少年に言われたモノを持っていくのには、そう時間は掛からなかった。
厨房からお菓子を受け取り、言われた品物を袋に詰め、お茶の用意をしてお盆で運ぶ。
両手がふさがっているので歩きにくいのが難点だったが。
苦労して扉をノックする。
「はい、どうぞー」
扉を開くと、顔を上げ、小さく微笑んだ少年がコチラを見ていた。
片手には本が乗っている。
「お、お持ち致しました!」
(早く渡さないと……)
バランスを取りながら、そちらへ向かう。
ユラユラ揺れながらも、確実に一歩ずつ。
何を思ったのか、ルフィは椅子から立ち、本を机に置くとコチラに向かってきた。
「え? あの……何か? きゃ!?」
丁度真正面に来た時、バランスが崩れ、尋ねた言葉が悲鳴に変わる。
片手の重みが軽くなった。
(ポットが……)
ポットがバランスが崩れた際に落ちたのだろう。
サッと自分の血の気が引く音が聞こえた。
あんなモノをかぶったら大やけどだ。
両手を操り、漸くバランスを保った。
「ふう……」
間近で聞こえたため息に、慌てて顔を上げる。
「す、済みません。や、火傷はしませんでした!?」
口をついたのはこの一言。
火傷でもさせていたら事だ。
お嬢様に怒られてしまう。いや、この少年に傷を付けてしまう事自体が嫌だった。
だが、その心配も杞憂だったらしく、
「平気。倒れる前に救出できたから中身も大丈夫」
平然と片手でポットを揺らし、微笑む。もう片方の手にはお茶請け。
どうやらお茶請けも落ちかけたらしい。
「よ、良かった〜」
無事だった事に安堵の息が漏れるが、慌てて頭を下げる。
「あ、有り難う御座います」
一歩間違えていたら火傷を負わせる所だった。
責任感と罪悪感。そして羞恥が入り交じり、頬が熱くなる。
顔を見ると奇妙な表情になりそうで、頭を下げたまま無言で服の入った袋を渡した。
「ううん。服、どうも有り難う」
やはり怒らずに礼を言い、ルフィは受け取って袋を開く。
「…………」
数種を確認した後、感心したようにコチラを見つめる。
独自で調べた趣味だったが、選び方は間違っていなかったか心配だった。
「あ、あの……シルフィ様の気に入るような服を……調べていたんですけど……その……お気に召しませんでしたか?」
視線が痛くなり、様子をうかがうように見上げた。
それに静かに首を左右に振り、
「有り難う。僕の好きな色とか、調べててくれたんだ……有り難く使わせて貰うね」
本当に、嬉しそうに微笑みながら、もう一度ルフィは礼を言う。
子供のような純粋な笑顔。
見ているこっちまで嬉しくなりそうな、そんな微笑み。
「は、はいっ」
どきりと心臓が跳ね上がる。
(……優しいひとだなぁ)
白くもやの掛かったような思考で、うわごとのように考える。
少しトーンの落ちた声が掛かった。
ばれた? と慌てて顔を上げるが、考えた事を見抜かれたわけでもないようだ。
「あ、そうだ。その……呼び方どうにかならないかな……」
ため息混じりに言ってくる。
意味が飲み込めず、
「シルフィ様ですか?」
間抜けな声を漏らしてしまった。
「うん」
大真面目に少年は頷いた。
僅かに間を置き、
「じゃあ、御坊ちゃま?」
「うう、それは嫌」
尋ねたが却下された。堅苦しすぎるらしい。
首を少し傾け、ピックアップする。
「えっと、ご主人様?」
「もっと駄目だよ〜」
更にずん、と身を沈ませるようにルフィはうなだれ、首を横に振る。
「?」
「ルフィで良いよ」
疑問符を浮かべるカルネに、苦笑気味に肩をすくめた。
(ええ……そ、それはマズイかと)
その言葉に思考が混乱する。
何処か変わっている変わっているとは思ったが、本気でこの少年は、ずれていた。
「えっ……と。それは流石に」
「うーん」
眉を寄せるカルネの言葉に、思案するようにルフィは天井を眺める。
「じゃあ、ルフィ様」
首を傾けたまま提案を持ちかけた。
その位なら大丈夫だろう、そう思って。
「うん、仕方ないよね。それでよんで貰えると、嬉しいな。
えっと、僕はカルネって呼んで良いかな…歳も近いし」
頷き、お願いするようにカルネを見た。
(やっぱり変わってる……)
「ふふ、分かりました。ルフィ様、お客様がいらっしゃる前に私はこれで退―――」
「え? あ、ちょっと待って待って」
笑いを堪え、お客様の邪魔になるので退散しようとした肩が掴まれた。
「はい?」
不思議に思い、振り返ると少年が情けない顔でコチラを見ている。
「カルネが居なくなると、このお茶請け無駄になっちゃうんだけど……」
お茶請けを抱え、ルフィは途方に暮れたような表情で小さく呟いた。
「え?」
困ったように見つめる湖面のような瞳を、カルネは見つめたまま固まる。
予想外の申し出だった。
(わ、私を? メイドの私なんかをルフィ様が?)
