燃ゆる炎-3






どの位経ったのだろうか。辺りには色々な物が散乱し、暗い室内で切れ切れの呼吸音が聞こえてくる。
「ぜ、全然歯が立たない」
 言う少女の足下には大きなハンマーやらのこぎりやらが転がっている。
手持ちのミサイルや機械が尽きたのか、最後にはあちこちから調達した物で腕力に訴えていた。まあ、結果はこの通り。
 障壁にはかすり傷どころか汚れさえ付いていない。
 読み終えた本を置く。そろそろ時間だろう。
 顔を上げるとバリアにへばり付いたままピシアが力尽きている。
 まるで倒れ掛けてそのまま時が止まった様。
 端から見ると間抜けな光景だ。
先ほどまでは本を捲るたびに「ふざけるな」だの「ムカツク」だの言っていたが、ぐったりと障壁にもたれ掛かる姿を見ると、その元気はもう無いらしい。
 なかなかしぶとかったと溜息を漏らし、入り口でもある階段を眺める。
 定刻通りの靴音。
 ひょこん、と首が出るより早く紫の髪の毛が顔を出す。遅れて笑みを浮かべた少女の顔。
「やっほ。おっ待ちぃっ!」
ランチボックス片手に気楽な声。思わず椅子からずり落ち掛け、
「なに。その挨拶」
 なんとか体勢を保ちつつ呻く。
「ご注文の品あがりましたー。どう? なんか雰囲気変わって楽しくない?」
 言いながら軽やかに着地。遅れて新緑色のマントが広がる。後ろで手を組み、レムを窺うように前屈みになって、少女はゆったりと首をかしげた。
「全然」
 少年は呆れたような眼差しを送り、小さく首を振る。
「ぶー。ノリ悪いなぁ。
 せーっかくサービスしたのに。サービスしすぎて出血多量する位」
 空いた片手を大きく振り、不満をあらわにした。
「良く分からないよ。それ」
「せっ……」
 レムは呆れたように耳を伏せ、肩をすくめる。間近から詰まったような呟きが漏れた。
『ん?』
 二人同時に声の主へ視線を注ぐ。生きた屍のようになっていたピシアが、何処に隠していたのかと言うほどの力強さでがば、と顔を上げる。
「先輩!」
 何故か瞳を潤ませながらクルトの方に視線を送る。
 うわずり気味の声に少女はポンと手を打ち、
「あ。今朝の娘……そう言えばよく見ると何してるのそんな所で」
 不思議そうに大きく首を傾けた。レムからそう離れていない場所で覆い被さるように脱力する姿を見て『よく見ると』もなにもない。
「そう言えばまだ居たっけ」
 彼女らしいと言えば彼女らしい台詞を聞き、気が付いたようにレムはピシアを見た。
 コチラは意識してだろうが、存在自体を忘れ去っていたらしい。腕一本分ほど離れた距離にいる少女から視線を外し、僅かにイヤそうな声を上げる。
「なっ、失礼な。誰のせいでこんな満身創痍になったと思ってるのさ」
 威嚇するように噛みつくピシア。彼女が勝手に倒れているだけで自分には全然関係はないのだが、とレムは思いながらクルトに視線を移す。
「…………」
黙したまま、紫水晶の瞳は『レムのせいなの?』と疑問符を浮かべていた。
「ボクにあんなコトしておいてしらばっくれるんだね」
 口を開こうとしたところでピシアの台詞。聞く人によっては色々と取れる言い方に、少年はぴくりと片耳を立ち上げた。
「な、なにしたの?」
ピシアの剣幕にやや身を退き、クルトはレムに不安そうな目を向ける。
「別に何にも」
 してないよ、と言いかけて途中で止めた。この調子では否定しても「あんなに色々した癖にッ」とか言われかねない。誤解の上塗りで泥沼は御免である。
「まあ、君がいいんなら良いんだけど。僕には関係ないし」
 素っ気なくそう言って未読の本を手に取った。
「な、なにがだよ」
「そんな言い方してたら、誤解されるよ」
「なっ、なにを!?」
 含んだような言い方が気になったのだろう。挙動不審な動作で尋ねてくる。
「口で言えないようなこと」
「……?……」
ちらりとクルトに視線をやった後、表現を曖昧にして一言。案の定少女は地に首が着きそうな程頭を傾けて眉を寄せている。
 ピシアはおののいたように一歩退き、
「く、口で言えないようなことぉっ。ま、まさか……」
 あんなに嫌悪されていたのなら幾ら何でも恋人同士やそう言う関係に見られたくはないだろう。ここまで脅しておけば静かになるか、と思いながらレムはページを捲る。
 ふるふると首を振っていたピシアだったが、頬に手を当てた後、
