どの位、時が過ぎたのだろうか。
長い、永遠とも思える程の時――――
「……成る程、ね」
深い、溜め息にも似た吐息混じりの呟き。
「なにかわかった?」
不安と、期待を織り交ぜ、クルトは尋ねた。
「大体は。取り敢えず喜んでも良いよ。まあ、そんなに喜べないけどね」
返ってきた答えは、曖昧な言葉。
「え?」
「元に戻る方法はある。嬉しいでしょ」
不安を拭いきれない少女に、何時もの静かな声を投げ掛ける。
「戻れるのか?」
「良かった」
口々に出るのは歓喜の言葉。
だが、少女だけは納得出来ていないような目でレムを見つめていた。
何処か不安げな眼差しを見、少年は小さく口元を緩める。
やはり、彼女は……馬鹿ではない。
「嬉しい、けど」
掠れたような小さな、呟き。
次に出る言葉は、レムには分かりすぎる程分かっている。
「それだけじゃ、無いはずよね?」
下唇を噛み、見返す瞳には強い光。
「…………」
クルト以外の二人が絶句する。
恐らく何かの制限付きと言う事に気が付いたのだろう。
「まあね」
とぼけるつもりもないので、レムは正直に言葉を紡ぐ。
紫の瞳は、いまだに射るような視線を向けていた。
話を別に逸らすな、と言う無言の圧力。
心を凍らせる、と言ったモノとは違う別種の威圧感。
のし掛かるような、心臓を射るような。
背中を押されるように、従わざるを得なくなるような、そんな瞳。
しかし、嫌悪感は感じない。
プレッシャーを振り払うようにレムは頭を振り、
「心配しなくても、ちゃんと教えてあげるから睨まないの」
ため息を漏らす。
「…………」
一言。
その一言だけで、張りつめるような少女の空気が霧散した。
「隠すと為にならないわよ〜」
一瞬で彼女の瞳にいつものような柔らかな光が戻る。
先程の圧力は、嘘のように消え去っていた。
「……隠すつもりはなかったけど。別に睨まなくても良いでしょ」
冷たくそう言いつつも、心の中で安堵の吐息を漏らす。
今、少し彼女を怒らせた……そう、感じたからだ。
「さっさと言わないのが悪いんだもん」
特に怒った様子も見せず、クルトは頬をふくらませ、何時も通りに子供のようなブーイングを上げる。
この反応を見る限り杞憂で済んだらしい。
逸れた話を元の支軸に戻すべく、レムは言葉を紡ぎ始めた。
「丁度僕が調べていた本に載っていたんだよ」
「ふーん」
興味を持ったのか、少女はレムの言葉へ興味深そうに相槌を打つ。
「古代技術の道具を載せた《アレイウ白書》その二千七百四十二ページ目の機(レグ)の章。上から二十五行目―――」
「ち、ちょっと待った!」
スラスラと流れるようなレムの言葉に、少女が待ったを掛けた。
「も、もしかして……全部覚えてるの?」
「何言ってるの。読む本はその場で全部記憶するけど」
何処か絶望感に溢れた少女の言葉を、さも当然とばかりに肯定する。
グラリと傾ぐ少女から興味が無くなったかのように視線を外し、レムは言葉を続けた。
「……まあとにかく。そこに載ってたんだよ」
一旦言葉を切った後、チェリオとルフィを指さし、
「期限は明日の夕方。それまでに戻れないと、一生そのままだからね」
全くの無表情で言い切った。
「え……」
「……な」
衝撃的な言葉に絶句する二人を置き去りに、レムの言葉は淡々と続いていく。
「さっきクルトから聞いたけど、今日で二日目なんだよね」
「う、うん」
「ああ」
何とか頷く二人を見返し、
