叩き付けられる。
―――黒い影が。
ナイフが宙に舞い、地面に突き立つ。
それを引き抜き、ルフィは面白くも無さそうな眼で湖の中に投げ捨てた。
「ナイフが落ちてたら危ないよ」
水音に答えるように、小さく呟いて空を見た。
何が起きたのか、分からずに少女は目を見開いたまま沈黙する。
今、自分の護衛が目の前の少年に向かい、そして……地面に墜落した。
一瞬硬直していた黒装束達だったが、硬直がとけると同時に少年に向かう。
「…………」
特に恐怖も、驚愕も浮かべず、ルフィは月をに視線を向けたまま。
うなりを上げる拳が、逸れた。
避けたそぶりすらない。
軽く体をずらす、ただそれだけの動きで攻撃が柔らかな草を薙ぐように外れていく。
微かに触れるようにルフィの白い手の平が相手の体に触れ……
もの凄い勢いではじき飛ばされ、それに一人がぶつかり、二人は地に伏せた。
ルフィが動く。
やはり、攻撃は当たらず、滑らかに体を動かし、浮かすように手を添える。
それだけで、瞬時に人が倒れていく。
緩やかな柔の動き。
そう経たない内、全ての護衛で立っているモノは0となった……
彼らから取り上げた刃物を片手で弄び、
「こんなの振り回したら危ないのに」
といって湖に投げ捨てた。
ゴミ捨ては良くないが、人の命には替えられない。
「く……此処まで強いとは思いませんでしたわ。
でも、他にも攻撃手段はありますわよ」
唇を噛み締め、アリアスは往生際悪くそう呻いた。
「…………」
瞳を僅かに伏せ、それを見つめる。
その視線にすら気が付かず、少女は髪を優雅に掻き上げ、
「貴方のお友達。確か平民でしたわよね。
調べは付いていますわよ、確かクルトと言ったかしら、そのお友達の命が惜しくな――』
「魔物でも何匹か召還して連れて行ったの?」
言葉を遮り、尋ねる。
「ふん、たかが小娘一人。男二人もいれば十分でしたわ」
遮られた事に気分を害したのか、不機嫌そうな顔を一瞬したが、気を取り直し微笑した。
「じゃあ、連れてきて」
顔色すら変えず、ルフィは微笑を浮かべた。
動揺したようにアリアスは少年を見、
「じ、事情があって連れてこられませんわ」
顔をしかめる。
それはそうだろう。
彼女は、『クルト』がどんな少女なのか知らないのだ。
たかが男二人……いや、魔物数匹程度でどうこうできる相手ではない。
情報ミス。
ただのはったりだ。
「それなら、好きにすると良いよ。僕には何も関係がない人みたいですから」
微笑を浮かべ、そう言うとあからさまに顔色を変えた。
「さ、最後の手段ですわよ!」
「…………」
沈黙してそれを眺める。
残念だが、その位で捕まるような知り合いは学園には居ない。
「あの、カルネというメイドがどうなっても良いんですのね!」
僅かに、ルフィに動揺が走る。
それを見、アリアスに余裕が戻った。
「先程は貴方が余計な真似をして頂いたお陰で失敗致しましたけど、今頃は―――
と、動いたら連絡をつけて首をはねてしまいますわよ」
指先程の板を見せ、困ったように笑う。
「…………っ」
翻そうとした体を止め、少女を僅かに睨み付けた。
「メイドの一人や二人、居なくなったとしても、そんなに気にはなりませんわよね。普通」
小さな体には不釣り合いの、妖艶な笑みをアリアスは浮かべた。
ぞくりと、悪寒が走る。
本気の声音だった。
抵抗しても命を取る。叫んでも命を取る。踵を返して助けにもいけない。
ならば残された手段は……
「…………」
唇を噛み、空色の瞳を伏せる。
「……分か」
「おーーほほほほほほほ」
深い吐息を吐き出し、紡ぎ掛けた言葉は高笑いによってかき消された。
「え?」
響いてきた声音にルフィは顔を上げ、アリアスは怯えたように顔を歪める。
「な、何が起きましたの?」
『大貴族と名高いマウスンも墜ちましたわね!』
言葉と同時に樹の上から、白い影が落ちた。
