七章:天使の歌−4

隠していたのにばれてしまった。声だけだけど。


 うっ。そう言えば布を被って口元を抑えて声を変えていたんだった。
 気が付いてももう遅い。ならば開き直るまで。
「そうだけど。文句ありますか。
 パナナムの実が食べたいなら食べたいと言わない上にまずいとか言う人にはやらないったらやらないんですからね」
「子供のような事を言うな。寄越せ!」
 どっちが子供だ。それに今は私のほうが子供だから良いんだ。とかちょっと言い訳がましく考える。
「嬢ちゃんは心が広いから俺達にもくれるが、ケンケン言う奴にはどうだろうなー」
「くれないかもな」
 神父二人の笑い声を聞きながら、食器を取り替え箱からもう一掬い。
 座り込んだ彼の前に膝をつき、スプーンに大きめの果実を載せて、届きそうで届かないじれったいだろう位置で揺らす。
「素直に食べたいと言わないとあげない。さあ、食べたいと言いなさい」
 香り立つパナナムの実。
 相手は縛られ目隠し状態。殴られるという事態は絶対に起こらない。
 優位に立っている事もあって、命令じみた言葉が唇から滑り出す。
「だ、誰が言うか」
 反論がか細くなっている。なんか楽しいな、倒錯的な感じが私を酔わせる。
「食べたい、ですよね? 言わないとあげたくないなぁ。こんなに美味しそうなのに」
 銀色のスプーンに載った果実は汁を滴らせ、甘い香りを散らしている。
 ふう、と吐息を吐いて香りを吹き付ける。
「く……」
 怯むユハ。どうしよう、とても楽しい。アオの時といいユハの時といい、私はスイッチが入るとこの手の行動に出るらしい。
「ふぅん。食べたくないんだ」
 攻撃的というか嗜虐的というか。サディスティックな快楽が心地良い。弱いものいじめって楽しいなぁ。
 おおよそ聖女の姿とはかけ離れた事を考えたりする。聖女とか姫巫女じゃないからな、私。
 悪魔との攻防で多少悪魔的に性根がいじめっ子体質になっているのかも知れない。
「た、食べたくないとは……言って、ない」
 強気な人間が弱くなるのを見るのは心地良い。歪んだ優越感のような物が口元に笑みを浮かべさせる。
 怒りなのか、ほんのり彼の頬が染まっている。ふふ、と思わず笑い声が漏れた。
「私――素直な子が好きだなぁ」
 駄目押しにゆっくり言葉を紡ぎ出す。あと僅かで彼が堕ちる。
「ち、ちょっと待て嬢ちゃん。その、まずい。それはまずい」
 さあ早く、と。胸をときめかせた時。ボドヴィッドの声が私を現実に引き戻した。
「あ、すいませんついつい」
 思わず無抵抗の人間を虐めてしまっていた。
 あまりにもかわいげのない態度だったとはいえちょっとやりすぎたかもしれない。
 慌てて大きな果実をユハの口内に突っ込む。空気が少し漏れる音がしたが、柔らかな実は歯を使わずとも潰せる。
 口を閉じればすぐに溶けてしまうだろう。
「は! ヤバイわ。惚れかけた!? シリル、シリルー起きろーー!」
 硬直しているシリルを頬を紅潮させたマーユが揺さぶっている。何をして居るんだろうあの二人。
「や、やめろ。あの声は止めろいろんな意味で毒だ」
「悪ふざけが過ぎました」
 目線を逸らしたオーブリー神父の引きつった声に我ながら悪ノリしすぎたな、と反省。
 というか何でみんなこっちを向いていないのだろうか。
「そうですよね、我ながら毒まみれの台詞だったと思います」
「違うから! アンタの声がヤバイのっ」
 心の底から反省を滲ませたら、マーユが激しく首を振った。
 声がヤバイ?
「お前」
 ようやく実を飲み込んだユハの声が響いた。お前、と言うと私か。怒ってるんだろうな……怒るよなぁ。
 あれだけからかえば普通怒るよ。相手はあの怒りっぽいお坊ちゃんだし。
 怒鳴り声覚悟で振り向いて声を掛ける。
「は、はい?」
「……吸血鬼一族(ヴァンピリーム)の末裔ではないだろう」
 今までの態度が嘘のような落ち着いた発言。
