八章:弱点−7

泣く子と……シリルの怒声には敵わない。怖い、怖すぎる!


 悪魔が消えた事で静寂だけが残るホールに怒声が響いた。
「何で助けを呼ばないんですか!?」
 ひいぃぃっ。と心で悲鳴を上げながら弁解を試みる。
「え、えーと。声を余計に出したら体力無くなるし、だから足止めして合流を」
「追いつかれるに決まっているでしょう!」
 スミレ色の双眸が光る。いつもは優しい色なのに、今は怒りで染まっている。
 こ、こわい。もはや私は半泣きではなくマジ泣き一歩手前である。
 魔物に危うく殺され掛けた私は、とても怒られていて、何故か正座でございます。 
 なんというか言い逃れが出来ない空気に飲まれてシリルにお説教を喰らっていた。
 悪魔より怖いよシリル。
 中位悪魔の方がまだ楽だったよ。そりゃ多少アクシデントもありましたが、何で私怒られているんだ。
 予定とは違ったけどちゃんと目的完遂したし。腕力が弱いのは戦ってみてから発覚した。
 知らなかったからピンチになっただけなのだ。このお説教理不尽じゃないか?
「聞いてますか」
 低い声音にびくりと全身が震える。こ、心の声を読まれたかのようだ。
「まあまあ、シリル落ち着いて。マナも好きで死にかけた訳じゃないでしょ」
 フォローしてくれるマーユの言葉に勢いよく頷いて、近寄ってきた彼女の背に隠れる。
 子供っぽいとは思うが、ほんっとうに怖い。一刻も早く視線から逃れたい一心だった。
「そうですけれど」
 隠れた私に不満そうな声。
「ご、ごめんなさい。すいません許して下さい」
 もう謝るしかない私。おっかないです、私が悪かったですから怒らないで下さい。
「そんなに謝らなくても良いです。別に」
 未だに不機嫌そうなシリルの声。
 怒っています。やっぱり怒ってます。なんでええ。
 私が一体何をした!
 ああ、何か本当に涙が出そうだ。ポンポンと頭を軽く抑えられ、撫でられる。
「よしよし。マナが泣きそうだぞー。心配するのも良いが程々にな」
「……すみません」
 オーブリー神父に言われて、溜息混じりに彼が謝った。心配?
 恐々と覗く、シリルが俯き気味に拳を握っている。
 いつもよりその手も、顔も白く。青ざめていた。
 もしかしなくても、かなり心配掛けてしまったんだろうか。
 ようやく気が付いた。私よりシリルの方が衰弱している気がする今すぐにでも倒れそうだ。
「あの、心配掛けて。ごめんなさい」
 おずおず出て行って、ぺこりと頭を下げる。
 そうだ。そりゃあそうだ。いきなり私が魔物に殺され掛けるなんて驚く上にさぞ心配掛けただろう。
 何かよく分からないが、彼はものっすごい心配性なのだ。
「あ、いえ。僕の方こそ怒鳴って済みません」
 落ち込んでいる。彼は心配性の上に繊細だ。落ち込む時はとことん落ち込むタイプの人でもある。
「そ、そんなこと! 悪魔が居なくなったからもう嫌な気配ありませんし。
 私も迂闊でしたから、次からは気をつけるというのでどうですか」
 自己嫌悪に入りかけているのをパタパタ手を動かす事で紛らわせる。
「はい。次からはちゃんと側に居ますね」
 ほっとしたように息をつき、微笑む。
 居るのか。……嫌って言っても付いてきそうな雰囲気がビシバシする。
 まあいいか、機嫌が収まったし。
「それに今回襲われて良かったですよ」
 は? と言う顔の皆さん。
「だって、そうしないと私、自分の弱点も知らないままだったんですよ。危ないじゃないですか」
「そりゃあまあ、そうだがな」
 渋い顔をするオーブリー神父。
「考えても見て下さいよ、今回出たの雑魚なんでしょう。もっと強いのに一人だったら、あー考えただけで怖いです」
 言ってからもう一度考える。恐ろしすぎる。
「それも、そうねぇ」
 マーユが頬に指を当て、頷いた。更に言葉を続ける。
 今回の事で痛感した事がもう一つ。
「それから、たどり着いたのが教会で良かったですよ」
「なんでだ。まさか俺達が居たとかクサイ台詞言うんじゃねぇだろうな」
 ボドウィンが台詞を先読みしたような顔をして、煙草を揺らし笑う。
 私はそんなに可愛い人間じゃない。肩をすくめて苦笑一つ。
「まさか。冒険者の人達の所だったら一日経たずに死んでる自信があるからですよ」
 堂々と告げると、呆気にとられたか全員がしばし絶句した。


