パーティ・ザ・デンジャラス+α-2





 今日は良い天気だった。
 何故過去形かというと、もう日暮れが差し迫り始めたからだ。
「夕日が綺麗……」
少女はそれを眺めながら小さくため息を漏らした。
 一日中、色々な事が頭の中からこびり付いて離れなかった。
 理由は朝の、同僚の会話に遡る。
 床が鏡になるぐらいまで念入りに拭き込み、ため息を吐いた自分の横で、仲間の二人が喋っていた。
『他の子にも聞いたけど、貴族のお坊ちゃんって我が侭でさー』
 どうやら他の人に割り当てられた貴族の悪口らしい。
 それに相手の少女も頷き、
『そうそう、無茶な事をふっかけて、それをネタに慰み者とか』
 などと穏やかではない会話。
 思わず辺りを見回してしまう。
 運の良い事に、気配もなく誰も来ない。
 ――もう、二人ともお嬢様に聞かれでもしたらどうするのよ。
 と口を開き掛け、二人の次の言葉で、吐き出し掛けた言葉を飲み込んだ。
『うう、最悪。今度来るのって、地位で行けば貴族より上でしょ』
『そうなのよ、もう、大商人の一人息子なんだから、普通じゃないでしょう』
 思わず沈黙する。
 手に持ったモップを痛い程握りしめて。
『カルネも大変ね』
あっけらかんとした声。
 自分の名前を彼女たちが哀れんだように呟いているのが聞こえた。

  
 この屋敷に勤めて長くはない。
 客の対応しろと声を掛けられ、頷いて……
 相手の詳細を知らされたのはつい最近。
対応が出来ないわけではないが、自信がない。
 恐らく、それを見越して伏せていたのだろう。
そんな事すら気にならない位、自分が受け持った相手の権力は大きすぎる。
 自分など、直ぐに首どころか一族郎党路頭に迷わせられる程。
床を磨きながら延々とそればかりを考える。
暫くして……パタパタと、騒がしい足音が聞こえた。
「?」
 不審に思い、視線をやると今朝方会話をしていた二人が、もの凄い速さで歩いてくる。
 偉く慌てているようだったが、屋敷内でのルールは守れている辺りまだ理性は残っているらしい。
「カ、カカルネ!」
 詰め寄るようにコチラに向かってくる。反射的にモップを持ったまま何歩か下がった。
 それすら気にせずに彼女達は肩を掴む。
 引きつった笑みを浮かべ、
「どうしたの?」
 首をかしげた拍子にカルネの大きめの三つ編みが揺れた。
「シ、シルフィ様にお会いしたんだけど」
「え……っ」
 その一言に反応し、顔を上げる。
 だが、答えずに彼女たちは恐慌状態、とカルネが受け取ってもおかしくない程顔を青ざめさせ。
「す、凄い人だったわ!」
「そうそう、凄い人でもう予想すら超越していたわ」
 口々に言う。
「ええっ……」
背筋に冷や汗が流れた。
顔色が青ざめていく。
 当然だろう。今朝の会話と今の会話、その二つを合わせ、いい想像が浮かぶはずもない。
「ふ、二人とも……お嬢様が聞いたら」
 眉根を寄せて声の大きさを制限しようとするカルネを見、二人は不思議そうな顔をした。
「…………何言ってるの。もうこんな時間だから出てこないわよ」
「え?」
 慌てて窓を見る。
 夕焼けは薄闇と混じり合い、複雑な色を醸し出していた。
 微かに光って見えるのは一番星、それとも別のモノか。
 どうやら、掃除をしながら物思いにふけっている間に随分時間が経ってしまったらしい。
「カルネは真面目ね〜」
 感心したような同僚の言葉を慌てて否定しようとした時。
チリン……
 澄んだ鈴の音が聞こえた。
 耳を撫でるような涼しげな旋律。
特に高級なベルは、言葉では言い表せない程の澄んだ音を奏でる。
 透明な湖面のように。
 それは大抵、上客の部屋に置かれていた。
 忘れるはずもない、カルネの担当する客室のベルだ。
一瞬身を震わせ、少女は慌てて部屋へと向かう。
「……あ、そんなに慌てなくてもあの人は怒らない……」
「よねぇ」
 同僚二人の声が耳にはいる程の余裕は無論無く、カルネはもの凄い勢いで部屋へと行ったのだった。
 

