ルストモンスター-1






 定刻より少し早く、教室の扉が開いた。
慌てたようにほとんどの生徒達が自分の席に走っていく。
「……あれ?」
 幼なじみの少年と談笑していた少女は、出てきた人物を見て首をひねった。
「おはようございます〜」
 ゆっくりと扉を閉め、金髪碧眼の青年が、パタパタと手を振って穏やかな笑みを浮かべる。
腰の砕けるような挨拶を見ながら、生徒達は愛想笑いに近い笑みで「お早うございます」と返答した。
「クルト……席に戻った方が良いんじゃ?」
 生徒達を見回して挨拶をする青年。ここ……ヒュプノサ学園の校長。
レイン・ポトスールを見ながら、空色の髪の少年が、談笑を止めて幼なじみの少女を肘でつついた。
クルトはつつかれた自分の脇を小さく片手で撫で、
「平気平気。大丈夫、大丈夫」
 肩をすくめて答えた。すくめた拍子に、長めのツインテールが揺れる。
「でも……」
「ルフィは本ッ当に心配性ねぇ」
 なおも言い募ろうとする少年を見、呆れたように首を振る。
「席に座った方が本当に良いと思うんだけど」
「しつこいわね。なんでよ。別に校長のことなんだから、他の生徒を軽くお茶に誘ったりするとか、
そんなつもりなんだから別に今更気を張りつめなくてもどうこう言われたり――――」
「実はそんなつもりじゃないんですよねー。残念ながら」
「後ろにいるから……」
突如割り込んできた校長の言葉に、ルフィの言葉が重なった。
 ルフィは引きつった笑みを浮かべて、困ったようにクルトを見ながら後ろを指さしている。
「あ、あらぁ? 何かご用でしょうかしら」
 微妙に歪んだ愛想笑いで振り返り、なれない敬語を使って精一杯誤魔化した。
 肩越しに、いつも通りの柔らかな微笑をたたえた校長の姿が見える。
「クルト君。言葉が変ですよ」
「だってなれてないんだもん」
 校長の指摘に、あっさりと敬語を使うのを諦めて嘆息する。
「まあ、ムリに覚えろとは言いませんけど。クルト君はそちらの言葉遣いが合ってますしね」
「でも、クルト……頑張れば敬語くらい出来るはずなのに」
寛容な校長の言葉にルフィはちょっと反論するように呟いた。
「むちゃいわないでよ」
「無茶じゃないよ。だって前、エミリアさんに張り合って一日敬語使ってたよ?」
「あー。あの話はやめて。今思い出すだけでも鳥肌が」
 よほど嫌だったのだろうか、ルフィの指摘にクルトはブルリと体を震わせ、肩を抱く。
「それにあたしは張り合ってなんか居ないわよ。あの暴走女が人のこと「野蛮人」だの
「礼儀知らずもはなはだしい」だのとやかましかったから、仕方なくやったの!
 大体あたしは堅苦しい決まり事とか、流儀だのまもるのなんて苦手だし」
「確かにあの時は僕も驚いたし、みんなもどことなく目を合わせてなかったけど」
 クルトの言葉にルフィは相づちを打つ。
 しばらくの沈黙の後、クルトは少し目をそらし、
「……ルフィ」
「え?」
「他の奴に言われるより、アンタの一言の方が素直な分、結構キツ……いや、良いわ。
 気にしないで」 
「……?」
ふて腐れたように言葉を途切れさせたクルトを見て、ルフィは首をかしげる。
「ま、まあともかく、よ。それにしても何かあるの?校長。こんな早くに」
 コホンと小さく咳払いをし、尋ねる。
「あ、ヒドイですねぇ。何か無いと僕は早くに来ちゃいけないんですか」
「うん」
 すねたような校長の言葉に、何のフォローもなく、クルトは頷いた。
「ちょっと、クルト……そんな言い方しなくても」
 少し殺生な幼なじみの態度に、ルフィは引きつった笑みを浮かべて注意する。
「えー?」
 クルトはぷぅっと頬をふくらまし、なにやら言いたげにルフィを見た。
「だってホントのことだもん」
「いや、だからってそう言う言い方は……」
「ルフィ君まで、そう言う風に思ってたんですか!? しょっく」
 ウルウルと瞳を潤ませて、壁にいぢいぢと『の』の字を書く。
 いじけ始めた校長を見て、ルフィがハッとしたように口を押さえた。
「あぁぁぁぁ。べ、別にそう言う意味じゃなくて、その、あの。
 ああ、済みませんっ」
「オトナ気無いわよ。こーちょー。みっともないから止めなさいよ」 
 ペコペコと平謝りになるルフィを見て、クルトは呆れたように嘆息する。
「まあ、それもそうですね」
「こ、校長先生〜」
瞬時に態度を翻す校長を見て、ルフィは情けない声をあげた。
「あたしの幼なじみいじめないでね。何か付いていけなくて困ってるみたいだし」
