裏は取り敢えず後回しにし、表から読み始めた。
濡れた表面から、雫が零れ落ちる。
『前略。これを読んでいるという事はもう、解呪は出来ただろうと思う』
そこで、ある事に気が付き、少女は眉を寄せた。
「……レムの筆跡だわこれ」
「え?」
「なんだって?」
疑問の声を瞳で遮り、
「続きを読むわよ」
紙の内容を口に上らせる。
『実際の所、この解呪には危険が伴う。でも、それは普通の人の話。
二人に関しては特に問題のない難易度だと思って居たので、アドバイスは渡さなかった。
まあ、大丈夫でしょ』
「って……レム。アンタね」
投げやりな書き方に、その場にいない人物へ、クルトは思わず突っ込みを入れた。
返答は、当然返ってこない。
コホン、と咳払いをし、音読を続行する。
『それから、本題に入る前に、十中八九泉に手を突っ込んだのはクルトだろうから一言。
酸の泉や毒の泉がある場所も多いから、次からは確認もせずにいきなり泉に腕を入れない事』
「あう……ばれてるし」
手紙にぐさりと痛い所をつかれ、小さく肩を落とす。
青年から肘でつつかれ、頑張って続きをまた読み進めた。
文字は淡々と綴られている。
『さて、ここからが本題。この羊皮紙に施した特殊な細工により、この泉に触れると文字が浮き上がっていると思う。
まあ、この文が君たちの目に触れて居るんなら浮き出ているのだろう。
君たちの目の前にある泉は特殊な性質を持ち、僅かながら脂質を分解する効果がある。
昔は、それを利用して密書を交換する時に使用されていたらしい。
その手法も載っていたので、水に触れると浮き上がるような文字を入れておいた』
「な、成る程……でもあたしが水に落とさなかったらどうしてたのよ」
『泉には何かの弾みで落としたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
保険の為に、裏に文字を書いておいた。多分それを見つけて沈めた事と思う』
そこまで読み進め――
「…………」
白い沈黙が、辺りに満ちた。
ぺらり、と紙を捲る。
『水につける事』
短い言葉が書かれてあった。
「あ、あっははは…は。こんな所に注意書きが」
引きつった笑顔を顔に貼り付け、乾いた笑いを漏らす少女の頭上に、チェリオはぽん、と手を乗せ。
「……ふ。そうだな。 全ッ然、全く、お前は気が付かなかったんだな?」
口元に薄く引きつり気味の笑みを浮かべ、力を込めてグリグリと撫でる。
いや、手の平を捻る。
「あうあ!? 痛い痛い痛い痛い〜ッ」
頭に掛かる重圧から逃れようとジタバタ少女は藻掻く。
どうどう、とルフィは手の平を動かし、
「ま、まあまあ。落ち着いて。クルト、つ、続きを読んでよ」
手紙の続きを催促した。
「ふん」
僅かに視線をルフィに向け、青年は手を外した。
「うう……えっと」
ちょっとだけ涙ぐみつつ、気を取り直して読み始める。
『保険は掛けたけど、実際の所はこの文章が見つからなくても良いと思っている』
「へ?」
その一文に、間抜けな声がクルトの唇から漏れた。
(……って事は何? 読むのは、無駄? てゆーかグリグリやられ損!?)
胸中で取り乱し、絶叫を上げつつも読み進める事は休まない。
『君たちの人智を超えた悪運なら、僕のアドバイスが無くても大丈夫だろう』
「喧嘩売られてるのかしら」
据わった目で紙を睨み、呻く。
僅かにもたげる怒りを抑え、続きに視線を走らせた。
『まあ、せっかく読んでるんだから、アドバイスは渡しておく。
取り敢えず、聞くけど『脱出』の事は考えていた?
