九章:聖女像−1

空気が美味しいご飯が美味しい。悪魔が居ない生活は安心だ。


 色々ありましたが、私達はお金持ちになりました。
 まあ、私やシリルは使わないから教会に寄付という形にした。
 そう告げた時、シリル以外全員が目を剥いたものだが衣食住を提供して貰っているのだから当然だ。
 本当は、稼ぎきれなければ持っていた百ベクムも渡すつもりだった。
 ぽかぽかした陽気で隙間からはいる風が心地良い。早く教会建て直せないかなぁ。
 お金は集まっても、工事には時間がかかるとの事で――やっぱりパスタム教会は今日も傾いてます。


 朝はぼーっと空を眺め、お昼は外で黙々とサンドイッチを口にする。
 全員が。
 お金を手に入れたので食材を買って。初めて野菜だらけやキノコだらけではないまともな食事を口にして、飛び上がらんばかりに驚いたのはシスターセルマの腕。
 前々から怪しいと思っていたが、無茶苦茶料理が上手い。可愛く美人で家事完璧。私が女で……ってもういい加減言いすぎたか。
 と言う訳で、今日のサンドイッチも口がきけなくなるほど美味しい。
 しかし、掛けられた言葉に手が止まった。私に服を作ると言わなかったか、今。
「え、悪いですよ」
 すぐ転んで汚す私に服などと、どこぞの酔狂な神でもあるまいに。
「いいえ。姫巫女さま……いえ、マナ様のお金ですもの。それに服も丁度良いものがありませんでしたから」
「そうそう。ぜーんぶ特注にしちゃいましょ。白とか良くない!?」
 あわわわ。なんかマーユさんまで加わったからスケールが大きくなっていく。
「どうせ悪魔祓う時あんまり動かないんだからレースとか。フリルなんて良いかもっ」
 レースにフリル!? いやぁ、それはちょっとーと曖昧に誤魔化そうとするが女性はとにかくお洒落の話題が好きなのだ。
 着せ替えとかも大好きなのであります。
「良いと思いますよ。見てみたいな」
 更にシリルが追撃してくるものだからたまらない。というか止まらなくなった。
「でっしょうっ! マナは何色がいい?」
 あー。もう決定事項になってしまっている。ならばせめて希望を述べよう。気分は死刑執行を待つ囚人だ。
「動きやすくて。転んでも汚れが目立たない色が良いかなぁ、なんて」
 控えめに告げると、マーユが「白ッ」「それで可愛くて綺麗な奴!」とまくし立ててくれた。
 地味なので良いんです。お金かけないで良いんです。何より動きやすさが一番なんです。
 本当に、勘弁して下さい。
 まだまだ続く猛攻に、心の中で涙した。