 向かいながら心の中を落ち着ける。
(……どんな用だろう。もしかして難しい事を言いつけられたら)
『無茶な事をふっかけて、それをネタに慰み者とか』
(あう……ど、どうしよう)
 勿論、落ち着けるわけが無く、朝の会話の内容を思い出して悪い想像ばかりがふくらむ。
 そんなこんなをやっているうちに、重圧な扉の前に着いた。
 深呼吸をし、恐る恐るノックをする。
 返事は直ぐに来た。
「あ。はい、開いてます」
 穏やかな返答。だが、最初の声は少し沈んでいた。 
 怒らせたのだろうか、と思いながら扉を静かに開く。
 しばしの逡巡ののち、肝を据え、恐る恐る言葉を紡いだ。
「あっ……あの…… ご、ご用でしょうか!」
 もたついたせいか、不思議そうに相手は眺めてくる。
そこで、カルネの思考が少し止まった。
柔らかな空色の髪。穏やかな瞳。
 華奢な細い体。
 一見すれば少女と見違えそうな少年が、そこにはいた。
 柔らかで暖かな空気。到底権威のある人の息子には見えない。
 彼はコチラを軽く眺め、僅かに眉を寄せる。
(……う……うう。想像とは違う人みたいだけど……
 お、遅いから……怒らせたのかしら)
 急いできたせいで整わない息を、静かに落ち着けようと試みるが、緊張のせいで上手く行かない。
 怒る様子も見せず、相手は穏やかに言ってきた、
「どうぞ。中に入って」
「は、はいっ!」
ほっと胸をなで下ろし、返答する。
 一歩部屋に足を踏み入れると、柔らかな絨毯のせいで足が沈み込む。
 慌てて足を引っ込め、次は慎重に入った。
 カルネが一生働いても買えそうにない絨毯が敷かれている。
 一枚で家数個分の値段の、有名な絵画。
 それらに囲まれるだけで緊張は頂点に達しそうだ。
 少年は軽く微笑んで、扉の近くを指さし、
「あと、モップはそこら辺に立てかけてね」
 言ってきた。
「えあ、は…っ!? は、ははははいっ」
 そこでようやく気が付く。
(あ、ああああ……私、私ったらなんて粗相をーー)
 心臓が飛び出そうになりながらも頷いた。
 バクバク大人しくならない心臓を喧しく思いながら、握りしめたモップを言われた通りに立てかける。
「そ、それであの……」
「あ、そうだ。僕はシルフィ・リフォルド。
 一応自己紹介」
 用件を尋ねようとしたら、そう言って微笑む。
 不意打ちだった。唐突なその言葉にもう鼓動は全力疾走状態だ。
 非常に健康に悪い。
「えあう……は、はいっ! わ、私はカルネ・リーシャです!」 
 動揺がこれ以上溢れないように頷く。 
「カルネ? この大陸と同じ名前だ、良い名前だね」
 満足そうに少年は頷いた。
 新たな発見をした子供のように。柔らかな微笑みで。
「は、はいっ……」 
 自分の名前は、彼の言う通り大陸の名前と同じだった。
 大きすぎる名前だとは思うが、この名前は好きだ。
 何しろ、歴史の事に興味が持てたのはこの名前のお陰でもある。
 少年の屈託の無い笑顔に力が抜けそうになりながら頷き掛け―――
(って、そうじゃないでしょう。お仕事、お仕事よ)
 流され掛けて頭を振る。
「じゃなくてあの……」
「ん?」
 彼は全く邪気のない顔で首をかしげた。
 絞り出すように言葉を紡ぐ。
「えっと…その。な、何かご用でしょうか?」
「そう言えば……用があったんだっけ、うん。
 ああ、御免ね呼び出しておいて」
 今気が付いた、と言うように頷き、頭を軽く掻いてもの凄く済まなそうな顔になる。
「い、いいえ!?」
 ブンブンと頭を横に振り、両手を振りまわすように動かす。
衝撃だった。謝られる事が。
大抵、貴族やその位の権力を持つモノは、当然の事だと言うように遅れたら怒鳴りつけ、都合が悪いとやはり怒鳴りつける。
 気まぐれで首にする事もあるのだ。
 だが、この少年はカルネを同等のように扱っている。
それが、衝撃だった。
「んーっとね、申し訳ないんだけど頼みたい事があるんだ」
「は、はいっ。な、何なりとお申し付け下さい」
 思案するような少年の言葉に、首を縦に振る。 
 頭の中で繰り返されるのは、『無茶な事をふっかけて、それをネタに慰み者とか』
同僚の言葉。
(……き、来たのね。く、来るのね……)
 拳を胸元で軽く握り、少年を眺める。
 申し訳なさそうに微笑み、
「つまらない事だから、言うのも気が引けるんだけど」
 言ってきた。
 詰め寄るようにルフィを見、
「な、何でも仰って下さい!」
キッパリと言い切る。
 もう、覚悟は出来ていた。
 少し驚いたようにカルネを見返し、机の上に何着か置かれた服を取り、
「うん……そのね。この服どう思う?」
