレートを成り行きで渡して……凄い台詞を聞いたような。
 活動を停止していた思考回路も緩慢な動きを見せ始めた。
『じゃあ、今日からキミはオレの恋人だね』
 先程の会話を口の中で反すうし、頭の中で回想して。
「……は、はあ!? いまの、なんですか。え、ええ? こい」
 恋人!? 
 私は言われた言葉に改めて衝撃を受けた。



              +−−−−−−+


 朝を起きたらやっぱりいつもの日常で。朝のおはようも登校途中の坂道も、何にも変わらない。昨日失恋したと言うことだけは確か。
 しかも告白前に。
 せめてせめて告白くらいさせてくれればいいのに。
 この世には神も仏も居ないのか。ふう、白い吐息が宙に軌跡を描く。
 あー、でも昨日の幻か何かは格好良かったなあ。現実だったらいいのにな。まあ、希望は希望でしかないのだけど。
 スプリングみたいにくるくる跳ねる髪を指で伸ばし、もう一度溜息。はあ。
 失恋はしたけどやっぱり私も女の子。夢くらいは見る。
 時折、見るんだ。白馬の王子様が現れて、手を伸ばしてくれる夢。
『お迎えに来ました。愛しい私の姫』
 そんな甘ぁい台詞なんか吐いてくれる。
 何故か馬は段ボールで出来ているけれど。どうしてか王子様の年齢はひいき目で見ても八、九歳なんだけれど。
 うう。けど王子様は。王子様だよねえ。
 くりっとしたビー玉みたいな瞳と、綺麗な金髪の男の子。微笑んで話しかけてくれる。でも時々声が聞こえない。口を必死に動かして何か言って居るんだけど、私はその場の空気だけで頷いていた気がする。
 酷い子だなあ、私。でも、王子様みたいな男の子は、嬉しそうにニコニコ笑っていた。何を言っているのかは分からなかったけど、なんでか、それだけは分かったんだ。
「あ〜。うー」
 空気が冷えるせいか、頭が熱いせいか頭痛がする。あったまいたい。
「おっはよ。なに朝から呻いてるの」
「あ、や。別に」
「で、でっ。告白はどうだった。倍率高いの狙った明日加の成果は」
 やめて。朝から落ち込ませないで。
「あ、そっか。駄目だった」
「……駄目もナニも新カップル誕生を目の当たりにしたわ」
「そ、それは悲劇。落ち込まないでね」
「無理」
 どうせ無理だと思ってたんだ。諦めようと思って派手に玉砕しようとチョコを用意したのにこの仕打ち。しばらくうなされそう。 
 こう、どかんと何か衝撃的なことでもあったら一時的に忘れられそうなんだけどな。どーんと。ど…
「オハヨっ」
 軽やかな足音が耳にはいると同時。背中から衝撃を、文字通りどーんと受けて息が詰まる。
 にゃ、なんですか!?
「けほけほっ。あ、あう。どひやさわ」
 どちら様、と言ったつもりだったけど、呂律が回らず変な呻きになった。
 頬に当たった冷たい感触に首筋がすくむ。
「やっぱり会えた。昨日ぶり。早いんだね」
 朝になってもやはり変わらぬ深い蒼をきらめかせ、彼が居た。
 闇夜の時とは違い、色素の薄い金髪は朝日と同じ色をしている。これはこれで綺麗。
「は」 
 って、えっ。アレ。夢じゃ…今、朝。デスよ、ね?
 間の抜けた吐息しかでない。首に絡めている腕は何でしょうか。
 さっきのどーん、て。もしかして私今後ろから抱きつかれましたか。ニコニコしながら僅かに体重を掛けてくる。加減をしてくれているのか、重いとは思わない、けど。
 顔、近い。
 近い近い近い! むっちゃ近いです。寄るなとは言わないけど離れて。バックバック!!
「あっ」
 不意に彼がバッ、と顔を上げた。
 なにごと!?
「オレ早く行かなくちゃ駄目だった。またね。バイ」
 慌てて身体を離して、あの人はまた私の台詞を待たずにいってしまった。
 昨日といい今日といい。人の話を聞かない。
「ナニ。いまのスッゲー美形。明日加どういうカンケイ!?」
 どういうカンケイと言われましても。ええと、名前。も……知らない。
 一時的に深い関係になった浅い仲? うわ、凄い誤解が生まれる。きっと冗談なんだから迷惑だよね。ええっと、名前知らないし昨日会ったばっかりだし。当てはまるのは。
「知らない人」
 酷く冷たい言い方な気もするけれど。名前も所在地もハッキリしないんだから合ってる、よね。
「そう、なんだ?」
 多分。

 



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