「間に合って良かったよ。この魔道具は三日で安定するからそれ以降になると、もうどうやっても戻らない」
そこで片手を広げてお手上げ、と言うように首を振った。
「サ、サイアクじゃないそれ!」
「大丈夫。手だてはあるって言ったでしょ。
それにしても、二人とも良く無事だったね」
悲鳴のような少女の言葉に短く言葉を返し、二人を見やる。
「え?」
不思議そうに瞳を瞬かせるルフィに視線を移し、
「この道具は何の役に立つと思う?」
「えっと……なんだろ」
投げ掛けられた疑問に半ば混乱気味でルフィは呻いた。
「……うーん、中身交換してメリットがある事ね……
罠とか?」
親指の爪先を唇に当て、少女は眉を寄せる。
「惜しいけど違う」
否定され、苦悩するように指先をこめかみに当て、
「違う、なら…… 思い切り斬新な所付いて戦闘中に使うとか」
あまりにも斬新なその意見にルフィは肩を転けさせる。
「そ、それはいくらなんでも」
そう、斬新すぎる。
戦闘に使うとしても手順を多く踏みすぎるし、渡すだけで入れ替わるのなら使用者にも危険が及ぶ。
そんな事も何処吹く風、パンパンと気のない拍手を送り、
「はい、正解」
レムはそう告げた。
「えぇぇぇぇぇ!?」
「マジか!?」
「あら。やった」
それぞれ上がる驚愕、歓喜の言葉を振り払うように手を振り、
「まあ、どちらかというとクルトが挙げた二点合わせて正解って所かな」
何の感慨も無く言葉を紡ぐ。
「二点?」
繰り返す言葉に指を二本立て、
「ん。二点。
トラップ……戦闘用の道具。
つまり、この道具は記述に寄れば、とてもシンプルな方法で利用されていたらしい」
話しながらゆっくりと一本ずつ折り曲げる。
「シンプル?」
オウム返しにクルトが問いかけてきた。
「使用者が媒体となる宝石に相手の姿を映し込む」
「うん」
少年の唇から紡がれる言葉に、熱心に少女はこくこくといちいち頷く。
「そしてある部分を押して記憶させる」
「へぇ」
感心したような声がまた漏れる。
そんな反応が面白いのか、途中途中で彼女を見ながらレムは続けた。
「個々によって場所は勿論変わるらしいよ」
妖しく輝く宝石の表面を撫で、
「で、近くにいた他の対象者に投げつける」
空いた手をクルリと回し、投げるような仕草を見せた。
「はぁ!?」
ある種、意表を突いたその言葉に――――
当然の事ながら、素っ頓狂な声がクルトの唇から漏れる。
「いや、な、投げるって……」
「まあ、間抜けで話すのも何なんだけど、クルトは「早く受け取って」と、切羽詰まった様子で敵がアクセサリーを投げてきたらどうする?」
救いを求めるような眼差しを向けてきた少女に返答せず、逆に聞き返す。
キョトン、と彼女は瞳を瞬かせ、
「え? ……んと、つい…受け取っちゃうかも」
両手の人差し指を、何処か気まずげに合わせながら虚空に視線をやる。
ここで誤魔化したり、嘘を言っても良かったのだが、それはしなかった。
いや、無意味な事が分かっていたのだ。
大体に置いて、この手の嘘はレムに大方見破られる。
恐らくこちらの思考パターンは理解した上での質問なのだろう。
予想通り、と言うように頷き、
「そう、とっさにそう言う事をされると、反射的に多くの人間は手を出してしまう。
それが狙い目なんだよ」
人差し指を立てる。
「そして、入れ替わった時に生じる混乱に乗じて―――」
「って、待った待った待った! なんなのよその荒い作戦!
