燃ゆる炎-1





 その日は朝から多忙だった。まあ、多忙と言っても自主的にやっているため誰に文句も言えない。だが、完璧主義と言っても過言ではないレムにとっては当たり前のこと。当たり前のことに文句を付ける理由もない。
大量の書類を抱え持ち、往復する作業が続いていた。
 新入生が来るとは言っても、ここは田舎なのではないだろうか。田舎でそんなに新入生の人数が多いのだろうか。とも思ったが、書類の中をちらりと見てその考えを改める。
 わざわざ別の大陸から移り住んででも学園に通う生徒が少なからず居たからだ。
 やはり、魔術を教える学園というのは珍しい物らしい。
いい加減疲れ始めたが、手を抜くわけにも行かず往復を続ける。
 手を抜いても良いのだが、何事にも手を抜かないと言う彼の高いプライドが許さないらしかった。
「あー…疲れる」
出来れば使う場所に書類はまとめておいて欲しい物だと思いながら、書類を確認しつつ校庭に出た。少々不作法だが、一番の近道(ショートカット)なのだ。
 どのぐらいの時間往復していたんだろうかと思って空を見る。
 完全に日が昇って地面をまばゆく照らし出す。
 彼が往復を始めた時は日は昇っておらず、涼しい物だった。
「……疲れもするね」
何となく納得し、ずれ始めた書類を抱え直そうとしたところで声が掛かった。
「どっ、どいたどいたぁぁっ!」
 慌てたような少女の声が鞭のように空気を切り裂く。
 思わず足を止め、レムは白い獣毛に覆われた耳を不愉快そうに伏せた。
「何。朝っぱらから騒がしい」
(こんな言い方するのはクルトだね)
 知り合いの少女を思い浮かべ、溜息混じりに肩をすくめる。
「邪魔だっていってんのにどうして避けないかなぁ!」
 苛立ったような声。
 幾ら知り合いとは言え砕けすぎた言葉遣い。第一クルトはああいう言い方をする少女だっただろうか。
「ん? それどういう」
不審に思い尋ねようとしたところで固まった。弾丸と言っても生やさしいほどのスピードで何かが駆けてくる。
 しかもコースは迷うことなくこちら側だ。一直線に向かってくる。
「ちょっ……うわ!?」
 呻きは悲鳴に変わった。脇腹を殴られるような衝撃。
 手のひらからこぼれ落ちた書類が音を立てて地に落ちる。
 ぐぎゅ、と妙な悲鳴を上げて相手がぼと、と墜落した。
「いたた……」
 前屈みになりながら少女が呻く。
「…………」
一方のレムはと言えば、声もない。
完全に脇腹に入ったため、呻く気も起きない。
「もうっ、よけろって言ったのに。どうして避けないかな!? 君の目は節穴?」
 何も言えないのを良いことに、好き放題言ってくる。無論、何も言えないのは痛みのためだ。
「鈍い。鈍すぎ。あんた亀より鈍いッ。このくらい軽く避けられて当然だよね」
「あの……ね…ぇ」
切れ切れになりながらも、ようやく震える声を絞りだした。
「君何様なの? あんなの避けられるわけ無いでしょ。前後不注意のそっちが悪いよ。
 大体、僕はゆっくり歩いてたでしょ。この広い校庭で、人も少ないのにどうやったらぶつかれるのさ」
 言いながら散らばった書類をかき集め、
「そう言えばクルト、喋り方粗暴になったね。男みたいだよ」
 僅かな間をあけて尋ねる。
「……は? ボクの事?」
(ボク?)
 確かにクルトという少女は活発で、時には異性すら凌ぐほどだが男言葉は使わない。
 何時も自分のことは「あたし」と言っているはずだ。
 そこで相手の姿を確認する。
 茶色い髪の毛に小柄な身体。
 大地の色をした瞳が怒りに染まっている。
 知り合いの少女とは似ても似つかない。
 確かにクルトは小柄だが、コチラの少女の方が一回りか二回りほど小さい。
「ん? 何だ違う人か」
 肩をすくめて小さく息を吐く。 
「何だ、違う人か。じゃない、犬」
「……い、犬……」
 殺気ではなくその一言に一瞬硬直する。顔色は変わらなかったが、僅かにレムの眉が跳ね上がった。
 その隙を見計らったように続けざまに、
「ボクは急いでるんだから妙な言葉で引き留めないでよね。大体ね、その耳とか……」
 言葉を塞ぐように大きな鐘の音。
「やばっ、遅刻だ。君のせいだからねッ」
 そんな台詞を吐き捨てて、校舎に向かった。
「犬……」
 書類を片手にぽつりと呟く。
「言うに事欠いて犬だって!? 失礼極まりないねあの人。確かに僕は種族的には犬に近いだろうけど断じて犬じゃないよ全く。ああもう、書類運ぶ時間が削れたじゃないか」
 色々と譲れない部分があるらしい。ひとしきり憤慨した後、書類に付いた泥を払ってぶつぶつと呟きながら、レムはまた歩き始めた。