自問自答するカルネを置き去りに、ルフィの話は続いていく。
困ったような、何かを強請るような表情で。
「うん。丁度歳も近いし、ほら、初めてあったばかりだから」
頷き、何かが喉に詰まったように少し顔をしかめた後、
「僕が無理矢理命令したとか言えば怒られないし。
怒られないように言い含めておくから、えっと…
その、話したければだけど」
軽く両手を動かして言ってくる。
(でも……でも)
俯いて考える。自分には過ぎた申し出ではないだろうか……
だが、少女の不安を拭うように少年は笑顔を取り繕い、
「あ、そ、そうだよね。忙しいんだったら無理には誘わないから。
御免ね無理言って。そちらにも都合があるよね。
えと……その場合これはどうしよう」
途中で多めのお菓子を見つめる。
「あ、いえ……そんな」
ルフィの様子に、心を決めた。
顔を上げ、頷く。
「えっと……じ、じゃあご馳走になります!」
嬉しい。
そう素直に思える。
自然と微笑みが零れた。
助かった、と言うようにルフィはお茶請けを机に戻し、
「本当? 有り難う。眠れなくて困ってた所で……
ああ、御免ねそんなのに付き合わせちゃって」
「え? いえそんな。眠れないんですか?
ああ、私がやりますから座って下さい」
ポットを抱えて注ぎ始めたルフィを見、カルネは慌てて声をあげる。
「ん? この位自分で……」
(うう、でも……でも……)
だが、それがカルネの仕事だ。
ルフィも気が付いたようにポットをカルネに渡し、ぎこちなく微笑む。
「や、やっぱり……お願い、しちゃおうかな……?」
「は、はいっ」
役目を取り戻し、微笑んで頷く。
「ゆっくりでいいから」
あまりの気合いに少し飲まれたのか、ルフィは困ったように笑って椅子に着き、静かに本を開いた。
細かな装飾の施されたティーカップに、琥珀色の液体が白い湯気を立てながら注がれていく。横には添えられた金のスプーン。
白い砂糖壺には、雪のように純白の砂糖。粗がない砂漠の砂のような細やかさ。
精緻な細工の彫り込まれた銀のスプーンが、白い砂浜へ無造作に差し込まれ、お茶請けには形、色様々なクッキー。
二人でも多いかな、と思ってしまうくらいの量がキッチリと並べられている。 大体は、残すのを想定してお茶請けや料理を渡すのだ。
手早くお茶を入れ、
「さっきの続きですけど、眠れないんですか?」
テーブルに音をたてないように並べてカルネは尋ねた。
「え、ああ…その…うん。何だか、豪華すぎて」
とても大がつく商人の息子とは言えない発言をしながら、ルフィはベッドや窓を眺めた。
習ってカルネもブラウンの瞳で視線を向ける。
鮮やか――と言うよりもどす黒く、血を好む夜の支配者が朝、就寝に付きそうな赤い天蓋が付いたベッド。
美麗と極彩色を取り違えたようなシュールな絵画。
綺麗ではなく、眩しすぎる金縁の窓枠。
ある意味お金の使い方を間違えているような気がする、高級な床板を覆い隠す分厚い絨毯。
「そう、ですね…」
カルネもルフィと似たような疲れたような顔で同意した。
最初は絶望的だと思った配属の割り当ても、今はラッキーだと思える。
出だしは順調だ。
その後、二人で他愛のないやりとりを交わしながら、夜は更けていった―――
何時も通りに朝日が差さぬ内から掃除をし、朝食の用意をする。
何時もと違うのは、今回のお客様は特別だと言う事だけ。
(起きているかしら)
ちょっと早めに着きすぎ、カルネは胸中で言葉を漏らす。
(で、でもルフィ様だったら起きてるとおもうし。多分、怒らない……はず)
自分自身に言い聞かせ、勇気を出して扉を叩く。
「ルフィ様? …あの」
「お早うカルネ。どうぞ入って、開いてるよ」