多分、かなり脆くなってるだろう、同じ道を通りたいとは思わないはず』
…………
………………
クルトは遠い目をした後、
「う。二人とも……考えてた?」
二人を振り向く。
「え、いやその……ぜ、全然」
「……考えてなかったな」
全然思いも寄らなかった、という顔で二人はフルフルと首を振った。
こほん、と咳払いを一つして。クルトは気を取り直し、読む事を再開する。
『考えていない事を前提に、話を続けよう。
君たちには隠していた事がある。道具の詳細についてだけどね』
「へ?」
またまた意外な文字に、虚を突かれたような少女の呻き。
ぶんぶんと頭を振り、音読を続ける。
『実は、この道具。黒白珠が作られた数は知っていた。
作られた数は、たった七つ。
書かれている限り、出てきた数は六つ。
そう、君たちが持っていたのが最後の一つ』
「黒白珠?」
と、疑問の声をあげる二人に視線を送り、
「さっきまで持ってた道具の名前よ」
端的に告げた後、文字の続きを読み始める。
『何故言わなかったというと、精神の交換に邪念が生まれてしまえば、失敗の確率が高くなるからだ。何かに悪用しようとか、売り払おうとか、そう言う意志が働けばね。
ま、二人に限ってそう言う感情があるとは思わなかったけど、邪念が生まれる危険のある事実は伏せて置いた方が良いと思い、伏せておいた。
此処で補足。文句は受け付けないからね』
その文を読んで、クルトは小さく苦笑を漏らした。
「レム、案外心配してるんじゃないの」
関心がないような顔をして、此処までの念の入れよう。
素直じゃないにもほどがある。
笑みを抑え、途切れた言葉をまた紡ぐ。
『ああ、そうだ。先人の残した文には《この忌まわしき宝石が全て潰えた時、泉は新たな生を受ける》と、ある。
そう言うわけで、先人の教えは守らないといけないから、僕の言うとおりにすること。
これは僕の想像でしかないけど―――脱出する手間も省ける事だしね』
確信に満ちた言葉。
手紙からでも滲み出てくる、自信。
「……?……」
意味不明の文に、首をかしげながら、続きを読む。
『泉の横の柱にボタンがある。多分君なら確実に見つけられるだろう』
「ってどういう意味よ」
紙を見ながらブツブツ文句を言う少女の手が一瞬止まり、
「……見つけたけど」
情けない顔で二人を見返す。
「そのままの意味だろ」
「うう。虐めだわ」
ざっくりと刺すようにストレートな青年の言葉に、少しいじけつつ、手紙を眺める。
『後は至って簡単。何時も通りにボタンを押してくれれば良いから』
「何時も通りって言う所が気になるけど」
やはり納得いかなそうに顔をしかめた後、指先を伸ばし……
「ってこんなあからさまに怪しい場所を押すのは止めろ!」
当然、静止の声が青年からあがる。
トントン、とその肩が横からつつかれた。
「ん?」
「チェリオ……あの」
少年の言いにくそうな言葉に少女の指先を見れば、出っ張った何かが窪みにはまるようにへこんでいる。
「押しちゃったわよ、もう」
あっけらかんとした答え。
「おい」
グッタリと頭痛を堪えるように頭を抑え、低い声音で呻く。
横にいた少年は、不思議そうに首をかしげ、
「あ、続きはなんて書いてあるの?」
続きの内容を催促した。
頷いて走らせた視線は、何故か一旦停止し、
『後は何が起きてもそこから動かない事。いい? 何が起きてもだよ』
気を取り直すように一気に言葉を紡ぐ。
更に紡ごうとした言葉は、
「だって。まだ何か―――」
揺れる地面と鼓膜を震わせる轟音によって強制的に中断された。
来た道を振り返ると、ヒビが走り、崩れていく。
「って、崩れ始めてるぞ」
言葉の合間にも壁面がボロボロと崩壊していく。
「だ、脱……」
慌てたようにチェリオとルフィの言葉に、落ち着いた様子でクルトは腰に手を当て、
「何が起きても、よ! 此処で待機」
びし、びし、と二人を指さす。
ガクガクと揺れ、うねる大地のせいで示す先は始終移動していたが。
「本気か?」
「本気よ」
絶望的に呻く青年に、キッパリと頷く。
「あたしはレムの言葉、信じるわよ。って事で待機。
第一、廊下が埋まってるのにどうやって帰る気?」
見つめる先は、先程の通路。
「あ」
「ちっ……」
習うようにそちらに視線をやり、二人はそれぞれに声を漏らした。
彼女の言うように、脆くなった通路は崩れ、壁の両側から押しつぶされるような形で塞がれている。
赤茶けた土が、出入り口に山となっていた。
今から通ろうとしても、手遅れだ。
掘り進んだとしても、横合いから崩れて来る土の方が圧倒的に量が多い。
激しい揺れもそれを増長させている。
これでは八方ふさがりだ。
「しかし、これからどうするんだ!?」
壁面が崩れる音に負けぬよう、青年は声を張り上げる。
「待機よ待機!」
返答は、簡潔かつ無責任だった。
「うわまた崩れてきたよ〜」
ガラガラと喧しい音を立てて、近くの壁が崩れ落ちる。
頭を庇いながら、少年が悲鳴じみた声を漏らした。
「間違っていたらどうする!?」
「そんときはそれで終わりよ! あたし達の運もそれまでね!」
食って掛かる青年に、肩をすくめ、クルトは言い切る。
完全に責任とかそう言うモノを放棄した言葉だ。
「阿呆か!?」
「うう、生きて帰れる事を祈ろ……」
手をわななかせ、怒声を上げるチェリオと、横で両手を組み、静かに祈るルフィの反応が対照的だった。
次第に音は激しさを増し、土埃が舞い上がり、視界が乱れる。
ドウンッ!