 夕日混じりだった空は、ギルドに付く頃にはとっぷりと暮れていた。私の苦手な闇が空に一杯広がっている。
 元の世界より強く瞬く光が不安を少しだけ和らげる。
 うむぅ、布の下で呻く。今回は反省点の多い一日だった。
 勿論経験として生かすけれど。
 残念ながら任務達成とまでは行かなかったなあと、悪魔専用ギルドの外で懐を探った。
 目的の悪魔全部こいつに食べられてしまった。まあ、ゼロの数多かったから旨みはあると思う。
 全部食べやがってコノヤロウ、と思わなくもないが中位悪魔の力が分かっただけでも収穫か。
 ラベルを貼った瓶を月光に照らしてみる。ドロドロしたよく分からないが黒っぽい液体が中に入っている。
 換金作業をして今日のお仕事は終了だ。
 呪術に使えそうでもあるなぁ、と考えて仕舞った。
「お待たせ致しました!」
 待合い席で座っていると、カウンターを飛び越えるようにロベールが出てきた。
 他の皆様は気分がすぐれないらしい。
 うーん、ロベールさんが一番憑かれて日が浅かったのか。エグかったけど。
 というか別にカウンターから出てこなくても良いのに。
「今回の依頼は下級のでしたかな」
「首尾はどうだった?」
 尋ねられて溜息混じりに首を振った。首尾も何も目的の悪魔はぜーんぶ食べられてしまった。
「一匹はいたんだろうが」
「――まあそうなのですが。少々困った事に悪魔が悪魔を喰らってしまいまして」
 怪訝そうな二人に、口元を抑えて吸血鬼一族(ヴァンピリーム)の末裔モードで話す。
「そういやそんな事も言ってたな」
「悪魔が、おかしいですな通常あり得ない事ですが」
「どうも手傷を負った迷い悪魔が入り込んでしまったようなのです」
「ははあ、では数匹しか残らなかったと」
 感心したような声に目を逸らしたくなる。一匹も残らなかったよ。
「いえ、全てその悪魔が……平らげてしまいました」
「な、なんだと!?」
 口ごもりつつ、仕方なしに話すと、オーブリー神父が悲鳴を上げた。いやーそうなりますよね。うん。
 減るとは言ったけど、まさか全部喰われるとは思わなかっただろう。
「ちょ、ちょっと待って下さい。正悪魔の中で下級でも強いのですよあそこの悪魔は。それを全て平らげるとは」
「少し、手配の紙を見せて頂けますか」
 驚愕しているらしいロベールに紙を催促する。数枚渡された紙を二枚引き抜いた。
 今回の依頼と、今回仕留めた悪魔。
「これが、今回の依頼悪魔。食べられてしまって申し訳ありません」
 一枚引き抜いて差し出す。あのでかぶつに喰われてしまった悪魔だ。
「は、はあ。いえ……不測の事態なら」
「何悪魔が出たんだよ」
 二人で顔をしかめて唸っている。
「そしてこちらが今回、遭遇した悪魔。これで宜しいでしょうか」
 手配書と、懐から取り出した悪魔の一部が入った瓶をコト、と置いてみせる。
 沈黙が部屋を支配した。駄目だったかな。
「依頼を正式に受けていないといけませんでしたでしょうか」
「い、いえいえいえいえっ! こ、こここここれは」
 歯の根も合わず、がくがく震えているロベールさん。顔が真っ青通り越して白っぽくなっている。
「って中位じゃねぇかよ!?」
 カウンターにぶつかってうずくまる神父。大げさな。
「ご免なさい。全て喰らわれて仕留められたのはそれ一匹なのです」
 はー、と溜息をつく。初回から任務失敗である、悲しい。
 採取しようにもお腹の中で、もう任務実行不可能。まさにこれがミッションインポッシブルって奴ですか。
「そ、そう言う話ではありません!」
 ロベールが顔を瞬時に紅潮させ、だんっとカウンターを叩いた。
 青くなったり赤くなったり忙しいな。
「何か、問題でも」
 さっさと換金してくれと思いながら首を傾ける。
「この濃さと量。これは血ではなく、もしやとは思いますが……」
