子供達のセレナーデ-3





 頬に手を当て、盗賊一味の住み家で少女は納得したかのようにこくんと頷く。
「じゃああの武器庫にあった奴であたしをグサグサーっとやる気だったのね」
 全く警戒心も欠片のない様子に盗賊一団毒気を抜かれたが、すぐにクルトの台詞で現実に立ち戻った。
「そうだ。武器庫だ野郎共武器庫にむかえ!」
 敵に武器のことを思い出させるなんて馬鹿な娘だ。頭目はほくそ笑んだ。
「お頭大変です! 通路は一つだけです!」
 部下の一人が悲鳴を上げる。
「なにいってんだぁ。そんなん当たり前だろ」
 コチラは頭を含めて十数人で相手は少女一人。多少気は引けるだろうが通路如き言い訳にならない。
「どうやって通りましょう!? あの女魔術師ですよね。なんか通路からきたんで前にいますよね」
 …………。
 呑気に微笑む少女と盗賊一団。両者に沈黙が落ちる。
「ど、どいてくれねぇかな」
 普通聞く訳無い頼みをしてみる。
「そうね。まあ折角用意した武器なんて使わないと勿体ないわよね」
 んー。と唇に指を当て、考え込む仕草は年相応だ。
「良いわよ。そうねー。まあ五人くらいなら通っても良いわよ。ちゃんと良い武器選んでくるのよ」
 等と素っ頓狂な台詞を発し本当に道を譲る。
「す、すまねぇな! キムダン、ラスク、ディーデル、ケムデス、イルク行け!」
 優しい敵対者の台詞に遠慮無く精鋭部隊を送り出す。脇を通る際にもクルトは全く手出しせず「行ってらっしゃい」と朗らかに手を振った。
 やはりラスクか。頭目は視界に入った帰還者に胸の内で呟いた。先程送り出した五人の中で一番素早く、短剣使いで相手の懐に入り込むのが早い。
 鋭く磨き抜かれた、幾人もの犠牲者を屠った血の染み込んだナイフを振り上げ。
「嬢ちゃんすまねぇっ」
「ハイお帰りー」
 懺悔と気楽な返答が被った。帰ってきた殺人者に少女は笑みすら浮かべて裏拳を見舞い、仰け反った相手の腹に肘を入れる。
 ボテ、酷く非現実な音がして若いが手練れのナイフ使いが地面に潰される。
「…………」
 あまりといえばあまりの光景に頭目と部下は沈黙した。
 アレクとディーも固まる。彼らが知っているのはあくまでも気が強く多少手の早い年上の少女だ。
 幾ら強くてもチンピラにすら勝てないだろうと思っていた。その人物が笑みを交え相手を瞬殺したのだ。絶句するのも無理はない。
 本来は魔物を十数匹程涼しい顔で微塵も残さず灰燼と化すのだが、その現場を見れば二人は気絶しかねない。攫われたのが盗賊団なのはある意味幸運だろう。
「ラスクがやられたか。手加減がぁっ!?」
 悔恨と復讐心の混じった斧使いの台詞は素早く回し蹴りを叩き込まれたことで中断される。
 どすっと踵を相手の後頭部に振り下ろし、落ちてきた斧を拳で人の居ない方に払う。
「斧も短剣もね、まあ良いとは思うのよ。でも使わないと意味無いと思わない? 勿体ないわよね」
 先程道を譲ったときと全く同じ台詞を発し、クルトは息をついた。遅れて重い武器が落ちる音が響く。
『ケムデスーーー』
 あの大柄な男はそれなりに戦力として期待されていたのだろう。悲痛な叫びがこだます。
『悪ィな』
 長剣を同時に両脇から振り下ろされ、
「イヤ全然」
 刃が届くより数段早い踵蹴りと肘うちで相手の謝罪を無に帰した。吹き飛んだ二人が壁にぶつかったのを確認し、トドメとばかりに急所を踏む。
「なんかもう打たれ弱いわねぇ。あたしの知り合いの三割も無いくらい脆いなー」
 ぼやきながら踏み続ける。一応全員気絶している事を確認して足を上げた。
 二人は残りの……えーと誰だったかと少女は頭目達が叫んでいた名前を思い出す。うん確か、『キムダン・ディーデル・イルク』とかの誰かだろうが、もう確認する気も起きない。
 思い出したことですっきりはしたが釈然としない気持ちは消えない。
「素手の乙女に対してよ。武器有りでこの体たらくってどうなのよ。ねえ」
 横合いからそっと突きかかろうとした槍を持つ男に同意を求めた。
