紅に染まる教室の中。
栗色の髪が、夕日に照らされ淡く輝く。
ゆっくりと瞳を瞑り、
「あー…と、まあそんなわけで俺は悪くない」
理不尽な攻撃が炸裂する前に青年は真実を告げた。
身に覚えのない事で半殺しにされるのは御免である。
だが、少女の反応は冷たいものだった。
「言い訳は見苦しいわよ」
腰に手を当て、ぴし、とチェリオの鼻先に空いた指を突きつける。
「あの……クルト、言い訳って判断するのもどうかと思うよ」
隣にいた少年は、困ったように眉を寄せ、幼なじみの少女を見た。
「何でよルフィ?」
「…………」
逡巡するように少年は首を傾けた後、ゆっくり少女の真上を示す。
「おわ!?」
思わず色気のない悲鳴が少女の唇から漏れた。
「どうした素っ頓狂な声を漏らして」
不思議そうにチェリオが首をかしげる。
「いやだって……」
視線は上に向いたまま。何かに合わせるようにユラユラと頭が上下に動く。
「ん?」
壊れたゼンマイ人形のような動きをする少女を見、青年は訝しげに眉を寄せた。
しかし、彼女の視線はある一点に集中したまま。
「…………」
釣られるように上を向く。
向いた先には―――花瓶があった。
そう、花瓶。
壺の形状で、中に半分程の水を満たし、そこへ草花を生けて保存状態を一定期間保たせるという道具だ。
などという極めて一般的かつ、常識的な言葉がチェリオの脳裏をよぎった。
確かにこのヒュプノサ学園は変わっている場所だ。
変わってはいるが、空に滞空したままの花瓶はなかったはずだ。
酔狂で誰かが作らない限りは。
まあ、作ったとしても予算やら何やらで出費の方が多いだろう。
土色をした重そうなそれは、ユラユラと不安定に揺れている。
合わせるように少女の頭も……
「うお!?」
そこで気が付き、椅子に座ったまま身体をのけ反らせた。
吊られていた紐が切られるかのように、花瓶も合わせて斜めに崩れ、
「きゃーーーーー」
全員が集まっている輪の中。丁度中央へ落下する。
反射的に少女は悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ、
「……っ」
床に触れる手前で、少年の手が拾い上げる。
「な、ないすよルフィ。助かったわ」
「あ、危なかった……」
引きつり気味の表情で、ぐっと親指を立てる少女の言葉に耳を傾ける余裕はないのか、花瓶を胸元に抱え、少年は大きく安堵の息を漏らす。
その余韻が収まらない内に、青年が呻きにも似た声をあげた。
「何だ今のは」
「あたしに聞かないでよ。今のは明らかにチェリオが原因だったでしょッ」
ギッ、と疑問の視線を一睨みで少女は捻り伏せ、唸る。
何処か戦いたように青年の言葉が途切れた。
黙した理由は述べなくても分かったが。
「…………」
一種和やかなそんな光景を眺め、きょとんと少年は空色の瞳を瞬かせた。
「どうしたのよルフィ」
同じように紫の瞳を瞬かせ、こくんと小首をかしげる。
青年に向けた荒々しい態度とは全く百八十度程違う。
花瓶を抱えたまま、しばし二人を見比べた後、
「言い訳って言う線は無くなったんだね?」
そう言って少年は柔和な笑みを浮かべた。
「う……ま、まあ。今の見れば」
幼なじみの指摘に気まずげに頬を掻き、僅かに視線を逸らし、
「自分でやったにしては、自分で驚いてたし。
それにさっきのは一歩間違えれば、自分の頭に直撃という事態に陥りそうだったわね。
いくらチェリオといえども、
そーんな間抜けの中の間抜けのするような事をやるとは思えないし。
そんなわけで、身の潔白は信じてあげるから喜んで良いわよチェリオ」
深々と頷いた後、にっこり笑って青年を見た。
「何様だ」
恐らく彼女なりの照れ隠しだろうと分かっていても喜べるはずもなく、チェリオは半眼になりつつ呻いた。
「まあ、それはともかくよ。その怪奇現象の数々、何が原因で起こってるのかが問題よね」 良くも悪くも切り替えが早いクルトは、青年の言葉を聞き流し、一瞬にして思考を切り替え考えを巡らす。
「……お前は……ああ、もういい。そうだな」
何か文句の一つでも言おうと思ったが、こじれると面倒なので途中で口をつぐみ、栗色の瞳を僅かに伏せ、相槌を打った。
