七章:天使の歌−2

夜目が利くようになっても闇は怖い。この漆黒は気味が悪い。


 開いて目にしたのは積み上げられた巻物と、幾つもの箱。そして本達。
 怖気の正体を理解する。これらか。
 一つではなく、数点の本、巻物、箱から薄く闇が流れ出て一本の本流を作る。
 インプを寄せたのはこの闇だ。
「……気持ち悪い」
「うええ」
「なんっだこれ」
「側、寄りたくねぇな」
 本能的に危険を悟ったか、四人とも嫌悪の色を示す。
「そ、そんなにか」
 これだけ闇が溢れまくっているのに寒気すら感じていないらしいユハ。
 君、生物的にヤバイと思います。危険信号壊れてるんじゃないのか。
「諸悪の根源はこれのようですね」
 重々しく告げる。瞬時に身を引くユハ。
 複数の悪意と欲望によって生み出されたという感じだが。
「封印が解けかかって居るんだな。何処かの馬鹿がいじったせいで」
 胸元から数枚の紙を取り出して、オーブリー神父が舌打ちする。
 白いお札のようなものに細かな読めない文字と模様が描かれている。
「これを使って封印しろ」
 無理矢理胸元に押し付けられて慌てる。感覚のよく分からない布越しの手で何とか受け取った。
 シリルが近くにあった踏み台を出してくれる。お礼代わりに小さく頭を下げ、それに登って大きめの棚のようになっている金庫の奥を見る。
 封印、ですか。ええと……まず箱を取って。
 同時進行は無理なので金庫らしきものの中に一旦紙を置いてから闇が漏れている箱に両手をかける。
 持ち上げようとするとカタカタと、何か入ってますよと言わんばかりの音がした。
 すぐに封じよう。貼れば良いんだろうな多分。
 考え箱を浮かせる。ボフン、と軽い風船が割れる様な音が手元で起こり、一瞬隙間から漏れた風圧と共に箱が跳ね上がる。
 な、なんだ。抵抗? よし、さっさと札を貼っちゃおう!
 ぺたり、と箱にくっつける。ずるずると紙は虚しく滑り落ちた。
「…………」
 糊とか接着剤いるんだろうか。
 ぽんぽんと肩を叩かれる。振り向けば、難しそうな顔をしたオーブリー神父。
「ちょっと開けてみろ」
 え。これ開けるの!? 無言で訴えてみたが、開けろとオーラが告げている。
 あんなに闇が漏れていたのに開けるなんてかなり嫌だが静かに蓋を開いた。
 中には何かの地図や古そうな金貨に。宝石。高そうなのもある。
 けど――悪魔は? さっきまで居たよね。居たはずだよね!?
 あれだけ暗闇を放出しておいて居ない訳がない。
『今、消し飛ばしただろ』
 私の疑問を小声のオーブリー神父の言葉が吹っ飛ばす。
 けし、とばした。
『も、持っただけですよ!?』
 同じく声を潜め、反論する。
 念を込めて消えろー。消えてしまえーと思った記憶はない。
『じゃ、無意識だな。無害なら札は使えねぇんだよ。まあ、悪魔なんぞ居ないほうが良いから構わないけどな』
 くつくつと肩を震わせる神父を睨むのも忘れ、呆然としてしまう。
 さ、触っただけで吹っ飛ばしてしまった。どうしよう。
 いやいいのか悪魔だから。
 何となく複雑な心境に陥りながら、三つの巻物二冊の本他四個の箱を札を使うことなく悪魔の消去に励んだ。勿論好きでやった事ではない。
 パンパンと景気よく悪魔が(多分)破裂していくのを見つめつつ溜息をつく。
 良い事なんだけど、自分の意志じゃないと言うところが微妙な気分だ。
 この分だと札の出番は――とそんな事をつらつら考えていた時。一冊の本に伸ばした手が止まった。
 今までの比ではない悪寒。べたりとまとわりつく濃厚な悪意。この感覚には覚えがある。
「これを触りましたか?」
 黙々と作業していた私が振り返った事に驚いたのか、ユハが飛び跳ねる様に後退る。
「そ、それは」
「触りましたね?」
 両手に掴んだ本はまだ(くら)い漆黒を薄く伸ばしていた。
「……触った。それがどうした!」
 ぎこちなくも素直な返答に、天を仰ぎたい気分になってきた。なんてものに触れるのか。
「うっ、あの。持っていますけれど大丈夫ですか」
「私は、これといって特に変わりはありません」
 心配そうな声に頷いてみせる。強がりではなく何ともない。
 この上なく気色が悪いのだが、身体に入り込もうとかそう言った感じは見られない。
「そ、それ早く聖水掛けましょう。いやもう燃やした方が良くない!?」
 紅い髪を逆立ててマーユが警戒している。
「つーか良く持てるよな。札効くかね、そんなのに」
「いえ……少々彼をお願いします」
 こんなもの放っておくか。オーブリー神父に軽く声を掛けてから本を強く握る。
 しばし瞠目し、にまりと神父が笑った。勿論今のは邪魔者を大人しくして貰う為の合い言葉。
 抵抗の声がくぐもったモノに変わる。ついでに目隠しをされている。
 ふふ、やっている姿さえ見られなければ私は困らない。
 消えろ消えてしまえ。この中の真っ黒な悪魔、かなり強いと感じるが、それだけに逃せるはずもない。
 ぶるぶると本が震えるのを指先と思念で押さえつける。きーえーろー。
 視界の端に黒いものがよぎる。
「ぎゃあ! 尻尾、尻尾ーー!」
 マーユの悲鳴に目を向ければにゅるりと蛇の様な漆黒の尻尾が赤い背表紙の隙間から出てきている。
 この、手強い。この間の正悪魔よりもたつく。
 そこで考えを止めた。もしかしてやり方が駄目なんだろうか。軽く指を払って伸びた尻尾を消滅させる。
 なんていうかあの時のような怒りや色々な感情というか、強い気持ち。
 おおよそ悪魔祓いとは似つかわしくない言葉だが、呪うほどの心が足りないのだろうか。
 情熱とか気合いとか根性とか。やる気がちょっと少ない?
 よし、と気を取り直して心で思う。
 この中の悪魔を消したい。心の底から消したい。
 どのぐらいかというと、アオの顔面を数百回踏んでも踏み足らない気持ちくらいには消したい。
「消えろ」
 両掌に力を込めて低く呟く。今までで一番強い衝撃が本の――中で起こった。はじき飛ばされないように必死で掴まえておく。
 数拍ほど振動に耐え、辺りの闇が薄れて消えた。
 頭を抱えていたマーユと、側で恐々見つめていたシリルがこちらを見ている。
 静かに、ゆっくりと今まで抑えていた分厚い本を開いた。
 