「わかってますよ」
 金髪を掻き上げ、半眼になったクルトの言葉に頷く。
 その行動に文句を言う気力も失ったか、少女は何も言わなかった。
 ふと、何かに気が付いたようにクルトは大きく息を吸い込みつつ、無造作に窓を開けた。
「で、アンタはそこで何をしてるのよ。チェリオ!」
 肺に溜めていた空気を一気にはき出す。
「よぉ……早う」
 相手は質問に答えず、軽く片手をあげて挨拶をした。
「あ、チェリオ。お早う」
 ルフィが満面の笑みをたたえ、それに答える。  
「そこ。何自然に挨拶交わしてるのよ」
「……チェリオ君。樹の上から教室にはいるのは止めて下さい」
 クルトと校長がそれぞれ突っ込みを入れる。
 ルフィと挨拶を交わしたのは、栗色の髪と瞳を持つ長身の青年。
 涼しげな瞳も、今は眠たげに落ちかかっているまぶたに遮られ、微睡みの中にいるようにしか見えない。
 教室に一番近い大木の、枝先に立っている。
 絶妙のバランスで歩いているのか、弓のようにしなっている枝だが、ある一定以上は曲がらない。
「めんどい」
 チェリオは嘆息してスタスタと教室の窓に近寄る。枝はぎしりとも音をたてなかった。
 風で彼の白いマントが翻る。 
「あの、窓の桟に手を掛けないで…って、僕の話聞いてます?」
「聞いた。引き返すのがメンドイ」
校長の抗議も虚しく、ヒラリと桟を飛び越え教室に入る。
「よし。来たぞ。今日は俺に何か用があったんだろう?」
「いや、そうなんですけどー。僕の言うことを少しくらい聞いてくれても」
「一応聞いた」
「全然聞いてくれないじゃないですか」
「だから、話は聞いただろう」
腕を組んで憮然と呟く。ガクッと校長の肩が落ちた。
「そう言う意味じゃなくて」
「……だから、玄関から入れって言ってるのよ。樹から入場する奴が何処にいるわけ」
「ここに」
クルトの言葉に平然とチェリオは自分を指さした。
「そぅいぅ意味じゃなぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」
 少女はダンダンと床を踏みしめて絶叫する。
「一体何が言いたいんだ。お前ら」
 冷たい目でそれを眺めながらチェリオは嘆息した。
 クルトの顔が少し引きつる。
「……今度から、玄関で来ようね。チェリオ」
「気が向いたらな」 
ルフィの苦笑混じりの言葉に、チェリオは面倒くさそうに頷いた。
 

 
「今日の授業は……コレです!」
 全員が席に着いたのを見計らって、校長は黒板に地図を貼り付ける。
 クルトが首をかしげた。
「歴史?」
「違います」
「地理?」
「違います」
「魔物の分布?」
「違います」
「あーもうっ。だったら何なのよ!」
上げる言葉を次々と否定され、クルトは苛立ったような声をあげる。
 そんな彼女を尻目に校長はある一点に赤い印を付けた。
 そして、しばしの間をおき、
「今日は皆さんの大好き〜な、テストです!」
 ニコニコと爽やかに微笑みながら告げる。
『えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?』
教室中から不満の声がわき上がった。
「それで、地図とテスト……どう関係が?」
 テストと聞いて一番混乱しそうなクルトが、意外と冷静な指摘をする。
「良いところに目をつけましたね。その理由は」
「実技だからだろ」
嬉しそうな校長の言葉に、チェリオが先手を打つ。
 笑顔のまま固まった校長が塩を掛けられたナメクジのようにしおしおと教卓の下に沈んでいく。
「ぅぅ。先に、先に、先に………」
 教卓から見えるのは、彼の金髪だけとなった。
うめき声に似た恨めしげな呟きが教卓の下からボソボソと聞こえてくる。
「校長。不気味だから出てきてよ」
 クルトが半眼になって教卓を見つめた。
 後ろの席で、ルフィが声を潜めながら注意する。
「チェリオ……台詞取ったら駄目だよ。校長先生がいじけるから」
「今度からそうする」
「所で、校長。実技試験て何処で何をするの?」 
「さる洞窟で実技です。といっても、洞窟を一周すればOKなんですが」
 クルトの疑問に校長はようやく机の下から抜け出てきた。
 その答えにクルトは人差し指を口元に当て、
「洞窟を廻るだけ? へぇ。案外簡単ね」  
そう言ってニヤリと笑う。
「そう。簡単です。ただし、どんな魔物が出てくるかは秘密。
 運も試されますね」
「魔物も出るの?」
「出ますよ。何言ってるんですか」