「ハンカチって何処にあるのよ全く」
文句を言いながら少女は廊下を見回す。ウサギの耳のようにくくられた紫の髪が動くたびにユラユラ揺れる。
 通りすがる生徒がチラチラとその姿を物珍しげに眺めた。
 少女の前方から地響きのような音。
「どっ、どいてえぇぇぇっ」
悲鳴のような声に振り向いたのがいけなかった。真っ正面から衝突する。
「へ? うぁきゃぁっ!?」
重さが違ったせいか、尻餅を付くだけで済んだが、相手の方はそうはいかない。
 一瞬感心すら覚えるほど豪快にはじき飛ばされ、床に身体を打ち付ける。
「たた……ちょっ、大丈夫?」
 激しい吹き飛び方に文句より先に思わず心配してしまう。
「……いたた……」
 体を打ち付けた痛みが残っているのか、起きあがり、頭を振る。二つ括りにされた茶髪が、ひょこひょこと揺れた。
「どれどれ」
 軽くかがんで眺める。血は出てはいないが体をかばったのか、手袋の隙間から見える手首の辺りに擦り傷がある。
「頭打ってたりしてないわよね。うん。あーあ…もう、擦りむいてるじゃないの」
 少女は腰に手を当てて赤くなった手首を見、渋面になった。
「うう。平気だよ……って、いた」
 口をとがらせ、反論しようとした言葉を途切れさせ、首を引っ込める。
 ようやく痛みを知覚できたらしい。
「何急いでるか知らないけど、気を付けないと危ないわよ」
 言いながら傷を見た。特に深手というわけでもない。
 「走るな」とは言わなかったのは、彼女自身いつも廊下を走っているからだ。
「そ、それは……」
「あたし治癒苦手だから、応急処置ね。ハンカチは返さなくて良いわよ」
 手首を縛りすぎないようにハンカチで軽く結びつけ、ね? と言うように微笑む。
 バツが悪いのか、少女は恥ずかしそうに俯いた。
「……は、はい。あの」
「ん?」
話しかけられ、首を傾けた拍子に二つくくりに結ばれた紫水晶の髪がさらりと揺れる。
「あの、お名前」
「あ、あたし? あたしはクルト。クルト・ランドゥール。
 クルトで良いわ」
 少しだけ辺りを見回した後、「ああ」と自分を指さし、緊張した相手を安心させるように明るく笑った。
「ボク、今日入ってきたばっかりで」
「そっか、新入生なのね。廊下走ると問答無用で補習させられることもあるから気を付けた方が良いわよ」
 言って苦笑する。問答無用で補習、知り合いのおかげで大分身にしみていた。
 だからといって大人しく歩くほど、少女は素直でもない。
(あはは。人に「走るな」なんて言えた義理でもないわよね)
 心の中で小さく笑い、相手を見ると、
「あ。は、はい。先輩」
素直にペコリと頭を下げる。括られた栗色の髪がひょこりと揺れた。
(先輩、かぁ)
 今更ながらに言葉をかみしめ、反芻する。
 しばしその余韻に浸っていたが、捜し物の途中だと言うことを思い出し、ばっと窓の外を見た。大分時間を浪費したらしく、空の陽が先ほどよりも傾いている。
「じゃ、あたしはこれで……って、こんな所にあった」
視界の端を何かがよぎり、あわてて手を振りかけ、止まる。
 風と共に逃げられないように素早く捕らえた。
「あっ。それ」
 掴まれた物を見て、相手が声を上げた。
 淡いイエローの四角い布きれが、少女の手のひらの中で力なく垂れ下がっている。
「知り合いに捜索頼まれてたのよ。こんな所にあったのね、良かった。
 じゃあね」
 機嫌良く答えながら表面に付いた埃をはたき、丁寧に折りたたむ。
「あ、あの……ボク」
 ポケットにそれを詰め込んだ時点で声が掛かった。
 顔を上げると、困ったような顔でその少女はクルトを見つめていた。
「どしたの」
 いぶかしげに尋ねると、
「何でもないです。じゃ、また」
 そう言って片手を振った。
「うん、ばいばい」
 スカートに付いた埃を払い、気を取り直すように大きく手を振って元気に廊下の向こうへ消えていく。
「クルト、先輩」
 走り去るクルトの後ろ姿を見たまま、少女はぼうっとしたように手首のハンカチに触れ、呟いた。

 




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