交わらぬ色-1






 仕方がない、そう。仕方がない事なのだ。
 第一。自分が此処にいるのだって偶然だし、狙って現れたわけでもない。
 そう、ちょっと……ほんのちょっとだけ興味が湧いたのだ。
 好奇心というものが。
 ここ最近……
 嫌に仲良く肩を並べ、入っていく二人。肩は身長差で並ばないが。
それを見かけ、人目を忍ぶように入る姿を見て、ついていくなと誰が言えよう。
誰でもそうしたはずだろう。きっと。
 見つかってしまったあっちが悪い。
 だから、そう……自分は悪くない。これからやる事も必然性があるものなのだ。
 神に定められた運命とかそう言うモノに違いない。
「よし」
 罪悪感かなんなのか、ひとしきり自分にそんな良く解らない言い訳を胸の内で呟いた後、少女は頷く。
何が「よし」なのかは分からなかったが。
そして、扉にそっと耳を付ける。
 何処からどう見ても怪しいのだが、幸い此処は人気(ひとけ)がない。
 放課後と言う事もそれに後押しをしていた。
完全に盗み聞き。
恐らく先程の分からない言葉は、自分に理由を付けて言い聞かせる為だろう。
微かな、声が聞こえてくる。
 低い、青年の声と。まだ声変わりもしていないような高い、穏やかな幼なじみの声。
「今日、は……った」
「ふん……だが……だ」
 遠くにいるのか、声は所々聞き取れない。
 声音ではどちらの声か良く解らなかったが、言い方で大体の見当は付いた。 
イヤミなくらい自信があふれ出る余裕の答えが青年、チェリオの声。
 対照的におずおずと大人しい言葉が彼女の幼なじみ、ルフィの声。
(むう……マズイ傾向だわ。
 大切な幼なじみが変態にそそのかされて非行の道に走ってしまうかもしれない!)
 とかなんとか顔を青ざめさせて頬に手を当てる。
 幼なじみと言うよりは、まるで保護者のような心配事。 
(やはり、これは早急に変態極まるあの無神経剣士と隔離(かくり)せねばならないわね)
ちょっと深刻そうな顔をしつつも、やっぱり耳は外さない。
「ふう、今日も無事に終わったね」
「そうだな」
 先程より、強く押しつけたせいか、途切れがちの言葉ではなく、会話が耳にはいる。
 やはり、小さすぎて耳を澄まさないと聞き零してしまいそうな言葉だった。
「あまり無理をするな」
「え、うん」
(!?)
 聞こえた言葉に思わず悲鳴を上げかける。
 今の口ぶりからすると、無愛想な青年が言った言葉だ。
 あの青年に限って「無理をするな」とか「そうだな」とか素直に素面で言えるはずがない。
 なのに、なのに……いま交わされているこの会話は一体何なのだろうか。 
 跳ね上がる胸を押さえ、呼吸を殺す。
 そうでもしていないと、大きく鳴り響く鼓動の音のせいで二人に気が付かれると思い、気が気じゃなかった。
そして、そんな少女の涙ぐましい努力を嘲笑(あざわら)うかのような言葉が紡がれる。
「気を付けろ、お前一人の身体じゃない」
 労るように。柔らかな声音。
「そうだけど、もう、誤魔化すのはこれ以上無理だよ……」
逡巡(しゅんじゅん)するような、困ったような……言葉。
(……!?)
 今度こそ、口から心臓が飛び出るかと思った。 
 お前一人の体じゃ、ない?
 じゃあ誰の体? 
 答えは、明白だ。
「ルフィ。すぐにソイツから離れるのよッ!」
 忍んでいた事すら忘れ、扉に手を掛け、一気に横に引く。
「クルト!?」
「お前、何で此処に」
驚いたような声が二人の唇から漏れた。
 そんな事はどうでも良かった。この緊急事態に比べれば。
「こんな……こんな……こんな」
 震える声で瞳に涙すら浮かべ、キッ、と青年の瞳を見据えた。
「え?」
 驚いたように、整った顔で少女を見返し、彼は首をかしげる。
 俯き、びし、と人差し指を突きつけ、
「も、元から変態だ変態だと思ってたけど。ここまでなんて! 見損なったわ」
「というかまだ見損える余裕があったほうが驚きだが」
 何時もの嫌みな程自信たっぷりの声。
「ちょっと口べたなだけで少しは人間っぽいかな、とか思ってたあたしが馬鹿だったわ!」
 歯を軋ませながら、驚いているのか微動だにしない幼なじみの手を取る。
「やっぱりアンタなんかと近づけていたら、ルフィに悪影響よ悪影響!
 隔離よ隔離! もう絶対近づけないんだから、あたしの大切な幼なじみに妙な事吹き込むんじゃないわよこの変態!」 