 ガッシガシガシと音を立てながらナイフを横に引く。
「むう」
 切れない。
 うりゃぁっと押しても切れない。気が付けばナイフが刃こぼれしていた。
 はー、と溜息をつく。
「何してるのマナ」
 マーユにシリル、神父にボドウィン、セルマ。ほぼ全員集合だ。
 休憩所の椅子で一人格闘していた私を見つめて、あーっとマーユが悲鳴を上げた。
「な、なにしてんのよ!?」
 ほぼ同じ台詞だが意味合いが違う。多分これを切るのが駄目だって言いたいんだろう。
 切らせてお願い、この憎き銀髪を。
「髪が邪魔なのでせめて足下まで切ろうかと」
 肩までなんて贅沢は言わない。踏まない長さにさせてくれ。
「おお、確かに良く踏んでるモンなぁ。ナイフで切れないか」
「刃が欠けました」
 大笑いしているオーブリー神父を睨み、ナイフを渡す。
 全然楽しくない。
「何ぃっ!?」
 流石に驚く神父。このナイフは良く切れると言われていたから仕方がない。
「嘘だー。じゃあ、あたしがちょこっとだけやってあげるわよ。
 勿体ないから本当に足下までだからね」
 けらけらと笑うシスターを少し一瞥して、口を開いた。
「お願いします」
 心の中で一言付け加える。
 出来るものなら。
 意気込んで腕まくりするマーユの顔が険しくなるのには、そう時間がかからなかった。
「な、によこ、れぇぇっ!」
 ハサミのようなものを持ち出して切ろうとしても、私の髪は無事なまま。
 初めは刃の状態を疑っていたマーユだが、時が経つにしたがって傷つきも切れもせず嘲笑うように光る私の髪が異常な事に気が付いたらしい。
 刃が噛み合わさる鈍い音だけが虚しく響く。
「すっげえな。切れないぞ」
 銀髪を一房持ち上げ、まじまじと見つめるオーブリー神父。
「おもしれぇなあ。てっきり嬢ちゃんは好きでその髪型だと思ってたぞ」
「元々髪は伸ばさない主義でした。この姿になってからです。この異常な長さは」
 冗談じゃない。ボドウィンの台詞に眉を寄せてみせる。
 悪戦苦闘するマーユを見る。この分では髪を燃やそうと思っても燃えないだろう。
 諦めるしかないかぁ。
 アオの言葉は信じていた。だけど私がそれで納得する訳もなく。
 ナイフを手に出来た日すぐに試した。一日だけではなく数日間格闘した。
 で、諦めた。
 なんで今頃になってもう一度やっているのかというと、悪魔祓いの時の事を思い出して腹が立ったのだ。
 要するに八つ当たり。
 無駄なのも分かっている。けどこの髪さえ短ければ、と思うのだ。
 はあ、と息をつく。後ろでマーユがぜえぜえ息を切らしていた。
「これは普通じゃ無いだろ」
 オーブリー神父に頷いて見せた。髪がそれで引っ張られる事はない、手綱にするにも長すぎる。
「アオにされました。絶対切れないで輝きを保つおまじないだそうです」
 忌々しい言葉を思い出しながら吐き捨てる。
「神の祝――」
「呪いです」
 私の隣でフォローを入れようとしたシリルの笑顔が引きつる。
 何処が祝福だ。呪いだろう。
「神の」
「呪いです」
「か」
「呪いです」
 諦めず健気に言い繕おうとするのを蹴り飛ばす。
 呪いだったら呪いなのだ。いくらシリルでもこれは譲らない。祝福、いやだこんな祝福。
「シリル、諦めなさいよ。なんかマナの言う事も納得出来るし。
 銀髪も長い髪も綺麗よ、だけどこの長さはキツイもの」
 ナイフと同じくなまくらになったハサミを恨めしそうに見つめた後、マーユが肩をすくめた。
「はあ……」
 落ち込んで俯く彼。私はふくれっ面で自分の髪を引っ張った。
 余るので痛くはない。あー腹が立つ!
「まあまあマナ様。危なくなれば神父様達を頼って下さいませ」
 宥めるようなシスターセルマの声に膨らませた頬を戻して髪から手を離す。
「足手まといが嫌だから切りたいのに」
 そう、足手まといなんて嫌。何を言われようと私自身が許さない。
 せめて転ばないくらいにはなりたい。
「っても嬢ちゃんは強いだろうよ」
「悪魔限定じゃないですか」
 煙草をプラプラ口の端で揺らすボドウィンを軽く睨んでみせた。
「……ああ、オーブリー。嬢ちゃんの自覚の無さに涙が出るね」
「出るともよ。俺だって頭痛いって」
 天を仰ぐボドウィンに、こめかみを押さえた神父が大げさに同意する。
「何のお話ですか」
 オーバーリアクションにいささかムッとしつつ尋ねる。
「あの、マナ様。知らないのは仕方ありませんけれど。
 悪魔は冒険者も恐れるのですよ?」
「知ってます。聞きました」
 物理攻撃が効かないから手間取ると。そのくらいは覚えている。
 しばし黙した後、セルマが苦笑した。
「下級の正悪魔ですら竜より強いと評判ですのよ?」
「……え」
 悪魔と違う巨大な体躯の鱗を持つバリバリ異世界の魔物を思い浮かべる。
 抵抗するのは勿論勇者とか英雄。おお、ファンタジーだ。居るんだ竜。
 雑魚にすら殺され掛ける私のような小娘が勝てる訳もない。それなのに。
 正悪魔がドラゴンより強い? いや、弱かっただろ。
 私、中位悪魔で遊んだし。どんな攻撃が効くか試しまくったよ。
 それ以下の正悪魔がドラゴン以上なんて悪い冗談に違いない。
「何しろ普通の剣も、銀を纏わせた弓もあまり効果ありませんし。
 中位悪魔なんて魔王より恐れられてますよ」
 魔王より? 
 勝てた私は魔王で良いんだろうか。いや論点が違う。