もう少しこう、巧妙とか戦略性とか無いの!?」
またまたクルトの静止の言葉が入った。
「無いよ」
「…………」
問答無用で言い切られ、紡ぐ言葉が見つからず、沈黙する。
「相手をかく乱出来さえすればいいからね。
精神の交換なんて、丁度良いんじゃない?」
戦術なんてそんなモノだよ、とでも言いたげなレムの言葉に腕組み、チェリオが眉を寄せた。
「しかし、効率が悪すぎるぞ」
「しょうがないよ。この道具は元々そう言う目的に作られたモノじゃないんだから」
「へ?」
あっさりと告げられた答えに、クルトの目が点になる。
「本当は通信用に作られていたはずの道具が、何処をどう間違ったかこういう効果を持ったらしくてね」
詰まらなさそうに嘆息し、手の平に乗った宝石を見た。
「……偶然の副産物」
ぽつり、とルフィが漏らす。
「でも、戦闘に使わなくても娯楽とかでも使えそうなのに」
少女の提案に、僅かに眉を跳ね上げ、
「実は、この道具にはちょっとした難点があってね」
何かを含む調子で首を横に振る。
「難点?」
嫌な予感を胸に、クルトは瞳を細め、少年の海色の瞳を仰ぎ見た。
元から、その説明をするつもりだったのだろう。手に持っていた宝石を置き、レムは静かに……
―――静かに語り始めた。
「強制的に他者との精神を交換する。
体に大きく負担を与える行為。そして、精神にも。
ただ単に意識を転移させて交換するなら良いんだけど、この道具は違う。
一旦意識を一つの場所に合わせ、分離して戻す。
下手に体質や性格の適合。要因が重なってしまえば二人の意識は混じり合い、一人の体に二人の意識が常駐するという通常ではあり得ないような事態が起こる。
半分ずつの意識がそれぞれに二分の一ずつ入り込み……
勿論――精神、肉体。共に耐えられるわけもない。
混乱し、暴走した二つの思考は自らの意識を蹂躙し、精神を蝕む。
一度崩壊した意識は戻らず、二人は永遠に現実には帰ってこない。
つまり、廃人になるんだよ。
……それ故に、敵にしか使えなかったわけだけど」
長い、長い……少年の説明に耳を傾けていたクルトは、信じられない物を見るような目で宝石を見た。
「な、なんて危険な道具なのよ!?」
「よっぽど二人とも性格や属性……
それらが真逆に近い程の相対性を持っていたんだろうね」
―――たとえるなら水に溶け込まぬ油のように。まるで交わらぬ、色のように。
二人の意識は分離し、交わらなかった。
奇跡にも等しい、偶然。
「だからレム……さっき『良く無事だった』って」
「兎に角、無事でいる事自体が珍しいんだけど。解呪法を知ってて良かったよ。
まあ、それは置いておくとして。
今から地図を書いてあげるから、その場所に明日向かう事」
答えず、告げながらも羊皮紙を選別する。
「地図?」
驚いたようなクルトを尻目に、レムは既にペンを手にし、地図を描き始めていた。
一呼吸も経たずに克明な地図が紙の上に浮き上がっていく。
「解呪はそこで行うんだよ。
他の詳しい説明もメモしてあげるから、文句は言わず奥にある泉に行って」
書き終えた地図を置き、次の作業に入りながら説明を続ける。
今物凄い速さで書き連ねられて居るのが、詳細なのだろう。
速さの割には見やすい、達筆とも言える文字の数々。
「えぇ!?」
悲鳴を合図に作業が終了した。
取り敢えずそちらは無視し、仕上がりを見る。
まあまあの出来らしく、レムは確認を取るように小さく頷いた。
書いた紙を並べてインクを乾かし、上から油を塗れば耐水にも優れる。
少し派手に動く時は、この紙の方が良い。
簡単に言うならば、何時何処で濡れたりしても大丈夫。と言う事だ。
その場所とやらは、書かれた紙を見て察するに、晴れていようが曇っていようがそんな事が起きる場所らしかった。
もしかしたら、こちらが暴れる事を考慮したのかもしれないが。
「タイムリミットは明日の夕方。ちゃんと脳内に焼き付けておいてね」
恐らく魔術なのだろうが、何かの力が働いたらしい乾いた紙を揃え、布にしみこませた油を手早く塗り込める。
話しながら汚れた手袋を近くにあったタオルで拭い、