「悪魔の一部ですが」
 正直に告げると、ひぃぃぃっと悲鳴が上がった。どういう意味の悲鳴だよ。
「満タンじゃねぇかよ。どれだけ入れたんだ」
「――そうですね。腕は入らなかったので手首から掌、爪先まで」
 微笑んで教える。笑顔は見えないだろうけど。
「申し訳ありません! 貴方様がそこまでお強いとは知らずご無礼を!」
 何故ひれ伏すのだろう。無礼って初め来た時の方がよっぽど酷かったし。
「いえ、お気になさらず。なかなか楽しめましたもの」
 ふふ、と笑ってみせる。あれは楽しかったなぁ。全然当たらない攻撃とか。
 ところで、どうしてカウンターに舞い戻ってこちらを伺うのかあの人は。で、なにゆえオーブリー神父顔が青いんだろう。
「突然ですものね。換金をお願いするのは厚かましいでしょうか」
 やっぱり手続き居るのかな〜。と呑気な事を考える。
「いえっ、ちょっとお待ち下さいあるか金庫を調べてきます」
 身体に見合わない勢いで、疾風の如く奥へ消えるロベール。
「お、恐ろしい奴」
 だからなんですかその目は。
「お前、自分が何退治したか分かってないだろ」
「読めませんからね」
 開き直る。
 だってここに来て数日しか経っていないのだ。字もまだ書けないし読めるはずもない。
 必然的に情報は耳だけ。退治したのが中位で厄介な悪魔だとしか知らない。
「賞金額は危険度を表すんだぞ。しかも血と身体じゃ値段も違ってくる」
 自分の錆色の髪を苛立ったように神父がかき乱した、なんで苦悩のポーズをとる。
「体が良いと言われたのでそうしましたが」
 オーブリー神父が駄目だこいつ。とか失礼な事を言いながら壁に手を置いている。
「取り敢えず前金としてならばありました! ご苦労様ですお納め下さいっ」
 ロベールさん、何ですかそれ。
 一抱えどころかサンタクロースでも遠慮するであろう大きさの袋を台車で押しながら持ってくる。
 何か固そうな代物が沢山詰め込まれているのが分かる。金貨か銀貨か知らないが重そうだ。
「…………」
 えー、と。どうやって持って帰れと? え、これ前金?
「申し訳ありませんっ。流石にこの場に三万ベクムはご用意出来ません、一万ベクムだけでご勘弁を!」
 おおう。
 思わず声を上げそうになって口を押さえる。あー、成る程。強すぎる相手倒しちゃったのか私。
「いえ。その……どうやって持ち帰りましょうかオーブリー神父」
「宝石か金塊にでも換えて貰うしかねぇだろ」
 そうだなー、と思いながら積まれたお金を見る。持てる以前に潰されるだろアレは。
 ロベールさんの様子だと「けっけっけ上前はねてやる」的な感じでもないし。
 うん、後にするか。物理的にも腕力的にも無理だあの量は。
「では、後日頂きに参りますね」
「承知致しました!」
 静かに告げ、さよなら代わりにパタパタと手を振ると、首がもげんばかりに頷くロベール。
 疲弊した表情の神父と共に私は外に出た。


「どうだった〜」
 布を少し開いて、外で待っているマーユに笑ってみせる。
「私達の借金六回くらい返せました!」
 オーブリー神父の提示した五千ベクムの借金を返しておつりが来る。
 冗談だとしてもちょっと気にしていたんだー、借金。肩の荷が下りてほっとする。
『は?』
 突拍子の無いだろう私の元気な台詞に、グッタリした神父以外間の抜けた声を上げた。
 

 半刻ほど経ち、つっかえながらも事情を話すオーブリー神父の言葉に硬直した後。
『さんまんベクムうぅうううーーーーーーー!?』
 と、貧乏教会の皆様が叫んだのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

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