バレンタインの恋人


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友人の憂鬱

 

 

 

 

  
 重たく湿り必要以上に冷え込んだ空気に和史はそわそわと膝を揺らし、視線を正面に向けた。
 不機嫌絶好調な前方の友人から視界は微妙なカーブを描いて和やかな家族の姿を捉える。
 食事と会話に夢中でこちらには向いていない。和史は心の中で安堵して勇気を持って今度こそ正面に視線を向ける。
「は〜ハイなんでしょう。つか誰」
 お子様も泣かずに白い顔で沈黙しそうな表情で朔夜が口を開いた。
(画面見ろよ)
 仏頂面で携帯に出る親友を眺め、心中で半泣きになりながらも耳を傾けた。
 微かに漏れ出る甲高い声は女のようだが、正面にいる和史に内容までは聞こえない。
巴山(ともやま)? 誰だっけ」
 一拍程の沈黙。首を捻り微かに口の中で呟いて、眉を跳ね上げる。同時に和史の肩も揺れる。
巴山(ともやま) 瑞紀(みずき)? あぁそう、巴山さん。
 何で俺の携帯知ってんの」
 相手の名前を確認し、何度か相槌を打ってから疑問符を浮かべた。
「…………うちの姉貴に聞いた。そうかあの馬鹿姉」
 小さく舌打ちして奥歯を噛む。白い丸テーブルに片肘をつき携帯へ苦々しく吐き捨てる小学生の姿に近場の女性店員さんの笑顔が引きつっている。明らかに引いている。
 様々な意味で不穏になった空気を直で感じつつも、和史はそっと朔夜へ肩を寄せて唇を動かす。
『な、なあ朔夜。巴山って、あの巴山?』
 聞こえてしまった名前への好奇心は恐怖を越えた。確認するまでもなくフルネームで間違いもあるまい。
(うわっうわあ。巴山瑞紀だ。生巴山瑞紀があの受話器越しに!!)
 感動で身体が震える。同学年だが容姿端麗お嬢様を地で行く彼女を遠巻きで見られれば幸運。密かなアイドル的存在+本人が引っ込み体質の為生音声は更にレアだ。
「どの巴山だ」
 価値が分かっていない朔夜は長々と息を吐き出し、何かを思いついた様に瞳を細め、
「話したいなら代わるか。そう言うわけで巴山さん雨宮和史に代わるわ」
 唇の端をうっすらと釣り上げると開いた携帯を強引に押し付けようとする。
「げっ、朔夜ちょっと待て心の準備とかを」
「させないのが好きだからほいパス」
 底意地の悪い笑みを浮かべ、手首を軽く捻りスイング。
 壊れたらどうするんだ! 心の中で怒声を浴びせながらキャッチする『ちょっと、あ。秋月君!』悲鳴にも似た名残惜しそうな声が響く。リボンのかけられた綺麗な包装紙をクリームの付いたナイフで引きちぎってしまったらこんな気分なんだろうかと渡された受話器を横目で眺め、恐る恐る耳元に近づける。
「もっ、もしもし……」
 沈黙を続けて相手を怖がらせるのも嫌で言葉を吐き出すが、とっさに気の利いた台詞も出ず無難な呼びかけになってしまった。
『だ、誰。秋月君は』
 重たい沈黙を一拍挟み、ぶつけられた疑問に視線を友へと移す。
「俺は雨宮和史で。朔夜は現在食事中です」
 面白そうだという理由で受話器を交換した友人は暇そうに包みを開いて冷めたフィッシュバーガーをかじっていた。軽く睨んで指先で携帯を示しても首を二、三度横へ振るだけで交代する気配は微塵もない。胸の内で恨み言を呟いて、相手がここに居ないのは不幸なのか幸福なのか一瞬考える。
『朔夜、秋月君のお友達?』
「友達、か。一応は」
 涼しい顔でジュースをすする朔夜に微笑みかけて強調する。ささやかな皮肉に愉しげな笑みが返ってきた。引きつった頬を誤魔化す為に奥歯を噛む。
『あの、私は巴山瑞紀です。えっと、いきなりだけど。今から時間取れないかな、カラオケに居るんだけど人数が少し足りなくてそれで』
「はあ、成る程」
(お目当ては朔夜か)
 塩をかけられた青野菜の勢いで意気消沈しつつ生返事を返す。わざわざ朔夜の携帯を調べ上げかけてきたという事はそういう事なのだ。
 後ろの方でてんやわんやな他女子のひそひそ声が聞こえるから、あれこれの手配は奴らの仕業であろう。
『出来れば、秋月君も来れれば』
 ごく、と息をのむ音が聞こえて。勇気を振り絞ったらしいお誘いが来た。
「一応聞くだけ聞いてみます。アテにしないでちょい待ってて」
 この涙ぐましいお誘いを断る男が居るならば見てみたいものだと思いつつ心中で溜息を漏らし、答えた。
 受話器口を掌で覆い、コチラの声が聞こえない様にする。巴山瑞紀の生音声がレアならば秋月朔夜のカラオケ行きは激レアものだ。
 健気な少女の願い事は目の前の友にとっては果てしなくどうでも良い事だろうと分かっていたが、玉砕を覚悟し、口を開く。
「朔夜ー」
「ん」
「お前今ヒマじゃなくてこれから時間空いてるだろ」
 傷口に指を差し込まないようにゆっくり尋ねる。
「空いてるに決まってるだろ。空いてなかったらお前連れてここには来てない」
 唇の端から怨嗟の呻きが漏れそうな顔をして、顎を肘の上に乱暴に置く。完全にふて腐れた子供だ。
「巴山が『お時間空いてるならカラオケでもどうですか』だって。メンバー少ないからこれないかって」
「カラオケぇ?」
 朔夜が柳眉を潜めた。ほぼ諦めを交え、希望を捨てずに尋ねる。言う前に諦めれば受話器の向こうにいる少女一名と取り巻き何名かが悲しむ事だろう。
「多分女子のが多いと思う。でも、朔夜あの巴山だぞ。誘われてラッキーだろ。だからカラオケ……いかないよな」
 基本的に親しい友人への付き合いは怠らない朔夜だが、女子は別らしく女子を交えた集まりにはほとんど参加しない。
 周りでわあわあ喚かれるのが嫌らしい。今回もダメだろうと和史は大きく溜息を吐く。さてどう言い訳するか。
 朔夜は黙考し自分の爪先を眺め、携帯に視線を送る。そして意外な一言を漏らした。
「良いよたまには付き合おうか。その代わりお前行かないなら俺も行かない」
 唇を軽くすぼめ、つんとそっぽを向く。
「え、マジ!? 行くのか、珍し。勿論行く行く!」
 気まぐれなお姫様ならぬ友人の気を引く事が出来た事に心中でガッツポーズし勢いよく首を縦に振る。
 数度囓っただけのバーガーを置き、ストローに唇を近づけ思い出したかの様に顔を上げる。 
「俺出ないからお前が伝えとけ」
「やっぱり俺から言うのか」
 はあ、と和史が溜息をつく。掌の隙間から微かな振動。催促の声が鼓膜まで聞こえてきそうだ。
「役得役得」
 友人のげんなりした顔を楽しむ様に眺め、朔夜はすまし顔で残りのジュースをすすった。
 



