交わらぬ色-9





 進んだ道には、僅かながらもトラップがしかけられていた。
 壁面の反対側から発射された矢が目前を掠め、向かいの壁の側面に突き立ったり。
 多分故意ではないだろうが、上からやはり岩混じりの土砂が降り注いで、(から)くも逃げ延びたり。
 またまた天井から土砂……ならぬ身の丈程の大ミミズが降った時は、悲鳴を上げ掛けたクルトの口を大急ぎで二人は塞いだ。
 紆余曲折(うよきょくせつ)はあったモノの、迷うことなく三人は目的の場所にたどり着いた。
 道筋が一本道だったのも救い。罠が少なかったのも救い。
 一番の幸運は、ピンクのうねる物体以外、魔物とは出会わなかった事だ。
 まあ、こんな事を言ったら『魔物百匹と戦った方が、マシだぁッ』と、少女は叫ぶだろうが。
 今、目の前に広がるのは、全てが白一色に染まった空間。
  年代を感じさせぬ傷一つ無い白い柱。
 天井は抜け落ちたかのように空が見えている。
 空いた部分に何かの障壁でも張ってあるのか、辺りが雨ざらしになった様子はない。
 水面(みなも)が揺らめき、蒼い光を辺りに散らす。
 陽の光に応じ、光は生きているかのように居場所を変え、移りゆく。
 時折、光を反映するように、紅が混じる。
 純白の門に抱かれる泉。
 それは……まるで……
 書物や壁画に描かれる、神殿。
 幻想的なその光景は、見る者を圧倒し、魅了する。
「……此処のはずよ。時間が無いわ」
  僅かに景色に飲まれていた少女は、軽く首を振って二人を見た。
「あ……」
 現実に引き戻され、ルフィはパチクリと瞳を瞬かせた。
「ん。ああ」
 後ろにいたチェリオもこくりと頷く。
「……レムから渡された紙があったはずよね」
「なんて書かれてる?」
「……えーっと……」
 チェリオの問いに、流れるような文字に視線を走らせる。
 それは、こんな出だしから始まっていた。
『この紙を見ているという事は、もうたどり着いたはずだね。所で、耐水にしておいたのは役に立った?』
 ―――むう。役には立ったけど。
 思わず口の中でそう呟き、続きを読み進める。
『取り敢えず解呪方法の説明に入るよ。二人は、自分の姿を泉越しに宝石に映して』
 説明通りに二人は自らの姿を水面に映し、宝石にそれを納めた。
『宝石を手の平で伏せる。コレはどちらがやっても良いよ』
「ん」
 チェリオは、言われた通りに淡々と宝石を伏せた。 
 紙に視線を落としたクルトの動きが、僅かに止まる。
 一旦、落ち着けるように空気を吸い込み、
『瞳を閉じ、手を重ねる。後は自動的に終了。
 二人の精神力に任せるしかないね。
 ああ、そうそう。間違ったら終わりだからね』
 紫の双眸を細め、言葉を吐き出す。
 書きつづられていた文字は、そこで終わっていた。
  何の、言葉も添えられず。
 終わり、とは一体どういう意味なのだろうか。
 思考がグルグルと回る。
 だが、宝石の説明は受けている。行き着く先は一つの答え。
 額に手を当て、表情は崩さずに少女は紫水晶(アメジスト)にも似た瞳を伏せる。 
 任せるしかない? 任せるしかない?
 本当に?
(……他に方法はない?)
 そんなのは嫌だ。出来うる事なら、確実な、安全な方法をとりたい。
 自己満足と言われても良かった。偽善でも、お節介でも、余計な事でも。
 儀式に失敗して、此処にいる二人が戻って来なくなるより。
 考えればあるはずだ。きっと何か……確実な。
 が―――
 いやに、あっさりとした言葉がチェリオの唇から漏れた。
「……じゃ、やるか」
「……うん」
 信じられない事に、ルフィも頷く。
「ちょ……」
  文句を言いかけ、言葉を飲み込む。時間が、時間が考える事を許してくれそうにない。
 そう、気が付いたからだ。
  白い空からの光は、徐々に赤みを帯び始めている。
 タイムリミットは、夕刻。
 問答している時は残されていない。
 戻れるか、戻れないか。
 その二択だけ。
 チェリオが瞳を閉じる。
 幼なじみの少年も、軽く瞳を―――
(待ってよ)
 なんて言えない。
(嫌だ)
 そんな事、言えない。
 紡ぎたくても紡げない言葉を持て余すクルトに、気が付いたようにルフィは振り向いて、
「大丈夫、ね?」
 優しく微笑みかける。
 栗色の瞳。白い指先。
 黙した彼の―――
 何時も、この金色(こんじき)にも似た瞳を見るたび、何か……
 何か、悲しくなる。
 そして……安堵にも似た感情が包む。
 厳しく振り払うのは、それを忘れる為だったのか、分からない。
 柔らかく微笑みかける金の瞳に、何故か……胸が痛く、そして、涙が(あふ)れそうな錯覚に陥って……
 いや、現に自分の中では泣いているのかもしれない。
 分からない。
 何故こんなに胸が痛いんだろう。
 なんで今、微笑まれた瞳に、奇妙な懐かしさを感じるのだろう。
 何で……何で、出会った時から既視感(デジャヴュ)のような……自分でも微かに感じられる程の動揺を覚えたのだろう。
 驚いたように、見返す瞳の中には、何かに怯えたような、安心したような、そして何かのきっかけで泣き出してしまいそうに顔を歪めた自分の姿が映っていた。
「クルト?」
 ――――違う。
 名前を呼ばれたとたん、思考を否定の言葉が(かす)める。
 ――――そう、この人は違う。柔らかな笑みも、似ているけど……別の……
「違…う」
 唇から、小さく掠れた言葉が漏れる。
「え?」
 幸い、言葉はルフィの耳には届かなかったようだ。
 訝しげにこちらを見返している。
 ざわめく気持ちが収まっていく。熱が引くように。
 でも、誰に似ていたのか……少女自身にも良く、理解出来なかった。
「……頑張って、ね」
 混乱する心を押さえ込み、無理に笑顔を作って、微笑む。 
「何してる。早くしろ」
 言葉を紡ごうと口を開いて、
「あ、うん」
 掛けられた声に慌てて頷き、ルフィは追及するのを断念し、瞳を閉じた。



『忌まわしき 摂理を乱しし(けが)れた宝玉 清浄なる言葉 清浄なりし水面(みなも)により 汚れを払わん』
 唇から言葉が漏れる。
  全く同じタイミングで言葉が紡がれる。混ざり合い、どちらの言葉なのか分からない。
『我願いしは 元なる摂理 歪められし(ことわり)我らの言葉を受け』
 両者の空いた手が信じられない速さで虚空を切る。
 無論、本人の意志ではない。
 後ろで佇む少女は、視線を逸らさず、二人を見据えている。
 その姿が、瞳を閉じているにもかかわらず鮮明に感じ取れた。
『我らの力なりし魔の力(かて)に 交わりし魂 元なる正路へ導け』
 古の言葉は、二人の唇を借り、紡がれる。
 ゆっくりと、宝石を持つ手が上がっていく。唱和する二人の声。
『交わりし心 元の器に』
 ぱんっ!
 澄んだ音を残し、宝石が砕け散る。
 余韻(よいん)が収まる前に、手の平から膨れあがる圧倒的な光が……
 入れ替わった時の比ではないまばゆさで、部屋を包み込んだ。 





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