柔らかな声が聞こえる。
どうやら起きているらしい。
「え? もうお起きになられていたんですか?」
片手に難しそうな本を持ち、カルネに微笑を向け、
「うん、ちょっと……ね」
辺りを見て少年は首をすくめた。
「…………」
その仕草に、カルネは昨夜の会話を思い出し、口元に手を当て小さく笑った。
「そ、そうですね」
何処か楽しそうに、微笑ましい光景でも見るように少年は頷いた後、
「あ、良い匂い」
小さく呟く。
会話をしている内に忘れていた食事の存在を思い出し、横にずれる。
「ああ。そうだった。朝食をお持ち致しました」
「有り難う」
見栄え良く並べていく姿に、ルフィは笑顔で謝礼の言葉を述べる。
「い、いえ!? こ、これが私の仕事ですのでお気になさらないで下さい!」
(わ、私なんかにそんな言葉なんて……)
白いカップに紅茶を注いでいたカルネは、がばっと顔を上げた。
「え、えっと。一応お礼を言っただけで……そのカルネ」
手元に視線を落とし、ルフィがカルネの方を数度見る。
「わ、私なんかにそこまでお優しくして頂けるだけで光栄です」
(しかも、こんなに同等に)
感激が大きすぎ、手元が狂う。高そうなカップとポットが打ち合って澄んだ音が聞こえた。
「あの……」
「で、ですからそのあのそんなお礼の言葉なんて恐れ多――」
何か言っているような気もしたが、少し興奮気味のカルネには届かない。
「カ・ル・ネ!」
と、そこで一字ずつ区切るように強調した少年の言葉で声が途切れた。
身をのけ反らし、悲鳴のような言葉を紡ぎ、思い切り頷く。
「は、はいっ!?」
「あの、もうお茶は多すぎるから良いよ。そんな…許容量ギリギリまで入れなくても」
困ったような呆れたような……そんな微妙な表情で、少年は彼女の手元のカップを眺めた。
「え? あ」
話している最中にカップの容量を超え、溢れた紅茶が下の皿を濡らしている。
寂しげに沈んだ金のスプーンが覗いていた。
(きゃ〜〜〜〜)
心の中で悲鳴を上げながら片づける。
「す、すすすすすす済みません! す、すぐに入れ替えます!」
「えと……焦らないで良いから、ゆっくりどうぞ」
あまりの慌てぶりにルフィはどうどう、と両手を軽く揺らし、
焦り過ぎてひっくり返しそうな勢いのカルネを宥めた。
言われるままに数回深呼吸をし、
「は、はい」
コクコクと頷き、別のカップに注いでルフィに渡した。
「朝食は此処でとるんだね」
受け取り、口の中に含んで香りを楽しむように転がす。
その仕草は洗練された貴族と同等。いや、それ以上だ。
歳は自分と変わらないが、やはりこの少年は違うのだと思い知らされる。
「ええ。かなりの数の方々がいらっしゃいますから」
「……そっか……」
生返事を返し、口に含ませていたお茶を飲み込んだ。
考えるように天井を見た後、
「今日の日程は?」
「ええっと、お昼から夜中までずっとパーティです。
ですから、今のウチにキチンと食事をとった方が良いですよ」
調べておいて良かったと思いつつ、笑顔で答えた。
それに少年は頷き、
「そうだね。マトモに食べれないだろうから」
紅茶をもう一口。
貴族達との会合の席では、会話の方が重視される。
豪勢な食事や飲み物。それらはあるのだが、たいていの場合食べる暇すら与えてもらえない。
そう、カルネは聞かされている。
しかし、ルフィはウンザリと食べたく無さそうに食事を眺めていた。
軽く睨むと、怯えたように首をすくめる。
「うう、食べます」
小さく呻くようにそう言うと、安心したカルネの口元が和らいだ。
「ふふ。ルフィ様」
「ん?」
笑みを含んだ調子の言葉に、ルフィは不思議そうに紅茶を傾けた。