金髪をなびかせ、白いドレスを身に纏い、切れ長の瞳を己の美貌と能力の為、自信に輝かせている。
アリアスと違うのは、権力と能力の違いだけ。自意識過剰には変わりがない。
「え、エミリアさん!?」
驚きに目を見開き、ルフィが声をあげる。
「あら、マインド様。何故コチラに?」
「それはもう、貴女がこそこそと扉の鍵を無断で開いて怪しい人達を庭に招き入れたところを見たからですわ」
「なっ……」
「やっぱり……」
扉を開けたのは彼女自身。それにならば妙に手薄な警備にも説明が付く。
「立派な脅しですわね。これを私がみんなに言ってしまえばどうなるかしら……
面白い事になりますわねぇ、きっと」
そう言いながら、エミリアは横目で少女を見、光の玉を手の平に浮かべた。
アレは、記憶用の魔法。
恐らくあの中には、今までの会話が全て記録されているのだろう。
見る間にアリアスの顔が青ざめていく。
形勢は、一気に逆転したようだった。
「あ、そうだカルネが」
ハッとしたようなルフィの言葉に、気が付いたらしく連絡用の板を握り、
「そ、そうですわよ。私に逆らうとその娘の命は―――」
「何を言ってますの? もう私の部下が、貴女の護衛なんて既に伸しちゃっていますわ!
おほほほほほほ。これだから思慮の浅い方は困りますわ」
エミリアが嘲笑を交え、それを一蹴する。
「なっ……」
これで、アリアスの勝機は無くなった。
力尽きたように、がくりと膝を付く。
「エ、エミリアさん……どうして……?」
怒濤の展開に少しばかり付いていけず、間の抜けたような声を上げ、ルフィは呻いた。
「ふっ、愛しきルフィ様の為ならば、たとえ火の中水の中、魔窟の中ででも参上致しますわ!」
エミリアは何処からか扇を取り出し、口元を覆うように広げ、ルフィを見る。
「エミリアさん……」
『待たんかおのれわあぁぁっ!』
ちょっと感動し掛けたルフィの後ろから、蹴りが飛んだ。
がっきと意外と硬質な音をたて、扇はそれを食い止める。
「くっ……ルフィ様との甘いひとときが!」
口惜しそうに言うエミリアの言葉に、蹴りを放った人物は腰に手を当て、人差し指を立てる。
「なんか一人だけでやったみたいに。もう、油断も隙もない!」
「あまり騒ぐと人が来る。黙れ」
後ろから、青年の声が掛かった。
「へいへい。分かってますよぉ」
その光景を見ながら、ルフィは呆然と目を見開いたまま佇む。
足が、すくんだように動けなかった。
「クルト?」
掠れた言葉に答え、
「はぁい、クルトちゃんです! で、こっちがオマケで付属品のチェリオね」
「おい」
紫水晶のツインテールを闇夜になびかせ、少女はウィンクを送った。
その後ろには半眼の青年。
栗色の短髪は、月夜に輝き金色に輝く。
切れるような美貌をもつ背の高い青年だった。
対して隣の少女は小柄。
緑色のマントを身につけ、淡い色合いのスカートに白いシャツ。
大きめの瞳のせいで幼い印象を受ける。
神秘的な色合いの髪と瞳。
歯切れの良い彼女の口調と、元気な性格でそれは薄れている。
幼なじみの少女を見て、ルフィの顔が安堵に歪んだ。
「クルト〜〜」
「あーはいはい、ルフィ。頑張ったわねー格好良かったわよー」
ポムポムと泣きそうな少年の肩を叩き、笑顔になる。
「貴女が……何故此処に……?」
「エミリアの馬車に無断乗用したの」
アリアスの尋ねる言葉に、何の躊躇いもなくクルトは言い放つ。
聞きながらエミリアは金髪を掻き上げ、
「全く持って、困った方々ですわ」
蒼い瞳を細める。
気まずげに少女は肩をすくめ、
「いやーなんかこういう夜会ってちょっと興味が」
天真爛漫な笑顔で、片手をパタパタ振った。
「見つかってなかったとしても、三日間どうするつもりでしたの」
呆れたように金髪を掻き上げつつそれを眺め、僅かな疲れを滲ませる。
青年は何の事はない、と言うように瞳を瞬き、