「ノリに乗ってるな和史」
「可愛い女の子一杯だぞ。居なくても巴山が居るんだぞ幸運すぎ。いざいかん花の都へ」
「親父か。ちょいまち携帯」
 友のノリに付いていけない朔夜の突っ込みが鋭い電子音にかき消された。
 今度は何だよ、と不機嫌そうに呻いた声が途中で歪む。不穏な空気を纏い始めた友人を見、和史は歌おうとした鼻歌を取りやめた。
「はい。何の用だよ。そりゃもう楽しめて居るんだろうなお邪魔な弟を追い出してるんだから楽しくないなら後で覚えてろ」
 トゲを内側どころか外側に二重装備して回線の向こうにいる人物へ笑みを向ける。その笑顔が怖い。果てしなく怖い。
 友人をやっている和史でも一足跳びで逃げだしたい空気だが、身体が硬直して動かない。
「そんな虫の良い事言うなよそんな謝罪なんて受け入れる気毛頭――へ? 良いの」
 和史が重圧でぺしゃんこになりかけた間際、ふっと空気が軽くなる。焦げ茶の瞳を瞬いて、朔夜が首を傾ける。
「これから時間空いてるかって?」
「あ、こもが!?」
 嬉々として答えながら手元に置いてあったバーガーを抗議しようと開けた口の中に思いっきり突っ込んで微笑む。
「うん全然空いてる。映画館前、了解。大丈夫そっちと違って近道知ってるから余裕で家に着く。
 じゃあレイ兄ちゃんにそう伝えといて」
 苦しみながらテーブルを叩いている親友はどこ吹く風。ご機嫌で約束を取り付ける。
「さ、朔夜。カラオケは」
 喉奥から詰まったパンを取り出して、涙ながらに嚥下する。味なんて分からない。
「ん? ああ、やっぱキャンセル」
 ドロドロとした怨念の空気を何処かに捨て、無邪気な笑みを朔夜が返す。
「キャンセルってお前そんな気軽に!」
「思わず三人分チケット買ったから連れて行くって。やっぱり姉弟の絆は深いんだなあ」
 数分前までの落ち込みはどこへやら、深々と頷いて嬉しそうに拳を握る。
「お前友と女よりも姉のが大事なのか!?」
「うん。そう言うわけで俺行くわ。あ、和史」
「何だよ」
「これを機にお近づきになっておけばどうだ」
「朔夜てめえは」
 お気軽かつ悪気のない友の台詞。震える拳を固く握り、振り下ろす前に朔夜はさっと椅子から離れた。
「時間やばくなるからじゃあな。昼は奢ったからそれでチャラな」
「割が合わないぞ割が!」掌をぴらぴらと振り、鼻歌交じりで去り行く背に文句を叩きつけても虚しく響く。
「どうやって言い訳したら良いんだよ」
 鯛を釣り上げる餌が逃げおおせ、鯛の取り巻きがサメに進化しない様にするために少年は頭を悩ませた。


fin

 

 

 


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