 中は白紙だった。

 なんという既視感(デジャヴ)。腹が立つ思い出が重なる。アオいつか覚えていろとなにか苛立ちをぶつけたくなる。
「ふむ、本自体には価値がねぇ。擬態して人間を食う奴だったんだな」
 ボドヴィッドが無精髭を撫でつけて、目を細めた。
 本に見せかけた悪魔のトラップ。という事はユハ、白紙の本で死にかけた?
 真っ白だがそのまま持っておく訳にもいかず、元の位置に戻しておく。
 細かく調べたがもう何の異常もない。地下なのに空気が澄んでいる気がする。
 インプは消滅してしまったのか声も聞こえず静かなものだ。
 幾分軽くなった心で扉を閉めようとしたが、先にシリルが閉じてくれた。
「本当にお疲れ様です」
 この身体は小さいので助かる。お礼を述べようとしたら、ふわりと微笑まれてしまった。
 確かに疲れたけど、労りの言葉って素晴らしい。なんか色々報われた気がする。
 何より嬉しい。肝心の悪魔憑いていた人がアレだし。
「よっし、一段落しました事だし。涼しいここでちょっと休憩しましょうよ。ね!」
 マーユの台詞に何度も首を縦に振る。休憩、待ちに待った休憩。
「終わったか?」
「ええ。なので、少し休憩を取ろうかと思いまして」
 オーブリー神父にそう伝えると。にやり、とまたしても不穏な笑み。
 暗幕の下で私も同じような表情を浮かべる。
「なら放せっ」
 言葉は要らない。オーブリー神父は軽く片手を上げて二枚目になる目隠しをユハに付け、後ろ手にした腕を縛った。
「な、何する気だ。終わったのだろう!?」
「休憩、しようかと思いまして」
 慌てと怯えの混じった台詞に静かに答える。あなたに目を開かれていると困るしなぁ、これが。
「何も手を縛る必要も目隠しをする必要もないだろうっ」
 正論だが口元を覆い小さく首を振る。見えないだろうけど。
「私――人に見られるのが苦手なんですよ」
 というか人が私の姿を見るのが怖いというのが本音。おおごとは避けたい。
「ならば!」
「ユハは、腕を拘束しないと外してしまうでしょう?」
 穏やかに言ってやると言葉に詰まって硬直する。分かりやすすぎる。
 仕方ないのですよ、と言った感じの空気を出しつつもう一言付け加えた。
「少しだけ、休憩させて下さい」
 これが本音である。
 もう無理。疲れたのもあるけれど、暑い。蒸れる。
 ごそごそ布を外すのに悪戦苦闘していると、マーユとシリルが手伝ってくれた。
 冷たい空気が火照った肌に心地良い。生き返る。
「汗だくだなぁ」
 同情の眼差しに答えずに息をついた。
 これでしばらく重い荷物と闇からさよならだ。
 晴れ晴れとした気持ちで銀の髪を掻き上げ、顎に滴る汗を拭った。

 

 

 

 

 

 

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