 ぎっくう、と肩が跳ねるが幸いにも目隠しで見えては居ない。表面に出そうな動揺は何とか隠した。
「何でそう思うのか。お聞きしても宜しいですか?」
 出来る限り自分の緊張から目を逸らし、尋ねる。
「何となく、だが。お前の言動は子供のようだ」
 そりゃあ悪う御座いました。だって私子供ですし、だが、彼からその台詞を貰えると無性に腹が立つ。
 ちょっとはしゃいだけど、ユハに言われるほどとは思わない。
「憶測でしょう」
「そうだ」
 てっきり違うと答えられると思ったが、頷かれる。偉く神妙で毒気を抜かれる。
「それと、だな」
 顔を少しだけ逸らして、彼が言いにくそうに口を動かす。
「はい。他に何か」
 躊躇うほどの暴言でも出てくるのかと覚悟し、待つ。
「お前の声は美しいな」
「は?」
 ……思わず素で素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
 えーと、褒められてる?
「そ、それは……どうも」
 取り敢えずお礼を言う。
「どんなに醜悪な姿でも、声は認めてやっても良い。
 悪魔祓いを止めて屋敷に来れば特別に召し抱えの歌謳いとして入れてやっても良いぞ」
 思わず吹き出しそうになった。褒めて居るんだろうけど、どうなんだその言葉。
「そのお言葉だけ頂いておきますよ」
 まあ、姿問わず声が綺麗だと言われるのには嫌な気分はしない。
 なにしろどの世界で出会った人達と違い彼は私の顔を見た事がない。本当の賛辞。
 後からも前からも余計な言葉は付かない。
「先刻の礼はしてやる」
 さっきの苛めの礼かと一瞬思うが、言いにくそうな感じからして違うと思い直す。悪魔祓いの礼だろう。
 まさか彼から言ってくれるとは思わなかった。
「そうですね、お礼はちゃんと貰う主義です。あなたのは特別疲れましたし」
「そ、それは。……屋敷に来れば本当にもてなすぞ?」
 なんだろう。そんなに屋敷に来て欲しいのか。
「気が向いたら行きますけど。期待はしないで下さいね」
「ならば今度そちらの教会に直々に出向いてやるから感謝しろ」
「そちらも期待せず待ってみます」
 突き放した台詞に笑いが抑えられなくなってきた。
 彼の頬が膨らむ。どう見てもマーユくらいなのに仕草が子供だ。
「本当に、声だけなら囲っても良いほどなのにな」
 ポツリと漏らした言葉に引っかかりを覚え、何となく顔をのぞき込む。
 耳たぶまで赤いのが暗がりでもよく見える。これは怒っているからではないだろうな。
 振り向くと、渋い顔をしたオーブリー神父と肩をすくめたマーユ。
 くっくと嗤うボドヴィッド。顔を少し赤らめつつも何処か機嫌の悪そうなシリル。
 この空気、前にも覚えがある。
「歌わないのか?」
「歌は、よく分からなくて」
 不思議に思いながら問いに答える。歌と言われても来たばかりの世界の歌なんて知るはずもない。
「今度、教えてやるから歌ってみろ」
 意外な申し出に思わず目を丸くする。更に彼の顔が赤くなるのがはっきり見えた。
 あれ、これってあれですか。またやってしまったんでしょうか。
 確認代わりにオーブリー神父を見た。半眼だ。
 変えられた私の姿は人を微笑み一つで陥落させた。だから隠していたというのに。

 唯一残った生まれた時からの私の声は姿無しで人を落とすに充分だったらしい。

 居心地悪そうに俯くユハを眺め、頭痛を堪える。
 この声は元から持っている物。前の世界ではこんな事無かったのに、声だけでも兵器だというのか。
 これで彼にはますます姿を見せられない。
 いっそ殴って記憶喪失にしてやった方が楽そうじゃないか、と後の面倒を考えた私は恐ろしい事を呟きそうになった。

 

 

 

 

 

 

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