「あんな事やこんな事とか。もしくは××で××××な事とかなの!? ギャー最低ッ」
 頬を染めたままそんな言葉を口走る。
「…………」
 クルトより幼いだろう少女の唇から飛び出る直接的な単語の連続に思わず本を落とし掛けたが、何とか平静を取り繕う。くい、と服の袖が引っ張られた。
「…………ねえレム。××××な事って何?」
 視線を落とすと話について行けず悲しそうにクルトが瞳を潤ませていた。コチラはコチラで対応に困る。
「クルトは知らなくて良いよ」
ウンザリと溜息混じりに言い捨てる。
「うー」
 自分だけ仲間はずれだ、と言わんばかりの顔で不服そうに少女は頬をふくらませた。
「そ、そうですよ先輩は知らなくていいんですよ。みんなこいつが悪いんですから!」
「あのね……」
 身に覚えのない責任をなすりつけられ、レムが半眼になる。
 クルトは腕組み、
「悪いの? 第一××××とか××とかあたし良く分からないんだけど」
 唸るように言葉を紡ぐ。ほっとピシアが顔を赤らめた。
「先輩。大胆」
 少女はもじもじと手袋のはまった小さな指を絡めてまつげを伏せ、両手で幼い丸みを帯びた頬を覆った。それをレムが冷めた目で眺める。
「って、君が言ったんだよ君が」
「うっ。それはそうだろうけど、世の中には言っちゃいけない事もあるんだよ!」
 痛いところをつかれたのか言葉を濁しつつ、最後は開き直ったように腰に手を当てた。
「そぉ」
 話がずれているとは思ったが面倒なので少年は追求する事を諦めた。 
「あ、そうだ。さっきから聞きたかったんだけど」
「ん? 何」
 尋ねられ、視線を移すと少女はじっと床を見つめていた。
 習うように眺める。
 床には色とりどりのコードとプラグ。配線等が複雑に絡み合い、網の目のようになっている。地面の色は分からない。
 クルトは不意に顔を上げると床に落ちている大きめののこぎりを手に取り、
「何でのこぎりとか散らばってるの? レム、日曜大工でもする気?」
 腰に手を当てて溜息を漏らす。
「それはそこの人に言ってよ」
 言いながらピシアに視線を送る。少女は慌てたように腕を動かし、
「えっ。えっと……その」
もじもじとクルトの視線から逃げるように鉄色の壁を見た。
「もしかしてレムの障壁破ろうとか思ってたの?」
 クルトは床とピシアを数度見比べ、こくんと首をかしげた。
「えっ。あ、はい。どの位で破れるのか研究をかねて」
 妙に鋭い指摘に、殺す気だったという事実は伏せ、ピシアはそう告げた。臆面もないその台詞にレムが呆れたような溜息を漏らすのが聞こえる。
 少女の言葉にクルトはパチンと両手を合わせ、
「へぇ。勉強熱心ね〜すごい!」
 全く疑った様子も見せず感心したように賞賛の言葉を送った。
「え、えへへ」
 気まずさも手伝い曖昧に笑ってピシアが頭を掻く。
(少しは疑いなよ)
 それ見ながら、レムは深々と心の中で嘆息した。
「ん〜。その心意気は凄いわね。でも、無理なんじゃないかしら」
「ふぇ。どうしてですか?」
「レムがね、前ドラゴンが踏んでも壊れないとか言ってたし」
「こんな人の言うこと信用するんですか?」
「うん。信用するけど。どうして?」
険のある言葉にあっさりとしたクルトの返答。質問の意味が良く分からない、と言うようにきょとんと瞳を瞬かせている。
「どっ…どうしてとか…その」
 勢いをそがれ、ピシアがもたもたと唇を動かす。
「あたしは、レムのこと信用してるよ?」
 「どうしてそんな事を聞くの?」と言う表情に気圧され、口をつぐむ。
 瞳には子供のような無邪気な純粋さと、怖いぐらいの真っ直ぐな色。何度尋ねられても彼女の考えは揺るがないだろう。
「…………」
 返されたピシアではなく、海色の瞳を軽く見開いて、レムが何処か怯えた子供のように僅かに身を退いた。だが、それも一瞬の事。
クルトが目を擦って見直した時にはもう、元の起伏のない表情に戻っていた。
「…………あの。先輩は何をしに」
 こんな所に、と言おうとしてピシアは言葉を飲み込む。目の前の少女がレムに悪意を持っていないと気が付いたからだ。むしろ話し方からすると少なからず好意を抱いてる。
「ん? ご飯届けに来たの」
 じゃじゃん、と言うようにランチボックスを掲げる。多分腕を掲げるのに意味はないだろう。
「なっ……なっなっなっ」