「いや、えと……」
 戸惑うような声に顔を上げ、
「二度と近づいちゃ駄目よ、ルフィ。あの男は変態で、それから男女構わず手当たり次第に漁りまくる、そこつで見境のない色情魔なんだから」 
幼なじみの少年を眺める。
 何時も素直な彼は、やっぱり何時もと同じように……
「誰がだ」
 何時もと同じように素直に―――斜に構えた瞳で呟いた。
「へ?」
 思わず目が点になる。
 空色の瞳、肩口にまで伸びた柔らかな髪、そして紺のローブ。
 変わらぬ、幼なじみの姿。
 ……思い切り変わりすぎた口調。
「チ、チチチチチチェリオ!? 
 あんたなんつーことしたのよ!
 礼儀正しくて可愛くて優しくて、おしとやかなあたしの幼なじみがグレてる!?」
 華奢な少年の肩口を掴み、偉く取り乱した様子でクルトはブンブンと首を振る。  
見事な程の動揺っぷりで、歯の根すら合っていない。
微妙に異性に向ける言葉とは方向性が違う事も口走っていた。
「くっ、やっぱり妙な仏心を出したあたしが悪かったのよ。
 今すぐにでも炭に、いいえ、炭だなんて生ぬるい!
 その存在自体が無かったことになるほどのレベルまで粉々に燃やし尽くして……」
言いながら滑らせるように指を動かす仕草に、慌てたような声が掛かる。
「ま、ままままってよ。ストップストップ!」
「ルフィ、庇ったって駄目よ。あたしの精神的にも、ルフィにも色々な面で害になって宜しくないと思うの。だから、将来的にこれは必要な事なのよ。分かって?
 ・……って。あれ?」
 何処までも優しい幼なじみの言葉に、キラキラとした視線を投げ掛け、そこで首をかしげた。
「ルフィ、ちょっぴり声変わりした?」
何時も聞くよりも低い声音に、微笑む。
 成長する事は良い事だ。そんなワケで、ここは温かく見守る。
「えっ……と」
 視線を向けると何時も見ている空の瞳が、何処か斜になっていた。
 首を軽くかしげ、
「ん? ちょっと目つきが悪いわよルフィ。
 何か悩み事があるの? お姉さんに話してみなさいよ」 
極上とも言える優しげな笑みを湛え、クルトは尋ねた。
 青年への態度とは明らかに百八十度ほど違う。
 実際の所、お姉さんではなく、年齢的に言えば、一つルフィの方がお兄さんになる。
 だが、そんな事は関係ないのか、可愛い弟を見るような目で返答を待っていた。
 それに気圧されるように数歩退き、
「…………」
 黙したまま少年は余所を向く。
「ん? 言いたくないの?
 そんなに言いたくないなら、深く聞かないけど、自分で抱え込むのは良くないわよ?」 少しだけ困ったように眉根を寄せた後、ポンポンと幼なじみの肩を叩き、これまた穏やかに笑みを浮かべた。
「…………」
 何処か救いを求めるように、ルフィはチェリオを見る。
「…………」
 困ったように沈黙を挟み、青年はクルトを見た。
「あのね、クルト……話を聞いて欲しいんだけど」
 おずおずと、困ったように『彼』が口を開く。
「…………」
 それに、少女は笑顔のまま凝固した。
「だ、大丈夫?」
 パタパタと労るように手を振り、扇ぐ。
 優しげな笑みを浮かべて。
 そこで、少女の意識が覚醒する。
 扇ぐ手を払い、数歩後ずさって。
「いっやあぁぁぁぁぁぁ!? 壊れた? 壊れたのね?
 とうとう壊れたのね、シッカリして気を持つのよ!」
ブルブルと蒼い顔で首を左右に振り、チェリオの腕を掴んだ。
「いやあの……」
「なんだその反応は。とうとうってどーゆーいみだ」
 狼狽えたように俯く青年の傍らで、少年は空色の瞳を細め、視線で少女を射抜く。
「何でルフィが睨むのよ。あたしはチェリオに…………」
 言葉は全て紡がれる前に、霧散した。
 ある、一つの、可能性によって。
「いやぁ……まさか……まさか……ね」
 口の中で呟いて、ゆっくりと頭を振る。
 少女の紫水晶(アメジスト)にも似た瞳は、困惑と疑問と僅かな恐怖で揺れていた。
「ふん、まあ、予想は既に付いているとは思うが」
 動揺を(にじ)ませる少女を見、軽く皮肉げに口元を歪め、
「俺達は、どうやら……入れ替わったらしい」
白い指先を広げ、幼なじみの少年は――――
 見慣れた青年の動きそのままに、そう告げた。

 




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