子供達のセレナーデ-1





「おねえちゃあーん」
 とたとたと、音を立て小さな影が角から飛び出してきた。
 さして重くもない童女の力だ。慣性を応用してもぽすっと軽い音を立てて腰に埋まる位。
 たたらをちょっとだけ踏んで、突撃された少女は苦笑した。
「わっ、と。なによリリー。いきなり死角から飛び出してきたら危ないわよ。ホラ鼻の頭あかくなってる」
 元々子供好きな方である少女は、しゃがみ込んでぴん、と額を小さく弾いて頬を両手の平で挟み込みグニグニと押す。
 手加減はされていても、もみもみとほっぺたを弄られて彼女は苦しそうである。でも可愛いので頬が緩む。
「くるとおねえちゃん。大変なの。アレクとディーが凄いの」
 いつもならされるがままになっているリリーはブンブンと頭を振って後ろに下がった。ついでに大きく両手を広げる。
 銀髪を揺らしながらの大人しいリリーにしては大声にクルトは紫の瞳を瞬いて首を傾けた。
 誰がこのいたいけでかわいらしいお子様にそうさせる程の事をしたのだろう。元々少ない該当者を探る。
「アレク……ああ、アレクシスとディーンか。あのイタズラ小僧達がどうかしたの? リリー虐められた?」
 リリーが舌足らずに発した名前の主に見当がつき、納得する。可愛い盛りのリリーとは違いアレクシスとディーンはよく言えば活発。
 悪く言えばイタズラ盛り。丁度昔幼馴染みのスレイがガキ大将であったように。猫を人の家に投げ込むのは日常茶飯事、クルトのスカートを捲ろうとする猛者である。
 良くある若気の至りという奴だ。十歳前の子供には暴力は振るわないと誓う少女だが、例外はある。
 伊達に冷血無比の異名を持つレムと長年付き合っては居ない。
 そこそこかわいげのある性格には酷くは当たらないが、悪意ある暴力には教育を施す。手刀や裏拳は基本装備だ。
 流石に子供相手なので裏拳や肘うちは甘くする。今日はお仕置き居るくらいのイタズラかな、と思いつつ、
「よし、それなら今日持ってきたクッキーはあいつらにあげないで二人で半分にしよう」
 ポケットから取り出した掌サイズの包みをリリーの目の前に持っていき、手に乗せる。
 必殺、菓子作戦。やりすぎると逆効果だが程よい量を使用すれば素晴らしい子供の笑顔発生装置だ。
 おもわく通り、リリーはキラキラと大きなスカイブルーの瞳を輝かせ、
「やったー。クッキー大好きだから嬉しい! じゃないの。くるとおねえちゃん真面目に聞いてよー」
 途中で我に返ったのか渡された菓子袋を押し付けてくる。
「お菓子大好きリリーがお菓子を一旦離した!? 何事よ。なにかあの二人ろくでもないことでもやったの?
 二階からこの間は泥水かけて遊んでたから、今度はペンキ?」
 転んで怪我をしても、落とし穴にはめられたときもこれ一発で笑顔になったというのに跳ね返され、クルトの方が動揺する。
「違う。あのね、この間おねえちゃん「あたしの名前で人様をおどすよーなことしたら」とかいってたでしょ」
 むー、と頬を膨らませてクルトとお揃いにしているという短めのツインテールを揺らす。
「ああ、うん。他の子供に調子乗って脅しかけてたから。牽制に……って、リリーよくそこまで覚えてられるわね」
 確かアレクシスの方が『クルト・ランドゥールはオレ達の部下だぞ。怖いだろー』とかアホなことを言っていたので優しく鳩尾辺りを撫でた後、微笑んで「あたしの名前で好き勝手にこうどうするなんざ百年早いわ」と諭した記憶はある。
 人を化け物扱いして何事だというのと同時、最近妙な方向で名前が伝わっている。村人には「はいはい」で済まされる話が剣士や魔導師あたりに伝わるとややこしい事態になりかねない。
 何故そこでややこしくなるかと言うことは自問自答すらしたくもないが、名前というか存在が人外か殺戮兵器、古の魔女から人の形をなしていないモノまで様々なバリエーションでもって伝わってくれている。要は噂の内容によってはイタズラ坊主達は魔女か怪物の主か手下と思われる可能性が出てくる。