一際大きな揺れが体を揺さぶり―――床にたたきつけられるような衝撃。
そして、視界が……途切れた。
始めに見えたのは、ぼやけた視界に滲むような朱。
意識が途切れたのは数秒程だろうか。
いつの間にか頭を庇うように倒れていた状態から、ゆっくりと起きあがる。
床に叩き付けられたような記憶もあるが、痛みはない。
あるのは、体が鉛になったような鈍い、重さ。
振り返ると、二人も同じだったのか、何処か気怠げに頭を軽く左右に振り、立ち上がる所だった。
「大丈夫…?」
先程の影響か。それとも何処かで打ったのか。
揺れる視界の焦点を合わせながら、クルトはくぐもった声を漏らす。
「ああ。取り敢えず、な」
「うん、平気」
安堵の吐息を漏らし、体制を整えようとしたクルトの足下でカラン、と硬い音が響く。
「壁の欠片……?」
白い、見覚えのある破片。先程まで壁に張り付いていた、タイル。
そこで辺りを見回して、息をのむ。
焼けたような紅。
瞳に映るのは、ざわめく梢。
―――全てが、無くなっていた。
いや、全てではない。
彼女たちが居る泉以外、完全に崩壊している。まるで、その場を避けるように。
壁は全て崩れ去り、白い柱と、蒼い……蒼い泉の水だけが光を放っていた。
鮮やかな紅に染め上げられる、純白の柱に包まれた泉。
「…………」
風が頬を掠めて駆け抜ける。
外界に触れ、地から解放された泉は、初めに見た時よりも、一層強い輝きを宿している。
人間は、本当に感動や感嘆を覚えた時は、単純な言葉しか出てこなくなる。
「す…ごい」
景色に飲まれ、呟いた少女の一言も、そんな簡単な台詞だった。
言葉には表せない程の雄大な景色。
そんな一言しか出てこない。
思わず握りしめた手の平の中で、紙がひしゃげる。
「……あ」
手紙の存在を一瞬忘れていた。
慌てて皺を伸ばし、文字に目がいく。
『多分僕の想像が正しければ、君たちは泉の結界に守られ、無事だろう。
何でこんな事が分かるかというと、それはこんな言葉が残されていたからだ』
続きの言葉に視線を送った後、白い無垢な外観の、神殿にも似た泉を見つめた。
「…………」
――彼の人は、こう言葉を残している。
《もしも、穢れた宝石の呪縛から、幾年の月日を重ね、泉が逃れし時は。
新たなる名を授けよう。
地の封印から逃れた、自由の泉。
授けし名は―――》
小鳥のさえずりが聞こえてくる。
たゆたう水は、赤い光を飲み込むようにきらめいていた。
《交わりし色》
―――自由が、皆に訪れるように。忌まわしき名を交えて伝えよう。
重みを含むその名とは裏腹に、泉はまばゆく輝いている。
佇む青年に目をやると、夕日を受け、その双眸は金色に見えた。
(あたしは……)
わだかまる何かを頭から振り払い、
「んんーっ。疲れた」
大きく伸びをする。
茜色の光を受け、朱に染まった少年が微笑み、クルトを見た。
「何か続きが書かれてあった?」
「ん。続きが気になるな」
尋ねられた言葉に、
「うん、この泉の名前なんだけど……」
ちょっとだけ優越感を見せた後、クルトは口を開く。
夕日に重なって、月が見えたような錯覚を覚え。
「ああ、御免。名前はね――――」
微かに微笑んだ後、途切れた言葉を再開した。
《交わらぬ色/終わり》 |