「俺は携帯食を食べるつもりだったが」
告げる言葉に少女が反応した。
「えぇっ!? チェリオずるい!」
全然準備をしていなかったらしい。
一瞬それを呆然と眺めていたチェリオだったが、痛むこめかみに指を当て、
「……お前、少しは後先考えろ。たまには」
呻いた。
ピクリと眉を跳ね上げ、少女は腰に手を当てて睨む。
「考えてるわよ! 失礼ね」
「ほお、続きは?」
冷静に驚きもせず、チェリオは頷き、続きを促した。
一瞬、ピクリとクルトの肩が震えたのが見えた。
何かの葛藤と、苦悶の混じった顔を僅かに上げ、
「……考えるけど実行に移すのを、つい。忘れるのよ」
地面に言葉を落とす。
「……何時か死ぬぞお前」
ぽつりと、それを聞きながら青年は小さく呟いた。
ごす、ともの凄い音をたて、鳩尾に膝が食い込む。
クルトはゆっくりと曲げた足をおろし、
「むう……またしてもやってしまったわ。いけないいけない」
と、軽い失敗をした時のような顔で首を振った。
「オイ、さっき……男二人向かわせたとかいってたようだが……
コイツはその程度でくたばる程の可愛げは」
余計な言葉を言ったチェリオは、顔面に掌打を受け、沈黙した。
「オホホ、確かにこのじゃじゃ馬娘を黙らせるには不十分ですわね。
黙らせたければ、魔導師の一個隊は必要ですわよ」
「うあむかつく」
高圧的に言い放つエミリアに、クルトは険悪な視線を向けて口をとがらせた。
エミリアは軽く鼻で笑い、
「あら、並の魔導師程度に破れてしまう程、貴女の魔力はお子様並みなのかしら?」
髪を掻き上げる。
挑発された少女は、両手を広げ、
「違うもん、魔導師なんて言わず、魔物の十数匹程度欠伸してる間に倒せるわよ!」
力説した。
その言葉に、アリアスが絶句する。
「な……」
漸く、自分が侵した初歩的なミスに気が付いたらしい。
「そう言うわけですのよ。でっち上げに選んだ相手が悪かったですわね」
愕然とした表情の彼女に向かい、エミリアは冷たく言い放った。
それを止めたのは、……ルフィだった。
「えっと……んと……取り敢えず、アリアスさんはもう寝た方が良いと思います」
座り込む彼女に手を貸し、立たせる。
「え……?」
眼を白黒させながら、アリアスは口を金魚のように開閉していた。
「取り敢えず、このお話は破談ですよね。あ、決まってなかったですけど」
微笑み、言う言葉に小さく頷く。
もう、脅してどうのという次元ではない。
「じゃ、これで終わり。お休みなさい」
ルフィは満足げに頷き、アリアスに付いた埃を丁寧に落とす。
「え? あの……私を罰するとか」
「んーと……別に、そんな気は無いですから」
全く怒った様子を見せないルフィに苦笑しながらクルトは頬を掻く。
「相変わらず甘いわねぇ」
横目でそれを見、
「あら? そう言う貴女だって違うんですの?」
エミリアは意地の悪い笑みを浮かべた。
「うう……そ、そんな事無いわよ。ずたぼろに叩きのめすんだからそんなコトされたら」
詰まったように言葉をドモらせ、クルトは否定する。
その襟首が、担がれた。
眠たげに少女を荷物よろしく抱え、
「眠……サッサといくぞ」
青年は歩き出す。
「何処に!?」
「帰る」
悲鳴のような絶叫に眠たそうに答える。
「今から!?」
「此処は堅苦しい」
律儀に答えるチェリオの言葉が遠くに消えていった。
「ふあ……私も寝ますわ。夜更かしは美容の天敵ですもの」
口元を覆い、エミリアは欠伸をかみ殺し、
「では、ルフィ様御機嫌よう」
優雅に一礼すると去っていく。
それぞれの後ろ姿を眺めながら、少年は小さく安堵の吐息を漏らし、
「……みんな、有り難う」
小さく微笑んだ。
微かな音。芝を踏みしだく僅かな雑音。
後ろから、怒りを押し殺したような、低い…低い声が聞こえてきた。
「……何で怒らないんですの。何故罵らないんですの!