「い、いつからッ」
「足音聞こえたし。もう少し隠れる努力して欲しいと思うのよ」
「死ねやこのアマぁっ!!」
 ざく。振り上げた男の槍が小柄な少女を貫く幻影を頭目達は見た。
 実際には天井を差し貫いた男を冷たく見つめ、
「自分たちの暮らす空間と武器の長さの比率って考えた事ってある?」
 可愛らしくクルトは小首を傾けた。希望は希望で現実は現実だ。
 武器を持たない相手には手加減がしやすい。どう考えたところで抜く前に柄が折れそうな長槍を引き抜こうと奮闘している男の腕を捻り上げ、足を掬ってバランスを崩させて前面に押し倒した。
「てめ、がぐっ」
 非難の声が上がる前に槍使いの背を椅子代わりにする。この体勢で身動きをすれば激痛でのたうち回る事くらいは分かるのか、椅子は静かになった。
「ここの武器庫って結構値打ちモノがあったわね。魔導書はまあそんなめぼしいモノはなかっけど、刀剣類はなかなかのものよ」
 空いている片方の手で懐から金に小さな宝石がついた多少は値打ちのありそうな装飾のついたナイフらしきものを取りだし、鞘を手首を捻る動作で地面に落とす。 
「そうだろう」
「そうね、死神喚びのナイフなんてめっずらしいのもあったわよ」
「何ぃ!?」
 クルトに適当な相槌を返そうとしていた頭目の声が裏返る。
 死神喚びのナイフは魔剣の一種。
 ナイフを魔剣と言っても良いかどうかは知らないが、魔剣の価値はかなり高く、本物の魔剣には及ばないが誰にでも使える希少性のある死神喚びのナイフは高値で取り引きされる。
 叩き売ったとしても盗賊一団二年遊び暮らす位の金額にはなるだろう。ハッキリ言って盗賊達にとってかなりのお宝だ。
 どうも鑑定眼が余り宜しくなかったのか、クルトには見分けがついても盗賊達には分からなかったらしい。
 魔力付与された物を見るのが得意なのもあるが、少女の鑑定眼は幼馴染みのルフィ直伝だ。目利きは悪くない。
(ナイフ売り払うだけでしばらく遊べるのに勿体ないわね)
 もっとも、盗賊なんてしている一団が仲良く山分けして平和で居続けられる保証もない。
 驚き固まる一味を見つつ、小さく溜息。
「死神喚びのナイフはあんた達にとってはただの珍しい魔剣の一つ。魔導を囓ってるあたしから言わせるとまーそんなのどうでも良いんだけど。
 このナイフの神髄は死神に直接魂を持っていって貰える事よ」
「それがどうした。誰だっていずれそうなるだろ。ちょっと強引に持って行かれるだけで」
「いやいや、そんな可愛いモノじゃないのよ? 考えても見なさいよ、世界規模で考えても死神の組織があったとして、人って息をする間にバタバタ死んでるのよ? ここまでは良いわね」
 迫力に押されたか今までの呆気ない敗北ぶりに脳が正常活動していないのか、頭目が神妙に首を縦に振る。
「お、おう」
「そんなの幾ら組織があっても忙しいわよ。やれあっちに行けそっちに行けで寿命が分かっても案内しなきゃならないから、人じゃなくても死神さんは多忙なの。
 で、そのナイフを使われるとただでさえ忙しい死に神さんを無理矢理。スケジュール詰まってようがなんだろうが、強制的に呼び出す事になる」
 鈍い光を放つ刃を左右に振り、少女はいかにも同情的な眼差しを剣の柄に向けた。
「そ、それがだからどうした」
「想像してみてよ。忙殺されまくった死神さんが「いらっしゃいませぇ」とか営業用の笑顔で魂運んでくれると思う?」
 カフェの店員さながらの死神の笑顔。それはそれで怖い。
「良いほうで何割増しか凶悪になった姿で、恨み言垂らしながら連れて行くでしょうね」
「わ、悪ければ」
「ご機嫌斜めな魔物より凶悪な面構えの死神さんに、死んでも蹴られたり殴られたりしながらもう地獄に早く行きたくなるような怨嗟を聞かされて、ゆっくり連れて行かされること請け合いね」
 刃を揺らし、溜息一つ。
「さてここで問題です。あたしの講義を聴いた後、このナイフは何に見えるかしら」
「まっ、まさか」
