九章:聖女像−6

事情により、ここしばらく忍者の修行を積んでいる私です。


 ユハに見つかって以来私は教会で謹慎中である。移動は最小限に。居る場所は部屋か休憩所。
 どうしてもの時はマントを羽織って覆面装備。というなんか窮屈な毎日です。はあ。
 薄暗くなり始めた空で時間を計り、ぱたぱたと休憩所に急いで向かう。
 一秒でも早くたどり着いて姿を隠す為である。髪が邪魔で重いからそんなに速くないんだけれど。
 息を切らしてテーブルにたどり着き、椅子に飛び乗って身体を弛緩させる。
 つ、つかれた。
 しばらくは悪魔退治しないで良いから私はある意味スリリングな毎日を送っている。
 教会の軍資金はたっぷり。建築も問題ないという事でちょっと豪華なご飯が食べられる日々は幸せ。
「ただいま帰りました。オーブリー神父はどうしたんですか」
 シリルが扉から顔を覗かせ、入り込んでくる。
 そう言えば見あたらない。いつもなら倒れる私を見て笑って居るんだけど。
「さあねぇ」
「知りませんわ」
 マーユが顔をしかめ、セルマに至っては振り向きもせずに黙々と野菜を処理している。
 なんだかシスター二人の反応が冷たい。
 何かしてしまったんだろうかあの神父様。
「あーちょっと俺出てくるわ。ってお見通しか」
 話題の中心人物がおずおずと顔を見せる。何か脅えている。
「ボドウィンに聞きました。不良!」
 きーっとマーユが髪を逆立てた。
 ボドウィンが聞きつけたか、それとも分かって居てか煙草をゆらしながら悠然と現れる。
 出かけるという事は村とかだよね。もうすぐ暗くなるから酒場とかかな。
 と考えつつも違うかと思い直す。今更酒の一つや二つでマーユやセルマが怒るはずはない。
 夜中に多分ボドウィンと出かけて、耐性の付いているシスター達が嫌悪感を示す場所。
 連想したのは色。
 ピンク。
 漆黒を照らす妖しいピンクの色が思い浮かんだ。ああ、色町。成る程。
「あ、娼館(しょうかん)ですか。行ってらっしゃい」
 にこにこ笑って手を振ってお送りする。若い男の人なんだからまあ仕方ないだろう。うん。
 がしん、と辺りが思い切り固まる音が聞こえた。
 気まずいのか、もしかして。でも普段が普段だし、女や酒に目が無くても驚かない。
「気にしないで良いですよ。人間のサガですから、別に止めません。
 綺麗な人が捕まえられると良いですね。応援してます!」
 ぐっと両掌を握ってファイトのポーズをとる。
 目指せ高み、である。やるなら徹底的に良い品を奪ってきて欲しい。
 頑張れの意味を込めた激励だったのに、
「…………」
 オーブリー神父が私を凝視していた。
「行かないんですか」
 ん? 
 不審に思い尋ねる。
「い、行くよ。行ってくる!」
「はいっ、行ってらっしゃーい」
 大きく片手を振って笑って送り出す。私の分も夜中の町を堪能してきて欲しい。
「おいおい、嬢ちゃん」
 苦笑するボドウィンの襟首を力一杯掴んでオーブリー神父はどこか怒ったように教会から出て行った。
「……どうしたんでしょう」
 なんで怒ったんだろ。首を傾けてマーユを見ると、硬直を解いて彼女が肩を怒らせた。
「ど、ど、どうしたはアンタでしょ!? なんてこと真顔で言ってるのよ」
 頬が紅潮しているのは怒りだけじゃない模様。シスターセルマも顔が赤い。
「そうですわマ、マナ様! し、ししししょ…………ぅ館などと口に出されてはいけません」
 そうは言われても。
「でも行くんですよね」
「そ、そりゃそうだけど。けど、うう」
 頭を抱えるマーユ。苦悩している、何と戦っているのだろうか。
 側に座っていたシリルに目をやると、生きた石像のようになっていた。
「シリルはどうして固まってますか」
 ぱんぱんと目の前で手を打ち鳴らしても起きてくれない。
「健全な男子には刺激が強いっつーの。
 マナはその、あたしと年が近いのは知ってるけどもーちょい……照れとか無い?」
「…………」
 問われて考える。
 そう言えば娼館って普通言わない言葉だな。マーユの年齢では。
 確かにいきなりでは驚かれたかもしれない。
「済みません、自分が女だというの忘れてました」
「忘れるの!?」
 あはは、とから笑いをして頬を掻くと驚愕された。
「いえ、今までそういうの考えた事もなかったもので」
 本当にそんな事考える暇がなかった。けれど少しおかしい。
 確かにマーユが言う通り、口に出すのすら躊躇わなければならない単語なのに。
 年頃の女性なら。まさかと思うけど私、感覚まで子供に近くされてないだろうな。
 考えてみれば格好良いとか美形な人を見て『わー素敵』と前なら少しでも胸を高鳴らせたのに、今はない。
 居ない訳ではなくて、逆に多いのに胸が弾まない。何、私って腕力低下の上そんなペナルティ有り?
 アオ。お前、姿を変えて出歩き不可能にするだけじゃなく私に恋愛すらさせない気か。
 そんな呻きを心で漏らしたけれど。

