ルストモンスター-5








水がしたたり落ち、ぬめる光沢を放つ壁。湿気った空気。
  骸の山を連想させる不気味に列なる岩壁。
  ぴちゃんっ…
  少女が無造作に踏みしめた固い地面から濡れた音が響く。
天井の水滴が落ち、あちこちに浅い水たまりを作っている。
  脇を固めるように歩いているルフィとチェリオは水を避けているのか、あまり水音はしない。
カツカツと硬質な音が洞窟に浅く反響している。
 クルトは辺りを注意深く見ながら口を開く。
「骨とかは落ちてないのね……」
 以前秘密裏に行った遺跡にはあちこちに骨が散乱していたので少し覚悟を決めていたのだが、
この遺跡は綺麗なモノで骨どころかさび付いた剣すら落ちていない。
 幼なじみのいきなり漏らした物騒な呟きを聞きとがめ、ルフィは少女のように整った顔を曇らせる。
「クルト。怖いこと言わないでよ」
「いや、少しは覚悟はしておいた方が良い。手入れをされた洞窟とは違うからな」
「チ、チェリオまで……おっ、脅かさないでよ〜」
脅しを掛けるチェリオに少し恨めしげな視線を送った後、少しぎこちなく辺りを軽く見回して確認する。
しかし、少女の言ったように骨どころか朽ち果てた武器や防具すら見つけられなかった。小さく胸中で安堵の息を漏らす。
 クルトはスタスタと無作為に歩みを進め、
「……魔物なんか一匹もいないじゃないの」
 キョロキョロと大雑把に周囲を調べた後腰に手を当て、口をとがらせる。
「本当だね。でも、戦わないで済むならそれに越したことはないよ。
 僕戦うのって苦手だから」
 ルフィは首をかしげ、小さく微笑んだ。
 それを見た少女は半眼になって呻くように言葉を紡ぐ。
「ちょっとルフィ。これが試験だって忘れてない?」
「そ、そうだけど。戦わないで済むなら戦わない方が良いな」
 クルトに睨まれルフィは首をすくめるように呟いた後、困ったように口元に手を当てた。
「お前達緊張感無いな。しかもルフィまで一緒に」
神経をとがらせる。と言った言葉とはかけ離れた二人を見ながらチェリオは呆れたように眉を寄せ、嘆息する。
その言葉を聞きとがめ、クルトが青年に鋭い一瞥を送った。
「ちょっと、チェリオ。ルフィまでって……あたしは無視?」
「いや、お前の場合『静かにしろ』とか『緊張感持て』とか、言うだけ時間と体力の無駄だからな」
「い、言い返せない辺り悔しいというか悲しいというか。ああもうムカツクーー」
彼の嘆息混じりの言葉に地団駄を踏んで悔しがる。
 ドカドカと地面を叩く音と水音が入り交じる。それが反響し洞窟の中で喧しい音が飛び交った。
それを聞いてルフィが慌てたようにクルトの肩を人差し指で軽くつつき、
「クルト……結構響くから止めた方が」
 少し言いにくそうに小さく呟く。
 その言葉に重なるように青年の言葉がポツリと続く。
「やはり無理だろ。静かにするのは」
「はっ……うー」
二人の言葉にはたっとクルトの動きが止まる。
 しばし気まずげに唸っていたが、気を取り直すように髪を掻き上げ、
「ち、ちょっとした冗談よ」
 少し額に汗しつつ胸を張る。
 そんな彼女の大嘘に冷たい視線を送り、チェリオが鋭く突っ込んだ。
「冗談で騒音を上げるな」
「チ、チェリオ……」
ルフィが「まあまあ」となだめるように二人の顔を交互に見る。
 少女はそれに視線を送りつつも、腰に手を当て頬をふくらませて不機嫌そうな顔で言い募ろうとした。
その足下にコロコロと球体の岩が転がってくる。
「何ですってぇ。大体ね……あれ?」
それに気が付き言葉が止まった。
 キョトンとする彼女の靴にそれは軽くぶつかり、ゆっくりと停止する。
「…………何これ」
 チョンチョンと足下に転がってきた岩のようなモノをつついた。
形状は微妙におうとつのある球形。
 赤サビ色で大きさは、小柄なクルトの腕の中にすっぽり収まるほど。
所々に奇妙な盛り上がりが見て取れる。
「何か切れ目みたいなの入ってるわね」
 少女の白い指先がなぞるように動く。
 彼女の言葉にルフィは隣でしゃがみ込み、首をかしげた。
 肩程までに伸びた空色の髪がサラリと揺れる。
「何だろうね……」
「あんまり不用意に触るな」
「大丈夫大丈夫。平気平気。何かデコボコって言うよりツルツルしてるわ。鱗みたい」
 チェリオの注意を聞き流しながら凹凸のある表面を軽く撫でる。
 彼女の言うように僅かに光沢を持った鱗のような形状のモノで覆われている。
 その言葉に、二人は弾かれたように彼女の顔を見た。
「え?」
「おい」
「硬い……え、なぁに?」
 クルトはそれに両手を当て間抜けな声をあげる。
