八章:弱点−5

同胞を喰らい、黒い血の海に溺れる悪魔。見事なスプラッタ。


 出来る限り急いでいったその場は、あらゆる意味で大変な事になっていた。
 計六匹だったはずの悪魔が二匹に減り。辺りが妙に黒ずんでいる。
 わー、血まみれだぁ。とか言っている場合ではない。
 妙に大きな悪魔が正悪魔であろう一匹、最後の一匹≠ノ手を掛けた。巨大な掌が人の胴体ほどある悪魔の頭部を鷲掴む。
「待て! 食べちゃ駄目!」
 言うが遅く、バリ、と頭から囓り生々しい音を立てて咀嚼した。
 あーあーあー。一匹になっちゃったよ。お腹が減っているにしても食べ過ぎだろう五匹とか。
 折角採取用の瓶多めに持ってきたのに使えない。
 ぶう、とふて腐れる。くちゃりくちゃりとした水っぽい音が止み、大食らいの悪魔がゆっくり次の獲物を見定めるように振り向いた。
 目が合う。炎のように揺らめく三つの瞳。伸びた牙から滴る同胞の血。
 丸めた漆黒の身体は大きなライオンのようにも見えた。禍々しい気配が濃厚に広がって噎せ返りそうになる。
 ……どこかで見た気がする。こんな物騒な奴に出会った覚えは無いのだけど。
 紅い三つの、目。奪われた手配書。マーユを、神父を脅えさせた中位悪魔。
 あの手配悪魔か!
 もう一度眺め直す。動物的なラインの身体に広げれば軽く人を包める漆黒の翼。
 揺らめく瞳は炎と言うよりも血を大量に封じ込め、凝縮したかのような不気味さ。
 黄ばんだ鋭い牙から滴り落ちる血は赤でも黒でも気味が悪い。
 手配書書いた奴デフォルメしすぎだろう。それか目が悪いに違いない。
 百割り増し程凶悪な顔つきな上にガタイが良いぞ。こんな怖そうだったら「見たいなぁ」なんて言わんわ!
 出会った上に気安く声なんて掛けてしまったから、今更知りませんでした、で通る訳も相手も納得してくれるはずもなく、ぺろりと赤く長い舌が頬に付いていただろう血を舐めとるのが見えた。
 
 中位悪魔とは初めて会った。初めて見た中位と呼ばれる悪魔は手強いとも聞いていた。
 こいつから絶対に逃れたかったであろう神父達の思いとは裏腹に、この悪魔はここに来た。
 いや、あの状態を見れば逃げ延びたが正しいか。気配の薄れ方を見ると他の悪魔祓いに深手でも負わされたのだろう。
 なら楽勝、と考えたいがどうも五匹食べて完全回復の上に元気満タンのようだ。ああ、私の足がもっと速ければ喰らう前に値段考えず全部消し飛ばしていたのに。
 とはいえ相手は悪魔だ。自分で言うのも何だが、私は悪魔に対して最終兵器と言っても良いくらいの強さを誇る。
 弱い悪魔に手加減しながらと言うのは無理でも、強い相手を力任せにの方がまだやりやすい。
 たしかこいつの手配金額、ゼロ多かったよね?
 ……一攫千金のチャンス到来? 数多の人間の聖女像を打ち壊すような事を考えながら私は静かに邪魔になるだろう手斧を置いた。
 
 
 ずぶりと黒いかぎ爪が地面を抉り。黄色い牙が私の髪を掠めて過ぎる。
 おかしい。
 初めはたまたまかわせているか、相手が外したかと思っていたがどうも回数が多すぎる。
 事実不機嫌そうに唸る悪魔の様子は、混乱している風にも見えた。
 大木のような腕から繰り出される爪の一薙ぎで私の身体は呆気なく吹き飛ばされて切り刻まれるはず。
 が、一発も当たらず虚しく地面を抉るだけ。破片の一つも落ちてこない。
 もしかして私って悪魔の攻撃効かない体質か、それか攻撃自体が逸れるのかも知れない。
 いやあ、ますます姫巫女って言われても否定しづらい状況になってきたなぁ。
 まあ、当たらないのならゆっくりのんびり倒すか。
 ある意味において他の人達を置いてきたのは正解だった。私には傷が付かないだろうが、他は別。
 この素早い悪魔の攻撃から守りきれるとは思えない。
 目の前には凶暴な中位悪魔がいるというのに、辺りにのし掛かるように重たい闇が立ちこめているのに。
 無性にシスターセルマのお茶を飲みたい気分になった。我ながら呑気すぎるだろうこの思考。肩をすくめてゆっくり座り込む。
 そうだ、この際だから練習してしまおう。私の力は消す為だけしか使えないのか、今日壁を創れた際に思った、守りが出来ないかという点を確かめる事が出来る。
 相手は中位悪魔。強さも攻撃の威力も申し分ない。
 また黒い爪が翻される。
 人が側にいて振り下ろされていると仮定して。
 