「…………」
 しばらく考える。脅えまくったシスターと神父達。
 軽く倒したと告げたら青ざめたロベールさん。
 えー、と。
「もしかして私強いですか」
 思わず眉根を寄せてオーブリー神父を見る。
「もしかしなくてもそうだ! 身体の一部まで難なく詰めておいて自覚ゼロか!?」
 信じられないけど私強いのか。考えると確かに悪魔って反則だ。
 武器素通り。なのに相手からは攻撃を喰らう。冒険者から言わせると理不尽極まりないだろう。
「……じゃあ大人しく守られてても邪魔者じゃないですか?」
 邪魔になるのが一番嫌だった。だけど強いなら少しは目を瞑って貰えるかも知れない。恐る恐る尋ねる。
「いや、その台詞逆。俺達が足手まといだろう」
 ブンブンと私とシリル以外の皆さんが手を振る。
 そんな一斉に首を振らなくても。足手まとい、ああ。悪魔を驚異とは思わないのは私だけだった。
 だからこの間色々試した。安心して欲しい、と頷く。
「正悪魔の攻撃なら多分弾けますから大丈夫です。
 この間中位悪魔で実験しましたから」
「実験って」
 にこにこしている私にオーブリー神父が絶句する。
「いや、攻撃が当たらなかったから色々試して遊んでたんですよ。
 守りとか出来ないかなーって。出来ましたから攻撃はそちらには行きません」
 イメージトレーニングもしたし、この間のより弱い正悪魔なんて爪すら掠らせない。
「マナあんたそんな顔しておっそろしいこと言うわね」
 心持ち引き気味のマーユ。
「頼もしいなぁ。じゃあ魔物以外は完全無視して良いのか」
 煙を燻らすボドウィン。
「悪魔に属するなら、私がなんとか出来ると思いますよ。
 動きが速いのはちょっと大変なんですけど。そういう悪魔は私だけ行けば無傷で帰れますし。
 悪魔の攻撃が当たらないのは確認してるんです。
 色々枷がある分、天然の結界みたいなのが付属してるみたいで」
 しばし辺りが静まった。蒼い瞳を潤ませ、セルマが手を合わせた。
「さすがマナ様ですわ」
「姫巫女、恐るべし」
 顎に手を当て、紅い瞳を細めてマーユが唸る。
「じゃあもしかしてこの間の中位悪魔には苦戦しなかったのか」
「全然」
 神父に問われて首を振る。苦戦どころか実験台としてしまった。ちょっと可哀想だったと今は思う。
「もっと強くても平気そうか」
「構いませんが」
 というか暇なので好きなだけして欲しい。悪魔退治どんと来い。
 元々それが目的でこの世界に来たのだし。
「……恐ろしい。悪魔専門で無敵なのね」
「魔物はさっぱりみたいです。私、並以下みたいで」
 シスターセルマが持ってきてくれたお茶を吐息で冷ましながらマーユに告げる。
 並以下というか子供レベルというか。正直ナーシャ以下です。
「まあ、弱点ある方が親しみわくな」
「よねー。綺麗で可愛くて。これで完全無敵だったらあたしびびるわよ」
 オーブリー神父とマーユ二人で顔を合わせ頷き合う。
「綺麗なのも可愛いのも押し付けられただけですけどね」
 なんかパーフェクト美人のような言われ方だが、能力以外はアオが勝手に作ったものだ。嬉しくない。
 唇にカップを付けると、お花のような柔らかな匂いがした。セルマさん、新しい香草のブレンドかこれ。
 飲む前に恍惚とする。お気に入りのブレンドになりそうな気がする。
「あ、綺麗と言えば適当に服発注しておいたわよ。勿論、フルオーダーメイド」
 ぱん、と手を打ち鳴らしたシスターは悪戯っぽく笑ってくれた。
「うわあ」
 喜びではなくげんなりとした声が出てしまう。フルオーダーしてしまったんですかマーユさん。
 修道女の服の時しつこいくらいに私の体型を調べていたのはこの日の為か。
 悪魔祓いの時に言っていた台詞、本当に実行に移すつもりだったんだと思い知る。
 この手際の良さから察するに、服屋さんも目星を付けて入念に準備してあったらしい。
 素晴らしい行動力だ。悪魔退治の時は助かるが、現在は良いんだか悪いんだか分からない。
「この分だと悪魔ざくざく退治して大金持ちーってのも有りね」
 服に浪費したお金の埋め合わせの事か。充分に香りを楽しんだお茶をひと含み。あー、とても美味しい。幸せ。
「良いですよ。お好きなだけ稼いで下さい」
 私はこのお茶を飲めてシスターセルマのご飯が食べられれば何でも良い。何で私女かな。セルマさんお嫁さんになって。
 赤い瞳に見つめられているのが分かる。何だろうと思うと溜息を吐かれた。
「マナは無欲ね」
 なるほど。私がお金であれこれ欲しいと言わないから呆れたのか。
 まあ、普通の状態だったらお出かけしてウィンドーショッピングとか、お店巡りとか、エステとかしゃれ込みたいところだけど現在残念ながらそんな事が出来る身分ではない。
「だってこの姿だと外にも出れませんから、お金持っても使えません」
 ある意味見事に人外な姿で外なんて気軽に歩けやしない。
 異世界放浪って良いよね。ちょっと憧れる。でもこのお茶が飲めなくなるのは嫌だから我慢しよう。
「へっへっへー。言うと思ってちゃんとその辺りも完璧なんだからー」
 口元に手を当て、両目を悪そうに細めるマーユ。普段なら悪寒を感じるが今のところ疑問しか浮かばなかった。
「どういう事です」
「それは届いてからのお楽しみっ」
 返ってきた答えに、服関連かと何となく納得してお茶を再度口に運んだ。


