七章:天使の歌−5

誰にでもある欠点やコンプレックス。人の弱さは悪魔が滑り込める隙間となる。


 惚れられてしまった物は仕方がない。まあ、顔じゃなくて声ってとこだけでもマシだと思わなくては。
 半ば開き直って頷く。いつの間にかシリルが横にくっつくように座っている。
 剣呑な眼差しで私とユハを見ている。凄く見ている。怖いです。私何かしましたか! もしや惚れられたのがいけなかったのでしょうかでもこれって不可抗力だろうどう見ても。
 臓腑にずしりとくる視線を涼しげな顔を装って押しのけて自分の使っていた食器に持ち替えパナナムの実を一口。味がよく分からなくなっている。
 味の分からない物を食べる事ほど不毛な物はない。溜息を飲み込んでスプーンを仕舞う。
 身軽になった身体のうちにちょっと見ておきたい物もあった事だし。自分の髪を踏みつけないようにユハに静かに歩み寄る。
 しゃがみ込み、相手の目隠しされた顔をじーっと見つめた。
「な、何だ」
 側に近寄ったのが私だと足音で分かったのだろう蚊の鳴くような声。
 照れているようだが無視してじっくり見る。不躾と言われるくらい見つめる。
「な、何だそのいやらしい感じで見ている気配は!」
 失礼な、と言いかけて考え直す。確かにちょっと似たようなモノか。
 相手の顔がどれ程の美形かと観察するのは確かにいやらしいと言えばいやらしい。
 だって気になるのだもの、という台詞で全てが片づく事でもあるが。
 高貴な出である彼がお言葉とご出身に見合う容姿を備えているのかと好奇心が疼いたのだ。
 頭から爪先までもう一度軽く視線を這わせる。
 一つに束ねられた肩より長い金髪はシリルより少し濃いだろう。外出は余りしないのか、元からか。白い肌。
 声や顔立ちはもうそろそろ青年と言って良い年頃なのに背丈は十五くらいに見える。偏食してそうだし栄養が取れていないのだろうか。
 顎のラインから見るに顔立ちも良いと思う。繊細な指先は荒事も家事もしてませんと告げている。
 服装も高価な代物で、倒した時の埃が多少付いているが見栄えがそう変わる訳ではない。
 白いシャツに赤いコートと制服の中間のような立派な上着。全てオーダーメイドなのだろう浮ついた部分はない。
「……勿体ない」
 思わず本音と共に溜息が零れた。
 恐らく……じゃなくて確実に黙っていれば美少年の域だ。なのに、あの言動と致命的な問題点でぶちこわし。
「な、何がだ」
「顔ですよ、顔!」
 あまりに勿体なさ過ぎて声を荒らげてしまう。
「顔がどうかしたか。美しすぎて見惚れたか」
「まあ美形ですね」
 言葉の内に潜ませた呆れに相手が鼻白む気配。
 美形というか美少年だとは思う。けれど見惚れるほどではない。
 アオやシリルで耐性が付いてしまっている。
「……何が言いたい」
「勿体ないんですよ。その顔が」
「はぁ?」
 不思議そうな呻き。本心から言っているのに何言っているんだとでも言いたげだ。
 よし、じゃあザッパリ言ってやる。
「何故そんなにアホなのですか」
 失礼は承知。だけど尋ねたい、この世界に来て日が浅い私より失礼な上に浅慮ってのはどうなんだ。
 高圧的な態度くらいは顔で許されるだろうけど、馬鹿が可愛いと言ったとしても、彼のは少しフォローしにくい。
「し、失敬だぞ! 愚かではない」
「じゃあ何で本に触ったの」
 私の質問にヒュ、と息を漏らして沈黙する。彼の姿を初めて見た時ただただ疑問だったのに、今は何でなのか少し分かる気がした。
 だから尋ねる。なにゆえにお前は浅はかな行いをしたのかと。
「このギルドには国の本にも載るほどの悪魔が封じられていると聞いて。気になって」
「それだけじゃあないでしょう」
 初顔合わせならそれで逃れられる。だけどもう彼は私と数分以上はいるのだ。
 馬鹿正直な言動をする彼の嘘を見破れないほどに目が節穴にはなっていない。
 伊達に長年悪魔の口車をかわし続けてはいないのだよ、少年。
「そ、それだけだ」
「うそつき」
 簡潔な私の言葉にユハが息を飲む。ここまで真正面から言葉をぶつけられた事がない、そんな反応だ。
 貴族がどうした、神がどうした、悪魔がどうした。嘘つきは嘘つきだ。
 神だって嘘をつく。人が嘘をつかない道理も無い。
 見えない彼に向かって薄く微笑む。
「正直に言わないと」
「どうするという」
「嫌いになっちゃうよ」
 虚勢を張る彼にそれは思いもしない鉛のような一撃だっただろう。
 声に惚れられているのは百も承知。ではその声に嫌いになると言われたらさぞショックだろう。
 読みは見事に当たっていたらしく、彼はしばらくぱくぱく口を動かす。
「き、貴様にきっ、き……嫌われるのは、のは、別に」
 言動がおかしくなっているユハを見たまま沈黙を貫く私。
「別に……」
 ふふ、別に何かな。嫌われても良いのかな。
 追撃したい気分だが、沈黙の方が堪えるだろうと知っていてわざと口を噤む。
「〜〜〜の、品を見つけて自慢したかっただけだ!」
 自暴自棄の勢いで彼が本音をさらけ出した。微かにしか聞こえなかったが凄い品を見つけてと言った。
 ああ、やはりなぁ。と思うと同時に可哀想になる。
 貴族は偉い、でも貴族だって人間なんだよなぁ。
 自慢出来る品を探していたという事は、彼に何かしらの引け目があるという事に他ならない。
 無意識にでもユハは自分に劣等感を抱いているのだ。だけどどうしたらいいのか分からなかったから――
「馬鹿だね」
 思わず声を掛けていた。別にとどめを刺したかった訳ではない。
「……馬鹿かも知れない」
 怒ることなく彼は私の声に頷いた。今の馬鹿だね、と言うのは子供を咎めるようなそんな気持ちの馬鹿なのだ。
 簡単に手に入る宝を喜ばれない方法で手に入れて誰に見せるの。本当に、愚かだね。
 蔑む気持ちではなく、無性に頭を撫でたくなる。ここで反省させておくのも良いけれど、言いたくなかった台詞を吐き出した事に敬意を表して言葉をあげよう。
「何を言われているか分からないけど。あなたはあなた。他人は他人。
 そして、この部屋の物を持ち出しても誰も褒めてはくれない。
 人生は長いから、ゆっくり学んで良いと思う。
 あなたの歩調でのんびりと色々な事を吸収して良い。だって自分の人生は自分の物だもの」
 項垂れるように俯いていたユハの動きが完全に固まる。彼の深い領域に踏み込んで少しだけアドバイスをしてあげているだけなのに、そこまで驚かなくても良いと思う。
 自分の人生は自分の人生。神にだって悪魔にだってそれは譲らない。
 聖女だって貴族だって好きなように笑って生きて良いんだと私は思う。というかそうでないと許さない。
「そうか……聞きたいが先程の阿呆とやらは取り消して貰えるのか」
 疲れたように顔を上げ、ユハが初めて少しだけ笑う。
「やだ」
 私は満面の笑みを浮かべて断固と断った。

 

 

 

 

 

 

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