 今まで静かな椅子代わりだった槍使いが引きつった声を上げた。
「魔導師って生き物は知識の探求って奴に対しては凄く興味あってね。このナイフで実際刺された人間どうなるのか気になるとか思わない」
「お、おもわねえぇぇっ」
 必死の否定。
「まあまあ。人間何時かは死ぬのよ。刺されたところでそれがちょっと早まるだけだって誰か言ってたじゃない」
「だれがいったんだぁっ!?」
 肩でも叩きそうな声音で諭す少女に当然涙混じりの絶叫が答えた。
「大人しく知識の糧になりなさい。死神さんのお迎えよ」
 ひゅ、と刃が空を切り。重く、硬質な音が響いた。
「なんちゃって」
 地面にめり込んでいたナイフを抜き取り、落としておいた鞘に収める。
 散々脅し抜かれた槍使いの盗賊は泡を吹いて気絶していた。「この程度で気絶するなんて肝の据わってない証拠ね」とクルトはつまらなさそうに語るが、僅かに開いた瞳に白目が見える所なんかが彼の味わった恐怖を物語っている。
「てっ、てめぇっ騙したな!?」
「え。なんの話? あたし『何に見える』としか言って無いじゃない」
 きょとんと大きな瞳を瞬いて首を傾ける。
「しかし死神の」
「死んだら迎えに来るでしょうが」
 馬鹿ねぇ、とでも言わんばかりの顔をして片手を振る。
「そうじゃないなら話は早い。おまえたちやっちまえ!!」
 しん。
「やれよっ」
 ぶんぶん。周囲が一斉に首を横に振る。
「まー来ても良いのよ? この寝てる人達より強い人材が残ってるなら。あと、あたし凄い手加減してあげてるのは気が付いてね」
「わ、悪かった。もうこんな事はしない助けてくれッ」
「わぁ。『悪かった、もうこんな事はしない助けてくれ』って言われちゃった。無抵抗で武器取りに行かせたとき躊躇ってくれればその言葉ちょっとは説得力あったんだけど」
 半眼の少女の台詞に頭目が沈黙する。
「あたしの本分はあくまでも魔術。そこの所分かるわね」
 溜息をつきながら掌に再び魔力を集めようとしたところで振り向きざまに肘を打つ。小気味いい音がして飛びかかった盗賊の一人が地に伏せた。
「人の話聞かないとたまに手加減が上手く行かないわよ?」
 骨の一本くらいいったかもね、と笑う少女の声には笑みもつかない。
「本来なら腕力を強化するんだけど今日はしてないのよ。なのに何かなこの体たらくは。最近の盗賊って奴は女の一人も抑えられないのね」
 また深い溜息を一つ。
「ちなみに――」
 少女が指先に集めた魔力が輝く。闇に蒼い光が映えた。
「今まで大人しくしていたのは正当防衛にするためよ」
 にやりと不敵に微笑んだ笑みは、この世のモノではないように思えた。不気味な静寂を少年達の裏返った呻きが破る。
「あ、あああ。アレク縄切れたよっ」
 静かに腕が切れることすら厭わず擦り続けた成果が現れた腕を広げ、ふらつく足取りで友人の元へと駆け寄る。
「でかしたぞディー」
 身体にまとわりついた縄を投げ捨て、アレクが歓喜の声を上げた。
「ガ、ガキが逃げるぞ!?」
 慌てる頭目を尻目に二人は痺れる腕を押さえることも忘れ、がしっ、と力強く抱きついた。
 「アレク!」「ディー!」
 熱く涙する男の友情。ではなく、背中合わせからの開放感と共に感じたのは『何かに掴まる』と言う恐怖から逃れる為の行為。
「これで死んでも一緒だね!?」
「死ぬまで一緒だな!?」
 同時に叫んでぎゅっと相手の服を握る。
「おっ、お前達知り合いだろ。ナントカできないのか!?」
 何故か頼み込まれるが首を振る。前クルトから言われたモノだ『喧嘩は相手を見て選ばないと後悔どころじゃ済まないわよ』と。その台詞は盗賊団に喧嘩を売った自分たちにも当てはまる。
 そして、その盗賊団よりも恐ろしい紫の髪を持つ、少女に喧嘩をふっかけたこの頭目こそ芯から恐怖を味わうのだろう。
 どの世界にも、逆らってはいけない相手はいる。
「お前多少は助けには来たんだろう」
 なぁ? 人間ならそうだよなッ。と言わんばかりの目でクルトを見る頭目。
