七章:天使の歌−3

堕落って幸せの味。と、悪魔を祓った後考えてみる。聖女姿で。


 ごろりと床を転がる。
 暇な時間、青春を謳歌(おうか)出来なかった夏もこんな事をしていた気がする。
 んーひやっこい。まだ火照っている頬をすりつける。
「よ、汚れますよ」
 シリルが慌てたように引きはがそうとする。必死に抵抗して床にくっつく。私からこの涼を奪わないでほしい。
 ふうと諦めたような彼の溜息と、オーブリー神父の潜めた笑い声が聞こえる。
 好きなようにさせてくれ。もー暑くて暑くて茹で蛸じゃなくて沸騰されそうだったんだから。あの状態でよくもまあ悪魔なんて何匹も祓えたと思う。
 凄い、自分。だからこれはご褒美。埃が少々くっつこうが、乱れた銀髪が広がろうが見逃して下さい。
 数分ほどゴロゴロした後伸びをする。大分身体が落ち着いてきた。
 マーユが『子供っぽい』とか言いながら埃を払ってくれる。よく見れば大きめの修道女の服が埃にまみれ白っぽくなっていた。
 ……シスターセルマご免なさい。亜麻色の髪の彼女を思い浮かべ、ちょっと反省。
「喉乾いたでしょ、持ってきたのよ水気のある食べ物」
 声は出さずに疑問符を浮かべる私に、そばかすのある顔を悪戯っぽくし紅い瞳の片方を軽く瞑る。
「おいしーい、黄色い果物」
 思わず瞳がきらめいてしまう。パナナムの実! パナナム!
 即日実の虜になってしまった私には強すぎる誘惑だ。両手を上げて喜びそうな私の姿を見て、マーユが楽しそうに笑った。