 間の抜けた声は長く続かなかった。
 ボール状のそれに入った亀裂のようなモノがゆっくりとうごめき、花が開くように広がり始める。
「え? 何っ!?」
 モゾモゾと動き始めた謎の物体に驚き、クルトは反射的にそれを放り投げた。
てんてんっ…と音が響きそうな動きで軽く跳ね、停止する。
 ゆっくりと、亀のように軽く動く。
 全員が息をのむが、特に激しい反応もなく小さくうごめいている。
「…………」
 恐怖よりも好奇心が勝ったのか、クルトはそれをしゃがんでジッと凝視する。
 チェリオとルフィも少し警戒しながらも視線は外さない。
 こちらは好奇心と言うより緊急事態に備える目だ。
 動く物体はゆっくりと球形から形を崩していく。
 不気味と言うよりも、まるで雛(ひな)が孵(かえ)るようなぎこちない動きだ。
 しかし不思議と恐怖のようなモノは湧いてこない。
 くるんと一度回転し、またモゾモゾと動く。
 こつんとクルトの靴にそれが当たった。
 少女は一瞬ビクリと身をすくませたが、少し経った後そっとのぞき込む。
「……少し離れろ」
「なんか気になって」 
チェリオの注意を聞きながら呟くように答える。
 ゆっくりと花のように手足の一部がもぞもぞと広がる。
 どうやら丸まっていたらしく、中に仕舞っていた尻尾がゆっくりと出てきた。
「…………」
 その尻尾を見て全員が一瞬沈黙した。
 トカゲのような形状の尻尾は大きめの赤サビ色の鱗に覆われている。 
しかし、一番目を引いたのは尻尾の先端に付いている鉄球のようなモノだった。
 まるでトゲ付き鉄球(モーニングスター)の様な大きな鉄球だ。
 丸まった飾りのような先端の付いた頭がゆっくりと出、動きが止まる。
 全員が息をのむ。
 ……………
 ……………………
 しかし、何の反応も起こらない。
 やがて、気が付いたように手足をパタパタと動かす。
丸まって転がったせいで、今は背中の部分が地面に付き、転んだ亀状態になっていた。
ジタバタと一生懸命短めの手足を動かすが、一向に起きあがれない。
 少し休憩を挟んだ後、今度は尻尾も一緒に振ってみる。
 無駄だった。
 それを見ていたクルトの唇が小さく動く。
「か……可愛い」
「いや、可愛いと言うより間抜けだろ」
 少女の呟きに、青年は疲れと呆れの入り交じった声で呻いた。
「可愛いけど……可哀想」
 そう言ってルフィが眺めると、必死になって爪で空を掻き、ジタバタ藻掻く。
軽く体をひねればすぐに起きあがれるだろうが、考えつかないのか必死に足掻いている。
「可愛いわ……」
 紫水晶のような瞳を潤ませ、クルトが呟く。 
その目の前ではまだジタバタと尻尾や手足が宙を掻いている。
「脳味噌無さそうだな」
「チェリオ……そんな可哀想なこと言わないでよ。
 あの子も頑張ってるんだから」
「そうよ。あんなに必死に頑張ってるじゃない」
「魔物に肩入れしてどうするんだお前ら」
 何故かフォローをする二人に向かってチェリオは半眼で呻いた。
すぐ後に、とさっと着地する音がした。
視線を先ほどの物体に移すと、さっきのように転がる要領で反転し、着地するところだ。
右の前足が軽く地面につき、そりに少し遅れてその後ろ足が付く。もう片方も同じように静かに地面に触れた。
 最後に鉄球のようなモノが付いた尻尾がゆったりと左右に揺れる。
「……見ろ。馬鹿なこと言ってるから体勢を立て直した」
しゃりっ…軽く動かした手が固い地面を爪でえぐる。
 獲物を捕るためと言うよりも掘るために硬くなった爪のように見えた。
「…………」
 光る双眸が全員を睨め付け、「カゥ」と、低い小さな威嚇らしき声をあげる。
 クルトの体が震える。
 そしてばっと顔を上げ、
「あぁぁぁぁ……何というか、凄く可愛いわ。持って帰ったら駄目ッ!?」
 拳を握りしめ、僅かに紅潮した顔で力説した。
「持ち帰りは駄目だ。試験忘れてないかお前」 
「連れて行ったら駄目だよ。確かに可愛いけど」
 二人が即座に却下する。
「うう。ううう……連れて帰りたい」
 少女が手を開閉しながらうめき声を上げる。紫の瞳が潤んでいた。
 赤サビ色の生き物は、それを不思議そうに大きな黒メノウの様な瞳で眺める。
少し首をかしげ、「カゥ」と鳴いた。
 それを見ながらルフィも首をかしげる。
「……魔物って……この子かな」
「かしら。かなり無害そうだけど」
 彼の言葉に同意しつつもキラキラと瞳をきらめかせる。
 二人と違い、渋面でチェリオは口元に手を当て、考えるように呟いた。
「コイツ。何処かで見たような……大体の魔物は記憶して居るんだが」
 生き物は、じっとクルトの顔を見上げる。