 にっこお、不吉な笑顔をたたえる姉貴分に二人は抱き合ったままいつの間に張り付いていた壁際で震えた。
 絶対に絶対助けに来ただけではない表情だ。アレは。
 既に魔術の制裁を受けている二人は違った意味で冷静になっていた。絶望を通り過ぎた現実逃避の安息という奴だ。「神様今日あなたの御許に行きます」「悔い改めるから許して下さい」遠い目で祈っている辺りある種の悟りでもある。
「えと、クルトお姉ちゃんは僕達を助けに来た訳でもなく」
「オレ達の安否を気遣うでもなく。怒りに来た、と」
 確認混じりの乾いた声に、クルトは小さく首を振る。
「安否はシンパイしたわよ。だって死んでたらこの手でお仕置き出来ないじゃないの」
 少女にとってはしごく当たり前の返答に、『ヒィィィ』と洞窟にいる全員が悲鳴を上げた。
「良いわね。お仕置きだからね。加減しないわよー。面倒だからその辺にいる悪い大人の人も一緒に反省しましょうね」
「お、オレ達は関係ないだろ。ガキも帰すし。ねえ頭!」
「オ、オウ。返す。返すから」
「返す返さないの問題じゃないの。あたしをここまで出向かせてくれたんだから、それなりのお礼もしてあげてくれるわよ」
 さっき色々手も出してくれたしね、と付け加えた彼女の目はずっと冷えていた。
 盗賊達に出会ってから始終変わらぬ満面の笑みのまま。クルトは両手に魔力を乗せた。「氷槍」口早に呪を唱え、力を解き放つ。
「姉ちゃん、それ当たったら絶対凍るだろ? 氷像出来るよな?」
 氷の槍は出口を閉ざした。先に逃げ道を塞いだらしい。すれすれで避けたアレクが涙声になっている。
「クルトお姉ちゃん。壁がなんか壊れたんですが」
 余波で少し室内が削れた。ディーが冷静に報告する。
「なんでおまえら冷静なんだあぁぁぁ!?」
「頭落ち着いて下さい!!」
 掴み掛からんばかりの頭目を部下が抑える。
 悲愴な決意を滲ませ、自分より倍以上離れた大人を二人は見据えた。

「――死なばもろとも」

『いやだああああ!』
 綺麗に唱和した死の宣告に、心からの拒絶をその場にいた盗賊団全員が発した。
 その日、小規模な炎や氷、風が舞う中一つの盗賊団と二人の子供が生死の狭間で神に祈りを捧げ、涙し、慈悲を請い。
 ずたぼろになった盗賊達は次々に改心し、泣きながら役所に出頭してきた。
 かくして、村人の知るところ無く幾つかの悪が滅びた。


 黄色い筋の入った草。青みがかった花。手際よくつみ取って小さな籠に詰めていく。
「薬草この位で良いかしら。全く、レムも人使い荒いんだから」
 乾燥したモノではなく生の野草が必要だと言われパフェ一つで引き受けたものの、野草を見慣れてる少女とはいえ結構大変な作業だ。
「おねーちゃーん」
 聞き慣れた声と足音にクルトは薬草となるであろう草を摘む手を休めた。丁度休憩を取ろうと思っていたところだ。
「はいはい。走らないの。お姉ちゃんは逃げないわよ?」
 微笑みを返し、銀髪を揺らす少女を見る。
「あのね、アレクとディーが最近大人しいの」
 確かに最近不気味な程に二人は大人しい。原因は八割方あの事件だろう。
 大なり小なり、あの時に何か思うところがあったのかも知れない。人は変化する。それは美徳でもあり、少し寂しいとも思えた。
「そうねー。何でかしらねー」
 相槌を打ち、近くの蒼い花を摘み取って髪飾り代わりに挿してやる。なかなか似合う。
「あ、そうだ。アレクが『くるとねーちゃんは魔王の生まれ変わりだ申し子だ。魔界の創世者の生まれ変わりか末裔だ』とか言ってた」
 飾られた花を嬉しそうに触りながら、リリーが口を開いた。たどたどしいが一片たりとも聞いた言葉を忘れていないらしい。
「ん、そう」
 この子の前では余計な台詞は言わないようにしようと誓い、頷く。
 人間は変わりにくいモノでもある。それは良いことにも悪いことにも繋がるだろう。信念を貫き自分を曲げぬ強さになる。曲がった道を矯正できない固さにもなる。