それに頷き、クルトは白い自分の親指を考えるように口元に当て、僅かに瞳を閉じて軽く首をかしげる。
「…………と言う事はつまり」
「…………」
落ちる沈黙。流れる空白。
長い沈黙の後、ゆっくりと少女は瞳を開き、
「つまりは、どういう事よ?」
首を傾け、チェリオを見た。
「俺に聞くな」
「…………」
がくりと二人の肩が落ちる。
青年は半眼で腕を組み、ルフィは引きつった笑みを浮かべてため息を吐き出した。
二人の反応にムッとしたような顔をして少女は軽く頬をふくらませ、
「む。そんな事言われても手がかりなんて一切無いじゃない。
この状態で一体何をどう調べろって言うのよ」
そう言って腰に手を当てた。
「……言われてみれば、情報が全然無いよね」
同意するルフィの言葉に少女は力強く頷き、
「そうよ、チェリオが自分がしたんじゃない、知らないって言うのなら、せめてどのような状況なのかをシッカリ教えて欲しいわね」
「ああ、まあ良いが。何故お前はそんなに偉そうなんだ」
気のない様な、覇気のない声で青年は怠そうに頷いた後、クルトを眺めて半眼になる。
非難混じり視線をモロともせず、少女は当然とばかりに胸を張り、
「偉いからよ」
堂々と言い切った。
「……状況はだな、ふとした弾みと言う方があってるな」
「って、無視しないでよ。突っ込んでよ。うう、寂しいじゃないのッ」
聞かなかった事にするチェリオの白いマントを掴み、クルトは嫌々とかぶりを振る。
「たとえばだ、俺が眠いと思えばいつの間にか木上にいる。
風が来たらなぎ倒されそうだと思えば、何故か樹が何かの力でなぎ倒される」
淡々と話しながらも、掴む少女の指先を解き、ゆっくりとマントの皺を伸ばす。
マントを掴んで駄々をこねるのを諦めたのか、
「寝ぼけて上ったとか、木を切り倒したとか、そう言うオチじゃないでしょうね」
言いながら紫の髪を掻き上げ、少女は疑わしげな視線で青年を眺めた。
「そんな訳あるか。いくらなんでも」
険のあるチェリオの言葉を軽く流し、
「……ま、話を総合するに。何の進展も得られそうにないわね」
カリカリと頭を軽く掻いて呻く。
「話し損か」
「大の男がそのぐらいで「損」とかみみっちい事言わないでよ情けない」
「ま、まあまあ」
呆れたように詰め寄ろうとするクルトを両手で静止ながら、ルフィが落ち着かせるように声をあげた。
少し落ち着いたのか、軽く視線を宙に向けた後、
「そうね。ただ――」
逡巡するようにちらちらと二人を見比べ、自分の髪を人差し指で弄ぶ。
「え?」
不思議そうな声をあげるルフィを横目で見、やはり歯切れの悪い口調で呻いた。
「ただ、あたしがちょっと思っただけなんだけど」
「なんだ?」
少々苛立ちの混じった青年の言葉に、一拍程の間を置き、
「気のせいか、あの現象―――あたしの気のせいだと思うけど」
そこで言葉が途切れる。
「どうしたの?」
心配そうに眉を寄せる少年の瞳を見た後、
「―――魔術の暴走と、良く似てて。それを彷彿とさせるのよね―――」
空気と同時に肺から言葉を全て吐き出した。
「……あ!?」
「なんだと?」
間を置かず、酷く驚いたようなルフィの声と、当惑したようなチェリオの声が入り交じって聞こえた。
「それは確かなのか?」
「そうね、あたしの勘違いかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
けどね、酷く似ているって言うのは紛れもない事実なのよ。
暴走は体験した事が昔あるから、断言出来るわ」
チェリオの言葉に一旦クルトは視線を彷徨わせた後、ハッキリと告げる。
だが、その言葉には僅かに苦いものが混じっていた。
「…………」
青年の横にいるルフィも何か嫌な思い出を思い出したかのように、顔を曇らせている。 「あたし他の奴より魔力が強いでしょ。
だから、制御するのは他の人に比べて相当大変らしいのよ。
安定させた後でも、何の予告も無しに魔力が乱れて暴走し掛ける事もあるの。
今はそうでもないけど、習いたての頃はソレが酷かったのよ」
―――そして 暴走し掛けた。
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