 深夜になって、私は女性としての慎みだけではなくそれ以上の事を学習させられた。

 酔いつぶれた神父をボドウィンが苦い顔で休憩所まで連れ帰ってきたのだ。
「なっ、どうしたんですか!? お酒強いのに誰かに無理矢理飲まされたんですか」
 オーブリー神父がボドウィンに肩を貸され、グッタリと頭を下げている。
 いつも水のようにお酒を消費している人の姿とは思えない。
「ああ、ヤケ酒だよ。気持ちは分かるが仕方のねぇ」
 ヤケ、何か嫌な事あったんだろうか。
「……振られましたか?」
「いや、そんなんじゃなくてだな、あー確かにそれに近いか。もっと深刻だがな」
 そんなに手ひどくお断りされたのだろうか、と訝しげに見つめる。
 背伸びをしてぽんぽんと頭を軽く叩くと、しばらく経って顔がのろりと持ち上がった。
「う」
 思わずうめく。酒臭さだけではなく、オーブリー神父の顔を見て引く。
 グシャグシャに歪めた顔に、涙の筋。
 なんとなく逃げようとしたら腕が掴まれて思い切り抱きかかえられる。うぐ、苦しい。
「聖女がーー聖女がーーー娼館って」
 じたばた藻掻いていると頭から振ってきた声が動きを止めた。
「と、この調子だ」
 溜息混じりの横からの声に、理解した。私は女の子としてだけではなく、人の夢を崩してしまったのだ。
 恐らく彼らは割り切れては居たんだろうけど、やっぱり私は聖女の姿だから夢を抱いてしまう。
 この嘆きを聞くと、昔の希望を抱えていたオーブリー神父は私の一言で大きく打ちのめされたのだ。
 流石に娼館はまずかった。
「ごめんなさい。スイマセン……自分の姿忘れてました」
「まあ、嬢ちゃんが違うのはよく分かってるよ。泣きっぱなしのこの馬鹿の寝床の用意するからちょっと面倒よろしくな」
 面倒と言われても。だけど私がまいた種、出来る限りなだめておこう。
「ええと、少しだけなら」
「助かるわ。ちっとまってろ、マーユ連れてくる。二人がかりでないと連れて行けないからな。
 セルマよりこう言う時はマーユだわなぁ」
 余り飲んでいないのか肩から地面に神父を降ろし、しっかりした足取りで教会の奥に進んでいく。
 マーユが聞いたら怒ると思う、その台詞。
 掴まえられたままなので動けずに眉を寄せる。この人どうしたら良いんだろう。
 子供のように泣きじゃくっている彼の頭を優しく撫でながら言葉を紡ぐ。
「すみません、もう少し考えて言うべきでした。今度から本当に気をつけます」
 私は女の子でもあると同時に聖女の姿。違うのだと言っても、ある程度以上はそれを崩してはいけない。
 本に載っているのが確かなら、聖なる乙女は男の人の憧れだったから。
 気をつけて喋ればこんな風に心に傷を負わせる事もないだろう。まあ、ある程度だけだけど。
 それに、女性としても余り褒められた一言でもなかった。その手の事に寛容なのは確かだけど。
 肩を震わせて大の男の人が大泣きしている。あの強気なオーブリー神父をここまで落ち込ませたのが自分だと分かっているので罪悪感がわく。
 少し耳を立てていて気が付いたが、彼は酒が入っているせいか子供っぽくなっている。
「眠くないですか。少しでしたら膝枕くらいしますよ」
 身体がストンと落ちて、視界が一瞬ぶれる。腕の力が緩んだと気が付いた。
 と、同時に問答無用で重しが乗せられる。
 膝枕に納得してくれたのは良いんだけど、体格差のせいで身体を枕にされてしまっていた。
 うう、重い。出来るだけずり上がって身体を持ち上げる。
 左腕だけはしっかりと掴まえられていてしまっている。逃げないのに。
 溜息をついて眠りに落ち始めた彼の錆色の髪を出来るだけそっと撫でる。
 ま、これも自業自得という奴ですか。
 心の中で苦笑して、聖女の膝枕なんて贅沢すぎません。と囁くと小さく頷かれ、おかしくて口元に笑みが浮かんだ。
 
 やたらと重たい神父様から枕代わりにされていた私が救出されるのにはしばらく掛かった。
 シリルが必死になって引き抜いてくれたおかげで思ったより早く助かったけれど。
 怒らないで上げて下さいと念入りにお頼みしたら、私の失言が切っ掛けという事もあって渋々ながらも憤慨していたシスター達とシリルは納得してくれた。
 で、助かったといえばもう一個。

「よーおはよ。昨日の記憶がぶっ飛んでるんだけど。飲み過ぎたかなぁ」
 大きく伸びをしてぼさぼさと跳ねた髪をかき乱してオーブリー神父が朝食を食べに来た。
「あはは、そうなんですか。よく眠れました」
「ん、良い夢を見た気がする。昔の憧れを見た」
 機嫌良さそうに頷く神父様。
 そう、なんか記憶が酒で消えてしまったらしい。都合が良いは良いんだけどちょっと気まずい。
 マーユとボドウィンは彼の泣き声を覚えているので笑いを堪えている。 
「憧れですか」
「聖女に髪を梳かれる夢だ。良いにおいだったなぁ」
 尋ねると瞳を細めるオーブリー神父。
 あー、私ですねそれ。とは言えないので曖昧に頷いた。
 いろんな騒動にはなったけれど、今回の事は教訓として一つ心に刻み込んだ。
 マナとは全然違ったなぁ、とか言われて記憶の捏造を感じつつ朝のお茶で唇を湿らせた。
 聖女って、大変だなぁ。

 

 

 

 

 

 

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