 キョトンとしたクルトの問いに、さも当然だと校長は笑う。
「……でも前試験で入った洞窟は」
「そうですねぇ。魔物の居ない洞窟を割り当ててましたから。
 でもそろそろ魔物の2.3匹倒せますよね」
「そ、そりゃそうよ。魔物の1匹や2匹。3匹や4匹……5匹や10匹」
 この間行ったリトルサイレンスの遺跡を思えば、その程度は出来るだろう。
 しばらく沈黙した後、校長は微笑んだ。
「そこまで倒して頂かなくて結構です。洞窟が崩れますから」
「…………崩すなよ」
 校長の後に、チェリオがポツリと呟いた。
「アンタにまで言われなくても分かってるわよっ」
 カッ、と蛇のように口を開け、クルトは答えた。
「どぉだか」
 クルトの言葉にチェリオは「ふっ」と笑う。
 一度遺跡を崩し掛けたのは何処のどいつだった。と、その目がいっている。
 流石に何も言えず、沈黙したまま俯いた。 
「まあ、とにかく。一応中の魔物は大したことありませんのでご心配なく」
「……大したこと無いのなら、俺が行く意味あるのか?」
 そう言いながら、隣に座る少女の方に意味ありげな視線を送る。
 クルトの口元が引きつった。
「なによ? その『お前一人だけで全滅させそうだ。凶暴だから』とかいったカンジの目は」
「おしいな。凶暴だからじゃなくて『暴力女』だからだ」
「…………」
 がだっ。無言で彼女が片手を付いた机が軋む。
「まあまあまあまあ。落ち着いて下さいよ。
 ちゃんとチェリオ君の質問に答えますから」
 殺気を放つ二人に向かって、校長は穏やかな表情で笑った。
 そんな校長とは違い、周りの生徒は身を守る、または逃げ出す用意をしている。
 それを見て、クルトはしばらく納得いかなそうに頬をふくらませた後、渋々と席に着いた。
校長が説明を再開する。
「護衛をつけるのは、ですね。まあこのご時世ですから……
 気温や湿度が最適で手強い魔物さんが出てくるかもしれませんし、保険って所でしょうか。
 あ、ちゃんとお給料分の働きくらいはして下さいね」
「気温や湿度……って、カビや雑菌じゃあるまいし」
 校長の呑気な言葉に、呆れたようにクルトは嘆息した。
 チェリオが後の言葉に小さく頷く。
「わかってる」
「まあまあ、心配しない。ちゃーんと他にも護衛をつけますから。
 行く途中に魔物が出るかもしれませんから、もう一人つけておきますね」
 そう言って教卓の下から一抱えほどの箱を取り出す。
「もう一人?」
 チェリオが不満げに眉をひそめる。
「チェリオ君の腕を信頼してない訳じゃないですよ。
 でも、チェリオ君一人だけじゃ全員は無理ですから、ね」
「……確かにな」
 校長の言うとおり、一人や二人ならともかく十や二十の生徒を一気に守れる保証は出来ない。
「しかし、2人に増えたところでさほど変わるとも思えないが」
「んんー。普通に考えると確かにそうですね。
 でもあの人は広範囲の攻撃が得意ですから大丈夫」
「ちょっと待て。広範囲の攻撃って……巻き込まれるのは御免だぞ」
 校長の言葉に、チェリオが渋面で待ったを掛ける。
 大抵広範囲の攻撃というのは見境がない。相手モロとも味方を巻き込むというのもザラだ。
「まあ、そう思ってちゃーんと全員分の予備対策を用意してあります」
「予備対策ぅ?」
校長が教卓置かれた箱に手を置き、朗らかに笑う。クルトが嫌そうに顔をしかめた。
何か嫌な予感がする。
「所でその箱はいったい何なのよ?」
「箱です」
 クルトの質問にしごく真面目な顔で校長は答えた。
今まで我慢していたが、今度こそ、席を立ってツカツカと校長の目の前に立つ。
そして一気に襟首を掴みあげた。
「だぁかーぁらぁ。その中身はいったい何なのかって聞いてるのよっ!」
「まあまあ。軽いお茶目なジョークにそこまで目くじら立てないで下さいよ」
「校長が言うと冗談に聞こえないの!」
「そんなつれないこと言わないで下さいよぉ。クルト君」
「猫なで声出さないでよ。気色悪い」
 半眼になって睨まれ、校長は悲しげに首を振り、箱を開く。
「つれないなぁ……反抗期ですかね……」
「誰が――――――ッ!?」
誰が反抗期よ、と言いかけたが、箱の中を目にしてクルトは引きつった声を漏らす。
「今日、皆さんにお配りするのはこれでーす」
 穏やかな笑みのまま、校長が取り出した物を見て教室に戦慄が走り抜けた。

 




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