 陽気なクルトの動きとは違い、ピシアはパクパクと口を開閉し、驚いたような呻きを漏らす。
「お昼は何時もあたしが届けてるのよ。ま、まあ頼まれては居ないんだけど」
「強引に」
 頬を掻いて笑う言葉に少年が小さく付け足す。
 つれない台詞にクルトはぶう、と頬をふくらませ、
「何よ。今は全然拒否しない癖に」
 空いた片手を腰にあて、半眼になった。
 少々非難混じりの視線を少年は軽く流し、
「拒否しても持ってくるでしょ」
 肩をすくめながら疲れたようにやれやれと片手をあげる。
「うう。ああいえばこう返す〜 ひねてるんだからホント」
頬に溜めた息を吐き出して少女は腕組みした。
 その様子を見ながらピシアは障壁にばん、と片手を付き、
「先輩は本当に先輩で先輩でしょうか!?」
 混乱したように意味不明の言葉を連ねる。
「はい?」
クルトの目が点になる。
「ああっと、いえ。あの、レム・カミエルとお知り合いなんですか?」
「何故フルネーム。ま、まあ……一応友達、よね」
 言葉の途中でレムを見るが、視線はかわされ壁にそれた。
「あのっ」
 更に続けようとしたピシアの言葉が、深い吐息によってかき消された。あからさまな嘆息。
むっとして視線を向けるとレムがいささか機嫌が悪そうに片手で自分の前髪を軽く乱し、
「悪いけど、続きは外でやってくれない」
 クルトではなくピシアを眺めながら言い捨てる。
「なっ……」
「……レム?」
 いきりたつピシアの隣でクルトが少し不安げに眉を寄せ、小さく呻いた。 
「今日は気分悪いから。出て行って」
 少年はそれだけ言って階段を指し示す。
「ちょっと君」
 胸ぐらを掴まんばかりの表情で言い募ろうとした少女より早く、クルトが口を開いた。
「そっか、うん。あーっと、お弁当ここに置いておくから」
 明るく笑って机にランチボックスを置き、少年を窺うように横目で見た。
 レムは無言で一冊の本の表紙を見つめたまま。
「じゃ、あたし帰るね」
「ちょっ……先輩!?」
 喚くピシアの腕を取り、強引に階段へ向かう。
「…………」
 レムは答えない。
『最低……』
 ピシアの背を押して、扉を閉める間際、背後からぽつりと聞こえた言葉は誰に向けられた物なのかは良く分からない。
ただ―――
 少年が視線を注いでいた本の積みあげられた一角。
 一冊の題名。『魔機学初級理論』に残った、爪で刻まれたような痕が妙に記憶に残っていた。


 後ろ手で扉を閉めてため息を吐き出す。
 肺の中で重く張りつめた空気がそれだけで幾分和らいだように感じる。
軽く視線を動かすと不服そうなピシアの顔が見えた。
 茶色の瞳を険悪に細め、
「何なんですかあのふっとい態度! と言うか何様だアイツ〜〜〜っ」
 ぶんぶん両腕を振り回し、奥歯を噛み締め唸る。
「あはは。御免ねレムはああいう性格だから」
 クルトが小さく謝罪すると、慌てたように両手の平を動かし、
「えっ、いやその。先輩が謝らなくても……そっ、それにボク怒ってないし」
「そう? ありがと」
「え、ええ」
ニコリと微笑んで首を傾ける少女から視線をそらし、ピシアは頬を掻いて頷いた。
「一つ聞きたいんだけど」
「なんですか?」
「……レムの……お父さんの名前、出した?」
「へ? ま、まあ」
「そっ、か」
 ―――レムに父親の話はしないであげて。
 僅かに俯き、クルトは言いかけた言葉を飲み込む。
 余計なこと。そう、余計なことだ。
 そんな風に気を回しても彼は喜ばないだろう。
 自分だってそんなことをされたとしても嬉しくない。
 小さく呼吸を整え、
「レムと仲良くしてあげてね」
 やんわりと微笑んでピシアを見た。
「えっいえ……ボクは」
「宜しく、ね」
「……あ。はい」
否定しようとした言葉は、肯定の言葉へと変わった。
レム・カミエルのことは好きではない。一言で言うなら大嫌いだ。
 ただ、より所のない寂しげなクルトの笑みが、否定の言葉を飲み込ませた。
 それだけの話だ。
「ありがと。じゃ、あたし行くね」
「えっあ……」
 引き留める間もなく少女は背を向け、去っていく。
「また、名前言えなかったな。ボク」
 ピシアは小さく呟いて、角に消えるクルトの背を見つめていた。

 




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