カルネは微笑み、
「私、果報者です。こんな優しくて、私みたいな者にも声を掛けて頂いて」
「えと…それはちょっと褒めすぎだと思うな」
少女の本音の言葉に彼は眉を寄せつつ、紅茶を含む。
だが……
「しかもこんなにお綺麗ですし」
「げほ、ごほっ」
その言葉で噎せた。
「だっ、大丈夫ですか!?」
慌てて少年の背をさする。
ひとしきり噎せ返った後、ルフィは涙目で彼女を見やり、
「あの……綺麗って」
恨めしげに聞き返す。
「え? あ、ええ。お綺麗です。
初めて見た時はお部屋を間違えたのかと思うくらいでした。
男の方だって聞いてましたから」
それは本当。
心のそこからの本音。
柔らかな髪も、白い肌も。自分とは比べようもない程の愛らしさも。
男性と言われてもやはり信じにくい。
「うう、一応男なんだけどな……これでも」
「……あ、す、済みません。たまに忘れそうになってしまって」
袖で涙を拭うルフィに、笑顔で並の貴族であれば大事になりそうな爆弾発言をした。
一瞬、少年は憮然としたような顔でため息を吐いたが、特にその発言については咎めずに軽く食前の挨拶をし、食事に手を付ける。
「ご馳走様」
長めの時間を掛けて食器を空にし、ルフィは手を合わせた。
食べ方は恐ろしい程綺麗で、パンくず一つ見つからない。
口元も既に拭ってしまい綺麗なものだ。
食後の様子に少々驚きつつ、カルネは手早く食器をワゴン車に運ぶ。
「あ、もう行くんだよね?」
「え、ええ」
肯定の言葉に、彼はちょいちょいと椅子を指さし、
「少し此処に座って」
「へ?」
首をかしげるカルネに、少し微笑み、
「良いから良いから」
言葉に促されるまま着席する。手の中には何故か高そうな櫛。
「あの…?」
「ちょっと待ってね、あった。紐が外れてるから」
不思議そうに首をかしげるカルネを見、引き出しから黒い紐を取り出す。
「えぇっ!?」
言われて髪に触れると、千切れたのか、確かに髪の毛が解けていた。
「動かないでね。すぐ終わらせちゃうから」
解けた片方の髪を取り、柔らかな手つきで流れるように編み込んでいく。
柔らかく暖かな感触。それだけで心臓が口から飛び出そうな錯覚を受ける。
そう経たず、編みあがった髪の毛を手早く黒い紐で結び、
「はい、出来た」
どう見ても先程より数段綺麗な編み込みの三つ編みを手から放す。
「…………」
見比べて、首をかしげ、
「バランスが変になるから、こっちもしていいかな?」
笑顔で尋ねる言葉に、否定できる者は居ない。
いや、カルネは今それどころではなかった。
ドキドキと鼓動がなり、聞こえないようにするので精一杯。
「ちょっと待っててね」
肯定と受け取ったのか、何故か少し楽しそうに編み込みを開始する。
彼の宣言した通り、一分も経たずに三つ編みは出来上がった。
小さな頃、父親に頭を撫でられた事が脳裏によぎる。
そんな感覚だった。
何処かぼーっとしたようにカルネはそれを眺める。
「あ、下手で御免ね」
口元に手を当て眉を寄せた言葉に、ハッとしたように少女は顔を上げた。
「い、いえ。あ、有り難う御座いました」
胸を押さえ、真っ赤になった顔を隠すように礼を言う。
「? うん」
全く理由が分からないのか、不思議そうに微笑み、首をかしげるルフィの後ろの窓から、馬のいななき。
「……そろそろ人が集まってきたみたいですね」
(……社交界が)
それを聞き、瞬時に赤みの引いた顔でカルネは小さく言葉を漏らす。
気が付くと、陽は真上近くに浮き上がっている。
パーティの時間は、刻々と迫っているようだった。
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