 尋ねてくる。首をかしげ、少年は空色の瞳で真っ直ぐカルネを見た。
 きらびやかな装飾の施された服。
 恐らく部屋着に使えと言う事なのか、堅苦しさはスーツより無い。
 だが、スーツより、という条件が付くが。
 細かな刺繍があちらこちらに縫いつけられ、手に取るだけで金の飾りがカチャカチャと音をたてる。
 平民のカルネにはとても買えそうにない上質の布地。
 それを眺め、
「……え? えっと……高そうだな〜と」
 思わず正直な感想が口からこぼれた。
目の前にいる少年は、空色の瞳を瞬かせ、固まって居る。
 そこで漸く失言に気が付いた。
 慌てて頭を下げ、謝った。
(きゃー私の馬鹿ーー)
「ご、御免なさい!」
「あ、ううん。正直で良いと思うよ。他にはどんな感じに見える?」 
 小さく微笑み、首を振ってもう一度尋ねられた言葉に、
「飾りが多すぎて派手、とか…堅苦しそうだな、と」
 また馬鹿正直に答えてしまう。
(ク、クビで済むと良いな。首で済まないだろうな。ああう)
「…………」
「す、すみません!」
 絶望感に打ちひしがれつつ、沈黙するルフィの顔をのぞき見た。
「…………やっぱりそうだよね〜。はあ」
「え?」
返ってきたのは、予想もしない言葉。
 深々と嘆息し、困ったように服を眺め、少年は眉根を寄せている。
「うん……あのね、僕にはこの服合いそうにないから、こっそり替えてもらえないかなと思って。頼めないかな?」
人差し指を自分の唇に当て、「内緒」と言うように、微笑んだ。
 何処か悪戯前の猫にも見える。
「あ、えっと……生地がもう少し上質な方が良いんですか?
 もう少し鮮やかとか、そんな感じの」
 材質が気に入らない、と思い尋ねた。 
 聞いていた少年の顔が、見て分かる程曇っていく。
「え? あの……じゃあ。えっと」
 脳内で幾つかピックアップを始める。
「あの……部屋着だから、普通のがいいんだけど」
それを見越したように、少年はそう告げた。
「普通? じゃあ生地が上質で刺繍が盛り込まれてて」
「ううん。えっと、それも違う」
 考えながら指を折る少女の言葉にルフィは首を振る。
 カルネはその言葉に微かに眉根をよせ、
「じゃあ、どう言うのが良いんですか?」
(上質な生地に、細かな細工も駄目……意外と我が侭なのかしら)
 尋ねる。
 悲しそうに服と少女を交互に眺め、
「うん…… 普通の人が着るような服が良い」
 呟くような声で、彼は言った。
「はい?」
(あの……今、なんて……?)
 思わず間の抜けた声を漏らすカルネを無視し、
「僕、こういう服って性に合わなくて。
 せめて寝間着と部屋着ぐらいは普通のが良いな、と。
 ああ、そうそう。外に出る時用に幾つか生地が良いのを用意してくれると助かるんだけど……」
ため息混じりに言葉を吐き出し、頭を掻く。 
「え? ええ……あの構いませんけれど。良いんですか、その様なお召し物で」
(一応貴族の方と身分は変わらないんじゃ……)
「他の人や貴族の人がどうかは知らないけど、僕は堅苦しい洋服、苦手で。
 情けないけど……」
 念を押され、情けなさそうに、それに見合った声で言葉を紡ぐ。
(変わった人……)
 呆然とそれを聞いていた。だが、情けない顔でそう言う少年がおかしくて。
「ふふ」
 思わず肩をふるわせて笑ってしまう。押さえ込もうとしたが、無理だった。
 それを見、彼はますます情けない声を上げ、肩を落とし、
「うぅ。笑われた」 
 そう言って呻く。
「す、すみません」
 謝るカルネを眺め、少年は微苦笑を漏らし、
「本当の事だから、怒らないけど……あぁ、そうだ。
 ついでにもう一つお願いして良い?」
 声は、本当に怒っていないようだった。
 怒りそうにはないと思っても、やはり内心は怯えていたので大きく胸をなで下ろす。
「はい?」 
 首を傾け尋ねると、
「ティーセット持ってきてくれないかな。
 今日は少し疲れたから。
 あ。カップは此処にあるから、ポットとお茶請けだけで良いよ」
 視線でカップを指し示す。
 彼の言う通り、カップは大人数とでも会談が出来るように置かれていた。
「その位お安いご用です」
 胸を張り、頷いた。
 頼もしそうにそれを見た後、ルフィは思い出したようにポンと手を打つ。
「あ。忘れるところだった。えっとね、お茶請けは二人分」  
「え? 誰かいらっしゃるんですか?」
 首をかしげるカルネの言葉にルフィは曖昧な笑みを浮かべ、
「うん、その予定かな……」
 小さく言葉を紡いだ。

 




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