 変わらない、か。心の中で小さく呟く。アレクはそのまま。まあ、それもいい。歩調が緩くても前に向けば。
「で、ディーはね『この世に生死の境を見ました。僕は神父になる道が示されたんです』とか言って将来は神父様になるって」
「ディー。何でそっちに行く。……いやまあ、イタズラしなくなるんなら良いんだけど」
 変わる方もあった。何故神に、と思う少女にも多少の問題はあるが、大抵に置いて元凶は気が付かないモノである。
 神父ねぇ、呻いた後空を見上げる。神を全て否定はしないが身体を預けることはしないだろう。
 全てをゆだねるのは骸になった後にだけ。それを言えばディーは驚くだろうか。それとも、たまに教会に出没するクルトを不思議に思うのだろうか。
 瞳を少しだけ閉じて、リリーを見る。子供は好きだ。真っ白で綺麗な存在。
「本当にリリーは伝言上手。記憶力良いわね。凄いわ」
 微笑んで頭を撫でてやる。
「えへへ」
 大好きなお姉ちゃんに褒められてリリーは嬉しそうに蒼い瞳を細めた。
「じゃあ、お姉ちゃんの伝言もアレクとディーに宜しく出来る?」
「うんっ。良いよ」
 元気よく頷いてクルトの真似なのか、拳を固める。
「じゃ、アレクには『馬鹿なこと言ってると近くの森の水汲み五十往復から隣村までのお使い往復にするわよ。ちなみに隣村は森三個分の距離です。魔王の申し子より』と」
 にこにこと楽しそうに笑うが内容は不穏だ。
「分かった。ディーには」
 リリーは気にしない。彼女はクルトが言うことを伝えるだけだ。そしたら褒めて貰える。
「んーじゃ『悟ってないで明日は早く集合。嘆く前に聖書でも読め。今日はもう良い』とお願い」
「覚えたから頑張って伝えてくるね」
 口の中で小さく何度か呟いて、こくんと頷く。恐るべき記憶力。内心ぞっとしつつ、クルトは表情に出さずに口を開いた。
「うん。一字一句お願いね」
 クルトの台詞にぶいっ、と指を突き出した。心強い答え。
「と、そういえばあっちから巻き上げたままだったわね。さてどうしようかな」
 懐に収めたままだったナイフを見つめる。盗賊達に見せたものとは違いくすんだ青銅が刀身を守っている。
 一見したところ大した価値があるようには見えないだろう。微かに漏れ出る魔力を感じ取らなければクルトですら見落としていた。
 様々な意味で懲らしめた頭目に言った通り確かにこのナイフは一財産かつすぐれた魔導師の実験材料になるだろう。
 死神喚びか。小さく心で呟いて鞘を抜き刃を陽にかざす。漆黒の刀身はそれと知らぬものでも不気味な力がこもっているのが分かるはずだ。
 魔術師が力の探求に熱心な生き物なのは確か。一攫千金の品なのも確か。それよりも確かなモノはある。
「あたしはまだ魔術師の卵なのよね。他の術師様方の真似何かする必要もないし。売っても売らなくても渡してもなんか不幸しか起こらないわよね、こいつ」
 不幸の固まりで出来ていそうなナイフを見つめる。刺したモノを強制的に死神が連行するものだ。何にしてもろくな事は起こらないだろう。
「こういうのは――」
 す、と息を吸い込み掌に魔力を集める。幾度も練り上げた指先をナイフの側面に触れさせ、魔力を込めた掌で軽く握りしめた。
 ぱきん、と意外に澄んだ音がして刀身が粉々になる。折れた剣の隙間から黒い力が急速に抜けていくのが見えた。
「壊す、てことで解決。死神さんのお仕事減って万事めでたし」
 側に剣のコレクターである知り合いの青年がいれば青ざめること間違い無しの台詞を呟いて、息をつく。
「魔力つけただけでも結構威力あるのね」
 ポツリと呟いて地面から立ち上る闇を受け入れる澄んだ空を見上げる。鳥たちが奔放に宙に軌跡を描く。

 正確な伝言者は任務を執行したのか甲高い悲鳴が微かに聞こえた。
 モーシュ村は今日も一部を除き平和である。

 

《子供達のセレナーデ/おわり》




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