クルトのある種の限界が突破した。
「いやーーもう駄目。可愛すぎるッ」
 ぺたんと地面に膝をつき、その生き物の頭を軽く撫でる。
「あ」
「コラっ」
「カゥ…」
 クルト以外の動揺を余所に、その生き物は気持ちよさそうに瞳を細め、クルトの手に頭をこすりつけた。
「……可愛いわ」
 何故か涙ながらにそう言うと、軽く爪を立ててカリカリと引っ掻く。
気持ちが良いのか、グルルと喉を鳴らし目を瞑った。
「大人…しいね」
 拍子抜けしたようにルフィもしゃがみ込み、ジッと甘えている魔物を見つめた。
「確かに……いや」
 同意し掛けたチェリオの動きが一瞬硬直した。
「ごろごろ」
 その足下ではクルトが楽しそうに魔物の腹を撫でている。
 かるく撫でられるたびに体をくねらせ、「くふぅ」と小さく吐息を漏らしていた。
「チェリオ……どうかしたの?」
「…………思い出した」
「ん? どうしたのよ」
 青年の変化に気が付き、クルトも視線を向ける。
しかし魔物をいじるのは止めない。
「………………」
 呼びかけられ、そう経たないウチに彼の顔色が蒼白に変わった。
「え?」
「へ……」
 ルフィとクルト二人はほぼ同時に間の抜けた声をあげる。
 チェリオは蒼白のまま硬直し、動かない。
「どうしたのかしら……」
 安全と分かったため、警戒心の欠片もなく魔物を膝に抱え、撫でる。 
 「カゥ」と、当の本人も特に抵抗もせずにそれを受け入れていた。
「チェリオ?」
 二人が小さく言葉を漏らす。
 それに弾かれるようにチェリオがバッと体を動かした。
「止めろ。その魔物を俺に近づけるなッ!!」
『へ』
 脂汗をにじませてのその言葉に、二人は同時に声を漏らす。
 動きの止まった愛撫に魔物が不満げに手足をばたつかせ、再開をねだる。
「いや、何怖がってるの? こんなに大人しいのに」
 気を取り直したクルトは、またゆっくりと魔物の頭や腹を撫でながら眉を寄せて抗議する。
ジタバタと動いていた手足が静かになった。
 少女の言葉にルフィも続く。
「そうだよ。全然危害加えない上に友好的みたいだし」
「お前ら見かけに騙されるな。それは恐ろしい魔物だッ!!」   
二人ののどかな態度を一喝し、チェリオが魔物を指さす。
「恐ろしい」
「魔物……」
チェリオの動きに合わせ、クルトの膝で気持ちよさそうに丸まっている魔物に視線を移す。
 見えない。
 何処からどう見ても見えない。
180度。いや、裏にひっくり返そうが、表にしようがとてもそうは見えなかった。
『冗談ばっかり』
 似たような動作でパタパタと片手を振り、苦笑した二人の声が見事に唱和する。
チェリオの口元が引きつった。
 ダンッと大きく足を踏み、
「良いから離れろ今すぐ離れろ。
 口答えするな俺の言うことを聞け。
 グダグダ言うんじゃないとにかく今すぐに離れるんだ!」
何時になく強い口調で激しく言い募る。
 二人はその剣幕に気圧され、ビクリと反応し、彼から離れるように僅かに体を反らせた。
「ど、どうしたのチェリオ……」
「そ、そうよ。だってこんなに大人し」
「喧しい。見た目に惑わされるんじゃない。コイツは魔物だぞ!
 見た目と中身が比例しているとは限らない」
「そ、それはそうだけど」
 クルトが少し膝を動かした拍子に、また愛撫を中断され、不満そうに手足を動かしていた魔物がころんと地面に転がり落ちる。
「それに、何よその命令口調。むかつく」
 クルトが口をとがらせ、青年に鋭い一瞥を送る。
「カゥ……」
 生き物は、コロコロとしばらく転がった後ぺたんと座り込み、
チェリオとクルトを交互に見ながら不思議そうに大きな瞳をパチクリさせた。
「ムカツクという以前に、うぉ近寄るなッ」
 反論をしかけたチェリオだったが、いつの間にか自分の方を見上げている魔物を見て手でシッシッと追い払うそぶりを見せる。
 それを見たルフィが少し困ったように微笑んだ。
「……チェリオ。猫じゃないんだから」
「カゥゥ」
観察にも飽きたのか、カリカリと自分の頭を後ろ足で掻いた後、たしっと立ち上がる。
 ゆっくりと尻尾に付いた鉄球が左右に揺れた。
「大体この子のどの辺が危険なのよ」
 言い募るクルト。
 その脇をトテトテ通り過ぎ、少し離れたところで尻尾を左右に揺らし、トロンとまぶたを半分落として魔物が眠そうに座り込む。 
「コイツは……」
何かを言おうと口を開いたチェリオが、何かに気が付いたのか、魔物に視線を移して固まった。


 




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