 
 甘酸っぱい香りと甘い芳香が混ざり合う。絶妙な匂い。うう、かぐわしいっ。
 空腹はそれ程覚えていなかったけれど喉は干涸らびてしまいそうなくらい乾いている。
「ちゃーんと冷える場所に置いてあったのよー」
 と告げてくれるけどマーユさん。確かにそこは冷えそうだけど地下の隅に食べ物を置いておくってのはどうなんだろう。
 流石にプラスチック容器はないけれど、木で造られたお弁当箱のような物にぎっしり果実が詰まっていた。
 箱をそっと触ると竹のようなすべらかな感触。ひんやりとした冷たさが中身が冷たい事を確信させる。
「スプーンも持ってきたから。セルマってば気が利くわよね」
 それは同感。ああどうしてあの人はあの教会にいるのだろう。凄く不思議だけど同時に助かる。
 スプーンが人数分と予備に数個。がさつな人を気遣っての事だろう。ああ、私が女でなければと思う瞬間でもある。
「うげ、すげえ入ってるな」
「……女子供は甘い物が好きだよなぁ」
 パナナムの実詰めは男二人にはご不興のようだ。
 手を合わせた後オレンジに似た色の果実をスプーンですくい取って口に含む。
 乾いた身体に染み渡るー。
「あらぁ、食べないのぉオーブリー神父。あたしは喉乾いたから食べるけど」
 くっくっくっ、と悪役のような含み笑いを浮かべ、マーユがお弁当箱を持ち上げた。
「頂きます。俺も喉乾きましたシスターマーユ」
 瞬時に腰が低くなる神父。この人、絶対亭主関白とか無理な気がする。
「ボドヴィンは?」
「お勧めに応じて一切れだけ貰うかねぇ」
 意地悪く尋ねるマーユに何処までもマイペースに煙草を揺らし、答える。大物だ。
 詰まらなそうな顔をする赤髪のシスター。まあ、オーブリー神父のような反応はそんなに見られないと思う。
「僕も頂いて宜しいですか?」
 別にあげないチームに含まれてないのに丁寧に尋ねてくるシリルに今度はマーユが慌てた。
「あ、別にあげないとは言ってないから。どうぞどうぞっ」
 シリル、微妙に天然気味だよね。面白いから眺めるけど。
 それにパナナムの実も美味しいから放っておこう。
「楽しそうだな、せめて腕を外せ」
 ふて腐れた声に二切れ目の実をスプーンで掬い、視線を向ける。
 腕、外したら目隠し取るだろうなぁ、ユハ。怖いかも知れないけど我慢して欲しい。
「外せ! 外せよこのっ!」
 癇癪(かんしゃく)を起こし始めた。あーどうしよう。赤ん坊を初めて抱く親の気持ちってこんなのだろうか。
 赤ちゃんの方が可愛いけど。
 イライラしているのはカルシウム不足? でもそれって俗説だったような。
 考えながら口に実を運び、噛み締める。じわりと甘い果汁が口内に広がる。
 喉の渇きが癒される。幸せ。
 ん?
 もしかして喉乾いているのかこの人。よく考えなくてもあれだけ喋ればずいぶん体力も消耗しているだろうし。
 何よりも悪魔を祓った時の負担もまだ残っているはず。
 ええと。この辺りに、と。
 落としても居ないのに予備のスプーンを取り出した私を見て、シリルがパナナムを口に運ぶのを止める。
 気が付けば大きく散っていた長い銀髪を軽く纏めて引っかからないようにし、そっとお弁当から適当な大きさの実を一掬い。
「な、何だ。何か用か。外す気になったのか!?」
 落とさないように気をつけつつゆっくり近寄って、喚いている口を見る。唇は乾いてカサカサしている。ちょっと可哀想になってきた。
 虚勢を張っているが、恐怖と混乱でずいぶん疲れているだろう。
 しょうがないなあ、と手元のスプーンを近づけると、ユハがぴくりと身体を震わせた。
「その匂いはパナナムか!? 止めろオレはそんなマズイ安物は嫌いなんだ。近づけるな」
 香りで気が付いたのか、そんな事を言ってくる。
 マズイ? 今この人マズイって言った? この実を。
 この世界に来て一番美味しいと思った果物をマズイと言われ、味覚を全否定された気がして口元が引きつる。
 貴族にとっては高価なパナナムの実でも安物なのかもしれない。しかし、だ。
 まずいかまずくないか食べて貰おうじゃないか、喧嘩腰になった思考がそっとではなく乱暴に喚き立てる口にスプーンを押し込んだ。
「むぐっ!?」
 くぐもった悲鳴が上がるが気にしない。吐き出そうと舌が押し出そうとするのをスプーンでとどめようとしたがしばらくしてその必要はなくなった。
 眉をしかめていた彼の口が急に大人しくなり。恐々と咀嚼する。そして、嚥下した。こくり、と飲み込む音を聞いて安心する。
 これで吐き出される事はない。
「待て」
 喉の渇きを覚えてまたパナナムの実を食べようと戻りかけた背に静止の声。
 何だろうと振り向く。
「そのまずい実をもう一切れ寄越せ」
 口元を少しだけむくれたように曲げたユハが、命令口調で言ってきた。
 思わず殺意を覚える。
 美味しいですとかじゃなくまずい実? 下さいじゃなく寄越せ?
 すたすたとパナナムの実の側に寄り、元のスプーンに取り替えてひと含み。うん、美味しい。
「何をしている。食べてやろうと言っているんだぞ。光栄に思え」
 半眼になって目隠しをされた相手を見、口を開く。
「やです」 
 怒りの為か、思いの外子供っぽい反論になった。
 誰がやりますか。こんなに美味しいのに、寄越せとかまずいとか言う人にはあげない。
 食べ物の有り難みの分からないお貴族様には勿体ない。屋敷に帰ればたっぷり美味しい物が食べられるんだろうし。
 貧乏教会には貴重な食物なんだから断固として渡す物か。
「渡せ」
「いやったらいやです!」
 これは私のだ。やらん。
「お前、もしかしてさっきの吸血鬼一族の末裔か」
 しつこい催促が止まり、疑惑混じりの質問が飛んだ。

 

 

 

 

 

 

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