 職人が良かったのか、注文の仕方が良かったのか服はそんなに経たずに出来上がった。
 なんか、目蓋にすぐに浮かぶ。徹底的に注文を付け間違ったら許さないと告げる赤髪のシスターが。
 脅す勢いで注文したに違いない。それでも恨みを買わないのがマーユの凄い部分だと思う。
「どうよこれー」
 じゃーんと渡されたのは漆黒のマントのような物だった。
 最初は不思議に思っていたけど身につけて理解すると同時、心が跳ねるのを抑えられなくなった。
「すっごい良いです! これで身軽に動けます」
 マントは数枚に重ねられていてフリルのようにボリュームがあるようになっている。
 裏側が素晴らしい。邪魔な髪を収納する袋が幾つか付けられている。二つか三つに分け、纏めた髪を突っ込んで縛れば歩くのは楽になる。
 更にマントが幾重にも重ねられているせいで髪が多くても気が付かれないという素敵仕様だ。
「これでマナも転びにくくなる! どうどうマーユ様のアイディア」
「素晴らしすぎますお姉様」
 思わずそんな声を漏らすほどに私は感激した。マーユが照れたように頬を染める。
「いやー。恥ずかしいわよ。でもちょっと職人を誤魔化すのに苦労したわね。
 背丈の割に長い鞭を数本操る人だから、とか何とか言って作らせたけど」
 確かに私の状態を違和感なく伝えるのは難しい。常識的に考えてここまで髪は伸ばさない。
 それを幾つもの長い鞭と置き換えて言ってくれたのか。
「お世話かけます」
「良いのよ。で、これが揃いの覆面。ちょっと被ってみて」
 頭を下げると彼女は小さく笑ってマントと同色の帽子と覆面の中間のような物を渡してきた。
 素直に受け取って被る。切れ目も目の部分をくり抜いた様子がなかったことに違和感を感じたが、頭を突っ込んで疑問はすぐに驚愕に変わった。
 辺りが酷くクリアなのだ。被っていないときとほとんど遜色無い。
「わ、よく見えますけど……顔見えてません」
 不安になって思わず尋ねる。分厚めの布四枚でようやく消せた金色の双眸。この見え方だと同じく透けて見えてそうな気がする。
「大丈夫。女性は他人に顔を見せてはいけないって地域もあるからそれ専用の布なのよ。
 マナの場合厳重に作ってもらったから脱がない限り見えないわよ。
 食事も出来るような作りだから、意地悪なお誘いにも乗っちゃって大丈夫」
 ほー、と息をつく。この世界でもそういう地域があるのを知って驚くと同時、便利な布に感心する。
 食事も脱がなくて良いのなら、顔を見たがる人には良い感じの嫌がらせになる。
 ちゃんと留め金もあって、無理矢理引っ張っても取られないような作りにもしてあった。心憎いなぁ。
 本当にお姉様って呼んじゃうよマーユさん。
「至れり尽くせりですね。でもこれで凄く楽になります」
「人に見られないときはマントも解体可能だから一枚に減らして覆面外せばいいわ」
 嬉しくてお礼を言うとまた更にマントを取り出した。今付けているのとは別の分厚い作り。気温に合わせて着替えるように頼んだのか。
 これで熱中症も怖くない。
「身軽一番ですね。気が利きます、凄いです。ていうか本気で感激して泣きそうです」
 被っていた黒い覆面を外し、こくこく頷く。
 うう、なんて心配りの届いた作り。職人さんマーユさん有り難う。
「よーし、次は喜びの悲鳴を上げさせよう。服行くわよ」
 弾んだマーユの台詞は当たり、外れた。

 確かに私は服を見たとき悲鳴を上げた。
 それは喜びではなく絶望の悲鳴。
 黒と白の二種類の服は、アオが渡した服とほぼ代わりがない。
 金糸の模様も、手首と足首を覆う布の質感も。全く同じと言っていいデザイン、布質だったのだ。
 ……悪夢だ。
 だってこれ可愛いし、綺麗だし。とか告げているマーユの声を遠くに聞きながら項垂れた。
 確かに余り注文は付けなかったけれど。でも、でも。
 フリルやレースとかが増えたのも気にならないほど、私は落ち込んだ。
 アオが選び、作り上げたデザインの服を身につける日々を考えて。
 
 丈夫に作られているけど、破れるほど暴れてやる。
 次の悪魔祓いの時は跳ね飛ぶ事を心に誓った。 

 

 

 

 

 

 

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