 クルトは沈黙したまま拳を握る。もしまた内側からゲル状物質で出来ているとか言われたら死なす。死なすというか正す。どういう尾ひれの付き方だ。
「えへへっ。それでねそれでね、秘密って言われたけどくるとおねえちゃんに言おうと思って」
 心の奥で深い溜息を吐いていたとき、癒やされる笑顔に可愛い台詞。思わず相好が崩れる。
「おお、リリーは偉いわね。うんうん、あの二人は人の言うこと聞かないからなぁ。で、何が秘密なの?」
 これだけ素直な子供が多ければ世界は平和に違いない。
「くるとおねえちゃんの名前を後ろ盾にして、盗賊団のかしらをやっつけて大活躍するっていったの! 二人とも凄いねっ」
 はぁ、と息をつきかけた刹那。思考が凍った。気のせいかビシビシと急速冷凍される音までする。
「……は?」
 嬉しそうににぱあっと笑うリリー。
「やっつけちゃうんだって。くるとおねーちゃん名前だけで倒せるんだ。すごいね」
 訂正しよう。素直すぎるお子様が居ても世の中はやはり平和ではないかも知れない。
 きゃっきゃっとはしゃぐ無邪気な言葉に凍っていた脳みそがゆっくりとぬるま湯に浸される。
「リ、リリー。そんな訳――いやいや、その前に、盗賊団のお頭さんはその辺に居たかしら?」
 と、盗賊団なんて。居たっけ? いや確かに最近ひとけは増えてるんだけどこう白昼堂々とね、ほら。ねぇ?
 誰かに祈りたい気持ちで目前の少女を見る。全く欠片も嘘のない目だ。というかきっと真実だろう。頬が引きつるのが分かる。
「うんっ。しめーてはい書に載ってた人が、八百屋さんの裏の空き地に最近居るんだよ」
 目ざとく見つけた二人が喜び勇んで盗賊狩りに出かけたと言うことか。
 役所、余計なことを。というかおまえら節穴か。目撃したであろう村人も『いやー他人のそら似ってあるんだよね』とか言って通り過ぎたに違いない。魔物が目前に迫っていたときでさえ『うわーどうしようこわいねぇ』とか抜かしていた連中だ。
 じぃーけーいーだーんんー。周囲の安全を確認しているらしい村の自警団もついでに呪う。
「そ、そぉ。それで二人はその……倒しにいったの? あたしの名前出して」
「……そのはずなんだけど、帰ってこないね」
 無垢な微笑みに口元が更に引きつった。
「おねーちゃんちょっとシンパイだから行ってくるわ。リリーはここでお菓子食べて待っててね」
 危うく粉々になりそうになっていた小粒なクッキーの入った包みを渡し、ぎこちなく微笑む。
「おねえちゃんは優しいの。くるとおねーちゃんがいれば大丈夫だね! これ全部食べて良いの?」
 途中に入ったカタコトも気にせず、少女は首を傾げた。
「リリーはイイ子だから。言いつけ破ったあの二人の分は今日は無し」
 なんだろうこの全面的な信頼は。更に菓子配分まで聞かれて、気分的に涙目になる。リリーは良い子だ。そう、あの子は良い子なのだ。心の中で繰り返す。
 ぽんっ、と軽くリリーの頭を撫でてから、路地を駆け抜け、八百屋の裏道に入るヒマも惜しみ屋根を飛び越えついた先には。
《クルト・ランドゥールに告ぐ。子供(ガキ)の命が惜しければ、一人で向かいの山に来い。目印は白の水晶だ》
 空き地の壁に貼り付けられた、宣告だった。
「どうも、なかなか。やってくれるわね」
 剥がれ掛かった板から紙を引きはがし、ぐしゃりと掌で握りつぶす。一緒に引き裂かれた板の破片が地に落ちて、乾いた音を立てた。




 薄暗い山道に空いていた昔は採石場だと思われる横穴に、少女は足を踏み入れた。辺りの壁は綺麗とは言えない物の、下手な遺跡よりも歩きやすい。
 盗賊団のアジトと思われる場所に着くのは、そう難しいことではなかった。紙に書いてあったの通り、一定の間隔に白い水晶がちりばめられて目印の役割を果たしていた。
 ふ、と目を瞑る。薄く漂う焦げた香り。そして混ざり合う幾つもの薄い魔力。
 ――あっちね。
 慣れた感覚をたぐりながらクルトは薄暗い道を駆けた。ゆわりと揺れる新緑色のマントは闇でどす黒く染まっていた。




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