「此処からそんなに離れてない場所だから、直ぐに着けるけど」
ちらりとクルトを見た。
「じゃあ今からでも……」
「用意とかあるでしょ。魔物も棲みついているはずだから、明け方に出て」
意気込む少女を軽く制し、地図を示す。
「レムは?」
「生憎だけど、二人にそこまでの義理は持ち合わせてないよ」
期待に輝く瞳から視線をずらし、言葉を吐き出す。
「うー」
あからさまにガッカリしたようにクルトの顔が曇った。
「うぅ」
「まあ、いいが」
他二人の反応も様々で、ルフィは不安げに眉を潜め、チェリオは動じず頷いた。
見ている方は姿とのギャップで少々目眩が起きたが。
視界からその光景は追い出し、
「レム……あんたって本気で素直じゃないわね。
教えついでに付いていこうとか思わないの?」
少女は呆れたように肩をすくめる。
ある意味現実逃避とも言う。
「全然」
レムの答えは簡潔だった。
「まったく……」
困ったようにそれを見ながら小さく笑みを浮かべ、クルトは嘆息する。
しょうがないんだから、とでも言いたげな微笑み。
母親が駄々をこねる子供を前に、弱ったような笑みを見せる状態にも酷似していた。
そんな視線が気になるのか、僅かに彼女から目を外し、
「僕がワザワザ付いていってあげなくても、二人とも自分の身くらい守れるでしょ。子供じゃないんだから」
言い切る。
「当然だな」
頷くチェリオ。
「うう」
不安がるルフィ。
「レム、こういう場合は『僕は君たちの力を信じてるんだ!』とか何とか言うのよ」
瞳をきらめかせ、両手を祈るように組んで、勇ましい(と本人は思っているらしい)作り声を上げる少女を半眼で見た後、
「馬鹿言ってないでサッサと用意して明日に備える為に寝る。早く行って。邪魔」
冷たく追い払うように少年は手を振った。
「あう!? レムが冷たい」
おざなりな態度にクルトは何故か、草の刺繍が入った白いハンカチを目元に当て、泣き崩れるようなポーズを取る。
「いや、アイツが冷たいのはいつもの事だろう……」
思わずチェリオからの突っ込みが入った。
「う。そりゃそうなんだけど〜」
「だから、馬鹿やってないで早く下校してよ。
教師が生徒を深夜に帰すなんて洒落にならないんだから」
何時もと変わらぬ少女のやりとりに疲れたモノを感じつつ、レムは階段を指した。
窓から零れる光は、徐々に弱まっている。
もうすぐ、……闇が辺りを包む。
レムの言葉を受けたクルトは、感慨深げに外を眺め、
「教師も大変よね」
しみじみと呟いた。
「トラブルばかり起こす生徒を持つとね」
「あう!? うう、いぢめる」
だが、その言葉すらレムの凍えるような痛い事実によって撃ち落とされる。
打ちのめされた様な少女を横目で見、
「早く帰ってよ、僕は忙しいんだから」
容赦なく言葉を投げる。
涙ながらにハンカチの端など噛みながら、
「うう、帰れば良いんでしょ帰れば」
頭を振りつつ沈んだ調子でクルトは椅子から立ち上がった。
「有り難う御座います。お手数をお掛けしましたレム先生」
「じゃ」
それぞれに礼をし、二人は先に階段を上がる。
少しの間を置いて……
クルトも階段まで行くと、気が付いたように振り向き、
「ね、その道具の名前、なんて言うの?」
問われた言葉にレムの視線が宝石に向く。
清浄な水を思い起こさせる澄んだ蒼の宝石は、刷り込まれた意味のせいなのか、禍々しくさえ見える。
蒼の揺れぬ湖面に映る少年の唇が、しばし逡巡するように閉じた後。
―――ゆっくりと、開かれた。
「摂理を乱す穢れた宝石。名前は――黒白珠。
古の魔術文字の、ある意味では《交わらぬ色》」
紡がれた文字に虚空を見やり、
「……神の意に反した道具、か」
少女はポツリと呟き、去ろうとする背中に……
「ま、無理はしないようにね」
微かに聞き取れる様な、そんな言葉が掛けられて、
「ん」
振り返らずに片手を上げ、緑のマントを翻し、階段を駆け上る。
「えへへ」
さり気ない言葉に喜ぶ自分が単純で、零れる笑みが……止まらなかった。
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