 弾け。
 
 キ、と鈍い音を立てて爪が逸れ火花のようなものが散る。
 よし、守りも出来る。でもまだ精度がいまいち。あんなに近くだと抉られてしまう。
 凶悪な顔を更に歪め、悪魔が飛びかかってくる。
 一、二、三、四、数えながら弾いていく。剣を合わせるような金属的な音が響く。
 指を横に軽く引き、刃を思い描く。

 刻め。

 勢いよく振り下ろされた腕が宙を舞った。鼓膜をつんざくような絶叫。
 まるで切れ味の鋭い剣に断たれたかのように悪魔の肘辺りから腕が綺麗な断面を見せ無くなっていた。
 とす、と私の側に痙攣する漆黒の腕が落ちる。
 ふむふむ、斬るのも出来ると。採取用の瓶を取り出して落ちた腕に当てる。
 ずぼっと入るかと思ったが無理だった。
「大きすぎるかな、流石に」
 よく考えなくてもそうだろう。優に瓶の百倍くらいはありそうだ。
 手首辺りまで刻んで瓶を当てると、無理かと思われた容量がごくりと飲み込まれた。
 慌てて蓋をして袋の中に入っていたラベルを貼る。空っぽだった瓶が何か黒い気味の悪い液体で満たされていた。
 後は相手を倒せばお仕舞いである。
 なんとなく見ると、怒りに瞳を更に赤くし、襲いかかってくる姿が見えた。
 えーと。切れた腕から血を流した相手に側に寄られるのが何となく嫌だ。
 取り敢えず後退して貰おう。
 突風と、前に味わった丸太に突き飛ばされる衝撃をイメージする。

 吹き飛べ。

 いい音を立てて漆黒の悪魔が勢いよくはじき飛ばされた。実体験しただけあって威力が違う。
 まあアレは衝撃だけで痛く無かったけど。
 そろそろ楽にしてあげないといい加減可哀想かなとは思うものの、やはり相手は悪魔である。
 薄くそう思うだけで憐憫なんて欠片もない。
 私の力は不可視に近い気がするけれど、刃を無数に突き立てる事や槍を刺す事は出来るのだろうか。
 槍、槍ー。マーユの持っていた槍を出来る限り思い出す。
 薄い光がそれらしい形をとるが、すぐに薄れて消えてしまった。
 形を出すのはちょっと高度らしい。オーブリー神父凄いな。炎の槍作ってたよね、前。
 無理なら――
 立ち上がる悪魔の肩に槍を突き刺し、貫く。想像の中で。
 悲鳴が上がった。想像と同じ位置にぽっかりと穴が空き、黒い霞のようなものが溢れている。
 次は幾つもの剣を突き立てる。何本も、まるで剣山か針立てのように無数の武器を。
 響く濁った呻き。
 体中から血を吹き出しているが、霞となって消えていく。だけど次から次へと流れ続け止まる気配はない。
 かなり深手を負わせたらしい。
 相手の様子ではなく、自分の力の把握が出来て満足する。
 こんなものかな。
 静かに立ち上がり、軽く伸びをする。頭を使ったせいか、ちょっとだけ肩が凝った。
 座り込んで眺めていた私が動いた事で悪魔の動きが凍り付く。
 もう痛い事はしない。ただの終幕だ。
 第一段階として網膜に傷ついた相手の姿を焼き付ける。この作業は大分慣れた。
 そして、今までいたぶったせめてものお詫びとして潰すのではなく粉々に消し去ってやる。
 悲鳴も痕跡も一切残さず、悪魔は消えた。
「終了っと」
 置いていた手斧を握り気楽に笑う。
 悪魔をなぶり続けた姿を見れば、皆が悪魔は私の方だと言うだろう。
 別に聖女でなくても良い。この際悪魔と呼ばれても良い。悪魔がいなくなるのなら、私は世界と名さえ捨ててしまえるのだから。

 気を抜いているとカシャ、と網を揺らすような音が後ろからした。
 振り向く。
「う、っわ」
 もう見慣れた漆黒。そして大きく伸びた脚。赤く光る無数の目。
 私よりもデカイ蜘蛛の形をとった悪魔だった。
 悪魔という括りではなく、害虫系の嫌悪感が先に突く。
 反射的に指先を相手に向け、声を放っていた。
「消えろ!」
 ぴく、と相手が止まる。
 そして、わさわさわさと近寄ってきた。
 え、あれ。今、何度か消えるくらいは気持ちを込めたのに。
 慌てて身を翻して距離を取り、もう一度強く念じ、指を向ける。
「消えろッ」
 ピタ、と数拍程硬直し。
 
 ――漆黒の蜘蛛はまた私に向かって前進して来た。

 

 

 

 

 

 

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