哀れみや同情で見逃して貰いたくありませんわ! ばらすならばらして!」
泣きそうな顔でアリアスがルフィの襟元を掴む。
怒られるいわれはないのだが、ルフィは困ったような微笑で、
「うん……その……僕と一緒だったから」
「………え?」
彼女の、手の力が抜けていく。
「僕も、ずっと屋敷にこもってたら君と同じ事していたかもしれないから」
手が、離れた。
「だから、全然気にしてないよ。
だって、この狭い監獄のような場所で、暮らしていたらそうなって当たり前だから」
襟元を軽く直し、そこでハッとなる。
「あ、す、済みません言葉遣いが!」
自分の言葉遣いが普段に戻っていた事に気が付き、慌てて謝った。
ポカンとそれを眺めていたアリアスは、目元にたまった涙を拭い、微かに微笑した。
「そんな事気にしてないから、平気ですわ」
それは、今まで見た中で一番無邪気な笑みだった。
「よ、よかったぁ……」
ほっと胸をなで下ろすルフィの前で、
「……き……だったら立候補して良いのかしら」
うわごとのように小さく、少女は呟いた。
「え?」
「あ、いいえ。何でもないんですの……何でも」
不思議そうに傾けたルフィの瞳には、何故か微かに頬を上気させた少女の顔が映り――
夜空は、星々を散りばめ。透き通るような光で満たされていた。
振動する馬車の中で頬杖を付きつつ、ルフィは横目で執事を見る。
終わってみればあっという間のパーティだった。
最初の嫌悪感にも似た拒否症状とは違い、現在は心中穏やかなものだ。
今は来た時とは逆の道、帰路についている。
「ねえ、爺や」
執事は厳めしい顔を崩さず、振り向いた。
常人ならこの時点で怯えるが、幼い頃から見慣れているルフィは気にならない。
「何ですかな?」
「カル…えと、僕に付いていた子はこれからどうするの?」
まず一番に気になるのはそれだった。
少し考えるように執事は眼鏡の縁に手を添え、
「そうですなぁ、これから数ヶ月先方で修行した後、雇い主を捜すと申しておりましたが」
軽く直す。
それに相槌を打ち、窓を眺めた。
「ふーん」
その様子を見ていた執事の顔が僅かに曇った。
「何か粗相でもいたしましたかな」
「ああ、そ、そんなんじゃなくて……」
慌てて否定し、首を振りつつ手をばたつかせる。
執事は顎髭を撫で上げ、
「では、なんでしょうか」
首をかしげる。
悩むように馬車の天井を数秒眺め、
「あのね、爺や」
ルフィはゆっくり口を開いた。
雇い先、心当たりあるんだけど―――
この後、余談だが……
何故か頻繁にルフィに手紙を送り始めたアリアス・レイ・マウスンの動向と同時期、エミリア主催のルフィファンクラブへ、会員が一人加入する事になる。
《パーティ・ザ・デンジャラス/終わり》 |